表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/28

第九話 初めての休日

 土曜日。


 九条悠理は、約束の時間より少し早く駅前に着いていた。


 自分でも意外だった。


 普段なら、待ち合わせ時間の少し前に着けば十分だと思っている。むしろ、必要以上に早く行くことは少ない。


 しかし今日は違った。


 理由は単純だった。


 白峰澪との初めての休日だから。


「……早すぎたか」


 駅前の時計を見る。


 約束の時間まで、まだ十五分ほどあった。


 九条は近くのベンチに座り、行き交う人々を眺める。


 休日の駅前は、平日とは違う空気があった。


 家族連れ、友人同士、恋人らしい二人組。


 それぞれが楽しそうに歩いている。


 そんな光景を見ながら、九条はふと思う。


 自分も今から、その中の一人になるのだろうか。


 ただ本屋へ行くだけ。


 ただ一緒に歩くだけ。


 それだけなのに、なぜか少し落ち着かない。


「……珍しい」


 聞き慣れた声がした。


 顔を上げる。


 そこには白峰澪が立っていた。


「早いのね」


「白峰も」


「私は約束の時間より少し前に来ただけ」


「俺も同じだ」


「でも、十五分前でしょう」


「……見てたのか」


「時計を見ただけよ」


 澪は少し笑った。


 今日の彼女は、学校とは違っていた。


 制服ではない。


 淡い色のニットに、落ち着いたスカート。髪も少しだけ柔らかく整えられている。


 派手ではない。


 けれど、普段の完璧な雰囲気とは違う、自然な可愛らしさがあった。


「……何か変?」


 澪が少し不安そうに聞く。


「いや」


 九条は首を振る。


「似合ってる」


 その一言で、澪の動きが止まった。


「……」


「どうした」


「いえ」


 澪は視線を逸らす。


「急に言うのは反則だと思う」


「何が」


「何でもない」


 そう言ったが、耳が少し赤くなっている。


 九条は気づいたが、言わないことにした。


「行くか」


「ええ」


 二人は駅前の大型書店へ向かった。


 店内は休日ということもあり、人が多かった。


 だが、不思議と騒がしく感じない。


 本に囲まれた空間は、二人にとって落ち着く場所だった。


「まずどこを見る?」


 九条が聞く。


「小説」


 澪は迷わず答えた。


「やっぱり」


「何よ」


「白峰らしいと思った」


「どういう意味?」


「静かな時間が好きそうだから」


「……当たってる」


 澪は少し悔しそうに言った。


 二人は小説コーナーへ向かう。


 棚に並ぶ大量の本。


 九条はタイトルを眺め、澪は一冊一冊を手に取って確認していく。


「読むの早いな」


「そう?」


「ああ」


「昔から本を読むことが多かったから」


「どんな本を?」


「色々。小説も、哲学書も、専門書も」


「専門書?」


「興味があるものなら」


 九条は少し驚いた。


「白峰らしい」


「またそれ」


「褒めてる」


「ならいいけど」


 澪は棚から一冊の本を取り出した。


「これ、気になる」


「どんな話だ」


「人との繋がりについての話」


「……白峰が好きそうだな」


「そう?」


「ああ」


 澪は本の表紙を見つめながら、静かに言った。


「昔は、こういう話を読んでもあまり分からなかったの」


「今は?」


「今は少し分かる気がする」


 九条は彼女を見る。


「どうして」


 澪は少しだけ笑った。


「悠理と話すようになったから」


 一瞬。


 周囲の音が遠くなったような気がした。


 九条は何も言えず、ただ澪を見る。


 彼女は自分が言ったことに気づいたのか、少しだけ顔を赤くした。


「……今のは忘れて」


「無理だろ」


「即答なのね」


「忘れる理由がない」


「……そう」


 澪は小さく笑った。


 二人はそのあとも本屋の中をゆっくり歩いた。


 漫画コーナーでは澪が意外な作品に興味を示し、九条が少し驚く。


 雑誌コーナーでは、流行に詳しくない二人が一緒に首を傾げる。


 特別なことは何もない。


 ただ、本を見て、話して、笑う。


 それだけだった。


 けれど、九条にとっては新鮮だった。


 誰かとこんなふうに休日を過ごすこと自体が、久しぶりだった。


「お昼、どうする?」


 澪が聞く。


「何でもいい」


「それ、一番困る答え」


「そうか」


「そうよ」


 澪は少し考える。


「じゃあ……あそこ」


 指差した先には、小さなカフェがあった。


「また喫茶店系か」


「落ち着くから」


「白峰らしい」


「だから、それ」


 二人は笑いながら店に入った。


 窓際の席。


 注文した飲み物を待ちながら、澪がふと口を開く。


「ねえ」


「なんだ」


「今日、楽しい?」


 九条は少し驚いた。


「楽しい」


「……本当に?」


「ああ」


「よかった」


 澪は安心したように微笑む。


「実は少し不安だったの」


「何が」


「休日に誘って、迷惑だったらどうしようって」


「また考えすぎだ」


「分かってる」


「でも考えるんだな」


「そうなの」


 澪は苦笑した。


「私、こういう普通のことに慣れてないのかもしれない」


「普通のこと?」


「友達と休日に出かけたり、何気ない話をしたり」


 九条は静かに聞く。


「だから、少し怖かった」


「何が」


「楽しいと思ってしまうこと」


 九条は少しだけ目を細めた。


「……どうして」


「楽しい時間が増えると、それがなくなるのが怖くなるから」


 澪の声は小さかった。


 けれど、九条には届いた。


「白峰」


「何?」


「なくならない」


「……」


「少なくとも、俺は明日急に消えたりしない」


 澪は目を丸くする。


「それ、約束?」


「約束でいい」


「……じゃあ」


 澪は少しだけ笑った。


「私も約束する」


「何を」


「明日も、ちゃんと話す」


「明日?」


「休日が終わっても、学校で」


 九条は少しだけ笑った。


「当たり前だろ」


「でも、約束」


「ああ」


 二人は小さく指切りをするようなことはしなかった。


 ただ、言葉だけで約束した。


 それで十分だった。


 帰り道。


 夕方の駅前は、人で溢れていた。


 初めて一緒に過ごした休日。


 特別なイベントがあったわけではない。


 映画を見たわけでもない。


 遠くへ出かけたわけでもない。


 それでも、二人にとっては忘れられない一日になった。


「今日はありがとう」


 駅前で澪が言う。


「こっちこそ」


「楽しかった」


「ああ」


 澪は少しだけ迷ってから言った。


「また、行ってもいい?」


「もちろん」


 その返事を聞いた瞬間、澪の表情が柔らかくなる。


「……よかった」


「そんなに不安だったのか」


「少しだけ」


「少しだけ多いな」


「そうね」


 二人は笑った。


 そして、いつものように別れる。


「また明日」


「明日は学校ない」


 九条が言うと、澪は少し困った顔をした。


「……そうだった」


「でも月曜日には会う」


「うん」


 澪は少しだけ嬉しそうに頷く。


「じゃあ、また月曜日」


「ああ」


 彼女が去っていく。


 九条はその姿を見送りながら思った。


 休日を一緒に過ごした。


 それだけなのに、距離が少し近づいた気がする。


 白峰澪は、自分に少しずつ心を開いている。


 そして自分もまた、彼女といる時間を大切だと思い始めている。


 恋という言葉を使うには、まだ少し早い。


 けれど。


 この時間を失いたくない。


 そう思うくらいには、彼女はもう特別な存在になっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