第二話 冷酷な凶報
外にはかすかな雑踏。日中だったが、部屋は窓を閉め切って真っ暗だ。
ベッドの上で転がる物のように。ノクトはただ四肢を投げ出していた。
アイリーンは何日も戻らない。
姉が「ただいま!いや~すごく時間かかっちゃって。お誕生日に間に合わなくて、本当にごめんね」とか言いながら、食材がたくさん入った袋をかかえながらそこのドアを開ける。
そして、笑顔を見せる。
それを待つだけの日々──
ノクトにはわかっていた。
何かあったんだということ。
もしかしたら姉はもう……
最悪の想像をしては過呼吸に襲われ、ノクトは血を吐くまで咳込んだ。
パン屋のミラは一日に二回、パンと薬を運んでくれていた。
しかし、それを口に入れる力すら、もうノクトには残されていなかった。
胸が痛い。
身を起こす気力もない。
戻らない姉を待つのは、病弱なノクトにとって辛すぎた。
そんな時──
ドアが力強く叩かれた。
そして、ノクトが知らないたくましい声が聞こえる。
「おい、あけてくれ。誰かいないか。
アイリーンの友人だ。アイリーンのことで報せが……」
は、と目が覚めたように、ノクトはふらつく足で立ち上がった。
倒れないように必死にドアまでたどり着き、閂を外す。
外は日の光に満ちて、今のノクトの目には眩しすぎた。
そこに立っていたのは、大柄な男──傭兵だといわれても遜色ないぐらいの素晴らしい体躯だったが、服装はカフェ店員のようなエプロン姿で身綺麗だった。
「あんたは……?」
一方、ノクトのこれ以上ないほどやつれた姿を見た相手は驚いて、複雑な表情で、何かが胸につかえたのか、つらそうに溜息をついた。
「アイリーンのことを知らせにきた。おまえは、ノクトだな。アイリーンの弟の」
「そう……だけど……。姉さんは……?」
「調査団は全滅した」
何を──?
言葉はわかるのに、何を言っているのかわからない。
理解ができない。
ノクトは弱々しく首を振る。
「調査団……アイリーンは……?」
「死んだ」
そんな、という言葉も出せなかった。
もう、わかっていたんだ。心のどこかでは。
アイリーンがここに戻らないはずがない。
無事だったら、絶対にここに帰ってくる。
だけど帰らない──。
死んだんだ。
アイリーンはもう、いないんだ。
限界まで衰弱していた少年の意識は、完全に途絶えた。
ぐらりと体が傾き、頭から石床に叩きつけられて、自分もきっと死ぬだろう。
それでいい。姉さんに会いたい──
◆
目が覚める。
目が覚めたこと自体、納得がいかなかったが──知らない一室で寝かされていた。
小綺麗で、なんだか暖かい雰囲気の部屋だ。
寝ている間にもかなり咳込んでいたようで、うっすらと血のあとがあり、唇はひび割れていた。
気配を感じてか、どたどたと誰かが部屋にやってきた。
「目が覚めたのか!
おまえ、大丈夫か……?」
先ほどの大男だ。やっぱりエプロンをしている。そして食べやすい食事の乗った盆を持っていた。
「あんたは……さっきの……」
かすれた声で、ノクトは言う。
「オレはエイト。幻獣調査団本部の隣で、カフェを構えてるんだ。
アイリーンはお客さんでな、よく話してたんだが……弟の話も聞いてて、それで、オレが報せに走ったんだ。
とにかく、お前が助かって良かった。
あのままじゃ、どっちにしろ衰弱して死ぬところだったぞ」
エイトは話しながら盆を置いた。
スープとパンが乗せられている。
「アイリーンに聞いていた通り、呼吸器が弱いんだな。
それから、衰弱がひどい……
とりあえず、飯と水もってきたから食え。
そのままだと死ぬぞ」
「死ねなかった、のか……」
ノクトは呟く。
意識を失ったとき、この男がぎりぎりで支えて、抱きかかえてくれたのだ。
よく見たら、彼は額にでかいコブを作っていた。
また、こうやって、誰かに迷惑をかけて……
死ねば良かったのに。
でも、死ねなかったんだ……
悔しさと無力で、胸が締め付けられた。
「姉さんは、どうして……?」
「グレートワイツという島で幻獣調査を行っていたらしい。
全滅したという情報だけで、何もわからないんだ。
遺体も見つかっていない」
遺体もない……。
姉の顔を見ることすらも、叶わないのか。
手を握ることすら。
頬をすりよせる事すら、もう……
現実のものとして、悲しみが押し寄せる。
姉さんを失ったんだ。もう、戻らないんだ。
ノクトの目に涙が浮かび、ぽろぽろと落ちていった。
「こんな……こんな弱い体、いらない……強くなりたい……」
しぼり出すような、血を吐くようなノクトの言葉。
「仇を討ちたい……悔しい……寂しい……なんで、なんで姉さんが……」
エイトは、痛々しすぎて、どう触っていいかわからない気持ちでノクトを優しく見守っていた。
幻獣調査団のアイリーンとは懇意で、病弱で可愛い歳が離れた弟がいるという話を良く聞かされていた。
目に入れても痛くないほど可愛い弟だと。
こんなふうに出会うことになるとは……
出会ったときにはアイリーンがもういないとは……
心優しいエイトは、胸を締め付けられる思いだった。
ノクトはパニックになりかけて、呼吸が浅くなる。
エイトはその背を優しくさすってやる。
「わかった。強くなりたいなら、オレが鍛えてやる」
「え……?」
「もう、乗りかかった船だろう、こんなの……ほっとけるかよ。
強くなりたいなら、オレがどうにかしてやる。
だけど、キツイぞ。やれるのか?」
大粒の涙が乗ったラベンダー色の瞳で、エイトを見る。深くうなずくと、涙は落下した。
「なんでも、やる……強くなれる?」
「なれるぞ!なんせ、オレは元・百五十連キルの兵士だ。
めちゃくちゃ強いぞ!
……まあ、もう辞めてカフェやってんだけどな……」
ノクトは、わかりきったことを打ち明けるように言う。
「こんな……普通に暮らせない体でも……?」
「まあ、まずは呼吸器を改善したほうがいいな。
その上で、全部治るみたいな夢みたいな話はないぞ。
鍛えることで、おまえの弱点を覆い隠せるほどには強くなれるだろう。
めちゃくちゃ大変だぞ、言っとくけど。
あと、すぐに成果は出ないからな」
「やる!」
ノクトの目に、少しだけ輝きが戻る。エイトは破顔した。
「なら、飯を食わないとな。
飯を食わないガキは、大きくなれね~ぞ。
筋肉もつかねーし」
「……わかった。たべる……」
姉の仇を討ちたい。
そのためには、生きなければ。
食べなければ──
ノクトは、震える手で食事に手を伸ばす。
それは、死を望んでいた少年が生きるために選んだ、最初の一口だった。
彼はもう、誕生日を過ぎて、十四歳になっていた。




