文明生活
始まらなかったわ。私が想像した、小屋の主との接触から人間的な生活に戻る物語は、始まらなかったわ。
小屋の木の扉に顔を埋めて、久々に人間的な感情を取り戻した私。喜びと安堵の熱い雫が目尻から流れ落ちるのを感じながら、私はゆっくりと扉を押し開けた。
「さあ、私の新しい物語の始まりよ!中にいる貴方、宇宙一可愛い私を……」
私が弾んだ声で言葉を継ごうとした瞬間、私の口から出た言葉は途中で途切れたわ。
シーン……
部屋の中は驚くほど静まり返っていた。外の森の音や土の匂いも遮断されていて、そこには木材と長い間使われていなかったみたいな、埃っぽい独特の匂いが漂っているだけだったの。
「……あら?」
私の前に広がっているのは生活の痕跡だった。太い丸太を組んだ壁。壁際には石造りの暖炉。中央には小さな食卓と椅子が一脚。片隅には棚があって簡単な食器が並んでいる。寝室らしき扉も見えた。
持ち主が「ちょっとコンビニ行ってくる」と出かけたまま、何年も帰ってきていない時間が止まったような部屋だったわ。コンビニどこよ。
喜びで沸騰していた私の感情は、瞬時に氷点下まで冷却されたわ。
「な、なんでよ……」
私の顔から笑顔が消えていく。代わりに最強の魔女であるはずの私にはあまりに不似合いな、迷子の子供のような感情が浮かび上がる。
「いない……誰もいないじゃない!なんでこんな期待させるような家を作っておいて、誰も住んでないのよ!」
叫び声が誰もいない室内に虚しく反響する。
「せっかく全裸生活から解放されると思ったのに……。どうしてくれるのよ……」
私はその場に崩れ落ちそうになったわ。永い間、孤独な修行に明け暮れてようやく見つけた希望の灯。それが、誰もいない廃墟だったなんて。あまりにも残酷な仕打ちじゃない。
けれど、床に触れた私の指先は埃にまみれながらも、加工された木の滑らかな質感を伝えてきたわ。
――待ちなさい。
私の思考回路が絶望の淵から這い上がってきた。確かに人はいないわ。けれどこの文明の痕跡は、確実に誰かがここに存在した証拠よ。
「そうよ!人がいた!それだけで十分じゃない!」
私はガバッと立ち上がって、再び冷静な表情(まだ少し泣きそう)に戻った。
「人がいなくても、この家には私がこの世界で生きていくための、知恵と道具が詰まっているはずだわ!」
私は美術館の展示品でも眺めるかのように、小屋の中を歩き始めた。埃っぽい床を歩く足裏の感触でさえ、が文明的な生活の第一歩に思えて愛おしいわ。
まず目についたのは、壁際の棚だった。
カチャ、カチャ……
棚には素焼きの皿や簡素な木のスプーンが並んでいる。どれも前の世界の百円ショップ以下のクオリティね。それらに混じってボーンチャイナのような、真っ白な磁器のカップとソーサーが並んでいた。
「ふむ。食事用の皿やスプーンは粗末なのに、紅茶に使うような一部の食器だけが洗練されているわね。前の住人はよほどの紅茶好きだったのかしら」
私はスプーンを手に取ってその木肌の感触を確かめた。
「この程度の食器なら少し練習すれば魔法で作れそうね。でも誰かが作った文明の温もりを感じられる。これは魔法では代用できない心の衛生用品ね!」
私はスプーンを抱きしめた。最近の修行中は心の豊かさなんてゴミ扱いしていたけれど、人間性が回復した今となっては、こういう文明の美しさがたまらなく尊く感じるわ。
次に私は暖炉のそばに積み上げられた薪とその横にある道具に目を向けた。金属の刃が欠けた小さなナイフに、火打ち石と火打ち金らしきセット。
「ナイフと火起こしの道具ね。ふむ。着火なんて、私が火魔法を使えば指パッチン一つよ。風魔法ならカマイタチでどんな切断も可能ね」
一見すれば、今の私には不要なガラクタ。けれど私は道具の本質に気づいてハッとした。
「……いいえ、違うわ。この道具たちは誰でも、魔力消費ゼロで現象を引き起こせるじゃない」
私は道具の効率性を内心で激賞した。素晴らしいわ。これぞ文明の利器。魔女の私だからこそ分かる、究極の省エネツールね!
一通り居間を見て回った後、私の好奇心は奥の寝室へと向かった。
寝室のベッドは毛皮や布切れが敷かれていて、横には小さなタンスが置かれている。
――タンス!
心臓がドクンッと跳ね上がった。タンスといえば服!服といえば私の羞恥心と可愛さを守る最高の鎧よ!
