↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
55/62

第五十五話

朝。


 目覚ましが鳴る少し前に、悠理は目を覚ました。


 カーテンの隙間から、薄い朝の光が差し込んでいる。


 昨日よりも空気が冷たい。


 ベッドから起き上がり、窓の外を見る。


 空は灰色だった。


 雪が降るほどではない。


 けれど。


 冬がすぐそこまで来ていることだけは、はっきりと分かった。


「……今日か」


 期末試験。


 昨日まで積み重ねてきた勉強の結果を出す日だ。


 悠理は制服に着替える。


 机の上には、昨夜まで使っていた問題集が置かれていた。


 その横には。


 スマートフォン。


 昨日、澪と交わした最後のメッセージが残っている。


『約束』


 たったそれだけ。


 それなのに。


 今日は、それが妙に心強かった。


 ◇


 玄関を出る。


 ほとんど同じタイミングで、隣の扉が開いた。


「おはようございます」


「おはよう」


 澪だった。


 昨日までと同じコート。


 いつもの黒いマフラー。


 灰色の手袋。


 けれど。


 今日は少しだけ眠そうに見える。


「ちゃんと寝た?」


「はい」


「本当に?」


「……六時間くらい」


「それなら大丈夫だな」


「悠理くんは?」


「同じくらい」


「よかったです」


「何で?」


「試験の日に寝不足だと大変ですから」


「澪らしいな」


 澪が少し笑った。


「今日、頑張りましょうね」


「ああ」


「そして」


 澪が少しだけ声を弾ませる。


「終わったら」


「うん」


「冬休みの予定を決めましょう」


「それが楽しみなんだろ?」


「……はい」


 素直な返事だった。


 二人は並んで学校へ向かった。


 ◇


 一時間目。


 試験が始まる。


 教室の空気が一気に変わった。


 普段なら聞こえる小さな話し声もない。


 紙をめくる音。


 シャープペンシルが答案用紙を走る音。


 時計の針が進む音。


 それだけだった。


 悠理は問題を一問ずつ解いていく。


 昨日まで勉強した内容が、少しずつ頭の中から出てくる。


 難しい問題もある。


 迷う問題もある。


 それでも。


 できることはやった。


 ふと隣を見る。


 澪は真剣な表情で問題を解いていた。


 前髪が少しだけ目元に落ちている。


 いつもより緊張しているように見える。


 けれど。


 その手は止まっていない。


 悠理はそれを確認して、再び自分の答案へ目を戻した。


 ◇


 二時間目。


 三時間目。


 四時間目。


 試験は続いていく。


 最後の教科が終わる頃には。


 教室全体から、ようやく長い息が漏れた。


「終わった……」


「やっとかよ」


「死ぬかと思った」


 あちこちから声が上がる。


 蓮は机に突っ伏していた。


「もう無理」


「まだ採点されてないぞ」


「だからこそ無理なんだよ」


 悠理は苦笑する。


 隣では、澪が静かに筆箱を片付けていた。


「終わりましたね」


「ああ」


「……長かったです」


「頑張ったな」


「悠理くんもです」


 澪が微笑む。


 それだけで。


 試験が終わった実感が少し強くなった。


 ◇


 放課後。


 普段なら二人で図書室へ向かう時間。


 でも。


 今日は誰も勉強する必要がない。


「どうしますか?」


 澪が聞く。


「何が?」


「帰るのは、少しもったいない気がします」


「分かる」


「ですよね」


 少し考える。


「どこか寄る?」


「はい」


「カフェとか」


「行きたいです」


「じゃあ決まり」


 二人で学校を出る。


 冷たい風が吹いていた。


「試験が終わっただけなのに」


 澪が言う。


「すごく自由になった気がします」


「分かる」


「昨日まで、ずっと勉強していましたから」


「今日くらいは休んでいいだろ」


「では」


 澪が少し笑う。


「今日は何も考えずに楽しみます」


「ああ」


「それと」


「ん?」


「冬休みのことも」


「忘れてないな」


「絶対に忘れません」


 ◇


 二人はいつもの喫茶店に入った。


 窓際の席。


 以前なら、少し緊張して座っていた場所。


 今では。


 自然に向かい合っている。


