序章三話『タレミミ兎と野菜のポタージュのち未知、所々によだれ』
突然だが私アリスが問おう、未知とは?
オーウェルさんに許可を経て、拙い文章でこの日記を綴る今日に関して言えば、未知とは表現のしようがない事だとわかっている。
この日記を手にした貴方も頭の中で考えて欲しい、未知とはどんなものだろうと。
そして未知と考えだしたソレを説明しようとする時、どう言葉にするだろうか。
答えは、既知の言葉を使って説明しざるをえないし、未知を想像する事は不可能である、だ。
ざっくり説明すると、とある哲学者が未知にとってそれはそれは深く考えた。すると物事を説明する時、そのもの単体だけを説明する事の難しさを指摘した。
例をあげよう。たとえば「本」この本を説明するとどのような事がおこるのか。
ソレは紙でできていて、複数の紙を片方で綴じ、インクで文字が写されているモノだ。
もちろん例外は存在するし、この説明で本の事を言っているなと、伝えられない私の文章力と、知識はおおめに見て欲しい。
こうして、本というモノを説明すると、全てが本「以外」の知っている、つまり既知のモノで構成されている事がわかる。
紙やインク、詳しく伝えようと情報を増やしても、サイズや重量、材質などなど、既知の物や単位でだ。
長々と説明したが、つまり言いたいのはこう言う事だ。
未知が本当に未知であるならば、ソレは想像することすらできないし、語り得ない。
どうして長々とこんな事をいうのか?
それは今現在、目の前に広がっているのが私にとって未知「だった」食べ物だからだ。
「はい、できたよ!」
オーウェルさんがそう言って差し出したのは、木製の器に並々と注がれたポタージュだった。ポタージュにはタレミミ兎という、この辺りに生息する兎肉、そして新鮮であろうキャベツと臭みを消すためのハーブ類やニンニク、芋類がふんだんに使用されていた。
「ありがとうございます!」
お腹の虫が大合唱の準備を始めていた私にとって、その匂いを嗅ぐだけで、涎を我慢するのに必死だったくらいだ。
本来、流行り病が過ぎ去り、立て直しの途中のご時世において、食事にポタージュが出るだけでも十二分である。ましてや、その中に加工せずとも食べられる兎肉が入っているなら尚更贅沢だ。
食肉に関してはペスト流行中、牧畜を管理する筈だった人々が次々に倒れた事もあり、人口に対して食肉の数が増加。
流行後には多くの食肉が市場にならび、庶民の食事に使われる事が多くなってきた。
ただ、それでも庶民にとっては豚や鶏がメインであり、豚や鶏でも長く保存でき、輸送しやすいような、加工肉が安価に出回る筈だ。
牛肉や羊は、食肉以外での需要がある故に、庶民の家に食事という形で並ぶ事はほとんどない。
珍しい種類の兎肉ともなれば、言うまでもなく。
だが、そのポタージュを差し置いても目を惹く、贅沢品であろうソレはあった。
「これは……なんでしょうか」
はっと緩んだ口の端を拭いながら、ソレを何かと聞く。
見た目は丸く、白い。
一瞬、高級品であるチーズかバターかと思ったけれど、そうではない。
さわればサラサラしていて、つまむとフワフワと指の腹を押し返してくる。
「ふっふっふー」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりにオーウェルさんは自慢げに笑みを浮かべる。心なしかフワフワな癖毛が踊っているようだ。
彼は自分の分である、その白い塊を手に取ると口に入れやすいサイズにちぎった。
私はそこでようやく、その白い塊の正体に気づいた。
「もしかして……パン……なんですか?」
「そう! 正解! これは白パンって言って、黒パンよりもフワフワで、すっごい美味しいんだよ!」
何と……
これがパン……
アリス自身はパンという存在を知らない訳ではなかった。
人々が黒パンと呼ぶその主食を、アリスの母も自ら作り、食卓に並べていた。
『彼女彼等』は無知ではない。基本的な料理から食材の調達、調味料などの概念も彼女達は知っている。
知能は『人』と同様にあるだろう、ただし。
彼女達とは比べ物にならないほどの頭数の多さは、『彼女彼等』が新しい料理や、仕組みを捻出する際にかかる何百年、或いは何千年という年月を一瞬で覆す。
故に、『彼女彼等』が俗世から、かけ離れ生活しているうちに、未知の発明が次々になされていたのだ。
人々による発明の時期が遅かれ早かれ、ソレらは常に『彼女彼等』とは比にならない速度で増え続けていく。
アリスを含む『彼女彼等』は、これらの発明の遅さに二つの理由があると言っていいだろう。
一つは先にでた、頭数の少なさ、そしてもう一つは生活に必要かどうかである。
