シャワータイム
顕現器官である『耳』を消したティアがシャワーのコックを捻ると、やや高めの温水が全身に降り掛かる。目を閉じて額に当たる水の感触をしばし楽しみ、両手で顔に張り付いた髪を掻き分けた。十分な水を髪が吸ったと感じたところでコックを捻り、水を止める。シャンプーの溶液が入ったポンプを押して、手に取った溶液を両手で練った。水滴を含んだ溶液が泡立つのを確認して、細い指で優しく髪に纏わせていく。
「なぁなぁ、リーティ」
隣のシャワールームを使っているリーティアに目を閉じながら声を飛ばした。
「なーに?」
間延びした声が返ってきた。どうやらリーティアも髪を洗っている最中らしい。
「リーティはどうしてカズマのパーティに入ろうと思ったん?」
「んー……改めて言われると、そうね……私、此処に来るまで学校らしい学校に行かなかったって話はした?」
「うん。聞いた聞いた」
「それまで屋敷に篭りっきりで、ずーっと勉強やら剣やら作法やら学ばされてたのよ。出来が良かったから、お父様やお母様は鬼族の国立学校に行かせて、周囲を驚かせたかったみたい」
リーティアの実家は『夜の血族』を纏める長の家だ。鬼族社会でも特に高い地位を誇っている。族長の上に在るのは全ての血族を束ねる王族のみ。そんな家で、両親は一人っ子であるリーティアを手元に置きたい気持ちもあったのだが、それ以上に族長の子としての責務――つまり武と勇を以て他者を率いる器量を見せる必要があった。その一環として訓練の効率と質を上げるため、リーティアは今年になるまで学校に行った事が無かったのだ。
「言われるままハイハイとこなした訳なんだけど、それじゃ両親の敷いたレールだけで自分が無いって気付いたのよ」
それでも特に疑問に感じることも無く勉学に励んできた訳では無い。両親の立場と、自分の立ち位置を理解していても、疑問は浮かんで来るのだ。完全に外界から隔絶された空間では無く、情報が色々と手に入るから。家庭教師、親戚の子、本の知識、ラジオ、テレビ。中でもリーティアは本を好み、本に記された世界が親に対する無条件の肯定を認めさせなかった。
「ふんふん」
「でも直接言うと角が立つでしょう? 両親が最も納得しそうな内容で、且つ格としては申し分の無い竜国の最高学府――竜帝校に入学して結果を出すと宣言したの。それで、地元の国立校を受けないと同時に両親の干渉を免れたって訳」
「リーティは自由が欲しかったん?」
リーティアは髪を洗うと同時に、ボディシャンプーを掌で泡立てて身体に塗り始める。スポンジや垢擦りの布でも肌が負けることは無いのだが、自分の指で洗うのをリーティアは好んでいた。
「自由というより、見たことのない景色が見たかったのよ。鬼族の国ならあとで好きなだけ見られるって思ったら、あまり執着が沸かなくて、それより他の国が見てみたかった。本を眺めて、思い浮かべた世界に行く自分を想像するようにね」
旅人が数多の国を渡り歩く本、自分達が知っている世界ではない場所で生きる本、別の種同士が恋を重ねる本、願いと誇りを胸に戦うことを選ぶ本、それらがリーティアの心を押し広げていった。
「……リーティは乙女やなぁ」
しみじみと呟くティアの言葉に、リーティアは慌てて反論になっていない言葉で返した。
「ティ、ティーアだって女の子でしょっ」
「うんうん。それで、カズマはどう登場するん?」
気にした声色でもないティアが再び尋ねると、リーティアは拗ねたような声音で話を続ける。
「入学式のあった日に、最初に教室で待機していたじゃない? その時、竜族じゃない男の子が居るのねって思っていたんだけど、後から入ってきたシェイク家のご令嬢と何やら話をしているから、耳を澄ませていたのよ。話を進めているうちに、カズマにからかわれたご令嬢が怒って教室を飛び出したの。まずこれが出会いというか、私がカズマを初めて認識した時の出来事ね」
「……相変わらずというか、初っ端からそれというか、まーカズマやわ」
「入学式が終わったら次は自己紹介があったわよね」
「うん、そんなんあったわ」
「そしたら自己紹介でカズマはどうしてたと思う?」
「いつも通りとちゃうん?」
「まるで病弱な少年かと思わせるような態度をしてたわ。こー、へにゃっと」
「ぷっ」
思わずティアが吹き出した。確かに雰囲気と態度を変えればそう見えなくも無いが、一真の中身を知っている者からすれば笑い話にしかならないだろう。
「びょ、病弱……!? なんやそれ……っくく、あのカズマが病弱とか気ぃ弱いとか想像できへんよっ。あはっあっはははははっ」
