VS 敵対聖者《おそろしいもの》
(今の……魔力やない。なら氣力? でも、私の拳に集まった氣力を削ぐぐらいの力なら『色付き』でも可笑しくあらへん……どないな手をつこうたんや)
外から見ていた者達には一真の氣力が蒼く見えた。なのにティアラルには一真の氣力の色が見えていなかった。それは何故か。
真横から見ていたルディやリーティアには分かり難かっただろうが、ちょうど斜めの角度から見ていたカウンターのお姉さん、セリアからはハッキリ見えていた。
(妨害魔法ですね)
ティアラルが正拳突きを放つ前。威力を上げる為に回転動作を加えた時だ。身体を捻った一瞬だけ一真から目線を逸らした。その隙を逃さず、一真はティアラルの眼前に薄く広い無色透明の妨害魔法を展開したのだ。
(それも特定の色だけ認識阻害させる単純な魔法。だから構築難度が下がって、あの一瞬でもそれなりの広範囲に展開できるようになる……。それに眼の前に置くから、腕の可動域にさえ注意すれば拳に集まる氣力によって散らされることも無い。なるほど、考えてますねぇ)
更に一真は自分の氣力を身体から殆ど出さない範囲に狭めた。視界の端に色が漏れることを防ぎ、その結果――ティアラルは何が起きたのか瞬時に判断できず、理性によって追撃を止めたのだ。
(……どの道上方修正やな。コイツは私の拳を無傷でいなした。最低でも私と同等。それ以上に強い可能性大。……見える素質なんてまるでアテにならへんわ)
「自分強いやん。見えへんかったけど、あれ氣力やろ?」
「正解」
そう答える一真の表情に変わりはない。雰囲気も、佇まいも、構え一つ取らない所も同じ。なのに対峙するティアラルの表情と緊張感だけ否応なく高まっていく。
「……カマかけた私が言うのもなんやけど、簡単にバラしてもええの? あれ、自分が磨いた技術やろ」
「最初は隠そうと思ったけどね。君の目の色を見てたら気が変わった」
強敵として認めるなら重心、覚悟、緊張感、表情、雰囲気、何もかも変わる。それを指摘されたティアラルは、嬉しそうに口で弧を描いた。
「そう答えたっちゅーことは、そろそろ仕掛けてくるんやろな?」
「君のスタミナはかなりあるね。まだやる?」
「愚問や。勝つか負けるか、白黒ハッキリさせんとしこりが残るやろ」
「そう。降参したかったら何時でも言ってね。すぐ止めるから」
「……あん?」
一真はそう告げると、一度だけ深呼吸を行った。息を吸い、吐き出し、対手を見据えたその瞬間。
「――ッ」
ティアラルは反射的に、そして全力で後ろに下がった。まだ一真は何もしていない。ティアラルが勝手に後退しただけ。事実まだ何も起きていない。
(アカン、狭い……!)
だが、対手であるティアラルは完璧に理解していた。この七メートル立方の空間は、絶望的に狭すぎるのだと。
―― ・ ――
「彼女、一体どうしたの?」
ルディとリーティアの角度から見ていた光景もまた同じ。一真と灰狐の少女が何か言葉を交わし、灰狐の少女は笑っていた。なのに、いきなり全力で下がったのだ。鋭敏な知覚、あるいは勘と言ったモノが働いて下がらせたのだろうが、リーティアが見た限りでは少女の警戒具合に匹敵する程の『何か』を一真がしているようには見えなかった。
ふとルディの顔を見上げると、彼は真面目な表情で決闘場に居る二人を見つめていた。
「察知したのさ。カズマが本気で自分を敵と見做したことを」
「敵って……今までは?」
「不適切な表現かもしれないが、幼い妹がじゃれてきた程度って奴だろうな」
今までの攻防戦を非力な家族がじゃれついてきた程度だと評するルディに、リーティアは溜息を吐いた。不適切な表現とは、つまりあの二人にはそれだけの差が有るということだ。
「貴方にはそんな違いが解るのね。私には解らないわ」
「やり合った奴しか感覚が分かんねーと思う。あの決闘場は狭すぎるからな」
「私の目には大体七メートル立方の空間に見えるんだけど、アレで狭いの?」
上下左右、何処だって逃げ場になりそうなものだ。現に一真は、灰狐の少女から繰り出された攻撃を壁や天井を利用して避けたり逃げたりして凌いだではないか。
だがルディは頭を振った。
「狭い。逃げ場が無い。それも戦術的な逃げ場ではなく、精神的な逃げ場が無いんだ」
「精神的な逃げ場……」
「それはおいおい説明するとして、鬼族出身のリーティアくん。君ならあの状態でどう攻める?」
「そうね。……カズマが動かないなら、貫通付与させた魔法で無理矢理動かすかしら」
「竜族ならとりあえず遠距離魔法をぶっ放して手を塞がせる。とにかく隙を作るために相手を動かす方向に持っていきたい。でもあの狐っ娘は見る限りじゃ氣力に重点を置いている。カズマをぶん殴るにはどうしたって近付くしかない。――が、恐らくあの娘はカズマに近付けない」
「どうして?」
