第四十五話 幾星霜の命を紡ぐ
ノルツを倒した五人は、再び青い草原を離れ、歴史の断片を閉じ込めた不思議な世界に立たされていた。
いま断片として流れているのは、世界の歴史ではない──ハバキネスのその後だ。
ハバキネスはヴァリスを失い、ノルツも失った。
そして、討論が決裂したことで、世界の全てが彼女の敵になった。もはやここに住まうことは許されなかった。
それでも諦めずに、幸せの正体を探す旅に出る。
幸せが何なのか、もはやもう誰にも分からなくなっていた──今のこの世界に、それがないのだから。
ハバキネスはその後、たった一人で、孤独に世界を変えるために歩んでいく。
一人でも納得し、誰かが頷いてくれる答えを探した。
彼女はエルフ。願いの魔法を使わないことを決めた彼女の寿命は千年。
遥かな異邦を旅した。
世界の果て。
砂の世界。
滝の中の王国。
海の宮殿。
美しき鏡面の国。
浮遊大陸。
更なる古代文明の根源。
そして、千年の旅の終わりに辿り着いたのは、人類の記憶が散りばめられている命の庭園。
そこで彼女は己の全ての魔力を使い、全人類の記憶と、全ての願いを叶える力、その二つを己の中に吸収した。
人はもう、ただの人──
人類はかつての記憶を失った。そして、強大な魔法も同時になくした。
(《夢幻界》の人々をただの人間に変えたのは、ハバキネスだったのね……)
伝承を読み込んできたマリンは咄嗟に理解する。あの矛盾する伝承は、全て正しかったのだと。
ハバキネスは更に、人々の人生にありとあらゆる困難を与えた。
今までとは全く違う暮らし。
火をつけるのであれば、乾いた木と木を擦り合わせて、煙がたつまでそれを擦る。
衣類が汚れたら、水に付けて洗い、絞って乾くまで待たなければならない。
そんな地を這うような生活に耐えられなくて自害を望むものもいたが、彼女は諦めなかった。
人々が不和と嘆きに満ちたとき、ハバキネスはそれらの感情を吸収した。また、不和の原因となる怒りや妬み、憎悪を吸収して人々の心のバランスを保ちながら、自立していけるように困難を与え続けた。
初めて人々が自ら努力し、種をまき、自身で食事を作り、笑い合ってるのを見た時、ハバキネスはたまらなく嬉しく愛おしく感じた。
(困難が、苦しみが……人と人を結び付けている──)
ノクトは、自分が本当につらいときに、親身になって助けてくれたエイトのことを思っていた。
エイトと固い絆で結ばれたのは、何故だったのだろう。
多分、天涯孤独になったオレのことをほっとけなかったんだ。エイトは、優しいやつだから……
一方で、ハバキネス自身は絶望や不和の心を吸いすぎたせいで、暗く闇深い、おぞましい見た目になっていた。
それでも人類を信じ続けて、支えていた。
人が大好きだから──
たまに失敗し、どうしようかと考えて、協力することこそが、真の人の生。
苦しみや困難を、人は乗り越えることができる。小さな幸せがありさえすれば──
(苦しみや困難を乗り越えるための、小さな幸せ──)
ノクトは再び考えていた。
小さな幸せってなんだ。
今のオレに何が遺されている?
姉さんを失ったオレには、なにも──
仇を撃てば、もういらない命なんだ。ずっとそう思ってここまで来た。
全知全能のハバキネスが、遠くから念話で話しかけてくる。
『ノクト、本当にそうですか?』
「ハバキネス……!」
『アイリーンを失ったあなたは……努力で病弱を克服し……戦うのに遜色のない肉体を手に入れた。新しい家族を得て、仲間を得たのではないですか……?』
「あんたに……あんたなんかに、何が……」
言いかけて、この人も大切なものを亡くして歩んできたことを思い出し、語調が弱くなる。でも、と弱々しく言う。
「オレにはもう、何も無いんだ……無いんだよ……」
『確かに、何も無かった時がありましたね……その時を、あなたはよく生き抜きました。でも、今はもう違うのではないですか?』
「今……」
ノクトは初めて《今》に目を向けてみる──
『あなたが無いと思えば、何も無いのです。でも、あると思えば、本当はそこにあるのではないですか?……「何も無い」と、エイトの前で、言えますか?』
「エイト……父さん……」
ノクトは小さく、小さく呟く。
それは、物心ついた頃から親のいないノクトが、初めて口にした言葉だった。
一度でもいい、エイトにそう呼びたかった。
でも、呼べなかった。
ずっと、ずっと、自分なんかのために、迷惑をかけて申し訳ないと思っていたから。
それなのに、なんでだ。
後悔が押し寄せてくる。
ハバキネスは、さらに続けて言う。
『仲間たちの前で「自分には何も無い」と言ったら、彼らは悲しむのではないですか?』
ノクトは周りを見渡す。共にここまで来た連中と目が合った。この念話はノクトと全知全能のハバキネスの間にだけ成立しているようで、彼らには聞こえていない。「どした?」という顔をしている。
まただ。視界が急に歪む──
ハバキネスは、さらに言う。
『ナイトスコーピオンとなったアイリーンの前で、「自分には何も無い」と、言えますか?』
は、と肩に乗るアイリーンを見る。
憎悪に塗りつぶされた心で気付けなかった。でも、アイリーンはずっと、ずっと、そこにいてくれたんだ。
「ごめん、アイリーン……ごめん……」
小さなアイリーンに触れると、ノクトの目から、とめどなく、涙があふれた。
大丈夫よ、と言わんばかりに、アイリーンは優しくノクトの頬を擦る。
仲間たちは急にノクトがぼろぼろと涙を流したので、心底驚いて慌てて、各々が支えようとする。その様子は、まるで温かく日がさしたようだった。
ハバキネスの人生は進んでいく。彼女はおぞましい見た目になりながらも、隠れた喜びに勇気をもらい、次第に白銀の竜に近づいていった。
あらゆる力や感情を吸収し、もはや人の原型は無くなった。エルフとしての寿命もとっくに終えていた。
それでも尚、人の幸せを見たい──
そうして、この姿が《幻獣》とよばれるようになったのだ。その時は自身の努力を振り返り、嬉し泣きもした。
千年という寿命を遥かに越え、万年にも及ぶ旅の末、自身はおぞましい見た目になりながらも人の可能性と未来を信じ、《人》の勇気を照らし続けた。小さな喜びによって、少しずつ白銀の竜と成っていった。
それが、《幻獣ハバキネス》の全て。
五人は、塔の屋上で目を開けた。
まるで長い長い眠りから覚めたようで──
しかし、全て、夢ではなかった。
目の前には、虹色の翼を持つ白銀の竜が鎮座していた。




