希望の扉
無垢の、……ええと、何だったかしら。
まあいいわ。ひとまず元同志との別れを経て人間的に一回り成長した私は、再び洞窟の奥深くへと戻った。
「私の修行はまだ未完成だったわ。最高の美少女である私を自然の脅威や原始的な生活の不便さから、完全に守り抜くためにはまだ足りない」
魔法だけなら既に「白黒コンビを超えたんじゃないかしら」っていう自信はある。でも彼らの膂力はやっぱり侮れない。あの二体の膂力は一撃一撃が岩をも砕くほど凄まじい。
もし私の魔法が彼らの速度にわずかでも遅れをとったら?攻撃を躱されたら?当たっても倒しきれなかったら?その瞬間、彼らの爪と牙によって私の可憐な肉体は引き裂かれるわ。
そうなっちゃえば、不老不死でも次の行動を起こすことが出来なくなる。奴らに「いただきます」から「ごちそうさま」までをお届けする、美少女フルコースになってしまう未来しか見えない。
「あらゆる場面にも対抗できるように、魔法の規模や練度だけじゃなくて、種類も増やしてみましょう」
これまでの修行で火や水といった、いわゆるオーソドックスな属性魔法はかなりのレベルまで修めたわ。でも今の私は全裸。防御力ゼロの紙装甲よ。
戦闘に勝利するためには、自分の身を保証するために防御の魔法が必要じゃないかしら。可愛い私が傷ついたら世界の損失だしね。一晩経てば治るけれど。
それに不意打ちをしかけられたら、防御の魔法を行う前にやられちゃうかもしれないわ。そのために全方位の状況を把握出来て、敵の位置を正確に知るための魔法の習得も目指しておきましょう。
「何より、私の裸を狙うかもしれないロリコン対策的にもね。最優先事項だわ!」
そう決意して再び始まった修行は、魔力回路や魔力総量を鍛える従来通りの基礎訓練に加え、新魔法を開発・習得する作業に没頭するものとなった。
結果から言えば成果は盤石なものとなったわ。既存の魔法の練度は極限まで高めた。魔力総量も魔力回路もこれ以上は鍛えようがないレベル――私の肉体的な限界値まで達したと感覚的に理解したもの。
その上で目標としていた複数の新しい魔法も習得できたわ。
高密度に圧縮した魔力を無数の正六角形が境目なく組み合わさるように形成して、いかなる物体をも通さない防御魔法。命名、魔力障壁または障壁。
自分の魔力を波動として放射して反響で地形や周りの物質の位置、さらには対象の魔力総量を把握する探知魔法。命名、魔力感知。
「攻撃、防御、情報、全てが完璧。もう私を誰も脅かすことは出来なくなったわ」
そう、私は到達したのよ。最強の魔女という頂に。
誰も踏み入れたことのない魔法の頂。世界でただ一人、私だけが最強の魔女という称号に相応しい存在になったのよ。
――けれど、この完璧な力を手に入れるために費やした代償は、あまりにも大きかったわ。
まず修行期間が意図せず途方もなく永いものとなってしまったわ。岩壁につけた時間の記録もいつしか無意味になって、私はただひたすらに成長という名の作業を繰り返すだけの機械と化していたの。
終わりの見えない修行、会話のない孤独な環境、常に自分自身を限界まで追い込み続ける集中力。不老不死の肉体が休まない分、脳と精神は休まることなく酷使されてしまったわ。
この精神的な疲労が私に弊害をもたらした。
元々剥離し始めていた、私が体感する時間の長さと実際に流れる時間のズレ。肉体の老化がないことと、精神的疲労による時間感覚の麻痺が重なって、私の時間感覚は想像していた以上に希薄化して、やがて消滅してしまったわ。
完成したばかりの魔力感知で意識を外界に向けたとき、捉えた森の木々の植生は完全に変わり、地形すら風化して形を変えていることに気づいたわ。
「……ああ、そう。軽く百年以上は経過しているみたいね」
その事実は、私が一般的な人間の寿命を超える時間を、この洞窟で過ごしていたことを残酷なまでに証明していた。
今までとは桁の違う永すぎる時間。可愛さは永遠。だけど可愛さだけじゃ心までは保てなかったわね。以前の感情に蓋をするような生易しいものではなく、人間性を砂のように削り取るような感覚で、私の感情を霧散させたわ。
「感情とは、なんて愚かで非効率なものなのかしら。怒りや喜びは、私の魔力の練度を乱すノイズに過ぎないわ」
私の思考はもはや論理と魔力術式の解析だけに集中していた。表情は常に冷静で、神々しいほどの無表情へと固定されていく。
「過去の私は何をそんなに騒いでいたのかしら」
かつての私が信条としていた、可愛ければ最高とか至高の美少女とか……何それ、意味不明だわ。
私は何の感傷もなく洞窟を出て、魔力感知を発動させながら辺りを散策する。季節は春か夏のようで森の木々は鮮やかな緑に染まりきっていたわ。ただ、全裸であることだけが心のどこかで引っかかったわ。
外界の物質は私の魔力感知で透けて見える。遠くの魔獣の位置、地中に潜む岩の塊、風に揺れる木の葉の座標。全てが私の支配下にある情報よ。
魔力感知で情報を集めながら散策を続けた今なら分かる。魔力の反応が弱い魔獣と、強い反応をしている魔獣がいるみたいだわ。
私の頭上、木の上にいる魔獣は弱い反応をしたイタチのような魔獣ね。この森に居るのだから当然のように、私が知っているイタチとは大きさが何倍も違う。カミソリのような鋭い爪で襲おうとしているように視線を私へ向けているわ。
「初の実戦ね。修行の成果を見るには丁度いいわ」
イタチが木の上から飛びかかってきたのと同時に、私は魔力回路を通して汲み上げられた膨大な魔力を瞬時に収束させる。風の刃を生成して、空中で身動きが取りようもないイタチへ向かって解き放つ。
ヒュンッ!