私はタンスに駆け寄って勢いよく開けた。中にはゴワゴワした厚手の布でできた服が数着と、ドロワーズのような下着が乱雑に入っていた。
「あったわ!ついに……ついに!この恥ずかしい全裸生活とお別れよ!」
その中から一番小さそうなローブを引っ張り出した。そして私は小屋の窓ガラスに映る自分自身の前に立って、興奮しながら服を着てみた。
「……ブカブカね」
ローブの裾は床を引きずるほど長く、袖は指先まで完全に隠れてしまっている。布は硬くてチクチクしてて、肌触りは最悪ね。
「……まぁ、仕方ないわよね。こんな辺鄙な小屋に、私のような完璧美少女のサイズの服があるわけないじゃない」
窓ガラスに映るのは、服を着た美少女――じゃなくて、ズタ袋に着られた美少女だったわ。
不満げに袖を振ってみる。萌え袖と言うにはあまりに野暮ったいわ。素材も麻袋みたいにゴワゴワしてて全然可愛くないし。
せっかくの文明の服だけれど、美少女のプライドが許さなかったわ。けれどそのブカブカの布切れを手に取ったとき、私は修行中も解決できなかった難題に改めて直面した。
「この布の繊維……やっぱり、魔力では再現出来そうにないわね」
私は最強最高で可憐な魔女。けれど、魔力で作り出せるのは、燃える火、冷たい水、流れる風、固い土といった単一的な物質だけ。柔らかく繊細で耐久性のある繊維、つまり布の素材を生み出すことができないわ。
「結局、最強の魔法も布の生産技術には及ばないのね……。森を消し飛ばせる最強の魔女でも、パンツ一枚作れないなんて。屈辱だわ」
私はブカブカの服をぎゅっと抱きしめた。
悔しいけれど、これは私の魔力では生み出せない、この世界の文明が生み出した至宝よ。このゴワゴワの布切れは、今の私にとって金銀財宝よりも貴重な資源よ。
「いいわ、素材は手に入った。サイズが合わないなら合わせればいいのよ。この布を加工して、私だけの最高に可愛い服を作り上げてみせるわ!」
私は窓ガラスの中の自分を睨みつけ、不敵に笑ったわ。
さらに小屋の調査を進めると、居間の隅の木箱の中に興味深いものを見つけたわ。ゴワゴワした紙質のノート数冊と、獣の皮にインクのようなもので文字が書かれた巻物だった。
「これよ!この世界の文字と知識!」
私は手当たり次第にノートと巻物を開いた。そこに書かれていたのは見たこともない未知の配列をした文字だったわ。
「前の世界の文字じゃない。……世界が違うんだから当然よね」
宇宙規模の難問を瞬時に解決する私の思考回路がフル稼働で、文字のパターン、構造、規則性を読み取ろうとする。でも解読しようと試みた瞬間、猛烈な睡魔が意識を一気に引きずり下ろそうとした。
「……あら?」
抗いがたい頭の重さ。文字を深く見つめれば見つめるほど視界が霞み、思考が強制的に停止して、今すぐここで眠りたいという本能的な欲求に襲われる。
「な、なによこれ……。目が勝手に閉じようと……ね、ねむい……」
まぶたが鉛になったかのように重い。最強の魔女である私が、たかが文字解読ごときで寝落ちしそうだなんて。
「く、屈辱……だわ……」
私は怒りで睡魔をねじ伏せ、ノートと巻物を閉じた。途端に思考がわずかにクリアになる。手元にある道具と今はまだ読めない記録を抱え直した。
誰かが作った家。誰かが着ていた服の切れ端。誰かが書いた文字。これらは全て、ここに人がいたという事実よ。
「布は魔力で作れない。文字も読めない。最強の私に二つも解決できない問題があるなんて……」
悔しさが眠気よりも勝り始める。
「ありえないわ。私は最強の魔女として、この文明の欠落を埋めて見せるわ!」
私はダボダボのローブを着直して、自分の美少女ボディを見下ろした。修行で得た規格外の魔力と、この小屋で得た文明の知識と素材。それに私の美貌を合わせれば、向かうところ敵なしよ!
