甘い兄、懐く妹達
――ティアラルの部屋。
「ん……」
ぼんやりと目を開ける。まだ眠いような、二度寝はちょっと難しいような、微妙なラインの感覚。兎にも角にも枕元に置いていた魔具に手を伸ばし、現在時刻を確認。
――五時、四十五分。
一月も続けていた習慣の所為だろう。一真との修行、その待ち合わせの十五分前に起きる癖が付いてしまっていた。だが眠気は微妙なライン。無理に二度寝したら、朝食も食べられない時間まで寝てしまいそうな気がした。
(でも……修行は一週間、お休み言うてたもん……)
枕に頭を乗せたまま身体を横にすると、首に掛けたままになっていた『命のクリスタル』から青と緑の光が出ているのが見えた。
本来の『致命避け』とは別に『疲労軽減』の魔法が掛かっており、淡い青の光に混ざって緑色の粒子が渦巻いている。師の、一真からのプレゼント。実験的なアイテムとは言え、命を守る道具を渡すのはそれだけ自分が弱――大切にされているのだ。
(そや、メール……)
昨夜、就寝前に体感と感想を書いたメールを送ったのだが、一真は見ただろうか。魔具をいじると、返信メールが来ていた。ティアは布団を肩までかぶり直し、いそいそとメールボックスに入っていたメールを開く。
件名:ティア、ありがとう。
こう、なんというか、メール一つ取ってもド直球なのだ。当人に尋ねれば「早めに言わないと言い辛くなるから」とか、色々納得できる答えを返してくるのだろうが、最初の一文でこうもストレートだとメールを貰ったティアの方が気恥ずかしくなってくる。消していた筈の『耳』が勢いよく現れて、ソワソワと動くのが分かった。
(本文、本文っ)
本文には、こう書いてあった。
『とりあえず一月ほど経過を見るから、迷宮に行く時は必ず『命のクリスタル』と二つ併せて潜ってね。氣力を使った時の消耗感も低いみたいだし、一週間後に再開する修行でもそれは付けたままで構わない。今は身体を休めて、のんびりするように。』
「……むぅ。平気やのに」
頬を膨らませて文章をスクロールさせていく。本文には続きがあった。
『もし、いつもと同じ時間に起きてしまった場合。眠るのも微妙だし、教科書を眺めるのもちょっと、なんて思ってて、俺の鍛錬に興味があるなら見に来ても良いよ。身体を酷使するのは許さないけど、見るだけなら許可します。場所は男子寮の裏庭だ。』
「見る!」
ガバっ、とティアは跳ね起きた。こうしてはいられないと、パジャマのボタンを急いで外していく。パジャマの上下を脱ぎ、ベットの下にある引き出しからブラジャー、白シャツ、白の肌着、黒の靴下を順に取り出し、ベットの上に乱雑に投げた。木彫りのハンガーに掛かっている制服を取って、これもベットの上に投げていく。
自分の修行の時にも、一真はティアの状態を見るだけで一真が鍛錬している姿は見せてくれなかった。これは滅多に無いチャンスに違いない。それに一月修行を続けても実力差を縮めるどころか、むしろ開いている気がしていた。だが師を超えるのは弟子の勤め、ここは師の秘密を暴く必要がある。ティアは急げ急げと逸る心を抑えきれず、むしろ嬉々として服を着替えていた。
―― ・ ――
一真は男子寮の裏庭、森を背にして座禅を組んでいた。上半身は裸だったが、その顔に羞恥心は見られない。一見痩せ型に見えるが、極限まで引き締められた筋肉が機能美を身体のラインで表現していた。
今、一真は強さを抑えた無色透明の氣力を薄く広く何処までも飛ばし、男子寮全域はおろか森の奥まで届かせていく。十分な広さに行き渡ったことを確認すると、全身に力を込めて、広げた区域の氣力を全体的に強く、濃くしていく。害意の全く無い、澄んだ心で放たれた氣力は白く輝き、周囲の生命に力を与えていく。物言わぬ森も葉を揺らしてさざめき、一真に感謝を捧げていた。
「はぁ……」
一つ一つに与えられる力は小さくても、半径三百メートル周囲全てを覆う氣力は規格外と言える。同規模の氣力の使い手となると、生涯を氣法師として捧げた七十代の達人と同等の力は持っている。国単位でも百人は居ないレベル、所謂長老級だ。癒しとの相性が良いから発揮できるのだと言われても、これはどう表現すべきかリーティアは迷った。
「……お師匠様」
「ん?」
「見せてもらってとても有り難いのですが。……ちょっと、参考になりません」
「リーティアが求めてるような、戦闘に使える氣力はこの十分の一だよ」
氣力は万能に見えても本人との兼ね合いがある。生命力を引き出すための精神状態が、そのまま引き出せる量に変わるからだ。戦闘狂なら戦闘に有利な氣力を存分に引き出せるが、癒しとなると大きく落ち、効果も薄くなる。性に合わないことは出来ないようになっているのである。
「それでも教室十個分の氣力……」
同い年の姉弟子だと氣力の大きさが縦横斜めで約三メートル。戦闘用の氣力だけで十倍。総量を考えれば更にその十倍。決闘を挑んだティアが非力な妹扱いされていたのがよく分かる。これだけの量を引き出して置きながら動きが衰えないとなると、潜在的な体力は更に倍……。
(それもこれも、あんなスケジュールをこなしてきたから……)
