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かつて愛と呼ばれたモノ  作者: Anotherblood
第二章:『幸運の鈴《フォーチューンベル》』
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此土ノ在処(しどのありか)

 カランカラン。


 すっかり顔馴染みになっている『ミスティル』に入ると、天井から吊り下げられていたランタン達と、口髭を生やした黒いエプロン姿の龍族男性――店主(マスター)が出迎えた。火のついていないタバコを口に咥えながら、店主(マスター)は陶器の皿を白い布で拭いていた。


「いらっしゃい」

「どうもマスター。朝ごはん食べに来ました」

「おはようございます。マスター」

「マスター、今日も渋いで」


 店主(マスター)は咥えたタバコを上下に動かし、奥行きのある低い声で応えた。


「嬉しいこと言ってくれるねぇ。おや? 今日はもう一人( ルディ)とは別行動かい」

「俺が弟子二人にご飯を奢ると言ったので、早速果たしに」

「成程、ウチとしては喜ばしい限りだ。ご注文は?」

「フレンチトースト三人二枚ずつ。他はサラダとヨーグルト。飲み物はレージペコの紅茶を三つ」

「承った。今は空いている時間帯だからな、好きな所に座ると良い」

「そこがええかも」


 ティアが指差したカウンターに一番近いテーブル席に着くと、一真は二人を、二人は一真を見据えた。


「それでは課外授業、座学を始めます」

「「はい」」


 二つ揃った明快な返事に、一真は小さく微笑むと右の人差し指を立てた。


「では始めに。君達に教えているのは『此土ノ流(しどのりゅう)』と呼ばれる武術、その基礎訓練だ。単に『此土(シド)』と呼ぶ場合が多いので、以後『此土(シド)』と呼ぶ」

「はい師匠」


 ティアが右手を挙げた。


「はい、ティアくん」

「シドって、どんな意味の言葉なん?」

「俺が居た世界の、仏教という宗教の言葉で『この世』という意味がある」

「この世の武術……今一ピンと来ないわね」

「んー。この世ってことは、全部引っ括めたごっつい武術なんかも……正解?」


 一真はゆっくりと、顔を左右に振る。


「残念ながら不正解。武術体系を取ってはいるけど、世を生きる為の術(すべ)――即ち、もっと楽しく生きるための力だ。リーティアくん、あの時は話が途中で途切れてしまったけど、俺が『此土(シド)』を健康法と言った事を覚えているか?」

「はい。覚えています」

「あれは冗談でもなんでもなく、本当の事だよ」


 リーティアの瞳が一瞬大きく開いた。落ち着きを取り戻そうとするように、目線を下へ泳がせる。


「えっ、……でも」

「では質問。健康とはなんだ?」

「病気を患ったり、怪我をすることなく、日々無事に生きること」

「なら。健康を保つ目的はなんだ?」

「それは……お師匠様が言ったように、楽しく生きたいから」

「そう。『此土(シド)』の開祖もそう考えた。と同時にこうも結論付けた。――『人の身では永遠を体現できない』と。人として生きる以上、身体は捨てられないからな」


 生きるが故に、必ず死を迎える。単純(シンプル)にして絶対の答え。どんなに自分の身体に強さを求めても、やがて最期は平等に訪れる。違うのは死ぬまでの時間と、抱いた己の意志だけ。


「でも開祖は人ではない存在への逸脱を望んではいなかった。人として生きて、人として死ぬことを見据えていた」

「人として生きて、人として死ぬ……」

「人として生を受けた以上、真理に真っ向から逆らう事は天と地によって生かされている自分に対する裏切りであり、やがて訪れる死を受け入れるしかないとね。けれど、それを認めた上で進むべき道を選べるのが人の強さであり、人の権利であると開祖は信じた。限りある生命をどう燃やし、どう生きていくのか。人に残された数多の課題を乗り越えるために、特殊な鍛錬法――『此土(この世)』で生きる術(すべ)を編み出した」


 己がいつか死ぬ身であると認めても、それまでどうやって生きていくのか。意味のある生を掴むために、一体どうしたら良いのか。それらを追求していく為には、長い時間と健康な身体が要る。しかし弱いままの己では手に入らない。


「絶えず積み上げていく鍛錬によって得られたモノは三つ。正(生)と悪(死)を受け入れるだけの『精神』。睡眠を不要とする程の強靭な『肉体』。そして数多の理を学ぶ為に必要な『時間』。これらを手に入れる事こそが『此土(シド)』の目的だ。故に、武術としての強さはあくまで副次的な産物( モノ)に過ぎない。健康法と呼ぶのも、それが答えだからだ」

「――っ」


 一真の言葉はリーティアにとって衝撃的だった。一真が持っていた強さは、本当におまけでしかないのだと。人として生きながら、高みに辿り着くために生み出された手法。その存在も、その手段を考案した人も、それを実践する師匠(カズマ)も、只々衝撃をリーティアに叩きつけた。

