着るものがない
不老不死――その称号は最高最強の魔女を目指す私にとって究極のボーナスよ。誰にも邪魔されない無限の時間。永遠に可愛いままの肉体。これでもうこの世に私の覇道を阻むものなんて存在しないわ。
私は修行を際限なく続けた。永い修行の時間の末に精神的疲労も蓄積していたけれど、今の私の心は幸福感で満たされていた。
全身の魔力回路を流れる魔力は、以前とは比べ物にならない太さと滑らかさで光の奔流のように流れる。その速度は修行を始める前の私には想像もつかなかった次元に達していたわ。
「ふふ。以前は一点に魔力を収束するのにあれだけ脂汗を流していたのにね」
今ではずっと楽にできるようになったわ。少し集中して意識すれば魔力は私の思い通りに集まる。私はその魔力を手のひらに集中させて火魔法を発動させた。
ボッと音を立てて現れた火の玉は、以前よりも遙かに大きく高密度で完全な球体を描いている。
「出力は申し分なし。安定性も完璧。可愛い私を守る不老不死のシステムも万全よ!」
――時は満ちたわ。
私は手のひらの上の火球を入口を塞いでいるバリケードへ発射した。
ズドンッ!
爆音と共にバリケードが消し飛んで道を開けた。差し込む陽光が眩しいわ。今の私の輝きには遠く及ばないけれどね。
「洞窟……いえ、こんな穴蔵の中での生活はもう終わりね!さあ次は外の世界よ。震えて待ってなさい、森の魔獣ども!」
高笑いと共に私は世界を蹂躙するための第一歩を踏み出したわ。
――と、思ったけれど。
途端に自信がなくなってきたわ。
一歩外へ踏み出して「さあ、魔獣狩りよ!」意気こんだら私の足はピタリと止まってしまったのよ。久しぶりに感じる魔獣の咆哮や威圧感。それに実際に対峙した時の様子を冷静に思い出されてきたわ。
「……今の私なら、その辺りを徘徊している魔獣……イノシシとかトカゲなら簡単に倒せるかもしれないわ」
でも……もっと上の存在はどう?
脳裏によぎるのは私が魔法の存在を知るきっかけとなった白黒コンビ。全身が鋼鉄のような漆黒の毛皮で覆われた黒いクマ。分厚い霜を纏ったような白いオオカミ。彼らの実力はそんじゃそこらの魔獣とは明らかに次元が違っていたわ。
「今の私の実力だと、あの白黒コンビに通じるかはちょっと自信がないわね……」
あの時の戦闘の記憶を自分の今の実力と比較してみる。黒いクマの土魔法。白いオオカミの氷魔法。今の私でも魔法だけなら同じ良い勝負になるかもしれないわ。
彼らには魔法だけでなく圧倒的な膂力がある。対して私は不老不死とはいえ、か弱い美少女。一発殴られればトマトのようにクシャッと潰れるわ。再生するにしても潰れる瞬間は死ぬほど痛いに決まってるわ。
それに、もし……丸呑みにされたら?
「不老不死の私が生きたまま胃袋に収まったらどうなるのかしら?」
想像してしまったわ。胃酸に溶かされながら、それでも死ねずに再生を繰り返して永遠の苦痛の中で意識だけが残り続ける地獄。最悪の場合、消化されて茶色い固形物として排出されるまで、私は意識を保ったままなの?
