第五話 心悸の呪言
【前回までのあらすじ】
ノクトは自分を鍛える傍ら、エイトと絆を深め、ハルジオと友人になる。
それは彼にとって、初めて家族以外と結んだ人間らしい交流かもしれなかった。
鍛錬をはじめて、八ヶ月が経過していた。
鍛えることで肺の許容量があがり、発作の面は少しずつマシになりつつあった。
元々あまり深呼吸ができない体だったが、少しずつ深い息を吸い込めるようになってきた。
「そろそろ筋肉つけていくかぁ!へバるなよ、ノクト!」
「誰に向かって言ってるんだよ。殺す気でこいよ」
エイトの与えるメニューも強度が上がってきた。
バランス訓練から始まり、坂道ダッシュ、懸垂、腹筋など、エイトに指示されながら次々とこなしていく。
同年代平均と比較しても、優れている点が突出してきた。
当然持続力はまだまだだったが、優れた反射神経と敵意への察知能力、そして異様に溜め込まれた武術の知識が彼の根幹を支えた。
「気合入れろー!ラストセットー!」
「二十八……二十九……三十!」
額から汗を流しながら腹筋を完了させる。
ノクトは大の字になって、胸を激しく上下させながら倒れ込む。
「うう……気持ち悪ィ……」
「吐くな吐くな。飯がもったいない」
「吐くようなメニューさせといて、よく言う……」
「殺す気で来いっていった口はどうした」
「くそ~……比喩表現だよ、比喩表現……」
少しずつであったが、着実にノクトの肉体は頑丈に、進化していた。
汗だくになった体でシャワーを浴びて、身支度を整える。
今日はハルジオが魔法大全を持って来るらしい。希少な本で、ノクトは読んだことがなかったから楽しみだった。
カフェの席で頬杖をついて待っていると、カランカラン、とドアが開き、
「ノクト、きたよー!」
と元気にハルジオが入ってくる。
ノクトは手を振ってそれに応じた。
「約束通り、これ!今すごく人気の魔導書で、図書館でもなかなか借りられないんだよ」
「よく借りられたな」
ハルジオが持っていたのは大きな紫色の装丁の書物。
見る角度によって赤になったり青になったりするのを見て、二人は新しいおもちゃを手に入れた子供のように興奮する。
「すげ、なんだこれ……どういう紙でできてるんだ?」
「とにかく、読んでみよう!」
二人で最初のページを開く。
その様子を、エイトがカフェカウンターの中からひっそりと、そして嬉しそうに眺めていた。
◆
鍛錬をはじめて十ヶ月をすぎたころから、実際に戦うための訓練をはじめた。
戦うための足運び、重心、姿勢、視線の位置、呼吸、相手との距離感。
「いいかぁ、強く殴るよりもまず倒れないことを心がけろ!
そうすれば、次の動作に素早くうつることができる」
訓練中にバランスを崩して倒れてしまったノクトに、エイトは厳しく教える。
また、倒れないこと以外にも、敵の攻撃を避けることも重要だと伝える。
「くっ……!なんで、なんでエイトには一発も攻撃が当たらないんだよ!」
「それはな、オレが、お前の筋肉の動きを見て、太刀筋を読んでいるからだ。
生半可な攻撃じゃあ、当てられんぞ。
だが、理解さえすれば、お前も真似して太刀筋が読めるようになる」
大切なのは攻撃を受け止めることではない。
そもそも当たらないように立ち回ることだ、と教えこまれる。
◆
そうして、もうすぐ一年──
ノクトとエイトは、木刀を持って、敵意を持って対面していた。
ノクトは、トントンとつま先で一定のリズムを取りながら、木刀でエイトを迎え撃とうとしている。
「いくぞ!」
先に動いたのはエイトだ。
頑強な筋肉から打ち込まれる木刀は、ノクトの肩を的確に狙っていた。
カッ!と鋭い音を響かせて、ノクトはその先端を最小限の力で逸らす。
エイトは驚くと、その時にはもう鼻先に木刀が突きつけられていた。
この一本はノクト勝ちだ。
「なんて……なんて才能だ……まさかオレからもう一本取っちまうとは……!」
元百五十連キルの兵士エイトは、流石に驚愕して唸った。
「いや……今のは、あんたが早く決めようと先に動いてくれたからだ。
体力勝負に持ち込まれたら、まず勝てない」
