第二十一話 ある一人の願い
【前回までのあらすじ】
ノクトは、マリンの言うことを完全に理解できた訳ではなかった。
しかし、必死にその言葉を聞き、自分自身が倒れず、生きるために努力してみようと約束した。
狼の群れから必死で逃走した結果、分断されてしまった幻獣調査団の面々。
極度の疲労から回復したトロントが、クレアをおんぶして引き返してきてくれたことで、無事に全員が合流できた。
マリンは、トロントとクレアに対して「ノクトが胸部を打撲してしまった」という、真実とは異なる説明をした。病状に関係する事柄なので、思いやって伏せてくれたのだろう。
ハルジオは、マリンの優しさを感じて温かい気持ちになった。
偶然だったが、顔色の悪いノクトの唇についた血が、その嘘の説得力を増していた。
びっくりして、トロントは心配する。
「マジか……骨とか大丈夫かよ、ノクト。最後尾、キツかっただろ……無茶させちまったな、すまん」
「大丈夫だ……全員無事で、本当に良かった」
まだ足元がふらついているし、ひどく苦しそうな声で絞り出すようにノクトが言うので、トロントはなんだか目頭が熱くなった。
本当に命を賭けて皆の最後尾を務めてくれたんだと、ただ純粋にそれが感じられたからだ。
そして、それは紛れもない事実だった。
「ノクト~。傷薬、めちゃ効いたわ~」
トロントにおんぶされたクレアが、傷付いていないほうの手を差し出した。
ノクトはまだ胸が辛そうだったが、それでも、ふっと軽く笑うと、差し出された手を軽くパチンと打ちつけた。
やっと全員の無事を確認して人心地ついたようでいて、まだ油断はできない。
「追っ手がかかるかもしれないから、ここですぐ、という訳にはいかないが……少しここから逸れたら今日はもうテントを設営しよう。二人を休ませたい」
テントを設営、という自分の言葉で、トロントは「あっ」と思い出してしまって渋い顔をする。テントを完全に置き去りにしてしまった。
「あ、それなら」
ハルジオがそれを察して言う。
「さっき、フライングボット三機でテントや野営道具を回収させておきました。
ありますよ、トロントのテント」
「マジかー!お前天才か!ありがとう!」
信じられないファインプレ-を見たような顔で、トロントは喜んだ。
今夜も、なんとか無事に夜を越せそうだ。
◆
かくして──
もう少し歩いた場所で、取り戻したテントを設営することになった。
ノクトは疲労の色が濃く極限状態にあって、もう休んでいい、と思った瞬間に崩れ落ちるように倒れてしまった。
ハルジオが慌ててそれを支えたので、頭を打つような大事には至らなかった。
草原の柔らかい草の上に、彼のマントを外して敷く。その上に寝かせて、首が苦しくないよう頭の下に毛布を丸めて置いてやる。
とにかく、テントを急いで設営しなければ。
動けるメンバーで、可能な限り早く設営を行った。
「全く……無茶しやがって……」
無事にテントが完成し、トロントがノクトを背負って中へと運び込もうとするが、見た目に反して彼の体重が軽すぎて心底驚いた。
背負うために掴んだ腕も、異常に細すぎる。
しかし、戦士としての筋肉がついていない訳では当然ない。
体自体は、必要な箇所に必要な筋肉がついており、全く無駄がない。
むしろ余分なものなど全て削ぎ落としたような、ストイックで強靭な体つきだ。
そのはずなのに──この違和感はなんだ。
狼を背負ったつもりが鷹だった、というような感じだ。
骨が異様に細いのか……?
