序章五話『魔法・奇跡・魔女』
「本当に戻ってこないつもりかね?」
「何度も言ってるだろう? 片腕の僕は足手纏いにもなるし、なにより戻るつもりもない」
高品質なカップに注がれたコーヒーを口に近づけ、そう返事をしたのはオーウェルだ。
それは、アリスという特殊な体質を持つ少女に出会った翌日の事だ。
オーウェルが住むリビングには、対面のソファに座る五十路の男、そのソファーの後ろにはまだ若い男と女の二名が立ったまま待機している。
客人である三人は統一された制服を着用しており、ソファに座る男の制服は後ろの二人より豪華な装飾がなされている。
五十路の男は片方の手で覆うように杖を支え、もう片方の手では綺麗に手入れされた顎鬚をなでる。
後ろに待機する二名の護衛からも分かるように、非常に位の高い者である。
上官である男に友達のように砕けた様子で喋るオーウェルは、護衛の二人から無礼を非難するような目が向けられている。
「『魔女』はまたやってくるだろう……」
「どうだろうね……今ではそんな話も風化して、気に入らない人を痛めつける口実だ」
オーウェルは客人との間にあるテーブルから
カップを手に取る。嫌な事を思い出したのか、中身のコーヒーで洗い流すかのように口に含んだ。
「頼む、前線に立たなくとも指導はできる筈だ、経験を積んだ者は貴重なんだ」
「申し訳ないけれど、それは無理だよハクスリー」
ハクスリーと呼ばれた男はでかいため息を吐く。やはり駄目かと頭に手をやると、後ろにいた男の護衛が口を開いた。
「貴様!! ハクスリー様に対して無礼であるぞ!! こんなところにまで、わざわざ足を運んだというのに!!」
ポプキンというその部下は、腰に携えていた両刃剣をとると、オーウェルの首元に突きつける。
「ポプキン……やめておけ、お前では敵うまい……」
「なにを言いますか、ハクスリー様、若輩者とはいえ貴方様の部下であります、こんな片腕の男になど!!」
はぁ……若い者の気性の荒さときたら。
ハクスリーは顔に苦労を浮かべると、オーウェルを見て眉を下げ、ニコリとわらう。
どうやら、叱っても良いぞ、との事らしい。
明らかに血が上りすぎたポプキンをみて、隣にいた護衛の女は止めに入るが、沸騰した湯が急に冷えるわけもなく……
まったく……穏やかに過ごしたいのに……
オーウェルの喉元を刃の先がツンと刺す。
だが、彼は膝を組み、唯一の手ではコーヒーの匂いを嗜んでいる。
多めにみるか……と、冷静に対処しているつもりでも、それは裏目に出ることもある。
時に、大人の冷静さは若者に対し、何よりも腹をたたせる行為だろう。
その様子を見てさらに激昂したポプキンは、脅しのつもりであったのだろう、両刃剣を振り上げる。
「謝罪を述べる素直さというのは、少し……年齢を重ねるしかないのかな?」
その顔には怒りではなく、どこか諦めのようなものが浮かんでいた。
オーウェルはコツンと足で床を弾いた。
すると、振り上げられた剣はサラサラと音を立て、砂のように宙に舞った。
その小さな粒達の周りにはオーロラのような光が漂っている。
「一体、これは……」
女の護衛が呟く。
「悪魔のイタズラさ」
不思議がる女に対し、オーウェルはニコリと笑う。
オーウェルが実行した何らかの手段は、彼女が今までみた「力」の中で明らかに異質だった。
「な、何をしたんだ貴様!」
「もういいだろう、ポプキン、帰るぞ」
ですが! とポプキンが上官を見る。だが、上官の目を見て、次はないという警告が伝わると、おとなしく命令に従った。
女の護衛はサラサラと浮かぶソレを惜しみながらも後に続いた。
「また来るよ、オーウェル」
「たわいない話なら歓迎するよ」
ガチャリと戸が閉まる。
オーウェルが持つコーヒーは何故か、既に冷めており、匂いを感じ取るには向かなかった。コーヒーを飲み干す。
「ふむ、やっぱり疲れるなぁ、あの人達といると……」
それにしてもと彼は考える。
昨日出会ったアリスという娘は来ないのだろうかと。
彼は考え方の違いから、先に訪れていた客人達と距離を置いた。会話や価値観のズレを合わせながら、仕事をするのに嫌気がさしたから。
アリスと話が合うだとか、価値観が同じだとか、そういう事はわからない。
だが、前職をやめ、作家として過ごす生活の中で初めて関わろうと思えた人物だった。
心の波が、荒れる事なく、穏やかに過ごせるような。
「気にはなるけど、どこにいるか分からないしなぁ……まぁ、会えなかったらそこまでの縁……なのかな」
そう独り言を呟くと、席を立ち、書斎へと向かう。
誰もいなくなったリビングには、ポプキンが持っていた両刃剣が、コトリと床に落ち、砂のような粒と幻想的な光は消え失せていた。




