第3話 歯車
「何なんだあいつら!」
月の光に照らされながら、叶夜はひたすらに足長手長と名乗った怪物から距離を取る。
久しぶりに全力で走っているため息は既に荒くなり始めているが、逃げる事に必死で気づきもしない。
「とにかく逃げないと! どこか身を隠せる場所に!」
幸いにもある程度は知っている住宅街。
どこを逃げれば良いかは分かっていた。
十字路に差し掛かり、叶夜はどの道を進むべきか考える。
「っ! 右!」
右は道が入り組んでいて振り切るには丁度いいと判断をすると、転びかけながらも全速力で右に曲がる。
(よし! このまま行けば!)
スタミナが切れかかる中で、逃げ切れると安堵した瞬間であった。
―後ろの方から轟音が鳴り響いたのは
「何だ!?」
まるで爆弾でも落ちたかのような衝撃音に、思わず叫ぶ叶夜。
土煙が自分を追い越して遠くまで舞うのを見て、後ろが気になり始める。
だが同時に心の何か、もしかすれば生存本能が叫んでいた。
―余計な事を考えるな、ただ逃げろ
声に従い走り続ける叶夜であったが、欲求に負けて振り向いてしまう。
「「やっと見たな人間!!」」
「……は?」
叶夜の目に映ったのは、そびえ立つ絶望であった。
もし居たのが足長手長であったなら、恐怖しながらも奮い立てたかも知れない。
だがそこに居たのは、立ち並んでいる住宅を押しつぶしそうな程に大きい鉄の巨人。
つまりは巨大なロボットであった。
「勘が外れたな! 兄者!」
「そうだな弟者! 次は押しつぶしてやるぞ!」
不思議な事にロボットから聞こえてくるのは足長手長、あの二人の声。
どうやら左に曲がるか真っすぐなら、巨大な腕で潰されていたらしい。
この状況で間抜けな声を出しながらも走り続けられたのは、叶夜にとって幸運であったろう。
「「さぁ次はどっちに行く人間! 簡単に潰されてくれるなよ? 楽しくないからな!!」」
「クソッ! 遊んでやがる!」
足長手長の言葉に怒りが湧く一方で、叶夜は諦めの気持ちが少しずつ頭を支配していくのが分かる。
本気で殺すつもりなら、とっくに自分は死んでいる事を理解しているからだ。
(もういいだろ?)
(黙れ)
(どうせ生きていたって、やりたい事もないだろ?)
(黙れ)
(もう脚も限界なんだ。誰も文句なんて言わないさ)
(黙れ!!)
頭の中に次々湧く諦めの言葉を黙らせるように、必死に道路を駆け抜ける叶夜。
T字路に差し掛かり、一瞬迷いながらも左に曲がる。
次の瞬間に後ろの道が押しつぶされるのを、爆音と飛び散るコンクリートで分かった。
瓦礫に躓きながらも脚を止めずに走り続ける叶夜であったが、体力は限界を迎えようとしている。
「こんな、事なら。素直に、運動部に、入れば、良かったよ」
軽口を叩きながら自分の体力の限界を嗤う。
実際は入った所でどうしようも無い事を理解してはいるが、現実逃避しなければ止まってしまいそうであったからだ。
次々に現れる曲がり角に、考える事無く曲がり続ける叶夜。
彼の運がいいのか、それとも足長手長の勘が悪いのか。
ともかく間一髪の所で躱し続ける。
「かー! しぶといな弟者!」
「なあ兄者、さっさと殺した方がいいんじゃないか?」
「いいやまだだ弟者! あと一回やらせろ!」
少しイラつき始める足長手長の会話を聞き流しながら、叶夜はふらつきつつ脚を動かす。
何とか生き残ってはいるが、走っているのか歩いているのか分からないスピード。
体と頭がもう動けないと訴える中で、精神力で動かしているのが現状であった。
(……死にたくない)
一歩踏みしめる度に湧いてくるこの思いを種火にして、決死に動かす体。
(死にたくない)
叶夜には将来の夢など特にない。
ただ流されるままに生きて来た彼に、生きるための糧など持ち合わせてはいなかった。
きっと亡くなっても、悲しむ者は少ないだろうという謎の自信すらある。
―だが
(死にたくない)
―だとしても
(死にたく、ない!!)
―この願いだけは揺るぎはしなかった
(こんな空っぽの人生のままで、死んでたまるか!)
それは生命の危機を前にして、叶夜に初めて芽生えた心の火。
自分が諦めが悪い事を、この瞬間知った彼の前に再び十字路が待ち構えていた。
もはや曲がる為の体力すら惜しいため、真っすぐ進む叶夜。
だがその頭上には、待ち構えていたかのように鉄の手のひらが迫ってきている。
「見たか弟者! 当ててやったぞ!」
「流石は兄者!」
(死んで、たまるかぁ!!)
喧しい程の足長手長の声すらも遠く聞こえる中、それでも諦めずに逃げる叶夜。
だが現実から逃れる事は出来ず、押しつぶさんとする手はすぐそこまで迫っていた。
(ほぅ、中々の気骨じゃな。……死なすには惜しいか)
突如聞こえてきた鈴を転がすような女の声。
間違いなく足長手長ではない声色に叶夜が疑問に思ったのも束の間、足元を中心に黒い穴が突然現れた。
「兄者!? もしかして!?」
「ああ弟者! あの狐女、獲物を横取りする気だ!」
慌てた様子の足長手長であったが、時すでに遅し。
手が周りの家ごと地面を押しつぶしたのは、叶夜が穴に消えた後であった。
・・・・・・・・・・・
「……ん。ここは?」
叶夜が目を覚まし見回してみると、そこは黒一色な世界。
さっきまで街を照らしていた月すら無いというのに、ハッキリと自分の姿は確認できていた。
「これが、死後の世界?」
「そんな訳あるか。ただ見えてないだけじゃ」
「だ、誰だ!」
再び先ほどの女声が耳に届き、叶夜は身構える。
だがどれだけ探しても見えるのは黒だけで、誰も居なかった。
「はぁ、仕方ないのう。お主にも見えるようにしてやろう」
そんな女の声が聞こえた瞬間、目の前に桜が現れた。
まるで最初からあったかのように桃色の花びらを散らす巨木に驚く叶夜であったが、根元に陣取る女を見つけた瞬間、全ての思考が停止する。
―この時、物語の歯車が動き始めたのであった