「リーティアも誰かと戦うことを想定した時、どんな応酬をするか想像するだろう? 相手がこう来れば、こう攻撃するとか、こうくればどう回避するとか」
「そうね」
誰かと戦う時。人は幾つか自分の基本的な動きを考え、それに沿って行動を起こす。臨機応変に対応するとしても、基本から大きく外れたりはしない。例外的な定石無視も無くは無いが、基本は『勝てる』と踏んで行うものだ。
「あの正拳突きが凌がれたのが痛かった。一撃で決めるつもりで、それなりに本気だったんだろう」
ルディの言葉に、リーティアはハッとした。
「……そういうこと」
灰狐の少女はあの一撃に自信を持っていた。しかし凌がれた。だからこそ目の前の光景が作られたのだ。他に打てる策があるなら、あるいは一真に何かしら届くなら、あれほど警戒したりはしない。動かない相手を見て、精神を落ち着けることもできるだろう。
あれは、彼女が狩られる側に変わってしまったからこその防衛本能なのだ。
「アイツ相手の場合、動かないから隙らしい隙が存在しない。自分から攻撃しない型は防御だけに専念できるからな。無駄に持久力を消費したりもしない。何より持久戦、消耗戦はアイツの独壇場だ」
人が拳や蹴りを用いて攻撃する時、筋骨だけでなく気合や気迫と言った心と体の両方の力を使って放つものだ。そして威力が大きければ外れた時の隙も大きい。牽制や罠で相手の攻撃を敢えて誘い、隙を作らせるのもそれだけ有効な方法だからだ。
なのに相手を叩きのめすことが勝利条件ではなく、スタミナ切れを起こしたら負けという時点で、一真から無理に攻撃をする理由が消え失せる。故に隙も生まれない。
「あの狐っ娘から見れば、次の一撃を凌がれる=自分に隙が出来る=確実にカウンターを貰う=敗北必至なのさ」
「そしてカズマは今あの娘を本気で敵と見做している。殴らないとは言っても、攻撃しないとは言ってない。一縷の望みに賭けて気を抜いたりできるか……無理ね」
それは自分達が一真の性格、人となり、優しさを知っているから浮かぶ考えなのだ。あの灰狐の少女はどうだ? 今日初めて出会った人間が、自分の攻撃を凌げる実力の持ち主で、本気で自分を敵として見ているのに、そういう甘い願望を信じ切れるか? 答えは否だ。
「そう。初対面で、尚且つ相手の頭が良ければ良いほど引っかかる。アイツが試合前から罠を張るタイプだと気付いた時にはもう遅いって寸法さ」
曖昧な伝え方をして多くの選択肢を浮かばせる舌技。ある意味、思考への飽和攻撃とも言える。相手の事を何も知らないのに、何もかも信用しようとする者こそ稀。そこを突かれては手の打ちようが無い。一瞬でも隙を作ってしまえば、期を逃さず穿たれてしまう。
「獣族みたいに鋭敏な感性の持ち主は、相手が本気の敵意を持っていると認識すると、危機に対処しようと身体が反射的に動く。優秀な危機察知能力を持っているから全力で警戒しっぱなしだ。で、あの空間はどうだ?」
「貴方が『狭い』と言った意味が良く解ったわ。これが屋外なら緊張や思考のゆらぎを鎮める為に距離を置く、逃げると言った選択が採れる。でも今、戦っている場所は何処でも一秒で届いてしまう。だから『狭い』のね」
自分が勝てる明確なイメージを出せない。逃げることもできない。これは生き物のように揺らぐ勝負事にとって致命的だ。おまけに自力に差があり、相手が油断していない。これでは『たまたま』『まぐれ』『幸運』などと言った偶然の要素は期待できない。遮断結界という環境において他者の介入も望めない。状況としては最悪の部類だ。
「……アイツに本気の攻撃を凌がれた時点で、短期決戦はもう消耗戦に移行しちまってるんだ。カズマからは絶対に近付かない。近付いて来ないから隙も出来ない。攻撃を誘えないから牽制も罠も効かない。逆に自分から行こうとすると、正拳突きを凌がれたイメージが生々しく残っているから身体が無理に止めようとする。そうした自分の本能と意志で鬩ぎ合いが続くから、心身共にドンドン消耗していく。なのにカズマは得意な持久力で何時までも不動のままで居られる。……えげつねぇだろ?」
「……貴方があの娘の応援した気持ちが解るような気がするわ」
二人は名も知らぬ灰狐の少女に同情した。
―― ・ ――
(……駄目や。隙なんか無い。氣力も次から次へと湧き出よる。色も私より濃い。突破は不可能……っ)
ティアラルが持つ魔法が氣力よりも上回るならとっくに使っている。氣力を込めた乾坤一擲の一撃が凌がれた時点で、この状況を打破する力はない。
なのに降参を口に出来ない。負けたくない。勝ちたいという自尊心が自分を縛り、本能と鬩ぎ合いを起こす。勝つためには前に出なければならない。そうした蛮勇を振るうにはティアラルと生みの種族は些か頭が良すぎた。
(なら降参……? したら私は負ける。負け、負ける。……負け? 負け……誰が決めた? 誰が決めた? 私? ちゃう。この男や。この男が私に降参しろと言うたんや……!)
