(M-SS) 伯爵対応その後
―― ルディの生家、オルガイア伯爵宅。
当主執務室。
横長の執務机の上に置いた書類に目を通し、サインを入れる偉丈夫が一人。
ルディの父親。竜国伯爵、ルオルグ=オルガイアである。
両のもみあげから顎まで繋がる白の顎髭、刈り上げられた白髪に四本の白巻角。黒に近い濃紺のストライプスーツに白シャツ、そして同色のコートで身を包んでおり、コートの両肩にはくすんだ金色の肩章が付いていた。
既に壮年に差し掛かっているものの、落ち着いた居住まいは威厳と呼ぶに差し支えのない雰囲気を持っている。
コンコン。
部屋の扉からノックの音が二度響き渡る。ルオルグは書類とペンを放し、扉の方へ視線を向けた。
「入れ」
「失礼いたします。旦那様」
入ってきたのは男装の老執事、カーラ=ベルフォンドだった。
退色した灰色の髪に同じ色の角が二本。上下黒に白のシャツ、そして白手袋という執事姿。上服は正面から見た時の腰丈は短いが、後ろに回れば中央に切れ目の入った長い尾のように生地が続いている。いわゆる燕尾服と呼ばれる服装だ。
それを見事に着こなす彼女は今年で七十近い。だが矍鑠とした老人と言うより、むしろ流麗な動きの執事だ。今のように部屋に入り、扉を閉め、頭を下げると言った一連の動作であっても、淀みなど無く、歳を感じさせたりはしない。
「どうした?」
だが彼女の顔は幾分浮かない表情を浮かべていた。何時もなら歳相応に刻まれた皺を押し退けるような笑みを口元に浮かべているのだが、今ではすっかり鳴りを潜めている。
「カズマさんをお試しになったそうですね」
「うむ」
「如何でしたか?」
伯爵は深々と溜息を吐いた。
「予告付きではあったが――私の剣を避けおった。アダマン合金の壁を薙ぎ払う程度の力は込めたつもりだったがな」
アダマンティウム合金。『シオニウム鉱石』をステンレスと溶かし合わせた合金であり、強度は元のステンレスの約三倍。樫の木を素手で簡単に叩き割る竜族が本気で殴りつけても傷つかないほど強固な金属を指す。
「全力ですか」
「そこそこにな」
「もし、あの方を当家の執事として迎えたい。としたら如何でしたか?」
「是非も無い」
それはルオルグが贈る最大の賛辞。
あの時――ルオルグの一撃を一真は避けた。そして逃げるなら、体勢的に後ろに下がる方が有利だった。例え追撃があったとしても、後ろの通路側に下がることによって避ける空間を十分確保できる。
だが一真はルオルグがやってきた通路側に飛んだ。次の一撃を貰う可能性を覚悟した上で、ルオルグの横をすり抜ける事を選んだ。ルディやフィーが居る部屋から離さなければならない。そう判断してこその行動だ。でなければ危険を冒す意味がない。
一真の性格を考慮すれば当然かもしれないが、咄嗟にその判断が出来る者は稀だ。自分が襲われている状況を飲み込むのに必死になり、とにかく次の攻撃を回避することを考え、他の事まで気が回らなくなる。
それでも主人とその家族を第一に考える執事という職務において、その稀な者こそが求められる。
「お主の跡を継いでも十分期待に応えるであろう。継いでくれるのならばの話だがな」
「なるほど。……となれば、旦那様としても惜しかったのではありませんか?」
その点、一真は執事としての適性を満たしながら現役の軍人であるルオルグの一撃を避けるだけの実力を有している。これで必要以上に謙ることなく、礼儀作法も完璧にこなすのだから文句の付けようが無い。一真さえ首を縦に振るなら、今日からでも務めて欲しいと考えていたぐらいだ。
「惜しい。が、秤に載せた結果でもある」
伯爵家の使用人として、執事として、一生飼い殺しにするか。
あるいは己の道を歩ませ、自らの意志で全てを選ばせるか。
未来という観点から見れば、前者には希望など無い。緩慢な死だけを見つめ、乾くことのない傷を眺め続けるだけだ。血が齎した悲劇を繰り返さない為に、恋を知ることさえ許さないだろう。
「それに、このままではフィーに脈が無さ過ぎるからのぅ」
「フィーリア様はもう一人の兄上として、カズマさんを慕っているものかと」
控えめな評価ではない。カーラの目から見た時、恋する乙女というよりは歳の離れた妹が兄を遠巻きに見ているような、そんな立ち位置だった。
「かもしれぬ。だが万が一にでも好いていれば、確実に悲恋で終わるだろう」
「……聖者の血でございますね。確かに、ご自分だけならまだしも子供が居たらと考えたら……」
この世界は『主神』が女性神の為か、異種族の恋愛の果てに子を成しても間の子という形では生まれず、女系の血を色濃く残すようになっている。流石に族長や王族に近い者であれば男子の血が勝る場合も多いが―― 一真の血は別格だ。まず間違いなく『御影』の子が生まれる。
知恵が回り、思考を重ねる一真の事だ。今のままでは自分の子を残すことを考えようとはしないだろう。当然、恋もまた同じ。
「学校に通われないから異性に興味を示さないのだろうと。一時でもそう思っていた自分を恥じます」
「強固な意志で自制しておるのだろうな。あしらい方だけが年々上手くなりおる」
