第二十話 迷いの末の難問
【前回までのあらすじ】
疲労困憊で、戦闘中に意識が霞んでしまうノクト。
ハルジオが命がけで、ノクトと狼の間に飛び込み九死に一生を得る。
しかし、遠吠えは続き、狼たちはいつまでも追いかけてくる。
暁の気配が空に染まり、美しく夜が明けようとしていた。
一行は夜通し狼を蹴散らし、そして敵を避けつつ、フェンリルから離れ続けた。
うまく敵に追い詰められない道を選定することができたのは、ハルジオのフライングボットとアイリーンが協力して先陣を切り、敵の探知を続けてくれたおかげだった。
道を少しでも間違えれば再び囲まれてしまい、疲弊した最後尾のノクトに即危険が迫ると思えば、感情のないフライングボットはともかく、心あるアイリーンにとっては凄まじいプレッシャーだったことだろう。
気がつくと、フェンリルの遠吠えはもう聞こえなくなっていた。
そして、狼たちも追いかける事を諦めたのか、さざ波のように引いていった。
丑三つ時から一晩中、ひたすら逃げ続けたことになる。
「助かった……のか……?」
さすがに肩で息をしながら、トロントが言う。ドサ、と尻もちをつくようにその場に座り込んだ。
「全く、命からがらだったな……。クレアは、大丈夫か?」
トロントのすぐ後ろにクレアはいたのだが、正面の敵を薙ぎ払うのに必死すぎて確認することができなかった。
マリンが介助してくれていたはずだが──今頃になって恐る恐る確認する。
「ノクトがくれた傷薬、めっちゃ効いたわ〜。今、痛み、なし!」
それを聞いていたマリンもトロントも、思わず吹き出して笑ってしまった。
「いや……生傷なのは、変わりないんだから、とりあえず、休め、よな」
ゼーゼーと肩で息をしながら、トロントはそう言った。
すると、先行していたアイリーンが戻ってきた。
フライングボット三機も明るくなってきた空を飛んでいる。
あいつらも無事だったか、とトロントは安堵した。
「ノクト、ハルジオ、お前らも大丈夫かぁ?」
と最後尾を振り向くと──
そこには、誰もいない。
早朝の薄暗い草原が広がっているだけだ。
「……え?」
トロントは冷や汗が一気に吹き出すのを感じた。
何度見ても、誰もいないし気配もない。
「そんな……そんな……バカな……」
一瞬、絶望的な考えがトロントの脳裏をよぎる。
疲労も相まって、ぐらりと世界が揺らいだ気がした。
「私、戻って探してきます!トロントは、クレアと一緒に休んでいて!」
そう言うマリンの肩に、アイリーンは急いでよじ登った。
マリンは駆け出した。
◆
マリンは来た道を必死で駆け戻る。
嫌な考えばかりが脳裏をかすめる──
皆をサポートし、全体を見通すのは《賢者》たる私の役目だったのに。
クレアを庇っていたことは何の言い訳にもならない。
いちばん厳しい状況の殿を務めてくれていた二人。それを確認する余裕さえも無かったなんて……
自責の念が寄せては返し、増幅する波のように押し寄せる。
その後悔は、疲労が限界突破しているマリンの体力を大幅に奪っていく。
どうしよう、二人がもう見つからなかったら──
最悪の想像をして、走りながら、涙が溢れそうになる。
その時、肩に乗る、ナイトスコーピオンのアイリーンが、ちょんちょんとマリンの頬をつついた。
まるで「大丈夫だから、二人を信じて」と言っているようだった。
「アイリーン……」
マリンは、アイリーンを見る。
ナイトスコーピオンには表情がないので、何を伝えようとしているかわからない。
わからないはずだが──
何故か、その姿を見ていると心が落ち着いた。
「ありがとう……。そうですね、私が諦めちゃ、ダメですよね」
マリンは気持ちを持ち直して、自責の念を振り切るように走った。
しばらく走ると、マリンは心から安堵した──木にもたれかかるノクトと、それを心配そうに覗き込むハルジオの姿があったからだ。
だが、その安堵は急激に消えていった。様子がおかしい。
「ノクト……どうしたんですか!」
「マリン……!」
