(M-ss)神の名を冠したモノ2
『もしもし?』
「私よ、カズマ」
意気地なしの心は、切札を失ったことを教えていた。
代わりに『お師匠様』という言葉を封じて、今まで通りの口調で喋ることで触れ合おうと。そう決めた。
『まだ朝の五時半だ。眠くない?』
「目覚めが良くて、眠気なんて吹き飛んじゃったわ」
『そっか』
それきり一真は黙り込む。何の用事なのか、などと口にすることは無かった。
こんな些細なことでもリーティアは嬉しいと感じる。その反面、一真に何をしてあげられるのかという問い掛けが浮かんだ。
「ねぇ」
沈黙に耐えかねるように、リーティアが先に口を開いた。
『うん』
「カズマは何かを決められない時って、どうしてる?」
『決断が必要な時?』
「そう」
『んー……』
一真は思案するように暫く唸り、
『それが本当に、自分にとって必要かどうかを考える』
「自分に必要なことなら?」
『方向が決まってるなら、やるべきことを定めて突っ走る』
「……迷ったりはしないの?」
『迷うのは怖いから。失敗すると思うと、怖くて出来ない、だろ?』
「えぇ……」
『初めて会った時、リーティアが良いこと言ってたじゃないか』
「……なんて言ってたっけ?」
ちゃんと覚えていた。けれど一真の言葉が聞きたくて、リーティアは訪ね返す。
『――怖いのが当たり前。苦しいのが当たり前。それでも頑張るためにやってきたって。俺はそれが全てだと思う』
「つまり……」
『やるかどうか、とにかく決める。時間が許す限り、好きなだけ悩んで良い。やっちゃいけないのは、やると決めたのに小さな 躓きで逃げることだ』
「誰もがそんな強さを持っているとは限らないじゃない」
「うん」
確かにその通りだと、一真は肯定する。
『ならリーティア、君は強さをどう捉えてる?』
「そりゃあ……常に、ある程度の意志があって」
『まぁそれが一般的だろうね。俺はちょっと違うと思う』
「と言うと?」
『常に勇猛な人と、常に臆病な人、どちらが強い?』
「勇猛な人」
『では常に勇猛だけど肝心な時に腰砕けになる人と、常に臆病だけど肝心な時に足を前に出せる人と、どちらが強い?』
それは強さとは何かという論に置いて、理想ではなく、現実的に起こり得る可能性。
イメージ的なモノだけではなく、より高い『強さ』とはどれを指すのかという問い。
「……そういうこと」
『強さとは決断を下せるか否か、そして決断を履行できるか否か、という二点にあるというのが俺の持論。決めてからも迷うのはままあるだろうけど、決められる人間はだいたい強い。目に見えて強い人は決めた後で迷わないからだと思う』
「事が終わる瞬間まで、強さは分からないと」
『そう。嫌になった時、苦しい時、辛い時、それでも止めないと選び続けることが出来るのが意志の強さだと思う。覚悟の深さはやり遂げた回数で、自信は自分を裏切らなかった回数で決まる。まだ何も成して居ないのなら、必要なのは一歩を踏み出し続ける勇気。それと』
「それと?」
『激励』
『理由が幾らあっても、迷う時は迷う。なにはともあれ、自分を肯定してくれる激励が欲しくなる』
「……カズマも?」
『俺は……――ちょっと、違うかな』
「違うんだ」
『俺の場合は、理由云々よりも恥じないように生きたいから』
「……誰に対してなのか、聞いても良い?」
『名前も知らない女の子に』
「……………………え?」
ニュアンス的には「は?」に近かったが、積み上げた品性が全力で回避した。
一真は笑いながら補足する。
『言っておくけど不特定多数じゃないからな?』
一真はフレンドリーだ。そういう意図があるようにも見えなくは無い。だから、そうじゃないと言われてリーティアはホッとする。
「そうなんだ……私が知ってる人?」
『いいや。前に居た世界――面倒だから前世で良いか。……前世の小さい頃に遭った人でね、俺は目標としてそれを掲げてる』
「もう、逢えないわよね」
『そうだね』
「寂しい?」