堰を切ったように笑い始めたティアが落ち着きを取り戻すまで、リーティアはじっと黙った。身体に指を這わせ、さするように汚れを落としていく。二十秒ほどでティアが落ち着きを取り戻し、リーティアは話を続けた。
「びっくりしてカズマの後ろの席に居た男の子――ルディを見たら、笑いを堪えるのに必死になっててね。あの姿は間違いなく擬態だと分かったの。そう思ったら一層興味が惹かれて、壇上から降りて自分の席に戻る時に注意深く見てたのよ」
「それでそれで?」
「歩く音がしなかったの」
リーティアは一旦言葉を切り、静かに言葉を続けた。
「それも衣擦れも極力押さえてて、すぐに高度な歩法をしているって気付いたわ」
「ふーん……でも、それをやるって事は」
「えぇ。ある意味、あれはカズマの篩だったんでしょうね。それで私の意識は完全にカズマに向いてしまっていたわ。どんな人なんだろう、何を考えているんだろう、もっと知りたいってね」
「なるほどなー」
「話掛けてみたら初日から迷宮行く相談しているわ、生徒会に喧嘩売ってくるわで、まるで自分がやる筈だったことを取られた気分になっちゃって。同じ鬼族の会合に行ってきたら、余計にそう感じてしまったのよ」
―― 失敗したくない。
―― 恥を晒せない。
―― だから静かに牙を研ぐ。
その考えは間違っていない。ただし先達が既に失敗しているという事実と、一真という存在が無ければの話だとリーティアは結論付けた。既に手を打ってきている相手を放置して、先を楽観視しているようでは危険だと。自分から動かなければ、きっと何もかもかっ攫われる。そんな予感がした上に、何より目の前で語る同郷の者達から楽しそうな雰囲気を感じなかった。義務と焦りが音を立てているような、寂しさだけが漂っていたのだ。
「何処も閉鎖的というか、安心信頼第一やもんな。……リーティの話にケチ付けるん訳や無いけど、一人で事を成そうと思わんかった理由はどんなん?」
ティアの問いに、リーティアはあっさりとした口調で答えた。
「最初から一人でやるより、優秀そうな人を手元に残したほうが効率が良いでしょう? 既に二人も居たし、隙あらばそう仕向けるつもりだったもの」
「おぉー、リーティの暗黒面が見えた気がしたで」
仄かな笑みを滲ませて茶化すティアに対し、リーティアは苦笑と達観を言葉に滲ませた。
「でも止めちゃったわ」
「どして?」
「会合から戻って、教室に居た二人の話をコッソリ聞いてしまったからよ。無粋な手を思い付いた自分に疑問を抱いてしまった。楽しそうに次は何をするかって相談する光景以上に、自分が選ぼうとした手は面白いと思えるのかって。私は、その問いに対して否しか答えが出せなかった」
「うん」
「あの二人は種族が違うじゃない。なのに兄弟みたいに凄く仲が良くて、楽しそうで、話をしてから半日にも満たない私の話を聞いてくれて、おまけに肯定してくれて、嬉しさと羨ましさが混ざって――結局自分から手を差し出してしまったの。……そう考えたら貴女と似ているわね」
「尤も、私の場合はカズマが先に手ぇくれたさかいな」
「けれど、一番の理由はね。『この手を逃したら、置いていかれる』って、そう思ってしまったからなのよ」
「……うん」
その言葉の意味が、ティアにはよく分かる。
あの時、手を撥ね退けていたら自分はどうしていただろうか。今、こうして女の子同士の笑い話に出来ただろうか。IFなんて考えても仕方がないけれど、後になって後悔していたに違いない。そう強く思わせるほど一真の手は暖かく、安心感を与えてくれたのだ。
「で、も。そんなリーティも今日からカズマの弟子、私の妹弟子や」
「ふふ……そうね。でも師や兄や姉を超えるのは妹としての努めよ。今のうちによーく首を洗って待ってなさい」
「むぅ、敬いが足りん気がするぅ」
「良いじゃないお姉ちゃん。必ず追い越してあげるわ」
「お姉ちゃん……ふふっ、私も頑張らなアカンね」
ティアは目を閉じながら何度か頷いて、手探りでシャワーのコックを捻った。勢い良く出てくる温水と自分の指で髪に付いたシャンプーを丁寧に洗い流していく。目を開いても染みないことを確認して、ティアは再びシャワーのコックを捻って温水を止めた。
コックのある場所の先、壁のへこみに置いてあった大きなスポンジを手に取り、桃色のボディシャンプーを含ませて掌で練る。柑橘類の甘い匂いが仄かに沸き立ち、ティアは鼻歌を交えながら肌に擦り合わせた。




