序章六話『好奇心』
その猫は、雨で氾濫していた川で溺れているとき、ある青年に助けられた。
青年は片手で猫を抱き上げると、家へと連れ帰り、餌から、冷えた体温を暖める毛布を用意した。
数日間、青年の家で療養すると、すっかり良くなり、別れを告げるように小さく鳴くと、森の中へと消えていった。
猫はその青年を気に入ったのか、もしくは恩を返すためか、日が登ると青年の家へと赴き、青年と戯れたり、家の屋根で昼寝をする事が日課となった。
今日もいつものように、青年と戯れていると、ふとした瞬間に青年の背後へと素早く回り込んだ。
様子がおかしいと、猫が場所を空けた方向を見つめる。
「あっ! 待ってたよっ……て、何してるの??」
家を囲うようにして存在する森の中、一つの木に隠れるように、アリスはオーウェルの様子を伺っていた。
「い、いえ、その、もう一度会うと言ったにも関わらず、だいぶと時間が経ってしまい……」
「ふふっ、気にしてないよ! 昨日来るかなぁ? とは思ったけれど、今日こうして来てくれるだけで充分さ」
よかった、と胸を撫で下ろす。
貴重な人との縁を壊さずに済んだと何よりも安堵する。
アリスの頭には折れた枝や、落ち葉などが付いていて、急いで来てくれたんだなと、オーウェルは理解できた。
「ところで……いつまでそうしているの??」
オーウェルがそう言ったのは、アリスが頑なに木の後ろから動こうとしないからだ。
「い、いえ……その猫ちゃんを……もっと見ていたいなと……思いまして……」
「? なら近くで……そうか、近づけないんだね?」
アリスの奇妙な特性、ただ歩くだけで恐怖を煽り、畏怖されるそれは、人だけでなく、動物も例外ではない。
それゆえ、アリスは動物を可愛いと見かける事があっても、触る事はおろか、ゆっくり眺める事さえ出来なかった。
「はぁー、何て可愛いんでしょうか、肌触りはどんな感じなんです? あぁ、もっと近づきたいのですが、きっとこれ以上近づくと逃げてしまいます!」
「そうだなぁ、もふもふしてるし、落ち着く感じかなぁ?」
彼は固まってアリスを見る猫をゆっくりと体の正面へと持ってくる。
「く、黒猫さんなんですね! ふわぁ、可愛すぎる!」
君の方が可愛いかもしれないとオーウェルは思う。一見、凛としていて、可愛らしいというより、美人と表現するのが的確な彼女だが、猫にキュンとしている姿は色々な人を魅了するだろう。
もちろん、全てから嫌われる体質を除けばだが。
「ふふ、知らない事がいっぱいありそうだね」
「! はい、その子のように可愛い生き物や、技術、食事や文化は、知りたいと思っても、知れないのが常だったので……」
「そっか、ならいっぱい知るといい、僕がその手助けをしてあげる!」
知識とは、人懐っこいものだと、彼は思う。
何をするにも必要で、時に幸福や、災いも運んでくる。
時に難解で、残酷で、人に嫌われることもある、だがソレを敬遠する者は様々な視点や、自分の持つ感情への対処や名を知れない。
オーウェルはそんな人々を大勢見て来た、持たざる者は理解できず、怒りに身を任せる事が多い、歳を取れば落ち着いていくけれど、単に理解への諦めが殆どだろうと。
だからこそ、知りたいと思う人が好きだった。学ぶ意思が何よりも。
知りたがらない者は早々に、駄目なものを決めつける、それがたとえ何かの原石だとしても。知りたがらないから。
「おいで、案内するよ、僕の書斎へ! 知識は君を、きっと歓迎する筈さ!」
猫への好奇心を抑えきれずにソワソワとしながらも、扉を開ければある、数々の好奇心に期待を募らせる。
そして出会うのだ、その書斎の、一冊の本に。




