第三十四話 君に背いても
薄暗い塔内から屋上に出ると、空からの光はより強く──あまりの眩しさに、先頭を歩くノクトは目を細めた。
それは、空の光ばかりではない。魔力の集結点、この塔が温かく輝く理由──
虹の翼を持つ白銀の竜が、塔の屋上に翼を閉じて座していたのだ。
五人は一目見ただけで理解した。
「幻獣……ハバキネス!」
ついに出会うことができた。
幻獣調査団の悲願。
全知全能、全ての事象を知るハバキネス──
五人は、それぞれの胸に去来する思いに、しばし言葉を失った。
『よくぞ、ここまで辿り着きました……』
厳しくも優しい、凛々しい女性のような声が、直接脳内に伝わってくる。
『あなたがたの行いをここで見ていました。アーティファクトを盗むことなく、危険を賭した上で正しく通貨を支払ったこと、また誰も悪に傾かなかったこと、評価しますよ』
驚いてハルジオは言う。
「あの不用心なアーティファクトは、心の有り様を試す試練の一つだったのか……!」
確かにここにいる面々は基本的に根が善良で、わかりやすい悪事を働くような者はいない。というか、そのような者は幻獣調査団の試験には受からないだろう。
「……みんな、すまない……」
突然ノクトが謝罪をしながら、抜け駆けするように一歩前に出る。
「ノクト……?」
ハルジオは何だか胸を突かれたように──不吉な気配を感じながら彼の名前を呼んだ。
ノクトはハバキネスを正面から見据えて言う。嫌な風が吹いていた。
「あんたは全知全能、全ての事象を識ると聞いている。なら──三年前にこの島にやってきた幻獣調査団の行方を知らないか。姉さんが──」
ノクトは堪えきれず、迷子の少年のような、苦しそうな、切迫した声で叫んだ。
「アイリーンの体が、この島のどこかに、今もあるはずなんだ……!」
トロント、クレア、マリンは驚きのあまり──ノクトの後ろ姿をただ見つめることしかできなかった。
アイリーン……ナイトスコーピオンのアイリーンが、姉の名前を冠しているとは、彼らは聞かされていなかった。
「アイリーンって……お姉さんのこと……だったの、ノクト……」
クレアは心底驚き、つぶやくようにそう言う。しかし、ノクトの耳には入らない。
「せめて、埋葬を……姉さんの身体を、埋葬させてほしい……顔を見て、ただ、手を、握りたいんだ……。そして、自分のなかで、最後の区切りに、したいんだ……」
もう三年も経過している。どこかで亡くなっているのであれば、肉体は風化しているだろう。
身体を鍛え、幻獣調査団の試験に受かり、この島の探検許可を得るまで、ノクトにとってはこの三年が必要だったのだ。
それでもまだ三年──どこかに肉体が残されていてもおかしくはない。
もしハバキネスがそれを知るならば、ノクトの、そして幻獣調査団の悲願が一つ叶うことになる。
銀色の竜であるハバキネスは、先程までの凛とした声ではなく、優しげな声で言う。
『知っていますよ』
ノクトに、傍から見てわかるほどの緊張が走る──
「それを……それを教えてもらうには、あんたの試練を達成すれば──?」
『いいえ』
ハバキネスは竜の首を横に振る。
『あなたがたは、フェンリルを倒した証たる青き宝石を持つ。強敵である我が守護獣を倒したあなたがたに報いるため、教えましょう』
ドクン、と杭を打たれたかのようにノクトの心臓が高鳴る。
『しかし──』
白銀の竜は目を細めてノクトを見つめる。
『あなたの望むような結果ではないかもしれませんよ。それでも、いいのですか?』
ノクトは緊張のあまり胸が苦しくて、肺まで空気が回ってこないのを感じていた。
酸素がうまく取り込めず、心臓が悲鳴をあげている。
だが、ここで倒れたら、オレは……なんのためにここまで──
十三歳の貧弱な少年だったあの頃。
なんの為に虚弱を克服して……幻獣調査団に入って!なんのために必死に戦ってここまで来たんだよ!
ノクトは必死に呼吸を整えて、呻くように、叩きつけるように言う。
「構わない……!真実を、知りたい……!」
ノクトの葛藤と決意を見て──
『あなたの覚悟を、受け取りました』
そして、ハバキネスは神が宣告するかのように、ゆっくりと、容赦ない言葉を降らせた。
『メルソン村には、食人の良からぬ風習が未だ在る。アイリーンの肉体は残されていません』
その言葉は、ノクトの未だ十分に人間らしい柔らかな心を殺せるだけの威力を持っていた。
あの、村に、食人の風習──?
何を言われたのか、暫く理解できない。
肉体が、残されてない──
つまり……?
埋葬をすることすら……
手を握ることすら……
少しずつ理解が及んでくる。
頭が、この恐ろしい事実を、侵食する毒のように、理解してしまう。
救いようのない事実など、理解できぬほうが幸せだったのに──
ノクトは半ばパニックを起こしかけ、額から汗を流し、肩で荒く息をしていた。
更に、ハバキネスは言う。
『見せましょうか、ここまで来た、あなたに──アイリーンの最期を』
「ダメだ、ノクト!」
ハルジオが半ば泣きながらノクトの背中にしがみついた。
「そんなの、君が見る必要ない!」
しがみついたハルジオにだけはわかった。ノクトの身体は恐怖と悔しさ、亡骸となった姉の手を握ることさえできない寂しさ──それらに押し潰されそうになって、小さく震えていた。
だが、それでも──ノクトは震える手で、ハルジオを優しく押し退けた。
「ごめん、ハルジオ……オレは、知らなきゃ、いけないんだ……」
それを知る機会は、今を逸したら、二度と訪れない。
最早、事実が風化してしまった三年前。村人は黙秘するだけで全てを隠蔽できる。ハバキネスの超常の力を借りることでしか、真実に辿り着くことはできないだろう。
ノクトは胸に走る激痛に耐えていた。それはフェンリルにやられた怪我なのか、悲しみから来る胸の痛みなのか、それとも呼吸器の炎症なのか──あまりにも心身がボロボロで痛みの由来などもうとっくにわからなかった。
ただ耐え難い苦しみに喘ぎながらも、それでも必死にハバキネスに向き直る。
そして、その言葉を口にする。
「姉さんの最期を……オレに見せてくれ」
ノクトは、真実のために、進まなければならなかった。それが、どんなに見たくない光景が広がる、地獄のような、自分の息の根を止める道だったとしても──
ハルジオは、ノクトの本当の心を映す鏡になってしまったかのように、滂沱の涙を流しながら、拒絶を叫んでいた。