 その様子を横目で見ていたティアが苦笑する。


「『時』を手に入れる為の武術(しゅだん)。……私(あて)らの知っている武術とは根本的なトコで違うやもん。そらびっくりするで」

「この世界(ラウフドゥーリア)にも宗教はあるだろ?」

「はい」

「宗教は人の心、魂の純度を高める世界との対話であり、『此土(シド)』は人の生、命の純度を高める自分との対話だったと。後の伝承者――俺の師はそう教えてくれたよ」

「……凄いわ」


 何時の間にか置かれたお冷を口にしながら、陳腐とさえ言える言葉が出てくる。


「昔の俺は面白いと思って聞いてたけど、みんな違うなぁ」

「いや、師匠が言うてくれるお話は面白いことは面白いんよ? でもちょっと……」

「深すぎて、真剣に聞くしか無いって感じ」

「せやせや」

「じゃあ質問時間(タイム)にしよう。何かある?」

「はい」

「ティアくん、どうぞ」

「『シド』は時間作る言ぅてたけど、体力増強に重点を置くのはそれだけなん?」

「良い質問だ。他にも目的があるし、その為にも体力増強が大きく役立ってる」

「それは?」

「じゃあリーティア。武術に限らず、戦いごとに置いて重要なのは何だと思う?」

「んー……勝利」

「そう、勝つこと。ティア、勝つ為には何が必要になる?」

「いっぱいあるんやけど……判断力?」

「そうだな。勝利の行程(プロセス)を逆から考えてみようか。勝利を収める。勝利するためにはトドメが要る。確実にトドメを刺すにはタイミングが要る。絶好のタイミングを見つけるには判断力が要る。間違いのない判断力を持つには認識力が要る。正確な認識力を持つには知識を増やす必要がある。多くの知識を得るためには時間が要る。時間を増やすためには耐えられる身体が要る。耐えられる身体を得るには修行が要る。長期間修行するためには精神力が要る。精神力を支えるには目的意識と意志が要る。終りと始まりを決めるには自分の心が要る。そして心を創りだすのは己の命だ。故に――根源(いのち)を鍛えて健康に生き続けることは、即ち勝利を掴むことに繋がるんだ」

「地力は何処で上げるん?」

「総合的に、と言うと何から手を付けたらいいか判らないだろ? 模擬戦や訓練を積んでなるべく実戦に即した形を取るよ。一週間後、毎日挑んでみると良い。問題や反省点を宿題にするから、勉強が疎かにならない程度に悩むようにね」

「なるほど……」

「流石師匠や」


 二人は納得するように頷いて、同時に自分のお冷を口に含んだ。


「ちなみにお師匠様の時はどうだったの?」

「俺の時? ……んー」


 一真は悩むように目を閉じ、眉間に皺を寄せる。たっぷり十秒悩んで、二人から目を逸らしながら答えた。後半は丁寧だった筈の言葉が、苛立ちと混ざって乱暴な言い方になっていた。


「師父はスパルタだったから……『技は見て盗め』なんて言われたからな。組手稽古でも一方的にぶん殴られまくり、投げられまくり、折られまくりだったし、油断しないし、全力だし、こっちが丸腰でも道具まで平気で使うから勝ち目なんかまるでねぇしな。俺がやってることなんて正々堂々の部類に入ると思うぞ。十年教わって勝ったことは一度もねーし。マジで化物だよ、あんのバカ師父」

「それはー……」

「また何とも……」


 つついたら藪蛇どころか大蛇が出てきた。二人は話題選びに失敗したことを痛感し、言葉を濁すことで飛び火を防ぐ。文句を叩きつけるように口にする一真の姿をルディが見たら、訳あり気な眼で眺めていただろう。そのぐらい、子供じみた姿だった。


「お、来たで」


 『耳』を動かしたティアの目線の先――カウンターの奥、調理場から両の手と腕に皿を乗せた店主(マスター)が一真達の席へ歩いてくるのが見えた。ほどよく色付いたフレンチトーストとサラダ、フォークとナイフがテーブルに乗せられていく。


「はい、お待ちどうさん」

「ありがとうございます」


 気を取り戻した一真が三人を代表して謝意を伝えると、店主(マスター)は片目を閉じて朗らかに微笑む。


「紅茶もすぐに持ってくる。少々待ってな」

「お待ちしてます」

「――っと、お腹も空いてるだろ? 話は一旦ここまで」

「うん」

「……良かったわ」

「では、頂きます」

「『主神(アルルニア)』に感謝を」

「お天道さま、『主神(アルルニア)』さまに感謝や」


 三人はそれぞれ感謝と略式の儀礼を行うと、両手にフォークとナイフを持つ。間を置かず、美味しそうな匂いを立ち昇らせるフレンチトーストにナイフを奔らせた。


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