奇跡の埋葬者
「ところで、」
カズィは一旦言葉を止めて己の目線を下げる。口にするか、否か、悩むように。顔を僅かに傾げ、言葉にならない息を幾度か出す。それは十秒ほどの間。やがて意を決したのか、カズィは自分の言葉を確かめるようにゆっくりと口を動かした。
「君は仮に、その宝石を手にしたとして……何を願う?」
「……」
今度は一真が口を噤む形になった。その質問は当然出てくるだろうと覚悟はしていたし、肝心要の部分をぼかして語るのは簡単だろう。それでも、余り多くの事を喋り過ぎると身動きが取れなくなる。信用信頼の問題ではなく、起こり得る未来の不確定要素としてだ。
「……少し、考えさせてください」
「ああ、いいよ」
確実に食い下がってくると思っていたが、拍子抜けするぐらい快諾されてしまった。いよいよ下手なことは言えない。無論、嘘を吐いて終わらせることは出来る。だがこの男のように、物事に対し真っ直ぐな目線を向けられる人間は、嘘やニュアンスに誤魔化された言葉を直感で見抜く。
(奇跡を齎す力を、埋葬する)
そんな『力』を持ってきた一族に、どのような結末が起きたのか知ってしまった者ならともかく。己の強さを平和を齎す力と認識し、尊び、誇るこの世界に住まう者達。彼等にしてみれば『力』を捨てるという行為は何とも理解し難いことだろう。
―― お前の力を世界が知ってしまった。
―― もう平穏は与えられない。
―― やがて奇跡に縋る愚か者がお前を囲む。
―― お前が選べる道は、二つに一つだろう。
―― 使い潰されるか、上り詰めるかだ。
―― 生きるのが嫌なら俺が殺してやる。
かつて師父と呼んだ男の言葉が一真の脳裏を掠める。一真は男に全部嫌だと言った。その結果、こちらの世界に飛ばされることになったのだ。
「質問に質問を返す無礼を承知で、幾つかお尋ねします。会長は口が固い方ですか?」
「その子に君のことをバラしたから、信じてもらえないかも知れないがね。役職に見合うだけの責任感は持っているつもりだよ」
「では、命令に抗えますか?」
「……難しいね。これでも侯爵の息子だから責任と立場がある。竜帝校の上層部にも、内容によっては報告せざるを得ない。だが学校存続に関わったり、国家の一大事と言った非常事態でもなければ――極力口外しないことを約束しよう」
それは、カズィが約束できる最大の譲歩と言えた。
一真は考える。無理に拒否しても厳重にマークされるだけで、良いことは何一つとして無いだろうと。
「……会長は、人を腐らせる奇跡の存在を知っていますか?」
「人を腐らせる……? いや、寡聞にして耳にしたことがない。俺達にとって、奇跡とは人を救う神の御業だ」
「俺の認識も基本的にはソレです。では、人が怪物に襲われない世界があることを知っていますか?」
「ああ。招人から得た話では、こちらの世界の方こそおかしいと言われたという記録を見たことがある。代わりに、その世界では人同士が争っているともね」
「もう一つ。『近代史』という言葉に心当たりは?」
「ここ百五十年における極東と呼ばれるヒノモトノヒト――ニホンジンの歴史だね。伯爵以上、もしくは王家でなければ触れられない情報だ」
それだけ知っているのなら、一真がいくら嘘を並べ立てても真実に辿り着く可能性は高いと言えた。同時に、理解してくれる可能性が高いとも。
(……そうだな)
一真は話す覚悟を決めた。そう決めたのは、目の前に立つ男が信頼できる人物だと直感したからだ。もしこれで裏切られるようなら、自分が人を測る力を持っていないどころか、勘すら当てにならない事になる。どう足掻こうとも道を踏み外して落ちるだけだ。
「会長」
「なんだい?」
「俺は、貴方を信じようと思います。そして俺は、その近代史に最も近い日本の招人です」
やはりそうか。という言葉を飲み込んで。
「……続けてくれ」
「……その近代史では、金、通貨を多く持つことが正義であり、豊かさの象徴であり、願いを叶える奇跡の代替品なのです。あの世界に存在するほぼ全てが取引可能になるので、ある意味ではあちらの世界で神に相当するモノでしょう。宗教という意味で括れば、他にも神は居ますがね」
「金が、神――」
嫌悪するようにカズィは眉間に皺を寄せた。その表情から推察する限り、否定したい思いに駆られながら、それでも何割かは納得してしまっているのだろう。この世界にも通貨や商売の概念は存在する。自分が見てきた世界を俯瞰する力を持っている者であるなら、そうした可能性があることを予見できるのだろう。
「例えばこの世界の迷宮が全て崩壊し、怪物が一切生まれなくなったとします。その果てにある世界はどんな様子だと思いますか?」
世界を根源から覆すような、妄想とも思える突飛な発想。だがカズィは口元に手を当て、その発想に論理を追い付かせようと思慮を巡らせる。
