↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
57/62

クリスマスまでの小さな約束

数日が過ぎた。


 朝、窓を開けると、冷たい風が頬を撫でた。


 空はよく晴れている。


 けれど、冬の訪れを感じさせる空気は、日に日に強くなっていた。


 悠理はコートの襟を整え、玄関を出た。


 すると、すぐ隣の扉が開いた。


「おはようございます」


「おはよう」


 澪はいつもの黒いマフラーを巻き、淡い灰色の手袋を着けていた。


 以前と比べると、冬の装いもずいぶん馴染んできた。


「今日は少し暖かいですね」


「昨日よりはな」


「このくらいなら、歩きやすくて助かります」


「寒いのは苦手だったな」


「はい。できれば一年中、春くらいの気温でいてほしいです」


「それだと冬がなくなるな」


「……それは少し困ります」


「どうして?」


 澪は少し考えてから、こちらを見た。


「冬には、冬の楽しみがありますから」


「例えば?」


「マフラーを借りられることとか」


「まだそれを言うのか」


「もちろんです」


 澪は楽しそうに笑った。


「それに、手袋もあります」


「自分で買ったやつだろ」


「悠理くんが選んでくれたものです」


「選んだだけだけどな」


「私にとっては、それが大事なんです」


 あまりに自然な口調だったので、悠理は返事に困った。


 澪はそんな彼の様子を見て、小さく笑う。


「……ずるいな」


「何がですか?」


「いや、何でもない」


「また秘密ですか?」


「そういうことにしておく」


「もう……」


 少しだけ不満そうにしながらも、澪の表情は柔らかかった。


 冬の朝。


 何でもない会話。


 けれど、こんな時間が以前よりずっと好きになっていることを、悠理は自覚し始めていた。


 ◇


 教室では、朝から妙な盛り上がりを見せていた。


「今年のクリスマス、どうする?」


「まだ早くない?」


「いや、もう店の予約とか考える時期だろ」


「そういうのって、恋人がいるやつの話じゃないの?」


 男子たちの会話に、蓮が混ざっている。


「お前らは?」


「俺は友達と遊ぶ」


「俺もそんな感じかな」


「悠理は?」


 突然、話を振られた。


「俺?」


「そう。クリスマス」


「……まだ決めてない」


「ふーん」


 蓮は意味ありげに頷いた。


「なるほどな」


「何が?」


「いや、別に」


「その反応、最近多くないか?」


「気のせいだろ」


 蓮は笑いながら話を切り上げた。


 悠理が隣を見ると、澪は教科書を開いたまま、どこか考え込んでいた。


「澪?」


「……はい?」


「どうした?」


「いえ。何でもありません」


 そう言いながらも、澪は少しだけ落ち着かない様子だった。


「クリスマス、気になる?」


「……少し」


「何か予定があるのか?」


「ありません」


「そうなんだ」


「はい」


 そこで会話が途切れる。


 澪は教科書のページをめくった。


 けれど、視線は文字の上をゆっくりと動くだけで、ほとんど内容を追えていないようだった。


 悠理は少し考えてから、尋ねた。


「……一緒に何かする?」


「えっ?」


 澪が顔を上げる。


 思ってもいなかった言葉を聞いたような表情だった。


「クリスマス。まだ何も決まってないなら、何か一緒に考えてもいいだろ」


「……」


「冬休みの予定も決めてる途中だし」


 澪はしばらく黙っていた。


 そして、ゆっくりと頷いた。


「……はい」


 小さな声だった。


「一緒に考えたいです」


「ああ」


「……ありがとうございます」


 澪は嬉しそうに微笑んだ。


 ただ、その笑顔には、いつもより少しだけ緊張が混じっていた。


 ◇


 昼休み。


 澪は弁当を食べ終えると、スマートフォンで何かを調べていた。


「何を見てるんだ?」


 悠理が尋ねると、澪は画面をこちらへ向けた。


「商店街のクリスマスイベントです」


 そこには、駅前の商店街で行われる催しの案内が表示されていた。


 並木道のイルミネーション。


 クリスマス限定の屋台。


 小さな音楽会。


 夕方からは、広場に大きなクリスマスツリーも設置されるらしい。


「こんなのあるんだな」


「はい。去年も開催されていたみたいです」


「行ってみたい?」


「……行ってみたいです」


 澪は素直に頷いた。


「でも、人が多そうですね」


「そうだな」


「それに、こういうイベントは友達同士や恋人同士で行くものという印象があって」


「別に、誰と行ってもいいだろ」


「……そうですね」


 澪は画面を見つめる。


 それから、少しだけ迷うように言った。


「悠理くんは、こういう場所は好きですか?」


「嫌いじゃないよ」


「本当ですか?」


「ああ。ただ、一人で行こうとはあまり思わないけど」


「……」


 澪が顔を上げた。


「では」


「うん?」


「一緒に行きませんか?」


 言った瞬間、澪の頬が少し赤くなった。


「クリスマスの日に、という意味ではなくてもいいんです。イベントはその前から開催されるみたいですし……」


「うん」


「その、もし予定が合えば」


「いいよ」


「……え?」


「一緒に行こう」


 今度は、悠理がはっきりと答えた。


 澪は数秒、何も言わなかった。


 やがて。


「……本当に?」


「うん」


「私と?」


「他に誰がいるんだよ」


「……」


 澪は顔を伏せた。


 耳まで赤くなっている。


「……ありがとうございます」


「何でそんなに改まってるんだ」


