第四章
研究所に戻ったアズマ博士とイルムートを迎えたのは、ヨシエと彼女と一緒に留守を頼まれていたヘムだった。
アズマ博士達は、ちょうどタイミング良く遊びに来たヘムにヨシエを任せてウドラ宇宙港まで行っていたのだ。留守を任せるので、一応お茶菓子を渡しておいた。彼も絶賛するイルムートの手製のパウンドケーキだったのも幸いし、二人は留守番を頼まれてくれたのだ。
ヨシエとヘムは戻ってきたアズマ博士達からリリッシュのことを聞き、二人そろって腕を胸の前で組んで「うーん」と唸った。眉を思い切りハの字に曲げたヘムが、とても面倒くさそうに話をまとめた。
「てことは、事態はかなり深刻になっちまってるってことだな」
かなり簡潔なまとめだ、とヨシエは思った。でも、それでいいとも思った。実際に大事なのはリリッシュの身の上や考えなどではなく、ピィが狙われる可能性が高いという事実だ。
「それならば、これからアタシ達はピィちゃんのことをますます守っていかなくちゃならないってことね」
決意を新たにするヨシエだったが、アズマ博士は考えが違うようで首を横に振った。
「それは違うよ、ヨシエ」
「お父さん?」
これから発する言葉に後ろめたさを感じているのだろうか、ためらいがちに口が開かれた。
「……ピィを自然に帰そう」
頭を叩かれたのか。ヨシエがそう思いたくなるほどの衝撃。それは心に対する衝撃であったが、思考を一旦止めることで、身体に何らかの衝撃が来たのだと勘違いをさせた。
目の前が暗くなってきた。視界が狭まっていく。耳に聞こえてくる音も小さくくぐもっていく。
やっと思いで口を動かし、やっとの思いで息を吐いて声帯を震わせた。
「冗談でしょ?」
声が震えている。
声は空気の振動であり、つまり空気の震えを耳で受け取り、その信号を脳で音として認識しているだけだ。、それなのに声が震えるというのは妙な表現なのだなと、ヨシエは考えていた。どこか頭の一部分が非常にクリアになっていたのだ。それは怒りによるものか、悲しみによるものか。
「冗談でこんなことを言えないよ」
アズマ博士は神妙な面持ちで説明しだす。
「バイアヘルト博士の目的は、地上でエーテルフィッシュの幼体を調査することだ。だけど、運が良ければ捕獲しようと考えているのは誰の目に見ても明らかだ。
そもそも僕たちがピィをエーテルフィッシュだと認識できたのは、彼女の論文があったからだ。それぐらい、彼女のエーテルフィッシュに関するデータの収集と分析、考察は恐ろしく的確だ。
ここ最近、この研究所での電気使用量がこれまでないほどに膨れあがっている。スポンサーに対しては新しい試作機の開発のためだと言ってごまかしてはいるが、彼女に対してそれは有効じゃない。
だから、ピィが捕らわれる前に自然に帰してあげる必要があるんだ」
父親が言っていることの正しさをヨシエは良く理解している。頭の一部がクリアになっているおかげだ。だが、その理解以上にピィを手放したくないと思った。
「そんなのやだ……」
「ピィのためでもあるんだよ」
「でも、絶対にイヤっ!」
「ヨシエ……」
自分を慕ってくるものを庇護する欲求があるものの、一人っ子であるヨシエにはそれができない。欲求不満であった。それを解消するのが可愛らしい動物を観察することであった。本当ならばペットを飼いたいのだが、この惑星の事情がそれを許さないでいた。観察と飼育、その二つを兼ね備えた存在がピィであり、彼女が手放したくないと意固地になるのももっともだった。
しかし、W&M社がピィを力ずくで奪おうとした場合、自分たちにも危害が及ぶのは、ヨシエだってわかる。だから、ピィを自然に帰してあげるのが一番良い手段だとアズマ博士は考えたのだろう。
強盗殺人と放火に見せかけて研究所を襲い、動物を一匹捕獲するのと調査にはわけが違う。自然の調査には長い時間がかかり、いくらW&M社が私兵を持っているとしても、自然の調査には長い時間がかかり、隠し通すことは難しい。
この惑星に生息しているエーテルフィッシュの幼体は、これまで人目に触れられずに生存していた。つまり、この惑星で認められる調査活動や一般の生活において見つけることはほぼ不可能である。ピィを逃がすというのはそういうことだ。
だがそれはピィとの完全の別れも意味していた。
いつも自分の味方をしてくれるアズマ博士とイルムートは、今回は敵に回ってしまっている。ヨシエは自分一人でこの二人を説得できるのかと悩んでいるとき、意外な助け船がいた。
「このピィを逃がしちまって、それで解決するわけじゃねぇだろ」
「ヘム、それはどういう意味だい?」
いつもからかってくるヘム・マクスミー。彼はヨシエの肩に優しく手を置いてアズマ博士に話しかけた。
「W&M社ってのはその資本力もそうだが、政治的に力を持っているのがやっかいな組織だ。それは二人ともわかってんだろ? だったら今のうちに……まだこの惑星が法律で保護されているうちにリリッシュ・バイアヘルトを逮捕してしまうのがいいんじゃないか?」
「だから何を言っているんだって」
「ピィを囮にしておびき寄せて逮捕だ。生態系保護が重要視されている銀河最外縁惑星の上で、保護されている動物を強奪することがどのぐらいの重罪かわかるか?」
陸地に溢れそうになった人類が海洋よりも宇宙に進出を果たしたのは、なにも海上の災害に対応できなかったからだけを理由とはしていない。人類は生活を営み、文明を発展させる中で、母星である地球の生態系を破壊していた。それは貧弱な知識しかなかった故の行為であるかもしれないが、人類は後悔した。
だからこそ、さらに生態系を破壊してしまう可能性のある海洋への進出より、人間のみの空間である宇宙への進出を選んだのだ。資本も宇宙に集まりだし、宇宙への居住と進出が進んだ。
やがて人類は他の惑星へと移植し始める。無論、その生態系を保護しようとする考えは、移植した惑星でも生きていた。いや、むしろ、生態系を保護する動きが活発になった。
ほかの星の生態系は、地球ほどの多様性をもったものではなかったのだ。地球にあるような、ほ乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類が同時に繁栄しているような惑星はほとんど見られなかった。人類は地球の環境がどれだけ自分たちに寛容であり、そのおかげで宇宙に進出するまで壊れずにいてくれたのかと感謝した。
人類はほかの惑星の生態系を保護しようと決意したのだ。宇宙コロニーに済むのではなく惑星に移植した人間であれば、その決意を誰しもが持っていると言われている。それでも戦争は未だになくならないのだから、同種争いは人類が持つ一番大きな性なのかもしれない。
リリッシュ・バイアヘルトが最悪の選択をした場合であれば、終身刑の可能性はほぼないだろうが、10年の禁固刑をくらうのは明白だ。そしてその間は惑星内でのエーテルフィッシュ調査を行うことはできない。リリッシュという鬼才により研究を進められたのだから、彼女が獄中にいるなら研究は止められるだろう。それに、その計画は凍結封印され、彼女が出所したとしても継続が困難になるかもしれない。
アズマ博士も対処の一つとして考えていたかもしれない。だが、その答えを実行しようとは思わなかった。
「そ、それは……僕も考えたが危険すぎる。奴らは私兵を導入するかもしれないんだぞ」
「心配するな。家のボスは賄賂には弱いが、それ以上に義理と人情に弱い。俺も含めて信用できる奴を警護に就かせてみせるさ」
「そうは言うけど、相手の方が行動が早かったらそれでおしまいなんだ。キミは僕に娘を危険にさらせと言うのか!?」
流石にヘムも言葉が出てこない。彼も家庭があり、愛する子供がいる。おおよそ、子供達が武装した大人によって襲われることを考えてしまったのだろう。
アズマ博士も黙り込むヘムを見て胸をなで下ろしたのだが、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がったヨシエに驚いた。
「いいよそれ。ヘムおじさんの言うとおりにしたいとアタシは思う」
もちろんアズマ博士とイルムートは彼女の考えを否定する。二人が自分のことを心配しているからこそ、彼女の考えをやめさせる発言をしている。彼女はそれをよくわかっている。
だが、二人はわかっていないのだろう。ヨシエにとってピィの存在はペットなどという言葉ではなく、家族という言葉が相応しいのだと。
◆◇◆◇◆◇◆
リリッシュ・バイアヘルトはエーテルフィッシュ調査の対象惑星を、数ある銀河最外縁惑星からウドラ星系第三惑星を指名した。
