(M-ss)神の名を冠したモノ
リーティアが目を覚ました時、真っ先にしたのは記憶を忘れないよう、ノートに書き留める事だった。要点はあとで纒めるからと、夢の中で出会った少女の話を一文字一文字思い出しながら書いていく。その中には、あの少女から教えられた知識も混ざっていた。
(でも、これは……)
確かに、自分が知る筈のない情報だった。それなりに頭の回転が早い自信はあったが、この答えにたどり着くことはまず不可能だと言えたからだ。発想からして違う。そしてこれが有効だという証明と、未だ納得しきれていない部分があった。
(……本当に大丈夫かしら)
一真と初めて会った時は一月前。そして、その日の内に互いに隠していることを教え合った。自分が隠していたことと比べて、それはあまりにも大きな理由だった。同時に、自分では理解しきれていないのではないかという考えが浮かぶ。同じ想いを抱いたこともなければ、同じ境遇に居たわけでもない。ただ漠然と、哀しい、辛い、苦しい、という感情を自分の中で再現しているだけだ。
そんな自分が、一真にとっての『他人』では居られなくなるという秘密の鍵。知って嬉しいと思う反面、少なからぬ不安が胸の中に渦巻いていた。
(そもそも、私はどうして)
彼の事が気になるのだろうか、と真剣に考える。
――遠い異国で出会った異邦人同士だから?
――自分が成そうと思ったことをやっているから?
――それとも単に、男と女だから?
――強さに憧れて、弟子入りしたから?
――境遇を知って、剣になると約束したから?
――あの途方もない優しさに触れていたいと思ったから?
(……全部)
理由は沢山あった。でもそれは後付だ。気付いたら目で追っていて。ちょっとした事で褒められると嬉しくて、話しをするのが楽しくて。意識されているのが解ると、他のコトに一真の意識が移るだけで哀しい気持ちになる。それも全て、一つの答えに集約しているからこそだ。
(そっか、これが)
恋だと。そう認識した途端、言いようのない痛みがリーティアの胸を締め付けるように奔る。
――あの子は、憧れや恋じゃ救えない。
自分の想いでは届かないと、否定されたような気がして。
(どうしよう)
気付いたら。文字を書いていた指が止まって、震えていた。
小さな溜息を吐いて、ペンを置く。
(……でも。このままじゃ嫌)
だったら出来ることをしよう。それも自分で理解できることから。自分と彼で違う所があるにしても、変わらない部分はある筈だ。憧れや、恋では救えないという言葉にも根拠はちゃんとある筈だと。資格を得たと言われても。それを理解しなければ先に進まない。
そしてリーティアは、昨日の出来事を思い出す。
(……嫌われたんじゃないかって、思ったんだ……か)
自分はあの時、彼に何を与えることが出来たのだろう。
(安心……)
そうだ。それは常に、彼と、みんなから私に与えられていたモノ。
常識に照らし合わせればパーティメンバーとは言え「お兄ちゃん」だとか「お姉ちゃん」だとか、あまり言えないし、どちらかと言えば恥ずかしい事に分類される。それを無条件で受け入れてくれると信じているから、口に出来るのだ。
それを一真に当て嵌めれば、望んだことの裏腹が口から出たことになる。
(人が恋しい……家族……)
一真の家族。両親は愛を与える前に潰え、父代わりの師は敵だった。ティアの話によれば姉代わりの人も居たらしく、それが指輪に封印――。
(となれば、彼女は)
夢に出てきた少女は、一真の姉代わりの人物である可能性が高い。
それともう一つ大切な事実。姉代わりという事は、実の姉では無いという事だ。
(つまり今、一真には誰一人として血の繋がった家族が居ない……)
そんな身空で、異国どころか、異界に飛ばされた時。悩んだだろう。苦しんだだろう。それでも生きると決断した時、どんな事を考えたのだろうか。家族もなく、たった一人で、自分なら死んでしまいたいと思えるような境遇で、何を思ったのだろうか。
(逃がされたってことは、生きて欲しいと願われたから。願われたから、生きている……)
突飛な発想だった。誰かの願いの為に生きているとなれば、それは思考の放棄だ。そんなことを一真が選んだとはにわかには信じ難い。だって、そうなら。一真は自分の為に生きようと思っていないことになる。
(……聖者の家系。誰かの為に在ろうとするなら、そう在る事でしか生きられない……?)
まさか。いや、思い当たる節はある。
そんな人間を、一真の世界は殺そうとしたのか。
自分なら誰も信じられなくなる。信じたくもないだろう。
奇跡を使って、人を助けて、自分の中身を失って、結果裏切りでは。
(だから……弱さを見せられない)
人恋しさがあったとしても、その人の強さが無ければ縋ることはおろか、頼るどころか、触れることさえ出来ない。
(怖い……)
そう。人に対する恐怖があった筈だ。それでも一真は真っ直ぐ生きようと、積極的に人との関わりを持とうとしてる。自分の半生が不幸だからと言って、他人の前に同情を誘うような姿を見せず、他者を不快にさせないよう気を遣いながら。そんな生き方を選ぶのに、どれだけの意志があれば叶うのか。
――カズマくんに楽勝に勝てるぐらい、強くなりたい。
あの兄弟子の言葉は、楽に背負えるぐらい強くなりたいと願ったからか。
――完璧な人間じゃないってことだ。俺はそれで良いと思ってる。
弱い人間だとしても、構わないと。
けれど。一真はルディを頼りにしても、依存はしていないと思う。
それは魔法付与師、アンドリューの一件でも明らかだ。まず自分に出来ることを成してから頼ろうとしている。これは依存とは程遠い。
(何故?)
