第九話『E=mc ²』
E=mc ²
オーウェルが目を向ける先に、その方程式はあった。
アリスが翻訳した物語の中にあったソレは既存の力学とはかけ離れている。
現在、この世界の運動エネルギー量を求めるのに使われる『N力学』ではEk = 1/2mv^2で求められる。
簡単に言うと、エネルギーは二分の一×質量×速度の二乗である。
例えば銃弾のエネルギー量の場合は二分の一×0.012Kg(銃弾の質量)×900 m/s(速度)の二乗でエネルギー量は約4900Jになる。
ただ、本にあったEを求める式で解くと、明らかにおかしい事になる。
もし『N力学』と『同じ』Eを求めるなら、質量と速度は同じく0.012Kgと900 m/s、そしてこのC ^2を『電気』や『電磁波』の速度とするなら、約(3×10^8)^2
数字にして、およそ10^15J、『N力学』の4900Jと比べると、その差は約2千億倍以上になる。
たった0.012Kgの質量からなるエネルギーがそんなに大きくなるなど『ありえない』
「やっぱり、ただのフィクションなのかな?」
前職の終盤、オーウェルが辞職するきっかけにもなった仕事において、その本は『与えられた』
魔女という、この世界に対しての危険性。
なにも、騎士を辞めたからと世界の危機に対して無関心になったという事ではない。
ただ、リース教から分岐した騎士である以上、物語や学問に追求する事は、時に内部での立場が不安定になる。
魔女狩りという風習が存在してしまう程の、傾いた正義や善の意思。
その中で潔癖を保つことの難しさはオーウェルも良く知っていた。
リース教自体が学問を否定している訳ではない、むしろ学ぶ事に関して言えば国民に推奨している。
ただし『天文学』や『哲学』といった、宇宙や世界の『真理』を追求する学問はその限りではない。
宗教自体は哲学的な思考から発生したが、後に発展した『神学』つまり、世界とは、人とは、善悪とは、そういった『教義』からなる『神学』の足場が不安定になってしまう。
今更だが『異端』とはこの教義から外れている者や行動の事を指す。
その異端を排除、淘汰するために『魔女狩り』という狂気が実行されたのだ。
『宗教』と聞くと、怖い想像を掻き立てられる者もいるだろうが、何も全ての宗教がそうではない。
宗教自体がもたらす産物は、時に国や個人を豊かにする事もある。
ただ人が増え続けると、今まで無しだとされた意見が票を得る。
そんな組織の中で左腕を失った事、そしてその事件がきっかけで騎士を辞めるに至るのだが、この本を何とかして解読したいというおもいも、行動を後押しした。
そもそも、数字が得意ではない事、そして問題と捉えれる文が本にはいくつもあった。
片手で開いていた本に文鎮を載せると、空いた手で目頭をおさえる。
寝起きの学習効率の良さを使い、アリスが来るまで本に向き合っていた。
コーヒーを淹れて気分転換でもしようと席を立ったとき、玄関の方からガチャリと音がする。
「おはよう、助手ちゃん!」
「おはようございます、先生……コーヒーの準備ですか?」
「! うん、気分転換しようと思ってね、それにしても、助手ちゃんが慣れてきたみたいで嬉しいや」
アリスが助手として家に訪れるようになって一ヶ月が経った。
まだ互いに知らない事だらけではあるが、生活の雰囲気はだいぶ覚えてきたらしく。
コーヒーを淹れようとしていたオーウェルに代わり、自然に鍋に水を入れる。
ニヤけた顔を隠さず、アリスにそう伝えると、彼女は少しの沈黙の後に頬を染めながら口を開く。
「い、いや、これはですね、別に先生の事をずっと見てるからとか、慣れたとか、そういう訳ではなく……たまたまというか……はい……私も慣れてきて嬉しく思います……」
オーウェルと一緒に活動する者達に共通する事だが、彼は褒め言葉や好きという感情を照れもせずに言う、良い事ではあるが、そうされた相手は調子を崩す。
彼はそれが普通だと思っているが、他はそうではない。
長い時間をかけて人は言葉ではなく、態度や表情で好きや嫌いを実感していくものだ。
だがオーウェルと過ごすと釣られて、素直にならなければと言葉をこぼす。
アリスも例に漏れず、照れ隠しで否定したものの、嬉しそうにニヤニヤするオーウェルを見て、思わず素直な感情を口に出す。
「えぇー、聞こえないよ助手ちゃん、何て言ったの?」
「か、からかわないで下さい先生! 早くコーヒーの準備ですよ!」
「ふふ、楽しいね、助手ちゃん!」
「!……せ、先生は素直すぎます!! 人慣れしていない私には眩しすぎると言いますか!!」
いつものように、モフモフな癖毛をゆらゆらと揺らしながら、満面の笑みで感情を伝えると、アリスは思わず顔を背ける。
耳まで真っ赤になり口元が緩むアリスは、暫くオーウェルの方を向けなかった。