一真が過ごす一日の流れをリーティアは教えてもらったが、自分がやったら半月保たずに壊れると思った。誰に聞いても無理だと答えるだろう。それでも、この歳でこれだけの氣力を納めているとなれば納得できる。ついでに勉強やお手製のペーパーテストもどうやって作っているのか、今になって知った自分を恥じた。
「でもコレはオマケだ。本来の目的じゃない」
「本来の目的?」
「源流が健康法だからね。戦うとなれば相性が悪いのは当然」
「健康法……って。流石に冗談が」
「あーっ!」
非難めいた叫びが周囲に響き渡る。リーティアが振り向くと、そこには制服姿のティアが泣きそうな顔をして、わなわなと身体を震わせながら人差し指をリーティアに向けていた。
「まっ、まっ、またっ、またっ、また抜け駆けっ! リーティ狡いっ」
『また』ではなく『初めて』なのだが。リーティアはとりあえず一真の方へ振り返り、心当たりを尋ねることにした。
「と、言われてるのですが。お師匠様?」
「俺は鍛錬を見たければ見に来ても良いよと伝えたよ?」
「そういうこと……」
リーティアは小さく頷くと、再びティアの方へ向いてニッコリと微笑んだ。
「お姉ちゃん、首を洗って待ってなさいと言っておいたじゃない。これは抜け駆けじゃないわ、先手よ先手」
「う、うぐ……っ」
そう言われては返す言葉もなく、ティアは言葉を詰まらせた。向けていた人差し指を下げて、代わりにギリギリと音を立てるぐらい拳を強く握り締めていく。
「一週間、修行がお休みって聞いてピンと来たのよ。カズマ……いえお師匠様は、一人で鍛錬するんじゃないかって。それでメールしてみたら、見事に当たったからご褒美に見学させて貰ってたのよ」
筋は通っていた。そして一真ならきっとそうするだろうとも。
ティアは面白くなさそうに口を窄めて、半分涙目の顔で一真に尋ねた。
「……ホンマ?」
「ホント。ついでにメールだけど、リーティアは特に関係は無いよ」
微笑みで返されて、ティアはいよいよ観念するしかなかった。溜息を吐くと『耳』も一緒に垂れ下がる。地面に向いていた目線を一真に向け直したその瞬間――ティアに電流奔る。
「わか……てぇっ、ちょっ、はだっ、裸!」
「裸ね」
「上半身裸だな」
当人と、最初からその光景を見ていたリーティアは、非常に涼しい表情を浮かべて事実を並べていく。ティアは顔を真っ赤に染めて、震える指を一真に向けた。
「なんで裸なん!? 肌は! ブラはっ」
「男用ブラはウチの世界にもあるが……流石にそれはちょっと……」
「あるん!?」
パニックを起こして、どんどんティアの興奮度が上がっていく。見かねたリーティアがティアの後ろに回りこむと、何を思ったか二つの双丘――大きな胸を両の手で鷲掴みにした。
「ひぃぁんっ」
「あら可愛い声」
だがそれだけでは足りないのか、リーティアはティアの胸をこねくり回すように指に力を入れていく。優しく優しく、適度に強くしつつ。しつこくねちっこく、指を胸に這わせた。
「落ち着きなさいって、お姉ちゃん」
「あっ、あっ、ちょっ、やめっ、む、無理ぃっ、お姉ちゃん無理いいぃいっっ、胸揉まんといてぇええっ」
(……本当に大きいわね。両手で揉んで余るとか、何を食べたらこんなに育つのかしら……ケシカランわね、まったく!)
個人的な怒りがボコボコと音を立てて湧き上がってきたのか、当初の目的をすっかり忘れて、理不尽な言葉が自然にリーティアの口から出てきた。
「半分寄越しなさいよ、お姉ちゃんっ」
「ちょっ、む、無理いいいいっ」
「やれやれ……」
一真は後ろの芝生に畳んであった白シャツと制服の上着を羽織ると、ボタンを手早く締める。それを終えると、掌を二回叩いてリーティアに向かって告げた。
「そのぐらいにしないと、次から見学無しだぞー? こっそり見てても、毎回気絶させて女子寮に送り返すからなー?」
「……はーい。もうしません」
殊勝な言葉とは裏腹に、心の中の舌打ちが聞こえたような気がしたが一真は黙殺した。一方、恥ずかしげに顔を伏せ、目線を地面を向けたままのティアに視線を向ける。僅かな気配でも判るのか、反応するように身体を小さく震わせた。
「うぅ……っ」
「ティアも男の裸に免疫が無いのは分かったけど、下半身はともかく上半身だけは慣れてくれないと困る。仮に汗だくの状態になってしまったら、布も肌に張り付いて結局透け透けだぞ? チラ見じゃなくてガン見しなさい。いずれ慣れる」
「……はぃ」
「それと、よっぽど特殊な人間じゃない限り、邪な心を持ちながら修行をやるなんてのは危険だ。言っておくが、教えている時も、見られるときも、俺はそんな気持ちにはならない。二人もそういう心構えで頼む」
「「はい……ごめんなさい」」
仲良く揃って頭を下げる二人に、一真は満足気そうに頷いた。
「よろしい。ところで、二人はご飯食べたか?」
「まだや」
「まだよ」
「鞄は……持ってるな。よし、じゃあ俺の奢りでご飯を食べに行こう。兄弟子には内緒だぞ?」
「ええの?」
「師に弟子は甘えるもんだ。俺はそう出来なかったからな、このぐらいなら罰も当たらないさ。残りは座学ってことで、言葉で教えてあげる」
「うんっ」
「じゃ、行くよ」
一真はそう告げると、鞄についた埃を手で払って肩に担いだ。弟子二人もそれぞれの鞄を手に、一真の背に目を向けて後を付いて歩く。その光景は、兄を追って歩く妹の姿によく似ていた。




