第五十話 冬支度
朝の冷え込みはさらに強くなっていた。
校門へ続く道には、もうほとんど葉が残っていない。
木々の枝は少しずつ寂しくなり、その向こうに広がる空は高く、どこか遠く感じられた。
悠理は制服のポケットに手を入れながら歩いていた。
すると、前から見慣れた姿が近づいてくる。
「おはようございます」
「おはよう」
澪だった。
今日はいつもより少しだけ厚手のコートを着ている。
黒いマフラーは相変わらず彼女の首元にある。
「今日は特に寒いですね」
「ああ」
「朝、布団から出るのが少し大変でした」
「澪でもそういうことあるんだな」
「ありますよ」
澪は少しだけ頬を膨らませる。
「私だって人間ですから」
「知ってる」
「……本当にそう思っていますか?」
「思ってる」
「ならいいです」
少し機嫌が直ったらしい。
二人は並んで歩く。
白い息が、時々見えた。
「そういえば」
澪が口を開く。
「昨日、冬休みのことを少し考えてみました」
「早いな」
「楽しみなんです」
「まだ一ヶ月以上あるぞ」
「だからです」
「?」
「今から考えておけば、たくさん楽しめるので」
悠理は少しだけ笑った。
「それなら、何をしたい?」
「いろいろあります」
「例えば?」
「映画を観たいです」
「うん」
「本屋さんにも行きたいです」
「ああ」
「あと……」
澪が少しだけ考える。
「雪が降ったら、一緒に歩いてみたいです」
「寒いぞ」
「分かっています」
「それでも?」
「それでもです」
澪は微笑んだ。
「たぶん、一人だったら行きません」
「そうなのか」
「はい」
「じゃあ、一緒なら行く?」
「はい」
その返事は、とても自然だった。
◇
教室では、公開授業の準備が続いていた。
壁には少しずつ飾りが増えている。
季節の写真。
メッセージカード。
紅葉を模した紙飾り。
そして、冬をイメージした白い装飾。
「だいぶ形になってきたな」
蓮が教室を見回す。
「うん」
悠理も頷く。
「これなら当日も大丈夫そうだ」
「珍しくやる気あるじゃん」
「そうでもない」
「でも最近、放課後残ること増えたよな」
「……そうだな」
「澪さんがいるから?」
「関係ない」
「本当に?」
「本当」
蓮は笑っていた。
そのとき。
「何が本当なんですか?」
澪が戻ってきた。
「いや、何でもない」
蓮は何事もなかったように話を切り上げる。
「悠理、これ頼む」
「分かった」
蓮が離れていく。
澪は少し不思議そうにその背中を見送った。
「何か話していたんですか?」
「大したことじゃない」
「そうですか」
澪は深く追及しなかった。
その代わり。
机の上に置かれていた白い飾りを手に取る。
「これ、可愛いですね」
「そうだな」
「冬っぽいです」
「雪みたいだな」
「本物の雪も、こんな感じなんでしょうか」
「雪、見たことない?」
「あります」
澪は頷く。
「でも、ちゃんと積もるほど降ったのは、しばらく見ていません」
「じゃあ今年は見られるかもな」
「そうですね」
澪は飾りを見つめる。
「そのときは、一緒に見たいです」
「……ああ」
その言葉に、澪が小さく笑った。
◇
放課後。
公開授業の準備を終えたあとも、今日は二人だけ少し教室に残っていた。
「終わりましたね」
「ああ」
机の上には、使い終わった紙や道具が片付けられている。
澪は最後に黒板を確認していた。
「忘れ物なし」
「大丈夫そうだな」
「はい」
教室の時計を見る。
もう外は暗い。
「帰るか」
「はい」
二人で廊下へ出る。
校舎の中は静かだった。
昼間の騒がしさが嘘のように消えている。
階段を下りる。
その途中。
「悠理くん」
「ん?」
「少し寄り道してもいいですか?」
「どこに?」
「商店街です」
「何か買うの?」
「はい」
「珍しいな」
「冬の準備をしたいので」
「冬の準備?」
「手袋を買いたいんです」
「持ってなかったのか?」
「去年のは少し古くなってしまったので」
「なるほど」
二人はそのまま商店街へ向かった。
◇
商店街の衣料品店。
店内には冬物が並んでいた。
マフラー。
手袋。
ニット帽。
厚手の靴下。
暖かそうな商品が棚いっぱいに並んでいる。
「どれがいいと思いますか?」
澪が何種類かの手袋を見比べていた。
「どれでも似合うと思うけど」
「それでは選べません」
「じゃあ、これ」
悠理が一つを指差す。
淡い灰色の手袋。
「これ?」
「ああ」
「理由は?」
「シンプルだから」
「悠理くんらしい選び方ですね」
「そう?」
「はい」
澪はその手袋を手に取った。
しばらく眺めている。
「……これにします」
「決めるの早いな」
「悠理くんが選んでくれたので」
「俺が?」
「はい」
「じゃあ、責任重大だな」
「そうですよ」
澪が少し笑う。
「大切に使います」
会計を済ませる。
店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
「着けてみたら?」
「はい」
澪が新しい手袋を着ける。
そして。
「どうですか?」
両手を見せる。
「似合ってる」
「……ありがとうございます」
嬉しそうだった。
そのまま少し歩く。
商店街の明かりが二人の足元を照らしている。
◇
帰り道。
澪は新しい手袋を着けたまま、何度も指を動かしていた。
「気に入った?」
「はい」
「よかった」
「悠理くん」
「ん?」
「これで冬の準備、少しできました」
「そうだな」
「でも」
「?」
澪は少しだけ考えるように言った。
「まだ足りない気がします」
「何が?」
「冬を迎える準備です」
「他に必要なものある?」
「あります」
「何?」
澪は一瞬、黙った。
そして。
「……一緒に過ごす予定です」
「予定?」
「はい」
「それなら、これから決めればいい」
「本当ですか?」
「ああ」
「では」
澪がこちらを見る。
「一つ、決めてもいいですか?」
「何を?」
「初雪を一緒に見ること」
「まだ降るか分からないぞ」
「降ったら」
「うん」
「そのときは、一緒にいてください」
悠理は少しだけ笑った。
「分かった」
「約束ですよ」
「ああ。約束」
澪は満足そうに頷いた。
そして。
「これで、一つ増えましたね」
「何が?」
「今年の思い出です」
悠理は少し考える。
冬の準備をして。
手袋を選んで。
一緒に帰る。
それだけの一日。
けれど。
たぶん。
こういう何でもない日ほど、あとから大切になる。
「そうだな」
「はい」
二人の間を冷たい風が通り抜ける。
澪が新しい手袋で、そっとマフラーを押さえる。
「これなら、冬も大丈夫そうです」
「ああ」
並んで歩く。
冬はまだ始まったばかりだった。
これから、もっと寒くなる。
雪が降るかもしれない。
朝、布団から出たくなくなる日もあるだろう。
それでも。
隣に誰かがいるなら。
その寒ささえ、少しだけ楽しみに思える。
そんなことを。
二人は、まだ言葉にはしなかった。