『……いいや。深い仲どころか、幼馴染でも無かったから。たった一日だけの繋がりだからね』
「一日だけなのに、どうして今でも目標としてるの?」
『彼女は生来からの、決して強い娘じゃなかった』
それは憧れを含んだ、崇敬の言葉。
『それでも立ち上がって、俺の手を引いてくれた。だから俺も、そんな彼女に憧れた。あんな風に在りたいと。例えこの世界に居なくても、逢えなくても、目指した目標として在るなら、それは問題じゃない。勇気を振り絞って前を向く。そんな生き方を教えてくれた人を目指したなら、それに恥じないよう生きたいと願った。……男は格好付けたがりだからさ』
そう言って、また一真は笑った。
あくまで重くならないよう、他者に気を遣い続けながら。
リーティアは思う。二度と逢えなくても、消えることのない想いを『彼女』が一真に与えたのは、それが一真に手を差し伸べた事実があるが故なのだと。
「ねぇ」
『うん?』
「もし、その子が変わって居ても、その気持ちに変わりは無いものなの?」
『それは悪い意味で?』
「……えぇ」
『……正直な話、ガッカリ感はあるかもしれない。でもそれは俺の理想であって、誰かに強いるものじゃないから。仮に『彼女』が苦しくて、どうしようもなくて、助けて欲しいと願った時が在ったとして。傍に居られなかった『誰か』が、『彼女』の変わり様を非難してはならないと思ってる』
言葉の端々から、強固な自制心をリーティアは感じた。
同時に、その声音からリーティアに向けられた言葉でもなく、自己完結している類のモノであることも。故に一真は『彼女』が弱者であろうと許容し、『彼女』の強さは永遠に輝き続ける。それが『結果』と『理想』の差だと告げるように。
(私はまだ、何も成していない)
締め付けるような胸の痛み。悔しさと、嫉妬の証明だった。
特別扱いでありたいと願う、狡いと叫ぶ嫉妬の念。
その醜さを自覚したのは。何も成していない者が、何かを成した者を非難してはならないという、戒めの言葉。
――内面の醜さを直視できない者に、この人は振り向いてくれない。
そうした弱さを認めて、乗り越えるからこそ価値があるのだと。故に特別視するのだと。例え自分より弱くとも、憧憬を、崇敬の念を胸に抱いて。前を向く人に出会った時、胸を張って生きたいと。そう、一真は告げていたのだから。
リーティアは、今まで漠然として認識していた一真の姿を、より鮮明に見えた気がした。
「ねぇ。一つ、教えて貰っても良い?」
『良いよ。一つ、教えてくれるなら』
「交渉成立ね」
だからだろうか。自然と前を向く気持ちが、続く言葉を口にさせていく。
「その……前世で、カズマはどう呼ばれてたの?」
『仇名?』
「ううん。発音」
それは秘密の鍵の答え。
びっくりさせたくなかった訳じゃない。ただ、不公平だと思ったからだ。誰かから与えられた幸運を躊躇なく使う者も居るだろうけど、一真は人が自分で成すことを尊んでいたから。
リーティアは、一真の口からそれを聞こうと思った。
『ああ、こっちの世界だと、名前を呼ぶ時みんな巻き舌だから……ちょっと違うね』
一真という名前も、発音的にはカァズマに近い。
一真は方言的に近い発音で、自分を『カズマ』と呼んでいた。恐らく竜帝校に入学してから、ただの一度も『一真』と言った事は無いだろう。
「えぇ。だから、貴方の世界で使っていた呼び方を教えて欲しいの」
『カ・ズ・マ、一音一音区切る形が近いのかな。……一真、これが俺の呼び方だよ』
唾を呑み込んだリーティアの口から出た言葉は、一真が想像していた言葉よりも自然に出てきた。
「か、一真?」
『うん』
「一真」
『うん』
「……一真っ」
『……うん』
一真の声は静かに震えていて、確かな喜びに溢れていた。
『リーティア』
「うん」
『――ありがとう』
自分が言いたかっただけだと、茶化してみたかった。
だけど。そんな気の利いた言葉も出なくて、目尻に浮かんだ涙を拭って頷くことしか出来なかった。
「うんっ」