刃は肉や骨の硬さを無視して通り抜けた。イタチは断末魔の叫びを上げる間もなく空中で真っ二つに切断される。その後、地面にボトッと落ちて物言わぬ死骸へと変わったわ。
「ふむ。出力は十分。制御も完璧ね。……少し過剰火力だったみたいだけれど」
次の実験体を探しながら森を彷徨う。少し離れたところにトラのような魔獣を感知したわ。
「今度は繊細な技術を試すわ」
トラはこちらの方向を警戒しているように見えるけれど、私の姿は視界には入っていない。今度は指先程度の大きさで高密度に圧縮された土の塊を形成。魔力感知の情報だけを頼りに、トラの眉間へ照準を合わせ放出する。
パァンッ!
弾丸は木々の隙間を縫ってトラの頭蓋を正確に貫通した。トラは何の反応も示さず立ち尽くしていた。けれど、次の足を踏み出そうとしたらズンと重い音を立てて巨体が崩れ落ちたわ。
「……十分すぎるわね」
魔法の成果は確認出来た。でも魔力感知で弱い反応の魔獣は弱すぎて参考にならないわ。
「強い反応をした魔獣の方へ向かおうかしら」
そんな事を考えていると、比較的近いところに居た魔獣に動きがあった。シカのような形状の魔獣が、私に向かって真っ直ぐに突進してきている。
「愚かね、真正面から来るなんて。……溢れ出る私の魔力に惹かれて来たのかしら」
理知的な私らしく原因を分析しながら魔獣を確認する。荒い鼻息、充血した目、異常な興奮状態。捕食行動にしては違和感があるわ。
私は眉を寄せて「ありえないわよね」と思いながら、自分の体を見下ろす。全裸だわ。
「え?……まさか……発情期?」
私の言葉に応える知性などあるはずもなく、シカは目を血走らせて私へ突っ込んでくる。「可愛さは種族の壁を超えるのかしら」と真剣に考察しつつ、私は一歩も動かない。
魔獣が私のすぐ近くまで迫った瞬間。
ガァァァァン!
展開されていた微動だにしない魔力障壁に阻まれ、突進の運動エネルギーはそのまま弾き返された。シカは凄まじい反動を受けて吹っ飛んでいったわ。
「障壁の強度も確認出来たから、結果オーライなんだけれど」
地面でのたうちまわっているシカはまだ生きている。その目がまだ私を求めているようで――背筋に寒気が走ったわ。
「きも……」
理知的な私らしくない言葉だったけれど、しょうがないわ。生理的に薄気味悪くて、トドメをさす気にもなれなかったもの。そそくさと私はその場を離れたわ。
気を取り直して次の実験体ね。魔力感知で強い反応をした個体が、ある場所に留まっている。
「久しぶりだわ」
かつての恐怖の対象。今はただの標的。私は再会を愉しむようにゆっくりと歩き出した。
私が魔法のきっかけを知った場所。
そこにたどり着くと、以前は争っていた二体の巨影――黒いクマと白いオオカミが私を待ち構えていたわ。彼らは私が放っていた魔力感知の波動に気付いたのか接近を察知したのか、自分たちの方に向かってくることをわかっていて、逃げることもなく対峙することを選んだみたい。
「ただ魔法が使えるだけの獣と思っていたけれど、違ったようね」
黒いクマはその巨体を震わせ、白いオオカミは油断なく身構えている。私を明確な警戒対象と理解して様子を伺っているようで、攻撃してくる様子はないわ。
魔力反応が弱い魔獣は本能のままに動いているようだったけれど、彼らのような魔力反応が強い魔獣は知性を持っているように見えるわ。
それなら、話は早いわ。
「もうおしまいよ。あなたたちが、私という至高の存在に勝てる可能性は――ゼロよ」
私は一切の攻撃魔法を発動しなかった。ただ自らの肉体に内包されている膨大な魔力を圧力として周囲に解放した。
ドンッ……!
