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第十二話 少しだけ特別な放課後

 水曜日。


 朝の教室は、昨日までと変わらない賑やかさだった。


 九条悠理は自分の席に座り、窓の外を眺める。


 夏休みまであと少し。


 校庭では運動部が朝練をしており、吹奏楽部の音も風に乗って聞こえてくる。


「おはよう。」


 後ろから声がした。


 振り返ると、藤堂蓮が眠そうな顔で立っている。


「おはよう。」


「今日は静かだな。」


「いつも通りだ。」


「そういうところだよ。」


 蓮は笑いながら席に座った。


「そういえば。」


「なんだ。」


「最近、白峰さんと話すこと増えたよな。」


「少しだけ。」


「少し、ねぇ。」


 意味ありげに笑う蓮だったが、それ以上は何も言わなかった。


 その時、教室の扉が開く。


 白峰澪が入ってきた。


 教室の空気が少しだけ変わる。


 それは彼女が目立つからではない。


 自然と視線を集めてしまう存在だからだった。


 澪は教室を見渡し、ほんの一瞬だけ九条と目が合う。


 そして、誰にも気づかれないほど小さく微笑んだ。


 九条もほんの少しだけ頷く。


 それだけだった。


 約束通り、教室では距離を保つ。


 けれど、その短いやり取りだけで十分だった。


 昼休み。


 九条は中庭へ向かい、一人で昼食を取っていた。


 木陰を吹き抜ける風が心地よい。


「ここだったのね。」


 聞き慣れた声。


 澪だった。


「隣、いい?」


「ああ。」


 二人はベンチに少し間隔を空けて座る。


「今日はここにいたのか。」


「教室だと落ち着かないから。」


「私も。」


 澪は小さく笑った。


「ここなら静かだもの。」


 二人はしばらく無言で昼食を食べる。


 その沈黙は、もう気まずいものではなかった。


 言葉がなくても、一緒にいるだけで落ち着く。


 そんな時間だった。


「ねえ、悠理。」


「なんだ。」


「今日の放課後、少し寄り道しない?」


「寄り道?」


「うん。」


「どこへ。」


「秘密。」


「秘密なのか。」


「着いてからのお楽しみ。」


 澪は少しだけ悪戯っぽく笑った。


 そんな表情を見るのは珍しい。


「分かった。」


「本当?」


「ああ。」


「ありがとう。」


 その笑顔を見ていると、断る理由など最初からなかった。


 放課後。


 二人は校門を出て、住宅街を歩いていた。


「まだ着かないのか。」


「もう少し。」


 十分ほど歩くと、小さな坂道が見えてきた。


 坂を登り切ると、その先には公園が広がっていた。


 高台にある公園。


 街全体が見渡せる場所だった。


「ここ……。」


 九条は思わず景色を見渡す。


 夕日に染まり始めた街並み。


 遠くまで続く住宅地。


 ゆっくり流れる川。


 静かな風。


「綺麗でしょう。」


「初めて来た。」


「私のお気に入りなの。」


 二人は展望台のベンチへ座った。


 風が少し強く吹き、澪の髪が揺れる。


「嫌なことがあった日は、ここへ来るの。」


 澪が静かに話し始めた。


「一人で?」


「うん。」


「誰にも教えてなかった。」


「そうか。」


「でも。」


 澪は夕焼けを見つめたまま続ける。


「今日は悠理にも見せたかった。」


 九条は少しだけ驚いた。


「俺に?」


「うん。」


「どうして。」


「……大切な場所だから。」


 その言葉に、九条は返事ができなかった。


 澪は照れ隠しをするように笑う。


「変かな。」


「いや。」


 九条はゆっくり首を振った。


「嬉しい。」


 その一言だけだった。


 しかし、それで十分だった。


 澪は安心したように息をつく。


「よかった。」


 二人は夕日が沈むまで景色を眺めていた。


 話した内容は他愛もないことばかり。


 好きな本。


 子どもの頃の思い出。


 学校の出来事。


 将来やってみたいこと。


 時間は静かに流れていく。


「悠理。」


「なんだ。」


「最近ね。」


「うん。」


「毎日が少し楽しみなの。」


 九条は澪を見る。


「学校へ行くのも。」


「放課後も。」


「帰り道も。」


 澪は少し照れながら笑った。


「全部、前より好きになった。」


「そうか。」


「うん。」


 九条も小さく笑う。


「俺も同じだ。」


 澪は目を丸くしたあと、ふっと柔らかな笑顔になった。


「なんだか安心した。」


「どうして。」


「私だけじゃなかったから。」


 夕日が二人を優しく照らす。


 空は茜色から少しずつ群青色へと変わり始めていた。


「また来よう。」


 九条が言う。


「本当に?」


「ああ。」


「今度は季節が変わった頃にも。」


 澪は嬉しそうに頷いた。


「約束ね。」


「約束だ。」


 小指を絡めることはない。


 けれど、二人の約束は言葉だけで十分だった。


 帰り道。


 住宅街には街灯が灯り始めていた。


 並んで歩く二人の距離は、最初よりほんの少しだけ近い。


 肩が触れるほどではない。


 それでも、お互いの存在を自然に感じられる距離だった。


「今日はありがとう。」


 澪が静かに言う。


「こちらこそ。」


「また秘密の場所、見つけたら教える。」


「楽しみにしてる。」


 駅前で別れる前、澪は小さく笑った。


「悠理。」


「なんだ。」


「今日の放課後。」


「うん。」


「少しだけ特別だったね。」


 九条は夕焼けの残る空を見上げ、静かに頷いた。


「ああ。」


「きっと、忘れない。」


 その言葉に澪は優しく微笑み、小さく手を振る。


「また明日。」


「また明日。」


 その何気ない言葉が、二人にとっては一日の終わりを彩る大切な約束になっていた。

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