「改まってなんかいません」


「そう?」


「……少しだけです」


 澪は小さく笑った。


「すごく嬉しかったので」


 ◇


 放課後。


 二人は図書室に寄らず、そのまま校門を出た。


 今日は特に用事もない。


 だからこそ、少しだけ遠回りをして帰ることにした。


「クリスマスのイベント、いつからでしたか?」


「来週の金曜日からみたいだな」


「そうなんですね」


「試験も終わったし、ちょうどいいんじゃないか」


「はい」


 澪は手袋をした指を、ゆっくりと握ったり開いたりしていた。


「何時くらいに行きますか?」


「夕方かな。イルミネーションを見るなら暗くなってからだろ」


「そうですね」


「昼間は何か用事がある?」


「特にはありません」


「じゃあ、少し早めに会って、どこかで昼ご飯を食べてから行くのもいいかもな」


 澪が足を止めた。


「……お昼から?」


「ああ」


「一緒に?」


「そうだけど」


「……」


 澪はマフラーに口元を埋めた。


「どうした?」


「いえ」


「寒い?」


「……少し違います」


 悠理は首を傾げる。


 澪はしばらくしてから、小さく答えた。


「嬉しくて、どうしたらいいのか分からなくなっただけです」


「……そっか」


「はい」


 悠理も、少しだけ気恥ずかしくなった。


 ただ一緒に出かける予定を決めているだけだ。


 なのに。


 澪が喜んでくれると、自分まで嬉しくなる。


 そして、もっと喜んでほしいと思ってしまう。


 そういう気持ちが、最近は少しずつ増えていた。


 ◇


 帰り道の途中、二人は小さな雑貨店の前を通りかかった。


 店先には、赤や白のリボンで飾られた小さなクリスマスツリーが置かれている。


 窓辺には、雪だるまや星をかたどった飾りも並んでいた。


「可愛いですね」


 澪が足を止めた。


「こういうの好きなのか?」


「はい。見ているだけでも楽しいです」


 二人で窓から店内を眺める。


 暖色の照明に照らされた棚には、小さな置物やオーナメントが並んでいた。


「クリスマスって、飾りが多いですね」


「そうだな」


「街全体が少し明るくなる感じがします」


「冬は暗くなるのが早いからな」


「だから、余計に綺麗なのかもしれませんね」


 澪はツリーの飾りを目で追っていた。


 その横顔を見ながら、悠理はふと思った。


 彼女は、こういう小さなものを見ているとき、本当に楽しそうだ。


 誰かに評価されるわけでもない。


 何かを完璧にこなす必要もない。


 ただ、好きなものを見て、綺麗だと思う。


 それだけの時間を、澪は以前より大切にするようになった。


「……澪」


「はい?」


「何か一つ、買っていく?」


「え?」


「クリスマスの飾り。せっかくだし」


 澪は少し驚いたあと、首を横に振った。


「いえ。今日は見るだけで大丈夫です」


「そう?」


「はい」


 それから、少しだけ笑う。


「今日、悠理くんと一緒に見られたので」


「……」


「それだけでも、十分です」


 悠理は思わず視線を逸らした。


 澪はそれに気づいたようだったが、何も言わなかった。


 ただ、隣で静かに笑っていた。


 ◇


 家の近くまで戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。


 街灯の下で、二人の吐く息が白く浮かぶ。


「今日はありがとうございました」


 澪が言った。


「何が?」


「クリスマスの予定を、一緒に考えてくれたことです」


「まだ何をするか全部決まったわけじゃないだろ」


「でも、一つ決まりました」


「イルミネーション?」


「はい」


 澪は頷いた。


「それに、お昼ご飯も一緒に食べるんですよね」


「ああ」


「……楽しみです」


 その声は、いつもより少し柔らかかった。


「悠理くん」


「ん?」


「クリスマスの日って、特別なことをしないといけないと思っていました」


「そうなのか?」


「はい。何かを用意したり、素敵な場所へ行ったり、特別な一日にしたり」


「……」


「でも、今日話していて思ったんです」


 澪は、足元へ目を落とした。


「一緒に行く場所を考えたり、何を食べようか迷ったりする時間も、十分に特別なんですね」


 悠理は少し考えた。


「そうかもしれないな」


「……はい」


 澪は嬉しそうに笑った。


「当日まで、楽しみが続きそうです」


「ああ。ゆっくり決めていこう」


「約束ですよ」


「約束」


 いつものように交わす言葉。


 それなのに今日は、少しだけ違って聞こえた。


 クリスマスまで、まだ何日もある。


 その間にも、学校があって、授業があって、何でもない帰り道が続いていく。


 でも。


 その先に、一つだけ楽しみな日ができた。


 澪にとっても。


 悠理にとっても。


 まだ名前のついていない二人の関係は、少しずつ新しい思い出を増やしていた。


「では、また明日」


「ああ。また明日」


 澪は玄関へ向かい、扉を開ける直前に振り返った。


「悠理くん」


「ん?」


「……クリスマス、一緒に過ごせるのを楽しみにしています」


 今度は、誤魔化さなかった。


 悠理もまっすぐ答える。


「俺も、楽しみにしてる」


 澪は花が咲くように笑った。


 そして、家の中へ入っていった。


 扉が閉まる。


 悠理はしばらく、その場に立っていた。


 クリスマスまでの小さな約束。


 それは、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。