「いやあああああああ!!」
美少女の尊厳に関わるわ!そんなの死ぬより嫌よ!絶対に無理!私はくるりと回れ右をした。冷や汗が滝のように流れ出ているわ。前言撤回よ。
「勇気と無謀は違うのよ。今の状態で挑むのは単なる自殺行為ね」
死なないけれど。とにかく戦略的撤退よ。ここは食料と水があり、安全が確保された最高の訓練場じゃない。ここを捨ててまで外に出るなんて、まだ早計だったのよ。
「白黒コンビに出くわさない内に早く戻りましょう。運が良かったわね!もう少しだけ、私の引き立て役としての命を繋がせてあげるわ。感謝しなさい!」
捨て台詞を吐き捨てて私は穴蔵へ戻る。ふぅ……危ないところだったわ。さっき吹き飛ばしてしまったバリケードは土魔法で再構築する。
もっと修行を重ねて、余裕が出てきたらまた考えましょう。ええ、そうしましょう。
悪い考えを振り払うように定位置に座って、私は再び修行の旅を始めることになったわ。
魔力回路や魔力総量の成果は修行の日々を過ごす度に着実に成長している。
「もう良いんじゃないかしら。あの白黒コンビ倒せるわよね」
ある日、ちょっとした自信が出てきた私は、ついに外へ出る勇気を固めようとしたわ。私は洞窟の入口へ向けて高らかに右手を天に突き上げ、勝利のポーズをとる。
「さあ、行くわよ!世界は私のもの……」
けれど洞窟の入口に向けて足を進めようとした時、その自信はごくごく些細で、最も原始的な問題によって一瞬にして打ち砕かれることになったわ。
ビリッ。
私の宣言は不吉な亀裂音によって遮られたの。
「……え?」
動きを止めた私の視界の隅で肩口の布がハラリと落ちた。
「やだ。ちょっと」
修行期間中、泥に塗れ、汗にまみれ、魔法の余波に削られ、私が長い歳月身につけてきた唯一の服、一張羅がついに限界を迎えたわ。
「ちょお!?ちょ、ちょっと待ちなさい!」
慌てて服を押さえようとして私の指が触れた瞬間、そこから連鎖反応が起きたわ。背中から脇腹、そして胴体へ。生地はもはや布としての結合を保てず、灰色の粉となってサラサラと地面へ降り注いでいったわ。
ものの数秒で元の服の形を認識できるものは何一つ残らなかった。後に残ったのは地面に積もった灰色の繊維の山と――全裸の美少女が一人。
私はその場で完全に凍りついた。雪のように白い肌。永遠に変わらない幼く完璧なプロポーション。そんな至高の存在である私が、薄暗い洞窟の冷たい湧き水のほとりで、すっぽんぽんになって立ち尽くしている。
「な……なによ、これ。何が起こったの?私の服がただの微細な塵になったってこと?」
私は地面に散らばった元の色も形もわからない灰色の繊維のカスと、自分の白い肌を交互に見つめた。私の精神と肉体は不老不死の能力で永い時間の流れに耐えてみせた。
私が着ていたのは白色でシンプルだけど可愛らしいワンピース。でも、所詮はただの布。この服はギリギリまで耐えた後「もう限界」というように崩れていったの。
一瞬の困惑の後、私は静かに目蓋を閉じた。そして地面に散らばった灰色の繊維の塵を、まるで宝石を扱うかのように細心の注意を払って両手で掻き集める。
「よく……耐えたわね」
私の声は洞窟の湿った空気に溶け込んで、慈愛に満ちた響きを帯びていた。その姿は、遥か昔の親友の遺骨に別れを告げる孤高の聖女のようだったわね。
私は塵を乗せた両手を湧き水のほとりに優しく下ろした。澄み切った水面は私の白い肌と灰色の塵を映している。
「私の修行、私の進化、私の可愛さの歴史。その全てを全身で受け止めてくれた唯一の同志よ」
塵となってしまった同志の周りに、私は光魔法を使って青く清らかな光のオーラを纏わせた。まるで大聖堂の祭壇に捧げられる聖遺物のようにね。
「貴方の役割は終わったわ。貴方はこの宇宙一の魔女の体を守り続けた最初の聖衣、そして最も名誉ある無垢の残光だった。その功績を讃え、私は貴方を最も純粋な水で洗い清めて、大地に還すわ」
私は神妙な面持ちで塵を乗せた手のひらを水面へと傾けた。チリチリと音を立てて水と混じり合った繊維は、すぐに溶けて水底の泥へと沈んでいく。
「永遠の安息を。そして私という至高で崇高で最高の存在を守り抜いた誇りを、星々へ伝えなさい!」
儀式は完了したわ。同志の墓は湧き水の底の親指の爪ほどの、小さな湿った塵のシミになったわ。私は厳粛な雰囲気を保ったまま、静かに瞑目し数秒の黙祷を捧げる。完璧な顔立ちには崇高な悲しみが漂っていたわ。
――はたから見れば、ボロ布の残骸に大仰に別れを告げる全裸の不審者だったけどね。
しばらくして、私はハッと我に返った。
「って供養に熱中してる場合じゃない!この私がいま!まるっきり全裸じゃないのよ!」
私の思考回路は、常に宇宙規模の難問を瞬時に解決してきた。だけど今、私の目の前にある問題はあまりにも原始的で、あまりにも現実的すぎたわ。
――着るものがない。
「……どうすればいいのよ」
私は頭を抱えた。この永い修行の間、服のことは完全に意識の外だったわ。誰に見られるわけでもないし、常に汚れてボロボロだったもの。「新しい服が欲しいわね」と考えたことすら悠久の時の中で風化していったわ。
「服……服って、どうやって作るの?糸よね?糸って綿から出来てるであってる?綿なんてこの辺りで見たことないけれど……」
私の頭の中で前の世界の知識が高速で検索されるけれど、検索結果は残酷なものだった。
「ダメ、ダメよ!全部前の世界の道具が必要な知識ばかりじゃない!糸車?織機?私は今ど自然のど真ん中に立っているのよ!そんなものこの森のどこにあるっていうのよ!しかも作りがちょっと複雑だった気がする。…作れる気がしないわ」
私の中で服や糸は買うものであって、作るものじゃないわ!しかも作り方にまで興味を向けたことなんてほとんどないわよ!