生態系が貧弱になる原因である炭素量の少なさは、エーテルフィッシュが幼体期間を過ごすことに理由があると考えている。その実証のためだ。
くわえて、銀河最外縁惑星におけるもう一つの不可解な現象。通電時の電気ロス。これもまた、電気を食べるエーテルフィッシュが何らかの影響を与えているのだと思っている。それが、幼体による捕食なのか、成体によるものなのかつかみ切れていないので、実際に自分の手で調査をしたい。炭素量の少なさ同様に、エーテルフィッシュの生態が原因ではないだろうか。
その電気ロスにおいて、ほかの入植済み銀河最外縁惑星よりもロスの大きな惑星がウドラ星系第三惑星だった。
かつての後輩がいたことは何かの縁を感じるが、大した理由ではなかった。昔のように自分の研究に理解を示してくれるのならば、手伝わせても良かったのだが、自分の研究があるとかいう理由で軽く断られた。
恨むことはしない。彼女自身も変わったのだから、後輩も変わっても仕方がない。互いに、色々なことがありすぎたのだ。
長旅の疲れを癒すためにゆったりとしたソファに座りながら、苦いコーヒーを飲んでいたら、様々なことを考えていた。痩せこけた顔はきっとだらしなく緩み、まるで老婆のようになっているのではないかと思い、ふと顔に手をやる。
自分は老けた。愛していた男が死んでから、自分は急激に老化が進んだように思う。もともと人は死に近づくのだから、老化が進むのは当たり前だ。だが、これはあまりにも急ぎすぎていないだろうか。
それに比べて後輩、イルムート・ネヘラシアンはどうだろうか。自分と歳は三つしか離れていないというのに、あの美しさはなんだろう。彼女は色素が薄く、紫外線に弱い。そのため、屋外に行くときはつばの広い帽子をかぶり、指先までを隠すために手袋まで付けている。それにもかかわらずあの肌の透明感や、艶やかな髪は何をどうすれば維持できるのだろうか。
ああ、きっと努力の違いだろう、とリリッシュは思った。自分はもう誰からも見られる必要がないから美しさを放棄した。だが、イルムートはきっとまだ、誰かから見られたいのだ。美しいと言われ、愛されたいのだ。
彼女が空想にふけっていると、部屋のドアがノックされた。
返事をするとこの惑星に前もって降りていた研究員が入ってきた。その男はW&M社が直接雇っている開発スタッフではなく、小金ほしさに手伝っている関連企業のスタッフだ。それなりに優秀であり、ネヘラシアン財閥と竜神教にまったく縁のない人間であるので採用した。だから、彼女は名前を覚えよる必要はないと思っている。。
「主任、電力会社からのデータが届きました。どうぞ」
「ええ、ありがとう」
彼はデータを頼んでいたとおりに紙の束で渡してくる。彼女が受け取ると「失礼します」と言ってすぐに出て行ってしまった。まあ、どうでもいいと思う。しかし、たぶん彼の方もリリッシュのことなどどうでもいいと思っているだろう。
ソファから立ち上がり、デスクへ向かう。チェアに座るとペンスタンドに刺さっていた赤いマーカーをとり、紙の束に気になる点があれば次々に線を引いていく。
こういった直感めいた作業は一人でやる。婚約者であったトライヘ・イシエドとは二人三脚の共同作業としてやっていたが、、今は一人でやる。ほかの人間の直感など信用できないからだ。
直感めいた野性的な、原始的な作業。それ故、この作業には紙が必要だ。今では空中にデータ画面を映し出し、それを素手で操作できるホログラム・ディスプレイも存在する。しかしあれはだめだ。あれはリアルではない。あれには手から紙が滑り落ちるというミスなどが存在していないのだ。リリッシュはそれが良くないと思っている。
紙が滑り落ちてしまうのではないかという緊張感。見やすいところに同時に複数枚を置くことができないもどかしさ。自分の手が二本しかないという矮小な限界。
それらがあってこそ人は直感をとぎすますことができる。集中力などは問題ない。直感には野性的な心があれば十分であり、理性をフルに使うための集中力などは無用なのだ。
リリッシュは一通り紙の束に目を通してマーカーでラインを引いていくと、もう一度最初からめくり始めた。次に持つのは黒いマーカー。赤いマーカーで引いたラインに黒を乗せていく。美しいラインではない。野性味溢れる鋭く雑なライン。彼女の顔には徐々に笑みが浮かんでいく。
二回目の目を通す作業はとても素早く終わった。そして終わった瞬間彼女は紙の束を天井へ向け放り投げる。
紙の束は空中で一枚一枚に分解すると、重力に逆らわずにバサバサという音を立てて落ちてくる。彼女は手のひらを上に向け、そこに落ちてきた一枚の紙を掴んだ。
書面をじっくりと読む。周りに落ちていく紙など、今の彼女には見えていない。完全な集中力の発揮。
彼女とトライヘのみが可能だったこの作業手順は、まさしく直感と理性の二つを使ったデータ分析と言う名の超能力。
ニヤリ。老婆のような深い顔の皺をさらに深く刻み、彼女は笑う。
「存外、簡単にわかってしまったわね」
散らばった紙を踏みつけながら、彼女はデスクの内線をつなぐ。相手は彼女のボディーガード兼秘書を務める女。
『なにか御用ですか、主任?』
「私兵の武装はいつ届くのかしら?」
『二日後の便で到着。彼ら自身による再整備を行い運用しますので、三日後から使用可能でしょう』
淡々と告げてくる秘書。リリッシュは彼女のその機械のような冷静さが好きだった。
「それは嬉しい。すでに目標は決まった。存分に暴れて欲しいわ」
『つい先ほど到着したばかりだというのに早いですね。では、隊長には私から伝えておきます。ターゲットを教えてくれませんか?』
「ふふふ……目標はフライヤー研究所ウドラ支部。そこにエーテルフィッシュの幼体がいるはずよ」
『了解』
秘書は少しだけ言葉に空白を作った。何を考えているのかリリッシュからはわからなかったが、戦闘のプロである彼女たちには彼女たちなりの考えがあり、それにはタッチしないようにしていたので無視する。
『邪魔になる人間はどうしますか?』
リリッシュは少しだけがっかりする。なんだそんなことか、と。
「殴って気絶。それで十分」
『了解。反撃してくる人間はどうしますか?』
リリッシュは少しだけ高揚する。そうだ、それを聞きなさい、と。
「殺して燃やす。それで十分」
『了解。そのプランで作戦を練ります。お待ち下さい』
内線を切り、チェアに深く座る。
張り付いていたような深い笑みをやめ、無表情になる。眠っているような、なにか別のことを考えているような、何も感じていないような、何もない無表情。
思いだしたかのように口が開く。
「あの子、エーテルフィッシュに情でも移ったのかしら? なんて模範的な偽善者」
空港で後輩と出会ったときとは全く違う、呪いのような暗い声。自分と違い、美しいままでい続けるイルムートに対する妬みが確かにそこには見て取れた。
それと同時に憎しみも沸く。自分の研究を理解しない後輩に対しての憎しみはもちろんだが、それよりもイルムートがかつての自分のようであることに憎しみを覚えていた。
エーテルフィッシュとも共生関係を築けると信じていたあの頃の自分。それ故に愛する人を失ってしまった自分。それがイルムートと重なる。だから余計に憎い。もしこの自分を殺せるのであれば、彼女は喜んでそれを実行したいと思っていた。
その考えは今でも変わらない。
◆◇◆◇◆◇◆
竜神教は巨大ではあるものの一応は新興宗教組織であり、例に漏れずに武装部隊を所持している。名前は特にないが、一部の幹部は彼らのことを〝守り手〟と呼んでいる。
守り手と呼ばれる彼らは、竜神教の信念を傷つけるような輩に対しての報復活動をするためのプロフェッショナルだ。しかし、大した人数はいないし、活動をしたことも非常に希である。
なぜなら竜神教を敵に回すことで利益になる組織などほとんど無いのだ。彼らの心を魚出るのは、未知宇宙へ進出を強行することぐらいしかない。エーテルフィッシュへの冒涜的な発言などに対しても寛容である。
エーテルフィッシュの偉大さが銀河に広まっている現在、特に異教徒に対して威嚇的な対応をしなくても良いとしている。わざわざ自分たちが威嚇行為をしなくとも、信仰対象であるエーテルフィッシュ自体が強烈な宣伝効果となる。竜神教のみを信仰する教徒は少ないが、そのほかの宗教と絡めて信仰している人々が多い。
だが、守り手に所属している者は狂信的な教徒だ。彼らが神の使いと崇め称える竜を卑下する発言をした人物の多くは不可解な事故に遭っている。