「何にしますか?」


「俺はコーヒー」


「私は紅茶にします」


 注文を終える。


 飲み物が来るまでの時間。


 澪は鞄から小さな藤色のメモ帳を取り出した。


「また書くの?」


「はい」


「試験終わったこと?」


「それもです」


「何を書くんだ?」


 澪は少し迷って。


「冬休みの予定です」


「まだ決まってないだろ」


「だから書きながら決めるんです」


「なるほど」


 澪がページを開く。


 そこには、これまでの思い出がたくさん残っている。


 花火。


 文化祭。


 図書室。


 マフラー。


 最近買った手袋。


 悠理はページを覗き込む。


「ずいぶん増えたな」


「はい」


「最初の頃より厚くなってる」


「思い出が増えたからです」


 澪は嬉しそうに答える。


「今年の冬も、いっぱい書けそうです」


「じゃあ、最初の予定を決めるか」


「はい」


 澪がペンを持つ。


「冬休み初日」


「うん」


「朝ご飯」


「これは決まりだな」


「はい」


「そのあと散歩」


「はい」


「昼ご飯」


「はい」


「本屋」


「絶対に行きたいです」


「分かった」


 澪が一つずつ書いていく。


「夕方は?」


「映画でもいい」


「映画は二日目にしましょう」


「じゃあ初日は?」


「……」


 澪が少し考える。


「イルミネーション」


「この近くで?」


「はい」


 悠理も考える。


「商店街の近くに、冬になるとイルミネーションをやる場所があったな」


「そこです」


「寒いぞ」


「ちゃんと手袋があります」


 澪が灰色の手袋を見せる。


「それなら大丈夫ですね」


「はい」


 メモ帳に書き加える。


『冬休み初日 イルミネーション』


 澪は、その文字を少しの間眺めた。


「楽しみですね」


「ああ」


「……すごく」


 その表情を見て。


 悠理も自然と笑ってしまう。


 ◇


 喫茶店を出る。


 外はもう夕方だった。


 空が淡い紫色に染まっている。


「次は二日目ですね」


「もう決めるの?」


「せっかくなので」


「じゃあ映画」


「はい」


「そのあと?」


「カフェ」


「昨日も行っただろ」


「好きなんです」


「知ってる」


 澪が笑う。


「それから、本屋さん」


「初日にも行くぞ」


「何回行ってもいいです」


「確かに」


 少し歩いて。


 澪が考え込む。


「最後に」


「うん」


「雪が降ったら」


「……」


「公園へ行きたいです」


 悠理は、以前した約束を思い出す。


 初雪を一緒に見る。


「覚えてたんだな」


「もちろんです」


「じゃあ、それも」


「約束です」


「ああ」


 澪は嬉しそうに笑った。


 ◇


 家の近くまで戻る。


 夕方の冷たい空気が、二人の間を通り抜ける。


「今日は楽しかったです」


「ああ」


「試験も終わって」


「うん」


「冬休みの予定も決まって」


「まだ全部じゃないけどな」


「でも、最初の日と二日目は決まりました」


「それだけでも十分だろ」


「はい」


 澪が足を止める。


「悠理くん」


「ん?」


「試験、一緒に頑張れてよかったです」


「俺も」


「一人だったら、もっと大変だったと思います」


「じゃあ、また次の試験でも一緒に勉強するか」


「……はい」


 少しだけ照れながら。


 澪が手を差し出す。


 悠理も、その手を取った。


「今日はご褒美じゃないですよ」


「何が?」


「手をつなぐの」


「じゃあ何?」


「……習慣です」


 悠理は少し驚いた。


「もう?」


「はい」


 澪は笑った。


「昨日より自然になりましたから」


「そうだな」


 二人で歩く。


 試験は終わった。


 これから冬休みまで、まだ少し時間がある。


 けれど。


 その時間さえも。


 今の二人には、楽しみに思えた。


 来週は何をする。


 その次はどこへ行く。


 冬休みになったら何を食べる。


 雪が降ったらどこへ行く。


 そんな小さな予定が。


 二人の日々を少しずつ埋めていく。


 そして。


 気づけば。


 「次」を一緒に考えること自体が。


 二人にとって、新しい日常になっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。