色恋沙汰の話が出ても一真の口から出るのは『みんな好き』という言葉だけだ。老若男女、分け隔てなく。特別な存在を『全て』と定義することによって、特別な存在など居ないとするかのように。事情を顧みてみれば、なんと残酷な問い掛けなのだろうか。
「だがフィーの事を差し引いても、このままで良いとは思わぬ。カズマは我が部下達を助けた。それだけで恩に報いるには十分な理由だ」
今から四年前の話だ。この世界に飛ばされた一真は竜国の地を二年の間放浪していた。行く宛もなくルオルグが管理する伯爵領を彷徨い続け、やがて国軍のベースキャンプに辿り付いた。そこで一真は神官やルオルグだけでは手の回らなかった負傷者や呪いを受けた者達を助けたのだ。氣力の治癒能力だけでなく、『御影』の奇跡も使って。
やがて一真の行動がルオルグの耳にも入り、相対することによって一真がこの世界にやってきた異世界の住人であると知った。本人の記憶能力に依存するものの、嘘は書けない『自動書記』によって一真と『御影』の真実を知ったルオルグは厳重な緘口令を敷き、子供を保護するという名目で屋敷に招き入れたのだ。
「公爵閣下には、全てを……?」
「協力を頼むのに、腹の中を見せずに何とかしろ。……などという子供じみた言い訳が通用する相手ではない。一時だけなら嘘も通じようが、騙し続けるとなれば相応の覚悟が居る。同じ覚悟なら私は剣を取る」
「では」
ルオルグは重く、強い、剣呑な凄みを舌に乗せた。
「――息子同然の子を政治的な理由で利用しようとするなら、剣を混じえて首を獲る」
『双白竜』と呼び習わされたルオルグは、妻と並んで歴代諸侯の中でも突出した剣技の持ち主だ。普段は迷宮に赴き陣頭指揮を採るが、一度仲間が窮地に陥れば剣を抜き、羅刹の如き猛撃で数多の怪物を屠る。部下の信頼も厚く、ルオルグを敵に回せば一軍を敵に回すとまで言われた漢だ。
「……と、伝えておいたわ。はっはっは」
(公爵閣下もお可哀想に……)
そんな男が『疚しいことは無いが、裏切ったら本気で殺す』と告げてくる。最早脅しではなく宣誓、決定事項の類だ。公爵も聞かなければ良かったと思ったことだろう。
「しかし旦那様」
「うむ?」
「フィーリア様のご婚約にも強硬に反対なされていたと、私めの記憶にはございますが」
カーラの記憶が正しければ。フィーにその話が持ち上がった時、ルオルグは誰一人として近付けさせんと言わんばかりの剣幕だった。カーラもルオルグが娘に物凄く甘いのは承知しているが、それなら一真だけ例外というのも可笑しな話だ。
「自分で決めるならともかく、親の決めた相手などつまらぬだろう。押し付けがましいのは、……親父殿だけで十分だ」
ルオルグの場合、政略結婚ではなく単に親が親友同士で付き合いがあったからというケースなのだが。それでも当人にしてみればあまり愉快な出来事では無かったのだろう。『親父殿』の言葉の辺りで僅かに顔を顰めたことから、カーラは先代がルオルグとあまり意思疎通に勤しまなかったことを思い出した。
「ですが、流石にそれは……奥様がお怒りになります」
そうした事情を妻であるフィリシア=オルガイアは当然知っている。が、言葉尻だけを捉えれば妻に対する不満とも受け取れてしまう。
「『あらアナタ、私じゃ満足出来なかったのかしら?』と青筋を立てておられる姿が目を瞑っても浮かんでしまいます」
「何を言うっ」
ルオルグは僅かに語気を荒げ、断言するように言い切った。
「互いに生涯の伴侶に足ると認め、覚悟したからこそ契を交わしたのだ。私は今でもフィリシアを愛しておる。不満など無い!」
「失礼致しました」
「だが……」
先程の言葉とは打って変わって、弱気な声でカーラに告げる。
「私の場合、幸運なことに妻が感謝してもし足りぬほど良い女だったからだ。……世の中、フィリシアのように魅力溢れる相手ばかりとは限るまい」
「仰る通りでございます、旦那様」
「…うむ」
と、カーラは胸ポケットからペンを取り出し、浮遊魔法と『自動書記』を同時に掛けてルオルグの机の上に置いてあったメモ帳に文字を奔らせる。
『見事な切り返しでございます。奥様が無線魔法で会話を盗み聞きしておりますが、申し開きも立ちましょう』
ルオルグは眉間を指で揉み、椅子から腰を上げた。壁に立て掛けられた時計を見ると、もうすぐ十六時を指そうとしていた。
「……仕事を放るのは忍びないが、妻を放るのはもっとイカンな」
「では」
「カーラ、これからフィリシアをデートに誘う。そのまま軍に直行するとして……明日の夕方には戻る。そのつもりで頼む」
「畏まりました。どうぞお気を付けて」
「うむ」
伯爵は娘だけでなく妻にも甘い。そして今のルオルグの言葉、そうした入れ知恵を進言したのも一真なのだとカーラは知っていた。夫婦円満を是とし、その為なら伯爵家のプライベートにさえ踏み込むことを恐れない胆力。執事の後継なら、喉から手が出るほど欲しい逸材。
(本当に惜しい)
しみじみとそう思いつつ、カーラはルオルグの机の上に置いてあった大きな封筒を手に取る。その中には、一真の為に取っていた竜帝校の申請書類が入っていた。