何故、という単語を心の中で何度も繰り返し。ふと、一つの答えに辿り着く。
――家族が欲しい。ではないかという、答え。
(男同士じゃ、家族にはなれない)
歳が離れていない同性では無理だと。互いに助け合うとしても依存しない関係である以上、兄弟の枠で括るにも無理がある。
(憧れで家族にはなれない。……恋では家族を成し得ない)
無垢な人なら、恋人も家族のようになれると思うだろう。
けれど誰かに裏切られた人間が、恋人を家族と見做せるだろうか。
どちらかが望めば切れてしまうような間柄に、絶対の重きを置けるだろうか。
(……無理よ)
しかしてそんな関係は、一真にしても不可能なことだと言えた。
恋人の関係を受け入れられるだけの強さを、今の一真が持っているとは思えないからだ。
昨日のように、たったあれだけの、些細とさえ言えることに心を痛めるような現状で、傷つけ合うことさえある恋が出来る筈がない。
(だから……愛)
そんな弱ささえ包める、愛がなければ救えない。
傷を癒すだけの愛が、一真には足りない。
(愛は……)
昔読んだ本に書いてあった。
――恋を育てて、愛になる。
愛があれば、助けられるのだろうか。
(というか、それも結ばれるって前提よね)
彼は、一真は、自分のことをどう思っているのだろうか。
大切な仲間だと言ってた。それでも、大切という言葉を付けてくれていると思うと嬉しい。
そして、仲間と言えば――。
(お姉ちゃんも)
一真の事が好きなのだろうか。いや、考えるまでもない。仮に一真が嫁に来てくれとか言い出したら、三つ指付いて即結婚とか言いかねない。けれど、そんな簡単に事は運ばない。
(……私も、ティーアも、家がある)
自分たちは族長の娘なのだ。段階を飛ばして、恋してきますという訳にもいかない。
血縁重視の社会に組み込まれている自分がはみ出そうとするなら、当然抵抗があるだろう。それを、あれだけ勤勉な一真が知らず、また考えない訳がない。
(だから届かない。から、こそ、……安心する)
叶わないと知っているから、無茶を言う。冗談のように、本音を口にする。
それは人に裏切られた事実よりも、裏切られた結果に安堵する思考。
幸福や奇跡が起こることがないと、安心する死人の思考。
(優しさがあっても。でも、それは……)
人を求めて、人に愛されずとも人を愛して、ただ、人の幸福を願う。
そこに己への執着は無く、ひたすら他者へ注ぎ続ける愛。
死ぬまで枯れず、美しいとさえ言える呪い。
夢に出てきた少女の言葉がリーティアの頭の中で再生される。
(無価値な、愛……)
無価値な、価値を殺す、殺された価値の、愛。
一真以外を幸せにする、一真をどこまでも孤独にする愛。
誰も愛してくれないのだろうかという疑念さえ、正当性の前に塗り潰される他者愛。
人は結果を求める。その前には経過など、人の道から外れさえしなければ黙認されてしまうのだ。
どれほど苦しくても、そうすることを選んだのなら苦痛さえ悪となる。誰かを助けたのなら、それは素晴らしい事なのだから。
(誰も、理解して……あげられない)
そんな人間が弱いなどと、世界の誰が認められるのだろうか。
人の正当性の多くは、己の弱さを許容してはくれない。
苦しくて堪らないと、世界の誰に漏らせはしない。
幾度の壁を越えても、現れるのは孤独な壁。
(かつて、愛と呼ばれたモノ……)
人を救ったけれど、人を助けたけれど、返されることさえ望めない愛。お互い様なんてものはない。ただひたすら、捧げ続けることで成立する神の愛。
神ならぬ人の身にそんなモノを収めるために、真っ先に犠牲になるのは――。
(だから、護ろうとしたんだ)
一真の心を護る為に、ルディは親友として共に歩くことを選んだ。
そして一真は、きっと自分では無い、誰かの為に封じようとしている。
自分には、何が選べるだろうか。
ただ一つ、必要なモノは覚悟だ。
あの少女が言ったように、叶えられもしない希望を与えてはならない。
他人として、関わらないで生きていくか。
それとも家族のように、関わり続けることを選ぶか。
(――恋では、救えない)
重い決断が必要だった。だから声を聞こうと、そう思った。
魔具は何時も持ち歩いている筈だと、枕の傍に置いてあった魔具を手に取る。一真のナンバーを入力して、耳に当てた。
二回のコールの後、彼は出た。
『もしもし?』
「私よ、カズマ」
意気地なしの心は、切札を失ったことを教えていた。




