終章
とある講演会の会場。
演目として、「エーテルフィッシュの忌避行動の一考察 講師イルムート・アズマ」と書かれていた。
壇上には色素の薄い髪にゆったりとしたパーマをかけた中年女性がいた。顔に浮かび上がる皺を見れば彼女がずいぶんと歳を取ったのだろうとわかるが、それでも多くの女性達が彼女のように年を取りたいと言うのもよくわかる。無理に皺を隠したりしているわけでもなく、化粧も大したものではない。ごく自然に老いを見せる自信が、彼女を、彼女の生き方を美しいという人がいるのだろう。
「――物質が電子を持つ以上、つまり、エーテルフィッシュが通常空間に長時間いることは不可能なのです。彼らは電気エネルギーを摂取しますが、それは自分が処理可能な電力を越えて摂取することは不可能なのです。それを越えて摂取をし続けてしまうと……いえ、摂取するつもりがなくても電気エネルギーは彼らに流れていきます。その状況が続くと、彼らは自分と電気エネルギーの境界を見失い、自我が消失してしまうのです。そのため、我々が利用している発電施設や、雷雲の存在する惑星に出現することはないのです。
彼らは我々のような炭素生物でもなければ、かつてこの銀河にも存在していたと言われている珪素生物でもないのです。もともと生命というものが、自分の身体の中にある化学反応を絶やさないようにと行動しているのですから、エーテルフィッシュが自らの身体の中にある電気エネルギーを絶やさないようにしているということもおかしなことではないのです。
そのため彼らはエーテルの海に潜り込んだ。皆さん知ってのとおり、超深度のエーテルの海では通電時の電気ロスが全くなく、より長期のエーテル海面下航行が可能なわけでして――」
イルムートは科学者として非常に成功した。
リリッシュ・バイアヘルトとアシュトン・クシィが起こしたフライヤー研究所襲撃事件は、彼女の経歴に傷を付けることとはなった。しかし、研究所でアズマ博士と共にフライヤーの研究をすすめる一方、かつて尊敬していたリリッシュの意志を継いだ研究もしていた。その結果、エーテルフィッシュの生態をある程度まで解明した。
彼女の研究により、エーテルフィッシュの幼体を他の生物からあぶり出すことも可能となり、人間の存在を認識したエーテルフィッシュが年間20頭は宇宙へと巣立って行っている。アズマ博士によるフライヤーの完成と、イルムートによる人に無害なエーテルフィッシュの増大。そのどちらのおかげで新しい銀河にいけるようになるのか、賭の対象となっているとかなんとか。
実生活も満たされたものだった。想いを寄せていたタケロウ・アズマ博士と結婚し、三人の子を授かり、誰一人もかけることなく社会人となった。父の再婚を拒むであろうと思っていたヨシエは、予想に反して二人を祝福した。
二人の自慢の娘であるヨシエ。彼女は今では超深度エーテル海面下航行システムの第一人者となっていた。
今日の講演会のスペシャルゲストとしても招待されている。
「――それではご静聴ありがとうございました。皆様に幸あらんことを」
イルムートは会場全体からの大きな拍手を受けながら壇上を後にする。
「イルムート・アズマ博士、ありがとうございました。続きまして特別講演として、ヨシエ・アズマ博士よりお話をいただきます。博士、よろしくお願いします」
会場の人間の多くがヨシエの話を聞くために集まったと言えるだろう。本来ならば、メインの講演であるイルムートの話を聴きたがって人が集まるのだが、今日は違う。
別に会場にいるのがヨシエのファン達であるというわけではない。その多くはエーテル海面下航行システムのエンジニア達や、それに関係するマスコミであった。彼らは彼女が重大な発表をすると聞いて集まってきたのだった。
カツカツとヒールをならしながら壇上に歩いてくる妙齢の女性。だいぶ手入れをするようになったのだろう、アップにされた赤い髪はつやが良く色気を感じる。肌は幼い頃から同じく小麦色だが、彼女の持つ細いと言うよりしなやかだと印象づけられる身体によく似合っている。
壇上に着くと彼女は、ツンとした気の強そうな顔を一瞬でだらけさせて口を開いた。
「私の母の長話をご静聴いただきありがとうございます」
会場のあちこちで笑い声が上がる。
「えーと、今日お集まりいただいた多くの方は、私がこれからする重大な発表とやらを楽しみにしてきているのかもしれません。ですが残念なお知らせを。これからお話しするのは私にとってはとても重要なことなのですが、あなたたちにとっては特に新しい技術の発表でも何でもない以上、とてもくだらないことなのかもしれません。それでも良ければお話をお聞き下さい」
ここで少し間をおくが、誰も会場から出て行こうとはしない。新しい技術ではないとは言われても、重要な知らせだというのだ。マスコミは興味津々だし、エンジニア達もどうせなら聞いておこうと思ったのだろう。
「あら? 誰も出て行かない。ちょっと予想外です。……ま、いっか。話を続けますね」
席に腰掛けているイルムートは、やっぱりヨシエに対する教育は甘かったかと思いながら、笑顔で聞いていた。
「私が基礎理論を見つけた超深度エーテル海面下航行システムである〝Pシステム〟。これを発表したとき、私はPには色々な意味があると言いました。Progressiveとか、Protection、Poweredとかなんとか色々ありましたね。でもあれ、すべて嘘なんです。後付なんです」
流石に会場がどよめいていく。だが、彼女はそれに動じずに話を続ける。
「最初から名前は決まっていたんです。それに対していかにもそれっぽい意味にしたように発表しただけなんです。ごめんなさい」
口では詫びているのだが、肩をすくめて手のひらを上に向けるという、全く謝罪らしからぬ仕草を見せる。そんな彼女の後ろにホログラムスクリーンが現れた。会場の人々には彼女の失礼な仕草なんかよりも、後ろのスクリーンばかりが見えていた。
「でも、そんな名前にしようとしていたのにはちゃんと理由があります。私のように皆さんの前に立って自慢することもできなく、ただシステムを作ることしか許されていなかった彼。そうです。Pシステムとは、開発協力者の名前を使ったのです!」
スクリーンに映し出されたのは、大昔の地球文化を良く知るものだったら「ウーパー・ルーパーだ」と言って指を指すだろうピンク色の生き物だった。その生き物がスピーカーを通して「ぴぃ」と小さく鳴いた。
「かつては私の友達であり、家族であり、そして私を救うためにその身をプログラムに置き換えた、人類が最初に接触したエーテルフィッシュ……」
騒然とする会場の中、先ほどまでとは打って変わってトーンを下げてヨシエは話を続ける。
「彼の名前はピィ。プログラムの〝ピィ〟」