「クソみてーに冷静な分析しやがって生意気な……ちょっとは喜べよコラ」
エイトはノクトの頭を肘でゴンと小突く。
ふっ、とノクトは大人びた雰囲気で薄く微笑む。
最近のノクトはとても体調がよさそうだった。
しかし、表情からは子供らしさが潜み、翳りが強くなっていた。
アイリーンを失くしたことを受け入れ、人生を次のフェーズに進めていたのかもしれない。
憎悪を研ぎ、悲しみを忘れないこと。
それらが薄らいだら、アイリーンのことを忘れることになるからだ。
絶対に憎しみを忘れない。憎悪とともに生きることを誓っている目だった。
エイトにはそれが痛々しく、悲しい。
もう、その頃のノクトにはすっかり戦闘用の肉体ができあがっていた。
もちろん、元の虚弱な体質が完全に治ったわけではない。
しかし病弱だった肉体を極限まで鍛え上げ、身体能力の高さでそれを補って有り余るようになった。
文字通り、命をさしだし、血の滲むような努力の末だった。
◆
そして、一年が経つということは──
ノクトの表情が翳るのも、やむを得ないと言えた。
アイリーンが戻らなくなってから一年。
そして、エイトには言ってなかったが、ノクトの誕生日とアイリーンの死は強く結びついている。
ノクトにとって最も幸せな日は、最も呪われた日に変わってしまっていた。
それを、ずっと言えずにいた。
エイトは一年通して過ごしてみて、ノクトが誕生日について言わないことを気にかけていた。
「そういやノクト、誕生日はいつなんだ?
今更遠慮もなにもないだろう、祝わせてくれよ」
何気なく聞いた。それが大きな引き金になってしまった。
「……誕生日なんて、別にどうでもいいよ」
「どうでもよくはないだろ~。
お前が生まれた大事な日だぞ」
そう言われて突然、吐き気がするほどどす黒い思いが、ノクトの胸の中を占領していく。
言いたくもないような、ヘドロのような憎悪が、吐き気とともに口をついて出た。
誰に対しての憎悪なのか──それは、自分自身に対してだった。
「……オレなんか……生まれてこなければよかったんだ」
エイトは、突然様子が変わった底から響くような低い声を聞き、そして言葉の意味を理解し──驚いてノクトを見る。
ノクトはギリ、と唇を噛む。
エイトにこんなことを言いたいんじゃない。
だけど、止まらない。
「オレなんか……」
(消えてしまえ!この世界から消えろ!)
凄まじい衝動で自傷行為に走りそうで、ノクトは二の腕を抑えた。
二の腕に爪を立て、血が滲む。
エイトにこんな姿を、見せたくない。
止まれ……止まれ……止まれ!
エイトは、ノクトの深い傷を抉ってしまったのだと知った。
最近は心の傷も落ち着いているように見えたのに──
精神的負荷から、パニックのような症状が出て、ノクトの呼吸が荒くなる。
ゼーゼーと、肺に負荷をかけた呼吸音が痛々しく響く。
「ノクト、やめろ!」
正気に戻そうと、エイトはノクトの肩を乱暴につかむ。
ノクトはその衝撃で苦しく呻くように──エイトのハシバミ色の目を見つめて、喉から声を絞り出す。
ラベンダー色のノクトの瞳は恐怖に震えていた。
「……あのね、エイト……」
13歳のあの頃に戻ったように、弱々しい声。
「なんだ……なんだ、ノクト」
「姉さんが、戻らなかった日は……オレの、誕生日だったんだ……」
エイトは雷に打たれたように愕然とした。
立派な体躯が、ノクトの受けた悲しみの深さを察して、震える。
一生、この子は──
誕生日を迎える度に、姉を失ったことを思い出し、自分を否定するのか。
本当は、一年でいちばん、無条件に自分を祝福できる日。それなのに……
それはもはや、呪いじゃないのか?
運命の神が本当にいるなら、何故、この子にここまでひどい仕打ちを……
何も言えなかった。謝ることさえもできず──エイトの目から涙が落ちた。
ただ、震えて吹き荒れるような恐慌に耐えているノクトを、泣きながら、強く抱きしめていた。
★「され灯」は完結まで毎日17時50分に連載予定です★
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