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第五十四話 試験前の夜

それから数日。


 学校では、期末試験の話が少しずつ増えていた。


 休み時間になると、教科書を開く生徒が増える。


 昼休みには、問題を出し合う声も聞こえてくる。


 そして放課後の図書室では。


「……眠い」


 蓮が机に突っ伏した。


「まだ三十分しか経ってないぞ」


「三十分もやったんだよ」


「それで眠いのは早すぎるだろ」


「悠理は平気なのか?」


「別に」


「澪さんは?」


「私は大丈夫です」


 澪はそう答えながら、静かに問題集へ目を落としている。


 けれど。


 今日はいつもより少しだけ集中できていないように見えた。


 ペンが止まる時間が何度かある。


 ページをめくってから、同じところをもう一度見直している。


 悠理はそれに気づいた。


「澪」


「はい?」


「疲れてない?」


「……少しだけ」


「休む?」


「大丈夫です」


 以前なら、そのまま無理をしていたかもしれない。


 けれど。


 澪は少し考えてから、問題集を閉じた。


「……十分だけ休みます」


「それがいい」


「はい」


 蓮が顔を上げた。


「お前ら、本当に変わったよな」


「何が?」


「澪さんがちゃんと休むようになった」


 澪が少しだけ恥ずかしそうに笑う。


「昔は、休むのが苦手だったんです」


「今も得意ではないですけど」


「でも、前よりは」


「はい」


 その答えを聞いて。


 悠理は少し安心した。


 ◇


 休憩中。


 蓮は飲み物を買いに席を離れていた。


 図書室の窓から、夕暮れの空が見える。


 日が落ちるのが早くなった。


「冬ですね」


 澪が窓の外を見ながら言った。


「ああ」


「前より暗くなるのが早いです」


「そうだな」


「なんだか、時間まで早く過ぎているみたいです」


 悠理は少し笑った。


「また言ってるな」


「何がですか?」


「時間が早いって」


「だって本当にそう思うので」


 澪も笑う。


「春に入学したのが、ついこの前みたいです」


「確かにな」


「でも」


 澪が少しだけ視線を落とす。


「去年の今頃より、今年のほうがずっと覚えていることが多いです」


「……」


「だから、あっという間だったのに」


 少しだけ不思議そうに笑って。


「長かった気もします」


「思い出が多いからじゃないか」


「はい」


 澪は頷く。


 そして。


「来年も、そうだといいですね」


「ああ」


 短い返事。


 でも、その言葉は前より自然に口から出た。


 ◇


 その日の帰り道。


 駅前の時計を見ると、いつもより遅い時間になっていた。


「今日は結構やったな」


「はい」


「大丈夫?」


「大丈夫です」


「本当に?」


「今度は本当です」


 澪が笑う。


「ちゃんと休みましたから」


「ならいい」


 二人で歩く。


 街灯が灯り始めている。


 吐く息が白い。


「そういえば」


 澪が言った。


「明日は試験前の最後の授業ですね」


「ああ」


「そのあと、家で勉強しますか?」


「すると思う」


「私も」


「じゃあ、明日の放課後は図書室じゃなくて、それぞれ家でやるか」


「……はい」


 澪の返事が少しだけ弱かった。


「どうした?」


「いえ」


「?」


「少しだけ、残念だと思っただけです」


 悠理は笑った。


「試験が終わったらまた一緒に勉強できるだろ」


「そうですね」


「それに、冬休みの予定も決めないと」


 澪が顔を上げる。


「……そうでした」


「忘れてた?」


「忘れてません」


「ならいい」


「むしろ、それを楽しみにしています」


「試験より?」


「……少しだけ」


「少しだけなんだな」


「たくさんと言ったら、怒りますか?」


「怒らないけど」


「では、たくさんです」


 澪が笑った。


「試験も頑張れそうです」


 ◇


 翌日。


 最後の授業が終わる。


 担任が試験について最後の注意をする。


「今日は早く帰って、明日に備えること。夜更かしするなよ」


 教室から小さな笑い声が上がった。


 悠理は鞄へ教科書をしまう。


 隣では、澪も静かに準備をしていた。


「帰る?」


「はい」


 今日は放課後の勉強会はない。


 それでも。


 校門までは一緒だ。


「試験が終わったら」


 澪が歩きながら言った。


「最初の日、どうしますか?」


「朝ご飯からだったな」


「はい」


「何を食べる?」


「そこから考える約束でした」


「じゃあ、明日の試験が終わったら決める?」


「いいですね」


「店も探してみるか」


「はい」


 澪の顔が少し明るくなる。


「すごく楽しみです」


「分かったから、今日はちゃんと勉強しろ」


「悠理くんもですよ」


「ああ」


「寝るのも忘れないでください」


「分かってる」


「本当に?」


「本当に」


 澪は少しだけ笑った。


 ◇


 家に帰ったあと。


 悠理は机に向かった。


 教科書を開く。


 問題集を解く。


 分からないところを確認する。


 時計を見る。


 午後十時。


 まだ眠くはない。


 けれど、少し休もうと立ち上がった。


 そのとき。


 スマートフォンが振動した。


 画面を見る。


 澪からだった。


『勉強、順調ですか?』


 悠理は短く返す。


『まあまあ』


 すぐに返信が来る。


『私もです』


 少し間があって。


『明日、終わったら予定を決めましょうね』


『ああ』


『約束です』


 悠理は少し笑った。


『約束』


 メッセージを送る。


 すると、もう一件届いた。


『おやすみなさい』


 時計はまだ十時過ぎ。


 少し早い気もする。


 けれど。


 その一言が妙に嬉しかった。


『おやすみ』


 スマートフォンを机へ置く。


 明日は試験。


 今は、それに集中するだけだ。


 悠理はもう一度椅子へ座る。


 ノートを開く。


 ペンを持つ。


 けれど、その前に。


 ふと窓の外を見た。


 暗い空。


 冷たい夜。


 もしかすると。


 今年は雪が降るかもしれない。


 初雪を一緒に見る。


 冬休みを一緒に過ごす。


 その約束を思い出して。


 悠理は小さく息を吐いた。


「……よし」


 明日を終わらせるために。


 そして。


 その先の楽しみへ進むために。


 静かな夜の中で、悠理はもう一度勉強を始めた。


 ◇


 同じ頃。


 隣の部屋でも。


 澪は机に向かっていた。


 問題集の端には、小さな文字で明日の予定を書いている。


『試験』


 その下に。


『冬休みの予定を決める』


 さらに少し考えてから。


 もう一つ書き加えた。


『悠理くんと一緒に』


 書いたあと。


 澪は少しだけ恥ずかしくなって、ペンを置いた。


 それでも。


 その文字を消すことはなかった。


 試験が終われば。


 二人で約束を作る時間が待っている。


 そう思うだけで。


 明日の試験は、少しだけ頑張れそうだった。

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