ハルジオは、駆け寄ってくるマリンを見て、救われたような顔で叫んだ。ノクトは今まで見た事ないほどに疲弊した、つらそうな顔でマリンを見るも、
「……何でも、ない……」
と言い、ふいとむこうを向いてしまう。
アイリーンが、マリンの肩でどうしていいかわからずにおろおろしてしまっている。
ノクトはひどく荒い呼吸で、いつまでもそれが治まらないようだ。
木にもたれかかっていなければ立ってすらいられないのかもしれない。
あまりにも顔色が悪すぎる。
紫色になった唇には、血がこびりついていた。
「何でもなくは、ないでしょう!」
初めて、マリンが感情を顕にして怒る。ノクトは驚いてマリンを見た。
マリンには医学の心得が多少あり、症状を見て察したのだった。
「すぐに座って。本当は横になって上体を少し上げたほうがいいのですけど、今は仕方がないので……」
言われるがまま、従う。その動作すら辛そうで、ノクトは荒い呼吸のまま、息も絶え絶えに空を仰ぐ。
マリンは不思議な言葉で魔法を唱え、ノクトの胸に優しく手を当てる。
温かい緑の光がその手からあふれ、痛みを訴えていた胸部が少し楽になり、呼吸しやすくなった。
「応急手当で、炎症を少し不活性にしました。ゆっくり呼吸してください」
言われるままゆっくりと呼吸していると、遠ざかっていた意識が少しずつ取り戻される。緩く呼吸を続けると、だいぶ楽になってきた。
ノクトは浅い呼吸で、ゆっくりとため息をついた。その表情は、苦痛に満ちていた。
「情けないところを見せたな……すまない、マリン」
「……情けなくなんか、ありません!」
ハルジオは、マリンがまだ怒っていることに驚いて、彼女を見る。
一方でノクトは、彼女が何に怒っているのか全く理解できず、困った少年のような目でマリンを見ていた。
医学知識のある彼女は、理解してしまった。ノクトの本来の体質──非常に虚弱な呼吸器。背は高いものの、成長期に身動きがとれなかったための華奢な骨格の体。今それらをほぼ克服してここまで鍛えられているのは、すべては、姉の仇をとるという目的のため。そして、その原動力は憎悪だと──
聡いマリンは、全てを理解してしまったのだ。その血の滲むような努力、それをさせたあまりにも深い悲しみを察して、マリンは目に涙をためていた。
ノクトには、その涙の意味がわからなかった。
「……いいですか、ノクト」
そして、思い悩んだ末、マリンは言葉を紡ぐ。
「貴方が倒れたら、誰が貴方を運ぶのですか?」
「……?」
マリンの言わんとしていることがわからず、ノクトはただ苦しみのなかで、彼女の言わんとすることを掬おうと、必死に聞いていた。
「貴方が倒れたら、次は誰が倒れると思いますか?」
難問を言われた子供のような目で──真っ直ぐに質問を受け止め、ノクトはその難解な言葉に苦しみながら、悩みの末、答える。
「他の……だれか……?」
「……そうです。貴方が倒れたら、他の誰かも倒れるのです。
だからね……いいですか、ノクト。
貴方は倒れてはいけません。
死んでは、いけないんです。
みんなのためにも、貴方は立ち続けなさい。
……わかりましたか?」
ハルジオは、胸が詰まる思いだった。
多分、マリンが本当に伝えたいことは、言葉通りのことではないんだ。だけど──
ノクトに伝わりますように。
死なないで。
あなた自ら、死に向かわないで。
マリンは、優しくそう言っている気がしてならなかった。
自分を大事にしたことがないノクトには、完璧には理解ができなかったかもしれない。
それでも──
ノクトは、マリンがここまでして伝えたい何かを掬いあげようと、胸の苦しみの中で、必死に考えていた。そしてこれから少しでも、その言葉に応えられるよう努力してみようと、彼女の目を見ながらしっかりとうなずいたのだった。
アイリーンはちょっと辛そうに、マリンの肩からノクトの肩にうつり、大切そうに、彼と頬を合わせた。
「……ごめん、アイリーン……心配かけたね」
安堵したように、ノクトはアイリーンを撫でて、目を閉じた。




