四半刻の幸福(quarter happiness)
一真は自分の部屋に戻ると、靴を脱ぎながらポケットから魔具を取り出した。電源を入れ、登録していた番号を探す。フィーリア=オルガイアと名付けられた番号にかけると、僅か一度のコールで繋がる。あまりの速さに一真は二秒ほど言葉を詰まらせ、小さく息を吸ってからマイクの部分に口を寄せた。
「一真です。こんばんわ」
『は、はいっ、こんばんわ……』
最初の言葉は緊張気味で、次の言葉は最後の辺りで消え入りそうな声だった。
「タイミング悪かった? 急ぎの用事があるなら、こっちは後回しでも良いけど」
『い、いえ。そんなことありません』
「そっか」
何故か、そこから言葉が出てこなかった。柄にもなく自分の方が緊張しているのだと、一真は落ち着かせるように自分のベットに腰を下ろした。
「あの」
『ん?』
「カズマさんは、その、学校生活はどうですか?」
フィーに先手を取られ、一真は左手で頭を掻いた。それでも「何の御用ですか?」とは言われなかっただけ良かったと、一真は安心する。
「参ったな……。それ、俺がフィーに言おうと思ってた台詞だよ」
『なら、カズマさんから教えて下さい。どうですか?』
声がよく通るように腹部に少しばかり力を込めて、一真は徐に語り始めた。
「毎日勉強漬けなのは変わらないね。フィーは勉強についていけてる?」
『はい。私も毎日予習して授業に遅れを取らないようにしてます』
「いい子だ。ルディに見習わせてやりたいぐらいだよ」
『またレポート面倒くさい病が発症したのですか?』
「遅れたら後々大変だから一緒にやってるよ。まだ再発はしてない」
『良かった。……今度、カズマさんの部屋に遊びに行っても良いですか?』
「いいよ。部屋の番号は知ってる?」
『あ、はい』
「あー……でも一週間以内なら七時以降がいいかな。汗も流したいし」
『分かりました。七時以降、ですね』
「後でメールをくれると助かるかな。丁度、茶菓子を切らしてるから」
『お構いなく。もう一月経ちますが、寮の生活には慣れましたか?』
『大分慣れた。特に不満も無く、面白可笑しく生きてるよ。それと友達は……知り合いなら沢山できたかな。代わりに、大切な仲間が増えた」
一真が口にした『仲間』という言葉には、フィーをして普段以上の優しさが込められているように聞こえた。失いたくないという想いを、大切という言葉に詰め込んでいるかのように。
『大切な仲間……迷宮探索の、ですよね?』
「うん。『幸運の鈴』で登録してる」
『えっ、もうですか?』
「心配させちゃいけないと思って、言ってなかったね。今日行ってきて、全員無事に帰ってきたよ」
返事は五秒ほど間を開けて、少しだけ拗ねたような声音と共にやってきた。
『――……もう。そういう所はまるで変わってませんね。それと、カズマさんのお名前。こっちの教室にも届いてますよ?』
迷宮試験の問題集配布の件だろう。あるいは単に多くの情報を持っている『角無し』としての評判なのかもしれない。どちらにせよ、呆れているだけなら嫌われてはいない。自分にとっても妹のような娘に嫌われるのは堪える。一真はフィーの言葉に安心した所為か、本心をそのまま舌に乗せた。
「それについて弁解はしないよ。でも、そう言いながら肯定してくれるフィーが居てくれることが嬉しいかな」
『……褒めてもダメです。私は「許す」とは言ってません』
「……もし此処にルディが居たら、俺今の台詞で絶対泣きついてたよ」
『兄さんの事ですから「自分で何とかしろ」って返しそうですね』
「うん。間違いない」
フィーの声音に柔らかさが徐々に増していき、楽しげな雰囲気が灯る。その変化を聞き分けた一真の目尻がゆっくりと下がっていった。
「フィーの方はどう? 友達は出来た?」
『えぇ。友達も、仲間も出来ました。今じゃすっかり、仲良し四人組で行動してます』
「じゃあ」
『はい。まだ試験は行っていませんが、パーティの登録は済ませました』
思わず一真の額に皺が寄った。空いた手の人差し指でこめかみをグリグリと押して考える。
フィーは昔から行動派だったろうか。確かに一度やると決めたらひたむきに行動するのはルディと同じだが、それは結果であって思い切りの良さに繋がる訳では無い。どちらかと言えば思考派に属し、それなりの時間を使って悩むタイプの人間だった。
「リーダーは誰かな?」
『リュミリス=ウェルドレインさんです。私達は、彼女を中心に動くことを決めたんです』
その名前が出た瞬間。一真の胸の裡に、是とも非とも付かないざわめきが起きた。理性と感情が真逆の反応をしている証拠だ。理性は「過保護だ」と呆れ、感情は「まだ早い」と心配している。無論、それだけでは無い感情も混ざってはいたが、いずれも意志によって無理やり黙らせた。集音部分の穴を指で塞ぎ、深呼吸をこっそり行う。指を離し、唇から紡がれた言葉に不自然な硬さは無かった。
「――納得した」
『そう言えば、カズマさんとお知り合いでしたね。今度パーティでお部屋に乗り込んじゃいますよ』
「その前に。フィー、一つだけ聞かせて欲しい」
『はい』
一真は支離滅裂な意味にならないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「早期にパーティを組んで、迷宮に入る準備をする。それは自分で決めたんだね?」
『そうです。私が決めました』
その言葉は何処までも澄んでいて、揺らがない強い意志を携えていた。
「迷ったりはした?」
『正直に言えば、少しだけ。でも自分で選んだんです』
「解った。……心配するのは俺の勝手だから、思う存分やらせてもらうよ」
『……怒りませんか?』
誰も見ていない部屋で、一真は小さく頭を振る。
怒るどころか、喜んで然るべき話だ。あの小さかったフィーが、ルディと一真の手に引かれることなく、自分の意志で前に向かうことを選んだというのだから。それでも出てくる言葉に喜びの感情を乗せられないのは、一種の寂しさ故か。
「意志は尊重されるべきだと、俺はそう思ってる。それに、好き放題やってる俺が言っても説得力が無いだろ? 流されているだけなら叱ってあげることは出来る。けど、自分で選んだ道の筈だ」
『はい』
「なら、頑張れフィー。俺は本当の兄貴じゃないけど、君を大切に想ってる」
『カズマさん……ありがとうございます』
「うん」
喜びを隠さないフィーの声に釣られて、一真の声も柔らかくなった。それを証明するように、知らない内に口元が緩やかな弧を描いていく。今だけは、妹のような少女を想うことを許すように。
「でも、無理と無茶を履き違えたりしないようにね。世の中、耐えることが必要になる時もある」
『……はい』
「うん。それじゃ遊びに来るのを楽しみにしてるよ。おやすみ」
『はい、おやすみなさいっ』
通話状態を切ると、一真は倒れるように背を倒す。近くにあった枕を抱き寄せ、顔を埋めた。不思議なぐらい穏やかな気持ち。これなら少しは寝れるかもしれないと、自分の呼吸を感じながら思った。目と思考を閉じて、灯りを付けたままベットに横たわる。
二分ほどで一真は眠ることが出来た。それが例え、三十分に満たない時間だとしても。
目を開く瞬間まで――掛け替えの無い幸福感を、静かに味わっていた。