私を笑ってるそこの貴方。普段周りにある日用品の作り方を今すぐ答えてみなさいよ!無理でしょう!?
現実逃避をしながら私は洞窟の中を確認する。なにもない。洞窟の外に出て周囲の森を見渡した。木々だけよ。
「とりあえず、大きな葉っぱでも体を覆うべきかしら」
私は巨大なシダの葉のようなものを想像して――すぐに嫌な記憶が蘇って首を横に振った。覚えてるわ。かつて挑んだプロジェクト・葉っぱのパンツの悲劇を。
あの時、私は蔓で葉っぱを腰に巻いてみたけれど結果は散々だった。歩くたびに硬い葉の縁が柔肌に擦れて痛いし、ガサゴソと盛大な騒音を撒き散らした。あんな拷問器具、二度と御免よ。
それに葉っぱ一枚で身を覆ったところで、美しい裸よりも遥かにみすぼらしい原始人のように見えてしまうわ。その葉を装備した自分をイメージする。
「いいえ、やっぱり駄目よ。可愛い裸の私だけなら誰かに見られても『まぁ!妖精よ!』って押し通せるかもしれないけれど、葉っぱで身を覆ったら『美少女の原住民!?』ってなっちゃうわ」
それに葉っぱは脆い。無垢の残光が永い間私を守ってくれたのに対して、葉っぱなんて一歩歩けばパリパリと破れて、その都度新しいものを用意しなきゃいけなくなっちゃう。そんな不毛な作業のための時間なんて、私の貴重なスケジュールにないわ!
私は服すら用意できないというこの絶望的な状況を改めて考えて、一つの真理に行き着いたの。
「これはあのボロ布が……、間違えた。無垢の残光が私に与えた最後の啓示だわ」
想像する。
「オオオ……ミッション、コンプリート……デ、デシタ……デ、デスガ……!」
「あ、あなた……無垢の残光!?何を言っているのよ、安らかに眠りなさい!」
私は感動と困惑の入り混じった表情で、ボロ布の塵の魂に話しかけた。
「イ、イエ!イケマセン!ゴシュジンサマァ……!マダソトニデテハ、イケマセヌ!!」
塵の塊はブルブルと震えて、最後の力を振り絞るように訴えかける。
「ワタシガ、ワタシガキエタノハ……ソトニデルノハキケンダトイウコトヲ、テンニツタエルタメ……!コノ、ムボウビデ、ウチュウイチカワイイオカラダヲ……サラシテハ……イケマセヌゥ……!オソロシアァァ……!」
その声は消滅したボロ布の悲壮な義務感と、外の危険に対する恐怖で満ちていたわ。
「そう、なるほどね……」
私はゆっくりと納得の表情を浮かべた。
「私の唯一の同志だった貴方が、その消滅をもって私に伝えたかったメッセージ……。それは『この不完全な装備のまま、世界に君臨しに出てはならない』という啓示だったのね!」
私は全裸のまま、湧き水のほとりで自身の欠点を指摘したボロ布の塵に微笑みを浮かべて深く頷いた。
「分かったわ同志よ。あなたの忠告と消滅は無駄にしない。私はあなたが最後まで守り抜こうとした可愛い私を、この洞窟の中で完璧にさせる!」
私は改めて湧き水の底に沈んでいる塵に向かって、ビシッと敬礼をした。全裸でね。
ありがとう、そして永遠の安息を。