濃密な魔力の奔流が爆発的に広がって周囲の空間を激しく歪ませる。森の空気が鉛のように重くなり粘性を帯びたかのように軋む。全ての存在を押し潰さんばかりの威圧感が大地を這ったわ。
彼らの肉体を流れる魔力、そして魔獣としての生存本能が理解したはずよ。彼らの力では、私の前に立つことすら許されないのだと。
恐怖と理解を超えた存在への畏敬。二体の魔獣は強靭な足腰を折って、ゆっくりと地面へと沈み込んでいく。そして巨大な頭を私の足元に擦り付けるように伏せ、深々と平伏したわ。
「よろしい」
私は満足そうに頷く。二体の魔獣は抵抗の意志を完全に捨て、恭順を示すように鼻を鳴らした。至高の存在たる私の言葉に対する服従の意志を示す反応だったわ。
「……さて。従えたはいいけれど、これからどうしようかしら」
今まで洞窟に籠もっていたのは、森を出歩けば殺されるリスクがあったから。けれど修行の結果、圧倒的な力を手に入れたことでその前提は消滅した。当初の目的だった安全の確保は、過剰なまでに達成してしまったわね。
「それなら、次は何をすべきかしら」
思考を巡らせていると、足元に平伏していた二体の巨獣が、上目遣いにこちらの様子を窺っていることに気づいた。
「……何?私に何か言いたげね」
声をかけると二体は顔を見合わせ、何かを相談するように視線を交わした。やがて意を決したように立ち上がると何度も森の奥へと振り返り、私に「ついて来い」と促すような仕草を見せて歩き出した。
「どこかへ案内したいとでも言うの?」
言葉の通じない獣にしては随分と理知的な提案ね。当面の予定もない。私は奇妙な誘いに興味を覚えて、悠然と彼らの後を追うことにしたわ。
魔獣たちは随分歩き続けたけれど、目的地はまだ先みたいだわ。体力がないこの幼い体では辛くなってきた。私は風魔法を展開し、ふわりと浮遊しながら追従することにした。
その瞬間。魔力に反応したのか、二体がバッと音が出るくらいの勢いで振り返ってきて、私はビクッと驚いてしまったわ。「生意気ね」と思ったけれど、彼らは恐怖に凍りついて身を縮こまらせている。
「……何もしないわよ。ただの風魔法、移動の補助よ」
私が呆れて声をかけると彼らは安堵したように息を吐き、また恐る恐る足を進め始めた。しばらく歩き続けて案内されたのは小さな谷間だった。
その谷間で、私は信じられない光景を目撃した。
森の緑でも岩の灰色でもない。あきらかに自然界には存在しない直線的なシルエット。
「これは……これは、家じゃない!?」
それは太い丸太を丁寧に組み合わせて作られた、ログハウスのような建物だったわ。屋根や壁には苔が生えているけれど、そこには窓枠があり、扉がある。
紛れもない文明の象徴。
「あ、あああ……」
数百年にもわたる孤独な修行の中で感情は削ぎ落とされ、効率と論理のみで動いていた私の心に、暖かく懐かしい波が押し寄せてきたわ。この森に私以外の人間に近い存在がいた証拠。服を着て、道具を使い、言葉を話す誰かの存在。
私の表情がそれまでの神々しい無表情から一変していく。目尻に久しく忘れていた熱い雫が滲んだ。たまらず私は小屋の扉に駆け寄って、冷たい木肌に顔を埋めた。
喜び。安堵。そして人間的な温もり。修行の疲弊によって凍りつき、そぎ落とされたと思っていた感情が、熱を持って一気に溶け出し濁流となって押し寄せてきたわ。
「きゃああああああ!こんな森の中で誰か人間レベルの生活を送っているバカがいたのよ!ありがとうバカ!」
今まで他の人の存在が感じられなかった森の生活、というか洞窟の生活。けれど今、人の痕跡がこんなにもハッキリ感じられて目の前にある。涙でぐしゃぐしゃになった顔で感情が爆発し、私は喜びのあまり小屋の主を罵倒しながら歓喜した。
背後で白黒コンビがホッとしたような、低い唸り声を上げているのが聞こえたけれど、どうでもいいわ。
この小屋は私が再び人間として生きるための希望の道標よ。人間に必要な道具や衣食住の知識が、この場所でならきっと得られる。私は涙を拭って、久々に心からの笑顔を浮かべて小屋の扉に手をかけた。
その笑顔はかつて宇宙一可愛いと自負していた、あの頃の私のものだったわ。
私の新しい物語はこの小屋の扉から始まるのよ。




