第二十九話 闘争本能は黙らず
「ノクト……」
震える声で、ハルジオが、悪夢にうなされるかのようにつぶやく。
ノクトの腹部から胸部にかけて、鉤爪が容赦なく抉り込まれていた。それは、命を奪う威力の──
だが、ノクトは激痛に耐えながら、サバイバルナイフを抜いた。そして、フェンリル分身体の弱点である左前足に、それを鋭く投げつけた。
「グオォォ……!」
サバイバルナイフが見事に弱点を穿ち、一気にフェンリル分身体が霧散する。
「うっそぉ……そんな状態で……やったの……?」
クレアが驚いて叫ぶ。
しかし、もうノクトの上半身にはもう力が入っておらず、突き刺さった爪に半ば吊るされたような状態になっていた。
フェンリルは、ノクトの胸部から抉るように爪を引き抜いた。そして、その口で、左前足に突き刺さったナイトブレードを咥えて抜き放つと、それを捨て、素早く後退した。
ノクトは、自分を支えていた爪が引き抜かれたことで、朦朧とする意識の中でガクリと膝をつく。そして、地面を赤い血の色に染めた。それでも、意識だけは保ち、激痛の中で喘ぐように声を絞り出した。
「ヤツ……を……」
トロントとクレアは、ノクトが命賭けで作ってくれたこの勝機を逃すわけにはいかないと、フェンリルに即座に向き直る。
ハルジオは、膝を落として立ち上がれないノクトを必死で支えた。マリンは彼の傷の状態を今すぐにでも確認したかったが──
ウォォォォォォォォォン──
耳を突き刺すような、フェンリルの遠吠えによって阻まれた。
彼らは再び、前回のフェンリル戦の悪夢を思い出す──遠吠えを続けられたら、魔物たちが集結してしまう。
「……だめだ!」
ハルジオは絶叫する。今これ以上、敵が増えたらまずい。
「やらせるかよ!」
トロントは空を向いて遠吠えをするフェンリルの喉元に、ソイドを投げ込んだ。
敵意に敏感なフェンリルはそれを察し、ガキッ!と円盤状のソイドを牙で咥えて受け止める。
「おいおい……どういう反射神経してるんだよ……」
トロントは思わず悪態をつく。しかし、ソイドを咥えさせたことで遠吠えは止まり、最悪の事態は免れた。
しかし、どうする──一刻も早くこの戦闘を終わらせなくては。ノクトの状態が心配だ。しかし、どうやって──
「もうさあ、いい加減に……しなよ」
驚いて、トロントは低い声がしたほうを見る。
普段はのほほんとした雰囲気のクレアから初めて感じる、強い殺意。
「許さないよ。仲間、傷つけて……」
「クレア……!」
狂戦士のような、すさまじいまでの怒りのオーラ。
その時、ハルジオのフライングボットと一緒に探知していたナイトスコーピオンのアイリーンが、緊急アラート音を伝える。フライングボットたちも、赤い警告の光を輝かせて上空を飛び回る。
「まずい!さっきの中途半端な遠吠えで、狼たちがこっちに近づいている!」
ハルジオが危険を察知して叫んだ。フェンリルの後方からガサガサと、大群がこちらに接近してくる音が響き渡る。
その音の主たち──狼たちがこちらに合流するのを待ちながら、勝ち誇るフェンリル。
「どうにも……ならねえのか……?」
そう言うトロントの額から、緊張で汗が一筋流れ落ちた。
その時、半ば意識を失っているノクトが、ハルジオの支えからすっと抜け出した。
無意識下の状態で薄く目を開き、ナイトブレードの代わりに落ちているサバイバルナイフを拾い、フェンリルの方へとゆっくりと歩き出す。
倒したはずの相手が立ち上がってきて、知能の高いフェンリルはグルルルと低く唸り、不快感を催した。
「ノクト……!」
武術を極めた者は、意識がなくても戦い続けると言われている。まさにその状態だった。しかし──
「ダメ!」
無意識の闘争状態の彼に近づくのは危険だったが、マリンが命を賭けてノクトの腕を引いて止める。
胸部からの出血が全く止まっていない。
このまま戦わせたら死んでしまう──今何の手段もないとしても、こんな怪我人を戦わせるわけにはいかない。
「……ノクト、マリン、いーよ……私が、全部倒してあげる」
狂戦士のオーラをまとったクレアが、殺気立った声でそう言った。左手には、赤い炎のような玉石が握られている。
ザザザザ、と後続のオオカミたちが合流してきたと思った瞬間、こちらに向かって飛び掛かってくる。
それを待っていたのだ。クレアは赤い玉石をグッと握り、粉々に割る。これは、幻獣調査団の創始者マルウスが開発した特別な玉石。一度しか放てない、特別な必殺技を放つためのもの。
炎のようなオーラを身に纏い、劇的に威力が向上した魔剣で迎え撃つ。
「ソウルブレイク……《気炎両断》!」
クレアは玉石のオーラを解放するとともに、巨大な魔剣を水平に斬り結んだ。
その威力は絶大で、飛び掛かってきた全ての狼たちを二つに切り裂いた。
そして──
狼たちの体が両断され、驚くフェンリル。
その瞬間の隙を狙って、トロントのソイドがフェンリルの顔面を狙う。
フェンリルにソイドは効かない。再び口で受け止められる。
だが──
本命はソイドではない。
フェンリルがソイドを咥えたその瞬間、完全なる死角が発生する。クレアはその死角を狙って猛然と突進する。そして跳躍。
「くらえ」
アーティファクトのジャンプウィングが白く光り輝く。
彼女は、凄まじい威力とスピードをもって、魔剣をフェンリルのみぞおちに深く突き込んだ。
「ウオオオオオン!」
木立の間に響くフェンリルの絶叫。
仲間たちは固唾を飲んで見守る──
あまりに深い傷口に、さすがのフェンリルも耐えることはできなかった。
どうと倒れ、その姿は光の粒となってゆっくりと消えていった。
フェンリルはハバキネスの守護獣。倒され、ただの魔力へと戻っていったのだろう。
後には、不思議な青い宝石が残されていた。
「クレア、お前、すげーな……」
思わず安堵のため息をついたトロントは、クレアの肩にポンと手を置いた。
「うざったかったし、許せなかったんだ……ノクト!」
クレアは後ろを急いで振り向いた。ノクトはすでに意識を失って倒れ込んでいて、動かなかった。




