第四十九話 異なる者、同じ境地へ
『戦争が終わらないのは、敵を憎むからです!』
ハバキネスのその言葉を聞いて、ノクトの中に、再び仄暗い感情が鎌首をもたげた。
姉さんを奪われた事を、許せと──何の罪もない優しい姉さんをあんな風に無惨に殺した連中を、許すことなんか……できるはずがないだろ!
心の中で、ノクトは血を吐くように叫んだ。
ハバキネスは、そのノクトの目つきの変化を見ていたが、何も言わなかった。
代わりに──
『クレア、マリン』
ハバキネスは、二人に声を掛けた。
『あなたがたの中にも、強い憎悪がある──アストーアとテンクルジヴァーの大戦争で、あなたがたは幼くして戦災孤児となった。大切な家族を、失っていますね』
全知全能のハバキネスに対して隠し事など無意味。言い当てられ、クレアとマリンはうなずくしかなかったが──クレアは静かに言った。
「それが今、なんの関係があるっていうのよ」
マリンも、挑むように言う。
「私は、悲しみのない世界を作りたい──そう思って、ここまできました。その原動力が憎しみだというなら、その通りです。それが何か、いけないことですか!」
驚いて、ノクトは二人を見る。
彼女たちは戦災孤児だった──だからマリンは、憎しみという衝動で生きるノクトに、その気持ちがわかるからこそ、生き抜くよう怒ったのかも知れないと、初めて察した。
ハバキネスは言う。
『憎しみを胸に秘めつつ、悲しみのない世界をつくりたいと思うこと──過去の《古の民》には到底できないことでした。嬉しく思います』
ハバキネスが言わんとすることは何なのか……彼らは固唾をのんで聞き入る。
『クレアとマリンは東のアストーア出身……』
白銀の竜は、下界で猛然と展開する広範囲の戦争に目を落とした。青い国旗側の軍隊がアストーア。その反対に展開する赤い国旗が、その敵対国のテンクルジヴァー。
だが、ハバキネスの言葉に、一人だけ衝撃を受けている人物がいた。
「クレアと、マリンが……アストーア出身だって……!」
その声はトロントだった。
「どしたの……?トロント」
クレアが不安な声をあげた。まさか──
「オレは西のテンクルジヴァー出身……テンクルジヴァーの元尉官だ……」
「な……!」
「お前ら……まさか、アストーア人だったのかよ……」
低い声で、唸るようにトロントは言う。
トロントは尉官時代、アストーアの兵隊に、部隊の仲間たちを虐殺されていた。
その現場は地獄のようで──捕獲された仲間たちは尊厳なく、娯楽の対象、怒りのはけ口として、無残に殺された。
心を通わせた部下、時間をかけて信頼を培った仲間たち。
彼らはただ笑う敵兵士たちに慰み者にされ、バラバラに切り裂かれ、埋葬されることもなく戦場に放置された。
トロントは独り生還してしまい、アストーアの人間たちを絶対に許すことはできないと、地面を叩きながら壮絶に怒り狂った。
ノクトとハルジオは衝撃を受ける。彼らは、お互いが憎しみ合う仇同士であったと──?
「それは、こっちのセリフです……」
苦々しくマリンはつぶやく。
マリンは過去を思い返していた。
家の中まで侵入してきたテンクルジヴァーの兵隊たちに父と弟を惨殺された。
母はマリンを庇って死んだ。
彼女は冷たくなっていく母の下で、泣きながら息をひそめてどうにか生還する。
しかし、九才まで過ごした家は焼き払われて孤児となる。
その後の人生は地獄のようだった──師と仰ぐ、大導師マルウスと出会うまでは。
「トロント、あんた、テンクルジヴァーの……しかも尉官って……将校だったんだ……」
クレアは、トロントを睨みつけた。
彼女も、この戦争で両親を失っていた。
天涯孤独となった彼女は祖父に引き取られるが、戦争によって環境が悪化し、あらゆる死体を媒介として流行り病が蔓延した。
その流行り病によって、唯一の血縁だった祖父も逝った──彼女はただ独り、戦場で生きた。
そんな中、とある兵士に拾われ、剣を学び、戦士としての腕を上げていく。
そうして、現在のエリオス王国にたどり着いた。
双方が睨み合う。幻獣ハバキネスを前にして、このグレートワイツの奥地までやってきた今……ぶつけられた真実によって、結束が崩壊してしまうのか……
しかし、先にふうと息をついて緊張を緩めたのはクレアだった。
「言うて、別にトロントに直接家族殺されたわけじゃないし……」
口をとがらせて言う。
「今まで一緒に戦ったこととか、なかったことになるわけでなし……」
気持ちの整理をつけて、クレアは言った。
そのクレアの言葉のあとに、息をついてマリンも続ける。
「そうですね……たまたまそこに生まれ落ちた、というだけです。手を直接下されたわけじゃない、です……。私たちの間で積み上げたものが、なくなるわけじゃありません……」
それを聞き、心底ほっとしたのはトロントのほうだ。
「一人袋叩きにされるかと思ったぜ、今……マジで」
「袋叩きにしたい気持ちも全然あるけどね」
クレアの軽口が戻る。トロントは「おいおい……」と困ったように言って、続ける。
「まあ……オレが本当に心から許せないのは、オレの部下や仲間を、娯楽みてーに、楽しむように殺しやがったアストーアの奴らだ……クレアとマリンだったら、多分敵として立ってもそんな事はしない──戦うとしても、敬意を持って相手と戦うはずだ。オレはそう信じる」
そして、更に安堵していたのは、外野に立つノクトとハルジオだ。
「焦った……」
「仲間割れ起きないで、本当によかったです……」
ハバキネスは大きく翼を広げ、世界に凛とした声を響かせた。
『人を憎まず、罪を憎むことで、それを糧としてより良い人生を歩むことができる──』
その言葉は、ノクトの胸に届くか否か──
『さあ、戦いの途中です。来なさい、人間たち──私に人の強さを証明して!』




