新生活
まぶたを刺す強い光で私の意識が浮上する。目を開けると見慣れない天井があった。空じゃない。岩肌でもない。木の梁と板。一瞬、自分がどこにいるのか分からず思考が停止する。
「……っ、けほっ」
息を吸い込むと喉の奥がイガイガした。私は咳払いを一つして身体を起こす。この埃っぽい空気が昨日起きた出来事を思い出させた。
「そうだったわ」
周囲を見渡す。窓枠の隙間から差し込む朝日が、室内を漂う無数の埃の粒子を白く照らし出していた。静かだわ。風の音も、虫の羽音も聞こえない。壁一枚で隔てられたこの閉鎖空間が、今の私の世界。
「まずは、この澱んだ空気をどうにかしないと」
私は窓辺に歩み寄り、錆びついた留め具を外して窓を押し開けた。
澄んだ森の空気が室内の埃っぽい空気と一気に入れ替わる。私は胸いっぱいに朝の空気を吸い込んで大きく伸びをした。
「んーっ!最高の朝!」
視線を落とすと、小屋の近くで丸くなっていたテディとガウルが、窓が開いた音に反応して顔を上げた。どうやら逃げずに居てくれたみたいね。
「おはよう、下僕たち。今日もいい天気ね」
手を振ると二匹はのんびりとあくびをした。私は水魔法で手と顔を洗う。冷たい水が肌を引き締めて、最後の眠気を洗い流してくれる。
「よし!これからは新生活よ。今日も可愛く最高最強に過ごしましょうね」
永い孤独を乗り越え、全裸生活から脱し、私は新たな目標を胸に立ち上がった。この小屋……いえ、魔女の隠れ家を宇宙一可愛い女王様の拠点へと改装しましょう。そうすれば優雅で完璧な女王生活を確立するための基盤となるわ。
「さっそく取り掛かりたいんだけど、その前に」
私は自分の美少女ボディを見下ろした。
「まずはこの滑稽でダボダボな服を、どうにかしないと何も始まらないわね。オリジナル衣装は後で時間をかけて作るとして、当座はこれでなんとかしないと」
今の私はタンスから引っ張り出した、ブカブカでゴワゴワのくすんだ色のローブに包まれている。その布は分厚くて重い。さらに私の華奢で可憐な体には袖も裾も丈も全てが長すぎるわ。
「このままじゃ作業はおろか、一歩踏み出すたびに裾を踏んで転びかねないものね」
私はまずローブの長い袖を肘上まで豪快に腕まくりして、次に裾を膝上までまくり上げた。まくり上げた布が落ちてこないように、その辺で見つけた木の棒を差し込んで、応急処置のようにお粗末な状態で固定した。
差し込んだ木の棒は私の動きに合わせて時折パタパタと音を立て、私の優雅さとはかけ離れた貧しい下働きの女性のような姿を強調していたわ。
「……大丈夫よ。私はシンデレラ、私はシンデレラ……」
窓ガラスに映る自分から現実逃避するように視線を外す。必死に自己暗示をかけながら、魔女の隠れ家を快適すぎる最強の拠点に改装する作業に取り掛かった。
「まずは空気の浄化よ。埃なんて私の高貴な拠点には存在を許されないわ」
小屋の内部は長期間誰もいなかったせいで空気が重く、湿気と古びた木の匂いやカビの匂いが混ざり合っていたわ。これが私の高貴な感性を激しく刺激する。
「さあ、最強の魔女の力を見せてあげる!」
窓とドアを前回にした後、小屋の内部に向けて風魔法で渦を発生させた。
説明しましょう。この風はただの突風ではないわ。私の持つ規格外の魔力を微細な制御にかけているのよ。
風の渦を使って、小屋の中にある小さな埃を正確に捉え、床や壁の表面から剥がしていく。棚の上の食器やテーブル上の書物には一切触れることなく、空気も入れ替える。この精密さは私の魔力制御の極致よ!ふふん。
ブォオオオオッ!