彼らはかつて地球に存在した十字軍や聖戦士のように真正面を切って戦うことはしない。使う道具は剣でも銃でもなく、むしろ毒塗りの針や爆薬である。身に纏うのは強固な鎧でも闇夜に溶け込む黒衣でもなく、むしろ人混みに紛れ込むための普通の衣類である。
今、竜神教ウドラ支部支部長アシュトン・クシィ導師の前に並んでいる九人の男女もそうであった。目立つ姿格好はしていない。
「同志諸君。良く来てくれた」
背は高くも低くもない平均の身長。身体は太くも強靱でも細くもない平均の体重。容貌は美しくもなく醜くもなく平均の顔。身なりは潔癖でもなく不潔でもない平均の清潔感。仕草は野性味溢れるわけでもなく知性的でもない平均の品格。身のこなしは猫背でもなく軍人のようにまっすぐでもない平均の姿勢。
ただ、時たま目が常人ではないものに切り替わる。狩人が持つ猛禽の如き視線。だがそれは非常に一瞬のこと。見るものが一般人であれば絶対に気づけないほどの差異。
美貌の持ち主であるクシィ導師には真似できない能力の持ち主達。それだけ高い能力を持っているのに、一介の導師でしかないアシュトン・クシィに跪く。彼が持つカリスマ性にあてられたというわけでもない。
「またキミ達の力を必要とする事態が起きた」
「そのための我らです、クシィ様」
わずかばかり悲しそうな顔をするクシィ導師の言葉に、リーダー格である男が跪いたまま答える。
「頼りにしている、同志諸君」
守り手を構成する教徒は狂信的である。そのため、理性的な教祖にとってはありがた迷惑な教徒でもある。
自分の掲げる教義に対して盲信するだけならば、熱心な教徒達がいる。彼らも教義をけなす人間達に対して怒りをあらわにするが、攻撃的ではない。プラカードを掲げて自分たちの意見を求めたり、裁判所に訴え出て自分たちを攻撃する不当性を勝ち取るのみである。
狂信的な教徒とはそれとは違う。彼らの主張にはすべて暴力行為が伴う。
「また、W&M社だ。私は因縁を覚えてしまうよ」
クシィ導師は遠くを見つめて思いを馳せた。
彼がまだどこにでもいるような一人の教徒だった時代のことだ。当時の彼は熱心な教徒であり、同時に入信した者達や先輩教徒からも信頼を得ていたが、それでも一介の教徒にしか過ぎなかった。
彼はそれでも良かったと思っていた。超自然存在であるエーテルフィッシュを崇め奉る行為は、彼がこれまで感じてきたことがないほどの充実感を教えてくれた。
エーテルフィッシュの存在を初めて知り、彼は本当にやりたいと思えることに手を伸ばす決心を得た。それは反社会的な行為であり、穏やかに自然の生物を観察していたい彼にとってはなかなか選びにくい選択肢であった。だが、エーテルフィッシュという偉大すぎる存在を知って以来、彼はその選択肢を選ぶことに恐怖は感じなくなった。
エコテロリスト。それが彼の選んだ道である。
自然を冒涜する組織に対する敵性活動。閉塞感から脱した彼の心はどこまでも高く舞い上がっていった。
だが、小さかった彼の組織はすぐに行き詰まった。
失意する彼に手をさしのべ救ったのは竜神教の人間だった。
暴力はいけない、と竜神教の教徒達は声を揃えて言う。一はそれに反目したクシィであったが、エーテルフィッシュを崇めることによる充実感は、その言葉を事実として受け止めさせる原因となった。
新たな境地へと辿り着いた彼は、さらなるカリスマ性を身につけていった。だが、その程度のカリスマ性など、銀河に轟く巨大組織となった竜神教の中では良くある程度のものでしかなかった。同年代にも素晴らしい信念と美貌により、幹部からも信頼の厚い若者がいたが、それでも導師と呼ばれることはなかった。
クシィが導師となり、ウドラに永住することになった出来事がある。それは――
「あの会社の調査船を爆破したときから、私は宿命を感じていた。私には特異な能力はないが、守り手の一人となるのだと」
リリッシュ・バイアヘルトの婚約者だったトライヘ・イシエドが死んだあの「事故」である。あれはクシィが守り手に接触し、彼らと共謀して画策した作戦であった。
守り手の構成員達はクシィにカリスマ性を覚えると同時に、自分たちと同じく狂信的な信仰心を持っていることを確信した。この人間こそ自分たちが使える主なのだと直感したのだ。彼の言うことは自分たちの願いそのものであり、彼の懇願は自分たちの心を高ぶらせる使命の言葉となった。
だからこそ実行に移した。W&M社に潜り込んだ守り手の一人はその命を捧げて作戦を成功させた。
この「事故」を知った理性的な教祖は驚愕した。しかし、それを周りに漏らすような愚行はしなかった。彼はあくまでも理性を持ち続けた。自分ではありがた迷惑の邪魔な存在である狂信者集団の守り手を、一人の青年がコントロールしたというのだ。その青年は自分とエーテルフィッシュに対して忠誠を誓うアシュトン・クシィなのだから、彼をコントロールすることで守り手をコントロールしようとしたのだ。
もちろん、彼らをテロ組織として利用するのとは逆に、彼らにテロ行為をさせないようにする為のコントロールである。
だが、理性的な教祖には、狂った人間を完全に理解することは永遠にない。
「三日前、あの愚かな男の婚約者がこの惑星に降り立った。竜への報復のために来たのだろう。それは許すまじ行為だ」
「その通りです」
怒りを滲ませて話をするクシィ導師に対して、守り手の構成員は全く身じろぎもせず、その表情も心も一切の変化はない。彼らにとって異教徒を殺すことに怒りを覚える必要などは無いとも言わんばかりに。
「同時に私の理解者であるタケロウ・アズマ博士、イルムート・ネヘラシアン博士に対しても危害を加える可能性がある。無視はできないほどの敵意を感じた」
「はっ。自分もそのように思いました」
流石に彼ら竜神教の狂信者達も、リリッシュがエーテルフィッシュを獲るためにこの惑星の降り立ち、ピィを奪取するためにフライヤー研究所ウドラ支部に襲いかかろうとしているとはわかっていない。だがそれでも彼らが誅を下す為の状況証拠は十分である。常人には理解できない、狂人のための必要十分。
怒りをあらわにするクシィ導師と静かなままの守り手たちに、一人の人物が近づいてきた。その人物はどこにでもいるようなごく普通の中年の女だった。つまり、彼女も守り手だということだ。
女はリーダー格の男に耳打ちする。それはクシィ導師を軽んじる意味ではない。リーダー以外はクシィ導師と口をきいてはならないと彼らの中で勝手なルールがあるのだ。クシィ導師はそれに対して疑問に思うことも咎めることもしない。彼らが、自分に対しての信仰心より、エーテルフィッシュへの信仰心のほうが高いことを良く理解しているからだ。何も問題は生じていない。
報告を終えた女はほかの構成員同様に跪く。リーダー格の男は立ち上がり、少しだけ慌てた様子を見せた。
「どうした?」
いや、きっと慌てた振りをしたのだろう。その方がクシィ導師は心を揺さぶられ、それを喜ぶことを知っているからだ。現に、彼の声には好奇心が混ざっている。
「バイアヘルトとW&M社の私兵が動いたとの報告です。こちらも動きますか?」
「答えを求める問いではあるまい。それで、奴らはどこへ?」
「フライヤー研究所ウドラ支部です」
本来ならば顔を青ざめなくてはならない報告だが、クシィはニヤリと口を歪めた。
「同志諸君、急げ! 良き理解者達を救うのだ!」
これは良い機会だ。彼らを悪の凶弾から救い、友人としての信用を勝ち取るには十分なイベントではないか。
そしてアズマ博士がフローターの有人試作機ができたときには、彼の推薦もあって自分がパイロットになり、竜神教の導師として人類初の体験をするのだ。
◆◇◆◇◆◇◆
ヨシエはヘムの警官姿を久しぶりに見た。
西部劇の保安官のまねごとをしている彼ではない。真面目に仕事をしているときの彼だ。
「ほら、約束通り気の良い連中を連れてきてやったぜ」
鼻をこすりながら軽く笑う彼は、背後にいる四人の警官を顎で指した。
全員が彼よりも背が高く、ガッチリとした体型をしている。防弾ベストとヘルメットを被った彼らは、暴徒鎮圧のための樹脂製シールドを携行し、肩には殺傷能力十分な短機関銃をかけていた。少なくとも、ちょっとしたチンピラ相手には過剰な武装だ。
ヨシエのそういった視線を感じたのか、ヘムは「心配ない」と言った。
「俺たちがここまで装備して来るだなんて、お前も予想外だったろ?」
「うん、そうだけど」
「きっと奴らにとっても予想外のことだ。辺境惑星、特に銀河最外縁惑星の警官なんて、拳銃持ってれば十分な警察力だ。奴らも舐めた装備をしてくるに違いない」
「うん、そうだけど」