降参なら何時でも聞くと、眼の前の少年は言った。確かに審判は居ない。二人が敗北か否か決めれば良い。だが最初から結果が決まっているような言い草が引っ掛かっていた。それは高みの見物。上から人を見下しているということではないのか。
(そういや口だけ大将がどうのこうの言うてたな……)
つまり最初から他人のことをそういう眼で見ていましたと言っているのだ。何を遠慮する必要があるのか。ムカつく奴をぶちのめすのに何の躊躇いがあるというのか。無い。何もありはしない。渾身の拳でぶん殴るのに、理由なんてそれだけで十分過ぎる。敵がどうだのこうだの、最早今更だ。最初から舐められっぱなしだった事実に変わりはない。
「ハァ……」
ティアラルは溜息に詰められるだけの弱気を詰めた。息を吸い込んだ後は全部怒りに替える。そのつもりで一真を見据えた。睨みつける金色の眼に、徐々に意志が集っていく。
(小馬鹿にしくさって……えぇ身分やなぁ。さぞかし偉いんやろなぁ……!)
怒りが知恵と勘定を押し退けた。自分の氣力を感じて覚悟が定まった。命を燃やすように、心臓が一つ鳴ると薄緑色の氣力がより色濃くなっていく。そこでようやく一真がティアラルの眼を見据えた。傲岸に、不遜に、かかってこいと言わんばかりの、とても喜んでいる眼の色で。
「――ハンッ」
ならば応じてやるのが礼儀だと、ティアラルは駆けた。先程よりも速く、力強く。相手が迎撃型なら迎撃できない速度で撃ち込んでやれば良い。何故それをもっと速く気付かなかったのか。今なら出来る。やれる。そう信じた。
「ァアアアァアアァ!」
一真の顔面目掛けてティアラルは右の拳を撃ち込む。一真は肘で拳の軌道を逸らすが関係ない。右が逸れたら左で撃ち込めば良い。だが左も逸らされる。顔は駄目だと即座に判断し、腕を引くと同時に膝蹴りを放つ。狙いは水月。流石に重い膝蹴りを腕で逸らすとなれば殴ってしまうと判断したのか、一真は同じ膝で受け止める。
(軸がまるで動かない……!? 流石やな、それでも――っ)
攻め続ける体力が残っている内はティアラルの方が姿勢的にも有利だ。防戦一方も上下前後左右に空間があればこそ凌げるというもの。息を吐く間も無く攻め続け、壁に追い込み、崩し、落とす。それが出来ればティアラルの勝ちだ。
「本当に、強いね。あとで、無礼を詫びるよ」
「あ、と、で、や、と!?」
一声一声に力を込めて苛烈な攻撃を加えていく。だがこの少年の、この男の笑みは揺るがない。崩れない。壊れない。冗談ではない。
どれだけ耐久力と持久力に自信があるというのか。何度打たれても動きが鈍らない。逸らし、あるいは受け止め、果ては避け、凌ぎきる。ティアラルを投げて時間を稼いでいるのではなく、受け止めながら鈍らないのだ。
(弱気になるな! 一度でも引いたら、もう私は勝てない……!)
事実、ティアラルは一真を壁際へ押し込んでいた。だが二メートルを一センチずつ埋めていくような作業は今のティアラルを以てして困難と言えた。隙を生じさせないよう、渾身に限りなく近い一撃でありながら僅かに余裕を持たせ、次の攻撃までの隙を埋めるという高度な攻撃を既に百発単位で放っているのだ。その内の凡そ二割だけが受け止められ、押し込める事に成功している。一発一センチとして、あと千発。一真の凌ぎが未だに精度を落とさず機能しているのだから、贔屓目で考えてもティアラルの精度が先に落ちる。
「――ッラァッ!!」
だから一発、せめて一発ぐらいは顔に当てたかった。氣力が衰える前に、最高の一撃を一真の顔に放つ。だがその拳は一真の掌によって捕らえられた。
「はい。おしまい」
ティアラルよりも遥かに滑らかな動作。彼女の脇に一真は自分の肩を乗せ、背負い投げの要領で投げた。背中から地面に叩きつける前に、一真は地面に氣力を敷いて衝撃を吸収させる。
何時の間にか敵意を解いた一真は、屈みながらティアラルの顔を見つめた。
「疲れたろ。俺の勝ちだ」
「……まだやれるわ。ちゅーか、それより他に言うことあるやろ」
そうだったね。と一真は嘯き、胸ポケットからハンカチを取り出した。ティアラルの額に浮いた汗を丁寧に拭っていく。
「口だけ大将と言ったのは謝るよ。君は本当に強かった」
「……ふんっ、今更言うても遅いわ」
汗をかいた所為かティアラルの頬がやけに赤い。それでも一真を跳ね除けようとはせず、黙って顔を拭かせていた。