今世の人々には階級がある。
上流階級、中流階級、労働者階級、そして下流階級だ。
なにも、本人達がこれらの階級を、名札代わりに持ち歩いている訳ではなく、著名な思想家や哲学者達が世俗を語る際に使う言葉だ。
これらの階級は『彼女彼等』とは違い、実に効率的に発明を生む。
上の者は、労働者階級や下流階級から搾取するために、労働者階級や下流階級は、上の者から少しでも富を得るために。
白パンは、その中の発明でも、そこまで特別な物ではないが、人々が持つ階級からなる仕組みによって、生み出された物に違いないだろう。
『彼女彼等』はその生活上で、腹を満たす必要はあっても、黒パンから白パンのように味を追求する必要がない。もちろん味がいいに越した事はないが、味を追求したとしても、時間毎における成長や、変化を示す曲線も緩やかだろう。
「まぁ、説明するよりもまず食べた方がいいさ」
早く早くと期待した表情に、私は白パンをちぎり口に放り込む。
硬く、日持ちを考え、主菜達と一緒に食べる事を想定した黒パンとは違い、ソレは単体でもご馳走と呼べる代物だった。
噛めば口の中でほろっと解け、上品な香りが鼻腔をくすぐる。少しだけ、されど黒パンよりも圧倒的なその甘さは、私の顔を自然に笑顔にするくらい美味しかった。
「美味しそうに食べてくれてよかった!」
ポタージュと食べると、もっと美味しいんだよと、オーウェルさんはちぎった白パンを、ポタージュに浸し、胃袋に流し込んでは、天使のような笑みを浮かべる。
私もそれに倣い、贅沢すぎると口角を釣り上げながら口に含む。
「オーウェルさん……これは反則ではないでしょうか!!」
「でしょ! でしょ!」
タレミミ兎とよばれる兎の肉は柔らかい肉とは違い、しっかりとした歯応えがあった、けれど食べづらいという訳ではなく、咀嚼すれば心地いい食感と深い旨みが口の中を満たす。
少し濃い塩味と、ニンニクの独特な香りが重く感じてしまうかと思えばそうではなく、喉を通るとハーブの爽やかな香りが、その重さを軽やかに変える。
すかさず、白パンをかじるとポタージュの後味と相まって、絶妙な味が舌の上で踊るのだ。
気付けば、オーウェルさんと私は一口食べるたびに美味しいしか言わず、火にかけた鍋が空になるまで夢中になっていた。
まだ知り合って間もないというのに、その時ばかりは気が緩んでいた。母に貰った助言が頭に浮かんでは、食事の美味しさに流されてを繰り返す。
食事を終え、ふと我にかえると、先程まで頭に浮かんでいた疑問の処理にかかる。
当然だが、知らないことの方が多いし、私の特性に対してだとか疑問が多数ある。
それら全てを同時に聞いても申し訳ないので、私はまず、先の豪勢な食事に関しての質問を投げる事にした。
「その、初対面でこんな事を聞くのはアレなんですけど……もしかしてオーウェルさんはすっごくお金持ちなんでしょうか?」
「別に気にしないよ、そうだなぁ……」
私が少し申し訳なさそうに聞いたのが伝わったのか、彼はそれを和らげるようにそう言う。
普段の天真爛漫な笑みとは、また違った笑みを浮かべると、空を仰いで少し考える。
今までは木々の輪郭を鮮明に照らしていた太陽も、森の中におちようとしていた。
賑やかで底抜けに明るい、さっきまでのオーウェルさんとは違い、思考に耽る彼には、大人びた落ち着きと、知的さが伺える。
その少しの沈黙に、やっぱり不味かったかなと謝罪を口にしようとした時だった。
「それなりに……出した本が売れて……稼げてはいるんだと思う……でも、これらの食材が稼いでいる事を証明する適切な理由になる訳じゃないかな……」
決して、暑くはない季節だが、火の元で食事をするとなると、内も外も暑く感じるものだ。森は彼のその感情を察したのか、心地よい風を運んでくる。
彼に出会った瞬間もそうだった。
世界が、彼を際立たせる為に演出しているようだ。
私の心に、その一瞬を、深く縫い付けようとして。
「孤独の治療薬……みたいなものさ……」
また、風が吹く。
その一言を聞いて、熱を思い出した私の肌に、その風は何よりも快適さをよこした。
あぁ、こんなにも……私が何よりもわかって欲しいと思う、その悩みが。
彼には理解して貰えるという、その喜びが。
私はまたもや、頬に涙を流しそうになる。
でも、もう嫌だ。
今日出会ったばかりの彼に、私は涙を見せたがらないでいる。
恥ずかしいとか、そういう理由ではなくて。
泣いてばかりの私を、彼がどう思うか分からなかったから。
今までは、なんて事なかった。
少し寂しかったし、傷付いてはいたけれど。
私の特性が、それを納得はさせてくれたから。
でも……
私は彼に。
嫌われたくないと思っているらしい。