「この俺が装備しているマグナムを見ろ。こいつは水素エンジンすら貫通させるほどの威力を持ったマニア垂涎のレアものだぜ」
「うん、そうだけど」
同じ返事の繰り返しにいらついたのだろう、ヘムは「だったら」と言った。
「W&M社の奴らの方がもっとすげぇ装備しているかもしれないぜ。俺たちの銃弾なんて屁とも思わないバトルジャケットを着込んだやつが来るかもな。ハァハァッ!」
「いやそれは逆に心配」
やっと返事が変わったことにヘムは笑った。
「だからよ、奴らが俺たちをなめてかかってくる以上、何も心配がないってことだ」
「本当、頼りにしているよ」
ヨシエの後ろから男の声がした。振り向くとそこには彼女の父親がいた。
「おお、タケロウどうした。そっちの準備はいい感じか?」
「とりあえず燃料は十分に入れた。ひたすら海上を走るとしてもウドラの市街地まで逃げることが可能なくらいにね」
アズマ博士が話しているのはフローター試作機11号のことである。実はすでに組み立て終わっている。後はソフト的なものの開発が必要なのだが、10号の制御ソフトをひとまず乗せてみた。通常空間での海上を走ることは可能であり、フローターとしての機能もすでに獲ていることになる。だが、それはアズマ博士が望む11号ではなく、10号そのものでしかなかった。
「じゃあ、いざとなったらそれに乗って逃げればいいのね」
意地でもピィを匿うのだというヨシエだったが、アズマ博士は一つ条件を出して了承しした。それが脱出手段の確保であった。
「ああ。内装を作る都合もあって、仮の座席を付けて人が乗れるようにしてある。操作は……時々コックピットに忍び込んでいたのだからわかるのだろう?」
「え? ……えへへへ」
イタズラがばれてしまった子供のようにばつが悪そうな顔をするヨシエ。それをため息混じりの苦笑を浮かべて見つめる父親。
命が失われるほどの危険にさらされるかもしれないと言うのに、この二人はいつもと同じ雰囲気のままだ。互いを信頼しているのか、それともあくまでも平常心でいる努力をしているのか。
「わかってのとおり、11号にはプログラミングによる自動操縦が可能だ。手動に恐怖を感じるのならば機械に任せなさい。僕とイルナくんで組んだ10号とおなじプログラムだから暴走の危険性はないだろう」
「信用してるよ、お父さん」
少し照れくさくなったようで、アズマ博士は鼻の頭をぽりぽりと掻いた。
そんな彼の後ろから、イルムートが顔をひょっこり出してきた。
「お弁当も載せておきましたから、脱出したとしても食糧の心配はありませんよ」
「あはは、イルナちゃんたらそんなこと心配しなくても」
ネヘラシアン財閥の関係者でもあるイルムート。彼女は本来ならば危険にさらしてはいけない存在である。だが、彼女自身がここの研究員として活動しているし、社会的地位が高い証人ともなる。そして、リリッシュが彼女を傷つけることを考えてはいないだろうと結論づけてここに残ることになった。
「ぴぃぴぃ」
このゴタゴタの元となっている生き物が最後に現れた。ヨシエの携帯電話に文字チャットを入れてくる。『みんな ありがとう』という簡潔なお礼。
「ピィちゃん、しばらくの間だけどアタシたちの言うことを聞いてね?」
「ぴぃ」
準備万端だ。ここにいる誰しもが自分たちのできうる範囲で準備をした。だが、自体は彼らの予想よりも深刻なものだった。
地面が震えた。テーブルの上の花瓶が小さくかたかたと揺れた。
「うん? 地震か?」
ヘムはテーブルに近づいて花瓶が倒れないようにと手を添えた。そして、何気なく外を見てみる。
「う……う、嘘だろ?」
様子がおかしいヘムにヨシエは近づいていった。いったい何を見ているのだろうか、彼女自身も確かめようとしたのだ。
ヘムの視線の先を窓越しに見る。
「あれって……え?」
頭の中が処理を何か間違った。
仕方がない。まさかそんなものが存在しているとは予想しなかったのだから。
「W&M社のフルウェポン・バトルジャケットだっ!」
いち早く頭を切り換えたヘムが叫ぶ。
「全員床に伏せろっ!!」
皆がその声に応じて身を低くしたのが先か。それとも、研究所の屋根がどこか遠くへ飛んでいくほどの木っ端になってしまうのが先だったのか。どちらにしても、聴覚がおかしくなるほどの轟音を立てて視界が一瞬にして変化した。
攻撃がやんだのを確認した警官達が、何か悪態をつきながら身を起こした。
安全だと思い、ヨシエも身体を起こして外を見る。
ふと、人類が地球の衛星に降り立ったシーンを思い浮かべていた。
あれは人類の科学技術の粋を集めて作られた夢の姿だ。だが、今目の前にいるのは、人類の科学技術の粋を集めて作られた絶望の姿だ。
おおよそ四mほどの体長のある巨人だ。迷彩色に塗られた超硬金属による装甲と、その下に敷き詰められた衝撃吸収と動力の二つの意味合いを兼ねた人工筋肉の束によって装着者を守る科学によって作られた鎧。それがバトルジャケット。
頭部を形成するフルフェイス・ヘルメットのようなものがあるが、アイカメラと各種メインセンサーが集合したものであり、実際に装着者の頭があるわけではない。だがそれでも人型にしているのは、敵に対して圧倒的に強い人間に殺されるという恐怖を与えるためだと言われている。
全部で10体の巨人達は、二mはくだらない四門のマシンガンをそれぞれこちらに向けていた。武装はそれだけではない。肩にマウントされたマイクロミサイルランチャー、右腕に装着された火炎放射器、右手に装着された二門のマシンピストル、頭部ユニットにはきっとレーザーガンが装着されているのだろう。
圧倒的だった。
ヘムたち警官が武装しても何も意味がない。警察は軍より強くてはならないのだから、彼らが勝てないのは必然だ。
今のところ救いなのは、巨人達はこちらを殺す意志は持ち合わせていないということだろう。先ほどの射撃も単なる威嚇のつもりなのかもしれない。
『あー、あー、テステス、マイクテスト』
屋根を失い間抜けな格好になった研究所。その場にそぐわない緊張感のない声が聞こえた。
「この声……先輩!?」
自分の知り合いがこれほどの暴挙をしたのを許せないのだろう、イルムートは穴だらけの壁から身を乗り出した。
『こちらワイズマン&モントーヤ社のリリッシュ・バイアヘルトと申します。多少協力をいただきたくてご挨拶に参りました。ヤッホー、イルナ。聞こえてるぅ?』
狂ってるってこういうことを言うのかな、とヨシエは腰を抜かしながらも漠然と考えていた。自分はこんなに怖くて動けないというのに、なぜイルムートはあれほどしっかりとした足取りで立ち上がり、相手をにらめるのだろうか。
「な、なにが協力ですか! こんな酷いことを!」
『あ、ゴメーン。こっちにはあなたたちの声が聞こえないんだったわ。いけないいけない。じゃあ要求だけ言うわね』
なんてふざけている奴らだ。絶対こっちの声もマイクで拾っているはずなのに、聞こえないふりだなんて。これはもう協力を求めるとかそういうのは口先だけの出任せで、その暴力に任せて無理矢理従わせようとしているのだ。
ヨシエは自分がピィのことを守らなくてはと、よりいっそう決意を固くした。それがどんなに怖いことになるのか、この惨状を見て理解したつもりになった。これ以上怖いことなど起きやしまいと自分に言い聞かせ、身体に力を入れて立ち上がった。ピィのことを胸に強く抱く。
『そこにいるエーテルフィッシュ、さっさと寄越しなさい。要求は以上。それじゃあ、バトルジャケットの皆さん、できるだけ手荒にエーテルフィッシュを誘拐してきてください』
ズシン、ズシンと地面を揺らしながらゆっくりと近づいてくる巨人達。ヘム達が短機関銃を撃つが、それは全く意味がない行為だった。
「くそっ! まさかあんな装備で来るとはよっ!」
「しかも水中用ユニットを背中に装備しているようだ。これは完全に僕たちの負けか」
ヘムとアズマは完全に諦めたようで、ヨシエを見つめてきた。だが、ヨシエはそれに頷こうとはしない。
「僕たちはできる限りのことはやったよ。後は素直に従い、W&M社を訴えて裁判で戦えば良いんだ。まさかイルナくんがいるんだ。僕たちの命を脅かすようなことはしないだろう」
「そういうことだ、ヨシエ。悪いが、この状況でお前とそのチビを助けられることなんてなにもねぇ」
ヨシエは何も言わずに一歩後ずさる。
「ヨシエさん、わかってください。今の先輩はもう狂ってしまっているのです。常識が通じる相手ではありません」
イルムートもヨシエに振り返って説得を試みる。だが、その顔は驚きに包まれる。ヘムとアズマ博士も同様に。
その様子を見てヨシエも遂に口を開いた。