「なんなんだこいつ、この軽さ……これで中身しっかり入ってんのか……?飯、食ってたっけ?」
野営の時は、ノクトはいつも少し仲間たちから外れた場所で、よく周囲を警戒しながら食事をしていたな、と思い出す。
よくわからないが、今度はもっと食ってる内容を見て、少ないようなら一言文句を言ってやろうと思った。
戦士ならもっと飯を食え、飯を、と言ってやらねば。
どこかを打たないように、ノクトの体を優しくテントの中に寝かせてやる。
一応、熱が出たり、どこか新たな外傷があったりするようではなく、限界に達して気を失ってしまっただけのようで、呼吸もそこまで苦しそうではない。
これならしっかり休めば回復するだろう、とトロントは少しだけ安堵した。
「なんか今、私の体重が案外重かったみたいな心の声が聞こえたんですけどぉ」
既にテントの隅で休息していたクレアが、暗がりにいる怨霊のように恨みたっぷりにつぶやいたので、トロントは「ヒッ」となって、
「クレア!いたのか!何も言ってねえ!」
と叫んで、さっとテントから逃げていった。
◆
奇跡的に追っ手がかかることもなく、思いのほか平和に時は過ぎていた。
肩を怪我したクレアは鎮痛剤がよく効いていて、マリンの処置を受けた後はスヤスヤとよく寝ていた。
ノクトも昏々と眠り続けていて、起きる気配はない。苦しそうな眠りではなく穏やかな眠りだったので、その様子は皆を安心させた。
アイリーンも、テントの中で脚を畳んで丸くなっていた。
「これでよし、と……」
マリンは、二人が目覚めた時のために、食べやすいスープを作っている。
しっかり塩漬けにした羊の肉と、植物知識を駆使して近隣から取った香草。
それらをコンパクトな鍋に入れて、煮込んでいた。
「本当に助かります、マリン」
ハルジオが、よく働くマリンに穏やかに話しかけた。
「ノクトとクレアの武器の研ぎ直しも終わったので、何か手伝える事ありますか?」
「ありがとうございます、ハルジオ。
そうしましたら、すぐ近くにある川に、一緒に水を汲みに行っていただいてもいいですか?水が心許ないので……魔導濾過装置に通してストックしておきたいのです」
「もちろんだよ。行こう行こう」
トロントは周囲警戒のため、テントの周りを離れたところで見張ってくれている。
マリンとハルジオが連れ立って歩いていると、穏やかな雰囲気が倍加するかのようだった。
◆
二人は、せせらぎのような川の近くへと膝をついて、簡素な鍋に水を汲む。
透明度が高く美しい水がさらさらと流れていて、ハルジオはこれまでの死闘を思い、その美しい景色との落差で急激に癒されていた。
「私……」
ハルジオの癒しを知ってか知らずか、ぽつんとマリンがつぶやくように言う。
「人が憎しみに染まらなくていいような……もっと、優しい世界を……作りたいんです」
「マリン……」
ハルジオは、はっとして彼女のほうを見る。
いつも穏やかで、誰かを思いやり、棘がないマリン。
そんな彼女から、芯のある強い思いを感じた。
「だから、ノクトを見ているとちょっと辛くて」
マリンは困ったように笑った。
「彼は何も悪いことをしてない。
あの人は被害者なのに……強くならなければ生きられなかった人だと、わかっているのに……なんだか悲しくて、怒ってしまいました。
私、だめですね。後で謝らないと」
「……マリンの気持ち、多分、ちゃんとノクトに伝わってますよ」
ハルジオは、心からそう思って言った。
「それに、そんな優しい世界が来たらいいなって、本当に……僕も、そう思うから……」
祖父マルウスは、そういう世界を作ろうとしていたのかもしれないと、ハルジオは改めて思う。
マルウスは、自立式魔導体のナイトスコーピオンにアイリーンの人格を移すと、数日後に一気に老衰し、眠るように亡くなった。
偉大な祖父の死──
幻獣調査団クライメシスを作り、魔力の概念を発見し、工学を発展させ、魔工学を作り出した、あまりにも偉大な祖父だった。
マルウスは、ハバキネスを一目見ることを悲願としていた。
ハルジオはその祖父の悲願を叶えたくて、今この遥かな大地に立っている。
祖父の志は幻獣調査団のなかに、そして孫のハルジオの中に確かに息づいていた。
「マリンが──憎しみに染まらなくていい、そういう優しい世界を作りたいというなら、僕にもお手伝いをさせてください」
「ハルジオ……」
「まずは、ハバキネスに会わないとね。そして試練を突破して……」
それを聞いて、マリンは優しく微笑んだ。
全員の目的は、その先にあるのだ。
「ええ。皆で一緒に、目的を叶えましょう。誰一人、欠けることなく──」
やっとフェンリル戦から脱出できました。めちゃくちゃ強敵でした。
バトル大好きなので書いていて楽しかったです。
★やブクマ、感想などで応援いただけるとめちゃくちゃモチベあがります!!




