第二十八話 爪牙は霧の中に
「しつけぇ……!あのフェンリルの奴、また来やがった!」
トロントが叫んだが最後、すでに強制的に戦闘は開始していた。
包丁のような鋭さの鉤爪が、五人をなぎ倒すかのように振り下ろされる!
みんなが後ろにいる。回避するわけにはいかない──
ノクトは、すでに抜刀していたナイトブレードに「頼むぞ」と一瞬だけ祈りを込める。すさまじい勢いで迫りくる鉤爪の鉤部分をナイトブレードで引っ掛けるようにして攻撃をそらした。
ガキィン!と、爪と刀が一瞬だけぶつかりあって文字通り火花が散った。成功だ。
ぶわっ、と、去っていった死の気配に冷や汗が噴出する。だが、この成功の余韻に留まると、刹那に次の死の気配を呼び込む──
「いけ!」
素早くノクトは叫ぶ。
トロントとクレアが反撃に飛び出す。
先手必勝とばかりに、二人は同時攻撃で斬りかかる。しかしフェンリルは察しよく、後ろに大きく引いてそれを避けた。
フェンリルは初動の攻撃を弾かれたからといって、一気に畳みかけるようなことも、勢いで襲い掛かってくることもしない──獣とは思えない冷静な反応だ。トロントはそう思い舌打ちする。
「クソッ小賢しい……!」
トロントはそれ以上突っ込むのをやめて、片手剣を構え直し、いつでもソイドを飛ばせるように準備する。
すると、フェンリルからゆっくりと霧が立ち込める。
「また、霧〜!」
うんざりした声でクレアが叫ぶ。しかし、それをトロントが油断なく制する。
「いや……この前とは、なんか違うようだぜ」
フェンリルは霧を噴出し、それが固まっていく。
「……分身した!」
ハルジオが叫んだ。霧が新たな、別のフェンリルを生みだした。本体と分身が二体──計三体だ。サイズは本物と全く変わらないし、今となってはもはや見分けもつかない。
「いやいや……どうせあれだろう。霧でできてるから実態がない、ただの目くらまし的な……」
そう言うトロントの顔面に分身の鉤爪が飛んでくる。ノクトがトロントに飛びついて彼を押し倒し、その鉤爪を見事に回避できたものの──彼らがいた場所は大きくえぐれて土が掘り返された。
「ノクト……すまん」
「問題ない」
「あいつ霧のくせに実体があるとか……んな、バカな……」
「厄介だな……来るぞ!」
巨大なフェンリルの、三体同時攻撃。全てが実体を持った状態で──
死を招く恐怖の鉤爪が、前衛の三人を襲う。クレアは後ろに跳んで後退し、トロントはなんとか鉤爪を受け止める。ノクトもすさまじい集中力で、鉤爪をナイトブレードで引っ掛けるようにそらした。
「あぶねえ、全員無事で何よりだぜ」
「──だが、時間の問題だな」
「そういうこと、言う〜?」
前衛三人は軽口を叩きあうが、それほど余裕はない。
一方マリンは後衛で、敵の術式について考えていた。
「霧でできていることは間違いないはず……今実態があるのは、術式が成功しているから……ならば、術式を崩せば……」
マリンは目を閉じ、心の目で魔力の流れを体感する。すると、フェンリル達の左の前足に、魔力の流れが集中しているところがある。
「分身体の、左の前足、手のところを狙ってください!そこになにかあります!」
そのマリンの指示を聞いて、フェンリルに察される前に、トロントは即座にソイドを精密に投げつけた。
それはかわす暇もなくフェンリルの左前足に突き刺さり、何かが弾けるような甲高い音がした。
「ウオオオオン……!」
一鳴きしたと思うと、フェンリルの分身は白いモヤとなって霧散した。
「やったぜ!」
トロントは思わずガッツポーズをきめる。
クレアははしゃいで喜んだ。
「ナイス〜トロント!マリン!あそこに術式の弱点みたいなのがあるんだね」
「そうとわかれば……」
ノクトは、残りのフェンリル二体に対してナイトブレードを構え直す。分身は本体と見分けがつかない状態だが、位置が入れ替わるような動きはしていない。
つまり──今、右側にいるのが分身だ。
右の分身が、ノクトのほうへと突進してくる。落ち着いて敵の攻撃を見据えていれば、エイト直伝の優れた回避能力をもつノクトには絶対に当たらない──筋肉の動きを見て鉤爪の攻撃位置を予測。
ギリギリのところを見切って完全にかわすと、フェンリル分身体の弱点である左前足を的確に地面ごと突き刺して貫いた。グルルッとフェンリルが痛みで唸る。
「さすがノクト、やるぅ〜!」
歓声を上げるクレア。しかし──
フェンリルの目が怒りに燃える。消えない。
「どう……して……」
マリンが絶句する。
フェンリルはもう一つのスキルを持っていた。それは、本体と分身を密かに入れ替える技──
ナイトブレードは、フェンリル本体の左前足を貫いているものの、敵がそこに力を入れているため抜ける気配がない。
一瞬迷うが、このままここにいては危ないと判断し、ノクトは抜けなくなったナイトブレードを手放して後退しようとする。
その瞬間、横から分身のほうが突進してきて、ノクトの首を切断しようと爪を繰り出してくる。
それを極限の反射神経で回避した。
しかし──
回避で体が浮いたところに、今度はフェンリル本体の──ナイトブレードに釘付けにされていない方の、右の鉤爪が迫り来る。
「ノクトォ!」
トロントはノクトの腕を引こうと手をのばす。今引っ張ればまだ直撃は避けられる。
──しかし、ギリギリで、届かない。トロントの手は空を切る。
四枚の包丁のような鉤爪が、下から抉り込むように、ノクトの腹から胸を切り裂きながら深く、深く入り込んだ。
──それは……ダメだろ……
その絶望的な光景を、トロントはただ眺めているしかできなかった。