「な、なに? どうしたの?」
恐怖を覚えてさらに一歩後ずさる。と、背中に何かが当たった。後ろを振り向くと、そこにはいないはずのクシィ導師が立っていた。彼の後ろには彼と良く一緒に行動している教徒が3名並んでいた。
「え? なんでクシィ導師が?」
彼はニコリといつものように笑った。何も心配はいらないよと言うように。
ヨシエに微笑みかけた後、顔を上げてW&M社の私兵達を睨む。
「やはりあの死の商人達は狂っている。エーテルフィッシュ調査だと言いながらここを襲うだなどと!」
「ちょっとまってくれ。なんでクシィくんがここにいるのだ!?」
状況が混乱していく中、アズマ博士は事態の収拾をしようとクシィ導師に声をかけた。ここで竜神教の人間が加わっては事態が悪化すると思ったのだろうか。
「やだなあ、アズマ博士。友人が危機ならば駆けつけるのが常識でしょう?」
「だが、キミも危険だぞ。僕たちはすぐにW&M社に従うから問題はないが、キミ達は――」
「その必要はありませんよ。竜神の加護が備わ――」
アズマ博士の言葉を遮るように話すクシィ導師。しかし、彼の声もその後半は轟音によってかき消された。
音の元はヨシエやアズマ博士にとっては背中側。クシィ導師にとっては真正面。
振り返ったヨシエが見たのは燃え上がる一人の巨人だった。
「な、なんで?」
次に彼女が見たのは、もう一人の巨人がその巨体を大きく「く」の字に曲げながら吹き飛んでいく姿だった。
「簡単なことです。守り手が我々を守っているのです!」
両腕を大きく広げ、まるで指揮でも取るかのように手を動かし始めるクシィ導師。その姿は優雅だが、彼の顔に浮かぶ満面の笑みが逆に怖い。
『チィッ! どこのゲリラだ!』
私兵の一人が外部スピーカーを使って叫ぶ。
ヨシエはそれを聞いてなんとなくわかった。W&M社のバトルジャケットを倒しているのはクシィ導師が言う竜神の加護なんかじゃなくて、単なる対バトルジャケット用の武装なのだと。その武装の持ち主が、竜神教なのだと。
『そこかぁっ!』
叫んでいる私兵がマイクロミサイルを発射。対人用のその武装は空中でさらに小型爆弾に分裂して辺り一帯を火の海に変える。
『どうだっ!』
何かやり遂げたような台詞を吐いた私兵は、ほかのやられた仲間同様にバトルジャケットを折り曲げながら吹き飛んでいった。飛んで着地する途中で、装甲をぼろぼろになるまで的確に打ち抜かれていく。そして着地と同時に爆発。
それでもW&M社の私兵に対する攻撃が弱まったことから、竜神教の武装部隊にも死者が出たのだとわかる。
だが、この状況は奇襲をかけた方が完全に有利だ。もしW&M社がバトルジャケットでなくタンクを投入していたり、別部隊を投入していたら結果は変わっているかもしれない。
そもそもバトルジャケット、つまり歩兵は市街地など遮蔽物の多いところでの戦闘に適しているのだ。タンクよりも最高走行速度は遅いし、攻撃力も武器積載量も装甲も低い。単にフライヤー研究所ウドラ支部に働く人間への恐怖心をかき立てるための起用に違いない。
ヨシエは知らないだろうが、竜神教の守り手と呼ばれる部隊の構成員達はそのほとんどが元テロリスト関係者だ。W&M社の私兵のように間抜けな行動をしている軍隊など、彼らにとってはそれほど恐怖ではなかった。攻撃をしてくる場所を巨大な火力で沈黙させれば、それで敵が死んでいると思うとは浅はかだ。リモートで動く対物ライフルもあるというのに。所詮はボディーガードに毛が生えただけの存在、それが兵器会社の私兵というものだ。
「ふぅ……なんとか撃退できたようですね、導師」
「後は追い詰めるだけ、というところですね」
クシィ導師の後ろにいた若い教徒たちがホッと胸をなで下ろした。
「これも守り手たちの信仰心が成せる奇跡だ。キミ達にあれほどのことは望まないが、精進だけは忘れてはならないぞ」
彼の言葉に目を潤ませながら三人の教徒は「はいっ!」と良い返事をした。
その様子に満足そうに頷いた彼は、ヨシエ達に振り返った。
「とんだ災難でしたね、アズマ博士」
「さっきの攻撃は……いったいなんなんだい?」
「我ら竜神教にも武装部隊がある。それだけです」
圧倒的と思われたW&M社の私兵を、さらに圧倒的に掃討した竜神教の武装部隊に冷や汗を垂らしたアズマ博士だったが、クシィ導師はそれが何かと言わんばかりに簡潔に答えた。
「竜神教にも色々とあるのです。理解してもらおうとは思いませんが、他者に言いふらすようなことは避けていただきたいです」
脅かすためと言うより、なにか慈しみを感じるクシィ導師の言葉。上からものを言う態度だとヨシエは思ったが、自分の父や仲間達が特に何も言わずに頷くので、同様に首を縦に振った。
アズマ博士やヘムが素直に応じるのもわかる。ここでクシィ導師を非難すれば、彼はまだしも彼が連れてきた武装部隊が自分たちを敵性対称だと疑う可能性もある。それを見越してクシィ導師の言うとおりにしたのだろう。
そう。そのようにフライヤー研究所ウドラ支部の面々はクシィ導師の考え通りに動いてくれたのだが、彼の予想を超える事態も起きた。
「きゃぁっ!」
「動かないでね」
声の方に顔を向けると、イルムートが一人の大柄な女によって床に押さえつけられ、ナイフを首に当てられていた。その傍らには身をかがめたリリッシュがいた。クシィ導師は流れるような動作で拳銃を取り出し、大柄な女に向ける。
「全く予想外だったわ。竜神教の狂信者どもが来ているなんてね」
不敵な笑みを浮かべる彼女だったが、髪は振り乱れ、目は血走り、汗を浮かべたその顔には余裕というものが無くなっていた。
「先輩、もうやめてください」
「ネヘラシアン女史、あまりしゃべらない方が身のためだ」
説得しようとしたイルムートに、大柄な女はナイフを強く押し当ててその行為をやめさせる。うっすらと首筋に血が滲む。
「イルナくんを放せ!」
「お断り」
アズマ博士の怒号に対しても感情の変化は見られない。ヨシエはわかっている。リリッシュの視線は自分と、自分が抱きしめるピィに注がれているのだと。
「あー、竜神教のお兄さん」
「何か?」
「私の秘書を撃ち殺そうとは思わないことよ。この子、ガイノイドなのよ」
クシィ導師も眉をひそめる。リリッシュが何を伝えたいのか少し考えているようだ。だが、この判断の猶予が今回は正解だったようだ。
「外的衝撃によって機能停止した場合、半径50mを巻き込む単純な爆発を起こすわ。もちろん、私の心臓が止まったときも同じになるよう調整されているの。ふふふ……」
目を見開くクシィ導師。彼が小さく口を開き「下衆が」とつぶやいたのが見えた。
「だから私がやりたいことをやらせなさい。エーテルフィッシュの奪取をやらせなさいと言っているの」
「何?」
クシィ導師は竜神教の導師としてでなく、良き理解者のアズマ博士達を救うためだけにここにやってきた。W&M社がここに来たのはリリッシュの復讐心によるものだと勝手に思いこんでいた。そのため、目の前にいる狂人がエーテルフィッシュという言葉を使ったことに驚いた。
「今、なんて言ったのですか?」
彼の目に宿るのは狂気。能面のように無表情となった彼は、震える声でリリッシュに問いかける。
ヨシエはここで逃げ出すべきだった。
この惑星で一番狂っているアシュトン・クシィ。彼が一番狂う原因であるエーテルフィッシュを大事そうに抱えてしまっているのだから、それに対して彼がどういう行動を取るかは予想しておくべきだった。だが、彼女は彼を信用したいと思っていた。父とその助手はやめておいた方が良いと言っていたが、その考えももう少しだけ理解しておけば良かっただろうと思う。今考えれば、ヨシエはクシィ導師の持つカリスマ性に当てられていたのだろう。
だが、すでに遅い。
「私が欲しいのはそのお嬢さんが大事そうに抱えているものだと言ったのよ。その様子じゃあ、エーテルフィッシュだって気付いていなかった?」
拳銃はガイノイドへと向けたまま、クシィは目をヨシエへと向ける。
ヨシエが抱えているのはピィという名の両生類であるはずだ。フライヤー試作機8号に入り込んでいて、たまたまこの研究所で保護されることになった。確かに海に生息する両生類は珍しい。だが、それがエーテルフィッシュだなどとは信じられない。
クシィ導師が考えているのはそのようなことだろう。
時間にして5秒。誰かが行動へ移すにはほどよい空白の時間だ。
ガイノイドをどうにかしようとヘム達が動くのか。それともリリッシュが次なる一手を繰り出すのか。しかし、それら予想と違う次の行動により、場には劇的な変化が起きた。