「絶対的な理由を失い、人は人と協力することを拒むようになる。やがて人同士の争いが激しさを増す……ようになるね」
「俺が居た世界は、そんな世界ですよ」
一真は大きく息を吐き出し、中央のベットに腰掛けた。
「金は便利であろうとも万能ではない。怪物に対し金は無力であり、その怪物に立ち向かう事こそが勇気と誇りだと、そう信じて疑わない。そんな世界に住まう方からは想像し難いでしょうね。あちらの世界では人を一切信じられない人達が居る。中には金に力を感じ、あるいは金だけを信じ、己の欲を肥大化させ、子供の様になる者も居ます。分別が付かず、善悪もなく、意に沿わない者を憎み、誇りや自制を失い、やりたいことだけをやる者達。止めどなく浪費する金を増やす為に、人を騙し、人を使い、人を殺す。そこに躊躇いや後悔と言った感情はありません。会長の価値観に合わせれば『蛇』などという言葉が生温いと感じるほどに哀しい世界ですよ」
「……だが、そういう者達ばかりではないだろう?」
「えぇ。ですが、往々にして清廉潔白な人達ほど力を持たない。人は『角無し』どころか、どこまでも非力です。生まれ持った特別な力なんか無い。故に、世のほぼ全てと交換できる権利を持つ金と、その金を集める者達が絶対強者として君臨できる」
「そうして最後に望むのは、金で買える奇跡、か」
やはり飲み込みと頭の回転が速い。一真は頷き、天井を見上げる。
「俺が知っている奇跡は、善悪を判断しても人の陰謀や企てと言った部分を看破する機能が無い。対象が紛れも無い弱者であり、助けることを良しと判断した場合、術者の中身と引き換えに可能な限り願いに沿う形で奇跡を起こすだけの代物です」
「願う人間のリスクは無い、ということか」
「えぇ、そんな奇跡は無謬であるからこそ神聖視され、不可侵とされる。逆に一度でも我欲を絡めてしまえば、ただの便利な道具に成り下がる。それがたとえ、人を助けた結果であろうとも。自分の金を増やす為に利用できると、世界に認識された瞬間――道具の所有権を求めて絶対強者は争いを始めるようになる」
「だが、我々は、俺達はっ」
誇り高い竜族だと。そんな過ちは犯さないと。言葉にならない想いを、一真は十分理解していた。何より一真を保護したのはその竜族であり、爵位という特別な地位を持つ人物なのだ。
「解っています。この世界に住む人々は、高潔な精神の持ち主は、俺が居た世界よりも遥かに多いと思っています。ですが百年、五百年、あるいは千年後。この世界が、人々の考えがどうなっているか分からない。血が齎す奇跡だと知れれば、一切の権利を剥奪されて家畜のように扱われるようになるかもしれない。親の死は必要悪として処理され、子は人の愛も知らず死を見つめながら日々を過ごすようになる。そんな一族、そんな結末はもう真っ平御免なんですよ」
言葉に残された仮定と事実。カズィは淡々と告げる一真の言葉の重さを、ようやく理解した。未だ天井を見上げ続ける一真の顔を直視できず、瞼を閉じる。
「そう言った意味では、もう『御影』の奇跡は穢れてしまっている。人の矜持を、内面を腐らせる奇跡は埋葬しなければならない。その為に、俺はそんな宝石を欲しています」
「もし、手に入らなければどうする」
一日でもそんな未来を想像しなかった日は無い。だが、一真は力強く答えた。
「必ず手に入れますし、必ず成し遂げます」
「そうか……」
カズィは息を大きく吸い込み、瞼を開く。目線を上げれば一真は自分を見つめていて、笑みさえ浮かべていた。歳相応の少年のように、挑発的で、強い意志を携えて。
「なんせ御影は、まだ恋すら知らない」
「……君は誰かに恋をする為に、宝石を手に入れ、奇跡を捨てるのか」
「はい」
奇跡は最初、人を助け、人を導いた。
かつて御影と呼ばれた者達は、人を愛するが故に己を削った。
尊き理想と健やかな願い。だが人の欲が穢れを与え、やがて爛れた果実を実らせる。
禁断の果実を口にした者は痛みを喪い、壊れた神話に縋る。果肉の甘さは臓腑を腐らせ、人から立ち上がる力を奪っていく。
「人が豊かになるにつれ、人に成せる事が増える。でも、人が成し得なければならないことも、また増えるようになる。人が悲劇を乗り越える為にも、人の意志を殺す奇跡は要らない。それはこの世界でも変わらないと信じています」
一真は最後にリュミリスの寝顔を見つめた。彼女は怒りを糧に一真に挑んだ。だが、いかに自信があろうと恐れが全く無かった筈がない。それでも誇りを胸に、恐怖を認めながらも震える足に力を入れ、勇気を振り絞って立ち上がる決意をしたのだろう。
そんな人に認められ、そんな世界で恋をしてみたい。
そんな想いを胸に秘めて、一真は言った。
「だから俺は――かつて愛と呼ばれた奇跡を埋葬する。それが俺の願いです」