現状を整理して今後の目標を定める。
目標一:可愛すぎるオリジナル衣装を製作
目標二:小屋を快適すぎる最強の拠点に改装
目標三:文字の解読・書物の内容を把握
「よし。私の孤独な最強時代は終わり。次は宇宙一可愛い女王として世界に君臨するわよ!」
私は興奮気味に扉を開けた。けれど、外に居たはずの白黒コンビは居なくなっていたわ。
「……は?なによこれ。あいつらは?私が中で探索をしている間に…」
永い孤独に耐えた私にとって、せっかく見つけた話し相手がいない状況は耐え難いストレスだった。イラッときた私は、考えるよりも早く「ふんっ!」と魔力を辺り一面に解放したわ。
「どこにいったのよーーッ!」
足を踏み鳴らして体内の魔力を加減なしに周囲へ解放。感情に呼応した高密度の魔力が衝撃波となって広がって、森の木々がざわめき、地面の小石が浮き上がるほどの強大なエネルギーが辺りを覆い尽くしたわ。ノリと勢いでやってしまったわ。
その直後、白黒コンビが森の影から凄まじい勢いで飛び出してきた。片方は前のめりに転がって、もう片方は体をプルプル震わせながら地面に張り付くように跪いた。
「えっ?あ、あなたたち、そこにいたのね……」
どうやら彼らは私が小屋の中で色々確認している間、時間をつぶしていただけのようだったわ。膨大な魔力の圧で恐れおののく巨獣たちの姿に、少し拍子抜けした。自分の存在を主張したかっただけなのに、完全に威圧してしまったわ。
「な、なによ、そんなに怯えなくていいじゃない。別に本気で怒ってないわよ。ただちょっと寂しくなっただけじゃない!」
私は慌てて魔力を収束させて声をかけた。二体はまだ震えているけれど、その場から逃げ出さないことに安堵した。
「あなたたち、よく待っていたわね。今日からあなたたちはこの宇宙一可愛い女王様の下僕よ」
私は威厳を保ちつつも、どこか上機嫌な声で話しかけた。クマとオオカミはただポカンと口を開けて私を見つめているだけ。けれど、構わず続けるわ。
「そして下僕には名前が必要よ。クマ、あなたにはテディという名前をあげる。テディ、あなたの任務はこの小屋に他の魔獣が近寄らないようにすることよ。ガードマンよ。理解したわね?」
テディは私の言葉の途切れから「何か貢物を要求されている」と解釈したのか、急いで近くの地面を掘り始め、大きな木の根っこを引き抜いて差し出してきたわ。完全に伝わっていないわね。
「ちょ、ちょっと!何してるのよ!そんなものいらないわ!下僕の任務を理解しなさい!」
私は苛立ちを抑えながら次の子に目を向けた。
「次、オオカミ。あなたにはガウルという名前をあげる。ガウル、あなたの任務も同じよ。この小屋に私を邪魔する下等な魔獣を一切近づけさせないこと。特に私の大事な素材を盗もうとする不届き者には容赦しないこと!」
私は身振り手振りを加えながら説明する。ガウルは私の声のトーンから「何か重要らしい」ということは察したようね。ガウルは尻尾を振り小屋の周囲を高速でグルグルと走り回り始めて、風で埃を巻き上げ小さな竜巻を作り出した。
「ストップ!ガウル!竜巻じゃないわ!警備よ!警備!土埃で私の小屋が汚れるでしょ!」
手を叩くと二体はビクッとして止まった。けれど何をすべきか全く分かっていない顔で私を見上げてきたわ。テディは木の根っこを咥えたまま、ガウルは全身埃まみれ。
「くっ!私の宇宙規模の言語能力がこの子たちには全く通用しないなんて!簡単な意思疎通すら出来ないの!?」
私は言葉の壁の壁に直面したことで目標リストを更新した。
目標1:可愛すぎるオリジナル衣装を製作する。
目標2:この小屋を快適すぎる最強の拠点に改装する。
目標3:文字の解読・書物の内容を把握
目標4:下僕へのしつけ
私は満足げに頷いて小屋の中へ戻った。もう孤独じゃない。私は最強の魔女として、そして世界の女王として、最初の下僕と最高の拠点を手に入れることが出来たのだもの。
小屋の窓から外を見れば、夕日の中でテディが近くにある小石を何故か磨く様子と、ガウルが何を思ったのか地面に穴を掘り始めている。……ほんと、何してるのかしら、あの子たち。
「……今日はもう日が暮れるわね。本格的な活動は明日にしましょう」
私は奥の寝室へと向かった。ベッドは埃っぽいけれど、硬い地面の上で寝るよりは遥かにマシだわ。風魔法で表面の埃だけを吹き飛ばすと、ブカブカのローブに包まったまま倒れ込んだ。
ボフッと低い音がして身体が深く沈み込む。数百年ぶりに味わう、加工された布とクッションの感触。マットレスの適度な弾力が私の体重を均等に支えて、シーツの滑らかな肌触りが頬に触れる。
まぶたを閉じた瞬間、私は深い眠りへと落ちていったわ。