「そうなの! ピィちゃんはエーテルフィッシュだったの!」
ヨシエの大きな声。
それは助けを請うための悲鳴だ。あの恐怖の巨人達を追い払ったことにより、ヨシエはクシィ導師が自分たちを助けに来てくれたのだと思いこむ。確かにそれは先ほどまで正解だった。しかし、彼は竜神教の導師であり、エーテルフィッシュが絡むとヨシエの予測不能な思考を開始する。
「そ、そんな馬鹿なことを言わないでください」
クシィ導師は否定したかった。
「ピィちゃんが竜だなんて……どう見ても可愛いただの両生類ですよ。目を覚ましなさい」
「嘘じゃないんです。本当にこの子はエーテルフィッシュなんです!」
ヨシエは気づかなかった。なぜそこまでクシィ導師が信仰対象である竜の存在を否定したがるのか、その訳に気付かなかった。
「まったく、ヨシエさんはイタズラが過ぎますよ」
「信じてください。クシィ導師を騙そうとしていた訳じゃ……ピィちゃん!?」
この両生類モドキは話を理解していないのだろうか。緊迫した空気など素知らぬ風に、突然に動き出した。
ヨシエの腕からすり抜け、宙に浮く。
「なっ!?」
クシィ導師もピィが普通の両生類ではないことを目の前で見せつけられ、放心するように、拳銃を支えていた腕が床に向けてだらりと垂れ下がった。
次に起きたのはガイノイドの異常。
「ちょ……ちょっと何よ……何が?」
狼狽える声を出すリリッシュに目を向けると、彼女自慢のガイノイドがイルムートにのしかかるように機能を停止した。
「嘘……なんで爆発しない? 内部からプログラムの適正な手順を踏んで停止したとでも言うの? ……まさか!?」
その場にいた全員が宙に浮かぶピィに視線を向ける。
彼は身体を神々しく金色に輝かせていた。
「エーテル海面下からの電子機器への干渉……ふふふ、私の説がまた一つ実証されたのね! あははは……」
リリッシュが一人で騒ぎ、一人で納得した。場のほかの人間はついて行けない。
ただ、目の前で起きた事実と結びついて、ピィがガイノイドをどうにかしたと言うことだけが理解できた。だからこそ、クシィ導師は苦しんだ。
ガイノイドの重さに潰されそうになっているイルナをヘム達警官が助け出し、リリッシュに縄を結んで拘束した。
「すごいよピィちゃん!」
自分が大切に守ってきたピィがイルムートを救ったのだ。ヨシエが喜ぶのも無理はない。だが、何度も言うとおり、彼女はもっとクシィ導師のことを知っておくべきだった。
「馬鹿馬鹿しい! 竜が人にそのように懐くわけがない!」
クシィ導師がようやく大きな声を出した。
重火器によって周りの地形がおかしくなっている場所に立ちながらも、いつものようにゆったりと話す彼が、ここに来てようやく大きな声を出した。
「竜は偉大な存在だ! それが人間などと言う矮小な生命体如きに関心を示すことなどありはしない!」
「ク、クシィ導師?」
そしてようやくヨシエもクシィ導師がおかしいと気付いた。
「しかも、よりによってあなたのような! 品格も知性も信仰心もないあなたのような、未だ人間未満でしかない毛の抜けた猿のような、大人に導かれなければ何もできない未熟な存在に対する遭遇の機会などありはしない!」
クシィ導師は顔を、身体をすべてヨシエに向けた。
そして、彼が持つ拳銃も彼女に向けられた。
「え?」
「いや、あってはならないのだ! この私のように信仰心溢れる人間でなければ、出会う意味がない、出会う必要がない、出会う価値がない」
「クシィ! てめぇっ!」
ヘムがいち早く気付いて短機関銃を放つが、弾倉の中身は全部バトルジャケットへとくれてやっていたので何も発射されなかった。
「い、いやぁあっ!」
「だから、ヨシエさんが出会ったという事実はここで否定する。あなたの命を否定する」
クシィ導師は静かな心で二発、ヨシエの頭と胸に向けて弾を撃った。
この行いにより、竜と初めてであった人間というのはこの世界から消え、クシィ導師が最初に出会ったと主張しても誰も咎めることはない。
そのはずだった。
放った弾丸がヨシエに当たりさえすれば、そうなるはずだった。
「な……に……?」
クシィが足から崩れるように床に座り込む。
彼の視線の先には涙を流すヨシエと、その前にぐったりと倒れているピンク色の両生類だった。
「ア、アタシを庇って!? そんな、ピィちゃん!」
クシィ導師の頭の中を様々な言葉と出来事がぐるぐると回る。あまりにも大きな情報であるため、彼は何も外に出力できないでいる。時々口からおかしな言葉が漏れるだけ。彼を尊敬する教徒達も同じだった。
警官達はただちに動き、竜神教の教徒を拘束しようとした。だが、彼らの目の前に突然一人の男が現れた。どこにでもいるような何の特徴も持ち合わせていない男が、突然目の前に現れた。
「なんだてめぇは!」
ヘムが怒鳴りながら掴みかかるが、何が起きたのかわからないうちに彼ははじき飛ばされた。壁まで飛ばされた彼は、軽い脳しんとうを起こしたようですぐには動けない。
男はクシィ導師に向かって口を開いた。
「クシィ様、良くご覧下さい。竜は不死存在だというのをお忘れか?」
ビクンと身を震わせて竜神教の教徒達が顔を起こす。
ぐったりとしたピィを抱きしめながら泣くヨシエは、背筋が寒くなり、その原因を探した。原因はすぐにわかった。クシィ導師達がこちらを見つめていたのだ。
一人の教徒がぼそりとつぶやく。
「素晴らしい……」
もう一人の教徒もぼそりとつぶやく。
「銃で撃つぐらいでは、やはり死なないのか」
身体が動かないヘムは、警官達が謎の男とにらみ合っていることに舌打ちした。
「くそっ! 竜神教のカルト共! 何をしてやがる。お前らの導師は人を殺そうとしたんだ。逮捕に協力しろ!」
声を荒げるヘムだったが、教徒達には全く届かない。彼らの全感覚はヨシエの腕の中にいる超自然存在へと向けられていたからだ。
両生類と認識されていたピィの姿はそこにはもう無かった。ゆでたトマトのようにピンク色の外皮は剥けていき、内側からはぬらぬらとした黒い鱗模様が浮き出てきた。明らかに両生類ではない。常識的に考えて魚類か爬虫類かのどちらかだ。しかし、ヨシエの腕の中にいる生物は、何に似ているかと言えばナメクジに似ていた。
変態したのではない。擬態が解けてしまったというのが相応しいかもしれない。ピィはこれまでウドラ星系第三惑星にて通常の生物と一緒に生息していた。そのときに相応しい形態が、このピィという個体においては両生類のネオテニーだったのだろう。
そう考えればこれまでピィと同じような身体をした両生類が見つかっていない理由にもなる。詳しく調査することを許されていない銀河最外縁惑星だからこそ、エーテルフィッシュの幼体は存在の露呈を隠避できてきたのだ。ピィのように両生類の態を取っているだけでなく、身近にいる様々な生物の中にも、たとえばヨシエが観察していた海鳥の雛にもエーテルフィッシュの幼体がいたのかもしれない。さらに言えばピィが捕食していた海中の虫たちのなかにもいたのかもしれない。
ピィはその擬態を攻撃され、擬態の生命活動が止められた為に本体が表面に出て来ざるを得ない状況になったのだろう。
ヨシエもピィが自分の知っているものから変化していることに気付いていた。だが、彼女は今、自分自身に向かってくる得体の知れない恐怖に対応するために必死で、ピィ姿にまで意識を向けられていなかった。
「おおっ! その黒い鱗こそ竜の本来のお姿!」
教徒の一人が感極まったように手と顔を天に向けた。
「何という奇跡。これぞ現存する神々の力なのか!」
ヨシエはピィが生きていたことに安堵するが、この状況からどうやって脱出して良いのかわからなかった。ただ、強くピィを抱きしめることしかできなかった。
「俺にもその奇跡の力を分け与え下さい!」
次々に己の願望を叫び出す竜神教の教徒達。とうとうクシィ導師もゆらりと身を起こしてヨシエに向かって歩き出した。
「そうだ……その通りだ。私たちの役目は竜の捕獲! それこそが教団の目的!」
再びヨシエに向かって銃を構える。今度もピィが庇うのかと思われたが、ピィは身じろぎしないで腕に抱かれたままだ。エーテルフィッシュにとって本体をこの地上で晒すことには、何かしら特殊な影響があるのだろうか。
「ちょっと……やだ……やだよ……こないでよっ!」
あまりもの異常事態に涙を流しながら後ずさりするヨシエ。だがその懇願は当たり前にクシィ導師達には聞き入れられず、彼らは近づいてくる。アズマ博士とヘム達は守り手の男によって行く手を阻まれ、ヨシエを助けにいけない。
絶体絶命と思われたとき、イルムートが大きな声でヨシエに指示を出した。
「ヨシエさん、こっちに!」
藁にもすがる思いでヨシエはイルムートの声がする方へと走った。クシィ導師達も同様に走り出した。
イルムートのような上流階級育ちの人間が男を止めることなどできるわけがなく、クシィ導師は銃を使うことなくヨシエを追いかけた。守り手の男も彼と同様の考えを持ち、自分が行くまでもないと判断した。
「させません!」
だが、彼らの考えはいささかイルムート・ネヘラシアンという一人の学者の能力を軽んじていた。彼女もまたフライヤーを研究する変態学者の一人であり、鬼才リリッシュ・バイアヘルトが認めた後輩なのである。
「ガイノイド、私たちを守りなさい!」
正常にシャットダウンさせられたガイノイドを再セットアップして起動させることなど、これまでの時間があれば十分なのであった。
彼女の言葉に従い、床にうち捨てられたかのように倒れていたガイノイドが、飛び跳ねてヨシエとクシィ導師の間に割ってはいった。
慌てて銃を構えてヨシエを撃とうとするが、その射線をガイノイドの腕が邪魔した。そしてそのまま腕をクシィ導師に向けて振るってくる。
攻撃しようとしていた彼に回避する余裕はなく、腕ごと銃を砕かれた。
痛みを覚える暇もないだろう、続けざまにガイノイドが拳を繰り出す。
「クシィ様!」
あと少しでクシィ導師に当たると言うところで、守り手の男がガイノイドに体当たりをかまして体勢を崩させた。
だが、ガイノイドもそのままやられることはない。崩したと思った体勢は、バランスの崩れをそのまま回転運動のエネルギーとして変換し、一つを左足、もう一つを右手に集中。左足で床に素早く足を付け、右手は強烈なフックに変わる。
守り手の男はそれに対して人間がこれまで戦いの中で開発、発展させてきた技をもって防ごうとした。だが、彼は腕の筋組織をミンチにさせられ、骨は小枝のようにへし折られ、顎の骨を砕かれて、脳に巨大な衝撃を受けて床に倒れた。
たとえ武術の達人であったとしても、それは人間同士の勝負で優位に立てると言うことでしかない。すべてのものが人間より上のスペックを持つ人造人間相手には、達人と呼ばれる人間でもいささか役者不足であった。
「今だ!」
障害が無くなったヘム達がクシィ導師達に飛びかかった。突然の出来事に動きを止めていた彼らは、すぐに取り押さえられて拘束されていった。
イルムートの元に辿り着いたヨシエは彼女に抱きついた。
「イルナちゃん……イルナちゃん!」
母親に泣きつく幼子のようにがむしゃらに抱きつくヨシエ。しかし、イルムートはそれを抱き留めることはしなかった。肩を掴んで引き離す。
「今すぐ11号に乗ってすぐにここから逃げなさい!」
「そんなことよりピィちゃんが……」
イルムートはごねるヨシエの頬を叩いて黙らせた。そしてさらに何かを伝えようとするが、何かが倒れる音によって口を噤んだ。
音に目を向けると、ガイノイドが床に倒れていた。
「やはりすぐにシャットダウンしてしまいますか」
イルムートは慌てることなく、諦めるようにつぶやいた。
ピィのエーテルフィッシュとしての能力により、通常のシャットダウンと同じように機能を停止させられたガイノイド。イルムートによって再セットアップして動いたかに見えたが、どこかすでにピィの能力でおかしくなっていたようだ。
それを予想していたからこそ、すぐにヨシエをここから逃がそうとした。先ほど倒した男も竜神教の武装部隊の一人だとすれば、近くにほかの武装部隊がいてもおかしくはない。また、彼らはW&M社のバトルジャケットを装備した私兵を倒すほどの戦闘のプロなのだ。ガイノイド一体程度でどうにかできる訳でもない。
呆然とするヨシエをイルムートは背中を押して走らせる。
「11号の動かし方、ヨシエさんならわかりますよね?」
ヨシエは振り返らずにそのまま実験プールへ向かって走っていった。
◆◇◆◇◆◇◆
宇宙作業用のスーツを着込んだヨシエは、フローター試作機11号のコックピットに乗り込み、腹にピィを乗せたまま11号の機動準備に取りかかった。
特に迷うことはない。
どれもが自分が何度も見て、何度も頭の中でシミュレーションを繰り返してきた機械だ。指を動かしてスイッチを切り替えれば、自分が予想していたとおりに応答してくる。
これなら心配はいらない。
遂にエンジンに火を入れるスイッチに手をかけたが、ヨシエはそこで一旦手を止め、スイッチから手を放した。
この実験プールでピィと出会ったことを思いだしていたのだ。今ここで火を入れたら、ロケットエンジンから爆風が吹き出してこの建物を吹き飛ばしてしまう。色々なことを体験させてくれたこの実験プールがなくなってしまう。そう思うと、手が一旦止まってしまったのだった。
だけど、思い出を作ってくれた家族と友達がいなくなるわけではない。自分の腹に乗っている黒いナメクジのようなピィ。本来ならば嫌悪の対象ともなりうる姿ではあるが、彼女はそれをいとおしく撫でた。
ふぅっと大きく息を吐いて目をつむり、身体が肺を動かせと命令してくるまで息を止める。まるで残された迷いをすべてここに吐きだしてしまうかのような行動。
身体の限界はすぐに訪れ、彼女は大きく息を吸った。そしてすぐに吐く。だが今度はただ吐くだけではない。声を上げた。
「エンジン点火!」
彼女ははっきりとした声で自分自身に言い聞かせ、スイッチを入れた。
ドスンと背中を押さえつけられる感覚を伴いながら、11号が全力で海に飛び出していく。
身体にかかるGに呻きながらも必死に目を開け計器類を見る。
フローターが疑似無質量化して通常空間から消える為には、もちろんフライヤーシステムそのものともいえるエーテル浮上計算式の演算装置と出力装置は絶対に欠かせない。だが、その二つの装置だけではエーテル海面から離れることはできない。物質の加速を必要としているのだ。それ故の化学ロケットエンジンである。
現在の加速が続くことによってエーテル海面離礁に掛かる時間は20秒と計器に表示された。
あと20秒。それが過ぎれば11号はウドラ星系第三惑星の重力圏外の宇宙へエーテル海面離礁航行を行う。その後はコックピットを開放し、ピィを宇宙空間に放す。
本当は別れたくなんてない。ヨシエはそう思ってもいたが、ピィを奪おうとしてあれほどの武力を投入してくるのが普通だとすると、ピィのためにも本来あるべき自然の姿へ戻ってもらうのがよいと考えた。
だからこの11号の存在は非常にありがたかった。内装こそまだまだ作成途中だし、ソフトウェアも10号のものであったりするが、一応はフローターとしての機能が十分に備わっている。
あと10秒。
それが過ぎればあとは悲しい別れがあるのだと思ったヨシエだったが、不意に11号が旋回行動を取ったことで現実へと引き戻される。
「な、なに……が」
強い横Gが加わることで、ヨシエはまともに話すこともできない。だが、それでも先ほどまでの進行方向に水柱が上がったことはよく見えた。その反対方向にバトルジャケットがいることも。
バトルジャケットが持つ長距離ライフルからは次々と弾が飛ばされて来るが、11号は不規則に蛇行をすることでそれをすべてかわしていた。だが、一切ヨシエは操縦桿に触れてはいない。
11号が自ら動いている。
いや違う。ヨシエは腕の中のピィに目を向けた。
「ぴぃ」
やっと気付いたのかと言わんばかりにピィがこれまで通りの声を出した。
ヨシエはピィが無事で、それが嬉しいのだと言おうとしたのだが、身体に掛かる負荷のために発言できないでいた。もどかしく思っていると、計器類の液晶ウィンドウに文字が流れてきた。
電光掲示板のように右から左へと流れていく文字は、「大丈夫 僕が 守る」と書かれていた。
その文字がすべて流れて消え、通常の計器類に映り変わった瞬間、ピィが発光した。それと同時に11号が直進していく。
身体の負荷が和らいだヨシエはため息を吐きながらピィを抱きしめ、顔を埋めた。
「ありがとう。また、機械を止めてくれたんだね」
最後に襲いかかってきたバリアジャケットが誰のものなのかはわからないが、あれもコンピューターが使われている。それを本能的に知っているピィは、自分の能力を使って止めたのだった。
再びエーテル海面離礁までのカウントダウンが始まる。
最初は残り20秒だった。
その後のカウントダウンはたぶん19、18と減っていったのだろうが、ヨシエはそれを知ることはなかった。
なぜなら彼女はピィを抱きしめながら泣いていたから。スーツに備わっている機能により涙はフェイス部分から除去されるのだが、次々と涙が出てきてしまう彼女には大した意味のないものだった。
ふと、風が吹いたような気がして目を開けると、そこはすでに宇宙空間であった。
アズマ博士が冗談めいて言っていたことを思いだした。エーテル海にはエーテルの風はないが、エーテルの空にはエーテルの風が吹いているのではないかと。
先ほど感じたものがエーテルの風だったのではないか。そう考えると少しだけもったいないことをしたと思った。
そんなことをぼうっと考えるとは、無事に宇宙にまでやってこれたことで安心したのだろう。やや注意力散漫となっている状態でコックピットのハッチ開く準備に取りかかった。
コックピット内の空気がすべてタンクへと移され、真空状態となる。これでハッチを開く準備は整った。後は開いてピィを放すだけ。
真空状態では言葉が通じないので、ピィとの会話に11号に備わっている液晶を使ってチャットをやった。ピィも少しだけ悲しんでいるらしいが、ヨシエの言いたいことを理解してくれていて、ゆっくりとコックピットから離れていった。
もう、涙は出ない。もう、十分泣いた。だから今は笑顔でピィを送り出す。悲しいけれど我慢する。
「バイバイ、ピィちゃん」
自分にしか聞こえないというのに、ヨシエは声に出していた。
暗い宇宙空間では、ピィの黒くぬらぬらとしたナメクジのような姿はすぐに見えなくなっていく。
果たして最後まで本当に見送ってあげられたのだろうか。まだ、彼の方から自分は見える範囲にいるのだろうか。だったら自分はいつまで泣かないように我慢しなくてはならないのだろうか。なんて苦痛。別れとはここまで苦痛なのか。
何分その苦痛を感じ続けたのか、ヨシエは遂にコックピットのシートに座り、ハッチを閉じた。
彼女は喪失を感じながらも手を動かした。無事にピィを宇宙に返してやれたのだと、自分の家族達に伝えなければならないからだ。これは見送った者の義務だ。最後は胴だったのかをしっかりと伝えなければならない。
起動とほぼ同じ手順で作業をしていく。すると、起動のときと同じように、エンジンに火を入れるところで手が止まった。
感慨に耽って手が止まったのではない。
「え? ……なんで?」
彼女の視線の先にあるのは燃料計。針は三分の一ぐらいを刺している。彼女が次に目を向けたウィンドウにはエーテル離礁に必要なエネルギーが足りないと表示されていた。
「嘘……計算では二回の離礁ができるはずなのに!?」
海上を使っての離礁と、宇宙空間での離礁。それが可能になって初めて試作機がウドラ星系に第三惑星に戻ってこられる。だから11号も同じように設計されているはず。
確かに有人機というだけあって質量が重くなってしまってはいるが、それを計算に入れていないはずはない。だというと、考えられる原因は一つ。
「海上での戦闘の所為だっていうの?」
呆然とする彼女の頭の中であのバトルジャケットが笑っている。あの頭部は各種センサー類しかなく、出力機能なんてないのに、彼女の想像ではニヤニヤとイヤラシイ笑みを浮かべているのだ。
あれはきっとリリッシュ・バイアヘルトの最後の嫌がらせなのだろう。
彼女の不幸についてはイルムートから少しだけ聞かされていた。誰しもが思う「こんなはずじゃなかった」という不幸。その中でも一番悲しい愛する人が殺されてしまったという不幸を体験したのだという。
そしてヨシエも思う。自分の人生もうまくいかなかったのだと。ピィという特殊な存在に出会ってしまったことが間違いだったのだろうか。
「……そう、間違いだったのかもしれない。出会わなかった方が良かったのかもしれない。でも、無意味じゃなかったと思うよ」
なにしろ彼の世話をすることはとても楽しかったし、彼を中心にして色々と家族で話をした。これまで単なる子供でしかなかった自分が、彼と出会うことで父やイルムートのような大人と対等に話をした。
それに、もしピィがエーテルフィッシュの仲間に人間の存在を伝えてくれたら、それだけで銀河の外に進出できる手段を確保したことになる。200年後に必要となるとされるフライヤーシステム。その開発を仕事にしている父は無職になってしまうかもしれないが、きっとピィが頑張って仲間達を説得したことを褒めてくれるだろう。
世界は新しい一歩を踏み出せるのだ。
「ああ……悔しいな。そんな楽しそうな世界を見られないだなんて、悔しいな」
先ほど我慢していた涙が今になって溢れてきた。
フェイス部分を清潔に保つためにスーツが動作して、涙をタンクへ移していく。涙の量もそれほど多くなかったのですぐに視界が回復した。
彼女はもう諦めた。だが、諦めたのだけれどもう一度だけディスプレイに目を向けた。
「え?」
ピィから文字チャットが送信されていた。「泣かないで」と短い文が表示されていた。
弾かれるようにコックピットのハッチに顔を向ける。そこには黒いナメクジのようなピィが張り付いていた。
「なんで行っちゃわないのよ。せっかく泣くのを我慢して見送ったのにさ」
ヨシエはチャットをするためにシートに腰を下ろした。人生の最後にこうやって文字チャットをするなんて、現代社会には考えられないなと笑いながらディスプレに目を向けた。ディスプレイには「大丈夫 僕が 守る」と表示されていた。
彼はヨシエが泣いているのを、誰かから攻撃を受けているのだと思ったのだろうか。先ほどの海上で送信してきた文字データだった。彼女もついつい笑ってしまったのだが、次の文字データによってその表情を氷らせた。
ディスプレイには「僕が 惑星に おろしてあげる」と表示された。ヨシエは思わずピィに目を向けると、彼ははこれまで見せたことないぐらいに目映く光り輝きだした。
ヨシエが足下の異変に気付くと、11号のディスプレイからは計器類がすべて消え去り、OSの画面に切り替わっていた。複数のウィンドウが開かれ、凄まじい早さで文字が表示されていく。
「これって、プログラムを書いているの?」
たとえヨシエがこのプログラムによく似たものを知っていたとしても、そうだと理解することは不可能だっただろう。ピィが送信してくるそのプログラムのデータはあまりにも早すぎて、人間ではどのようなプログラムかは理解できないのだから。
だがヨシエはわかっている。ピィは彼女をウドラ星系第三惑星へ戻してあげると行っていた。だからこのプログラミングはそのための行為なのだと。
それと同時に、ピィにとって電気エネルギーはエネルギーであり、電子データの一種であるプログラムを生み出すことにはエネルギーを消費していることもわかった。だから、いくら自分を救うためにやってくれていると知っても、その表情は悲痛なものとなっていった。
「やめて! やめてピィちゃん!」
真空にいる彼に声など届くわけがないのに叫ぶことをやめられない。
そんなことをしている間にもピィの身体の輝きは徐々に鈍くなっていく。
「だめ! アタシのことなんてどうでもいいから! 死んじゃうよ、ピィちゃん!」
本当に聞こえていなかったのだろうか。それとも自らを犠牲にしてでもヨシエのことを救いたかったのだろうか。どちらかなのかは知らないが、彼はすべてのプログラムを構築するまで全く反応しなかった。
やがてすべてのウィンドウが閉じられ、ディスプレイには計器類が表示された通常状態に戻った。
文字チャットの小さなウィンドウが起動した。ヨシエは慌ててキーボードに文字を打ち込む。
ヨシエによる「なんで言うことを聞いてくれないの!」ということに対してピィは「ごめん でも 僕 ヨシエ 助けたい」と返してきた。
ハッチに取り付いていたピィはすでに発光をやめ、ぬらぬらしていたその表面はつや消しの黒のようにくすんでいた。
ヨシエがさらに罵倒しようとキーボードを叩いていると、以前、ウドラ星系へと来るときに感じた身体が重くなる感覚に囚われた。
ダイバーシステムによるエーテル海面下への沈降感覚である。
「嘘……いやよこんなの……」
ハッチの外に見えたのは星々が輝く宇宙空間ではなく、モノクロのマーブルカラーが覆おうエーテルの海の風景だった。
ピィはその身に宿るエネルギーを使って、自身が持つ質量コントロールに関係する能力をプログラムとして11号内に構築したのだ。確かにエーテル離礁するだけのエネルギーはないが、エーテル海面下航行ならば十分にエネルギーがあったのかもしれない。
だがその代償は大きく、ピィはハッチから引き離されるように浮上していく。
ヨシエは叫んだ。
喚いた。
罵倒した。
懇願もした。
だが、ピィが近づいてくることはなかった。
疲れ切った彼女がシートに座ると、チャット用のディスプレイに「ありがとう 楽しかった」と表示されていた。