まるで巨大な掃除機が小屋の中を通過したかのような轟音が響く。ただひたすらに埃だけを窓や扉から森へと勢いよく吹き飛ばしていく。窓の外では吹き飛ばされた埃が白い霧となって舞い上がり、森の木々の間に溶け込んで消えていったわ。
「完了ね!」
埃が全て除去された後の空気は、森の清涼な空気に満たされて新鮮な木の香りが鮮やかに蘇る。呼吸するだけで細胞の一つ一つが活性化するような、極上の清涼感ね。全身の皮膚が清々しさを感じたわ。
「あ~……、こういうのは無理ね」
私の視線は壁の隅々、特に暖炉の周囲や水場近くの木材に固定された。長年の湿気で染み付いたカビや、頑固な黒い汚れは私の魔法には一切動じていない。
「くっ……!この頑固なカビめ!洗剤があれば……」
洗剤って何よ。……いえ知っているわよ。どうやって作るのかってことよ。
掃除程度を解決できないなんて、最強の魔女として面目が立たないわ。手作業でゴシゴシやるなんて美しくない。論外よ。……でも魔女の隠れ家はこんな汚くなんてないわ。
私は必死に頭を回転させた。前の世界の知識よ。カビは酸性かアルカリ性で中和しなければ根こそぎ取れない。
「そうよ!アルカリ性!暖炉の灰を使えばアルカリ性になるはず!」
水場にあった雑巾と、暖炉に残った冷たい灰を掴んだ。灰を水で練って黒いカビの染み付いた木材に塗りつけては、雑巾でゴシゴシと擦りつける。
「うぅ……手が汚れるわ。それに完全には汚れが落ちないじゃない」
灰で大まかな汚れは落ちたけれど、根深い菌糸はびくともしない。私はさらに手段を変える。
「次は酸性よ!森の奥にあった、あの強い酸味を持つ果実を使うわ!」
洞窟で暮らしていたころに採取した、口に出来ないほど酸っぱかった果実。私はそれを潰した液体をカビの箇所に振りかけて、再び雑巾でゴシゴシと擦る。
「大丈夫よ。私はシンデレラ、私はシンデレラ。……違う!私は最強の魔女!こんな作業すぐに終わらせてやるんだから!」
灰と果汁にまみれ、私は高貴なプライドをかなぐり捨てて格闘し続けた。ようやく壁のシミは薄くなって、小屋は清潔な状態へと近づいていったわ。
後から考えたら雑巾を魔法で動かせば良かったわね。くぅっ!
次は家具の補修ね。小屋に残された食卓と椅子は簡素な作りでガタがきている。これじゃ女王の優雅な休息には程遠いわ。
「森から木を一本拝借して、風魔法でスパッと」
私は窓から森へ向けて風の刃を放ち、手頃な硬木を一本切り倒して引き寄せた。……便利すぎるわ。
小屋にあった家具を参考にしながら、作成をスパスパ続ける。ノコギリなんて不要。カンナも不要。私の魔法なら切断面は絹のようにツルツルなんだから!
ただ切るだけじゃ芸がないわね。より豪華に見えるように、綺麗な飾り彫りもしながらスパスパ。植物をモチーフに掘ればお洒落に見えるでしょ。
「じゃーん!」
ふふん、お洒落なテーブルセットがあっという間に完成よ。
「あと魔女といえばかかせないのが、アレよね」
残った木からもう一つ椅子を作成するために、さらにスパスパ続ける。ただの椅子じゃないわよ。ロッキングチェアよ。物語とかで暖炉の傍にいるお婆ちゃんが座って、編み物をしながら前後にゆらゆらするアレよ。
――想像してごらんなさい。
鬱蒼とした森に迷った旅人が、森で食料と水も尽きて絶望的な疲労に苛まれる。本能のままに歩き続けて、意識が途切れそうになったその時、木の枝の隙間から温かい光を放つ小屋を見つける。
中に入ると外の冷気とは対照的な、温かい空気に包まれた。微かにパチパチという焚き火の音。暖炉のオレンジ色の明かりに照らされていたのは、ロッキングチェアで静かにお昼寝をしている、一人の少女だった。
彼女は透き通るような肌と、炎の色を映して輝く銀色の髪、そして閉じられた目元に縁取られた鮮やかな碧眼を持つ、見目麗しい姿だった。旅人はその穏やかな寝顔を前にしばらく声をかけることもできず、ただ立ち尽くした。
「ああ……、……ああ……なんて美しいの」
私は作業の手を止めて、脳内に広がるあまりにも美しい光景にしばらく陶酔したわ。
――まぁ、そんなシチュエーションになることはないでしょうけどね。この森に迷い込んだ時点で高確率で魔獣のご飯よ。運良く小屋に辿り着くことが出来ても、うちの下僕たちに瞬殺されるだけね。
それはそれとして、妄想で恍惚とした私は続きに取り掛かる。背もたれを緩かにして、椅子の脚部分を前後セットにまとめるための長い曲線の棒にはめ込む。こっちにも飾り彫りをしておきましょう。
「はい完成~。私という最高最強の魔女は、また一歩上に登りました~。天井知らずとは私のことね」
私はロッキングチェアに深く腰掛けた。背中を預けると、椅子全体がゆっくりと後方へ傾く。
ゆらり、ゆらり。
「……最高ね」
この揺らぎは安らぎと優雅さを与えてくれたわ。永い孤独を癒やすような優しさ。背中の力が抜けて体がとろけてしまいそうよ。
「これで私の高貴な休息が保証されたわね」
私は深く息を吐いて文明の恩恵を全身で感じた。
次に重要なのが食料の確保ね。食べなくても死にやしないけれど、文明的な生活をしたいし、空腹感が続くのは嫌だもの。
前の住人がどうやって食料問題を解決していたか確認するために、小屋の周辺を周る。すぐに答えは出たわ。小屋の裏手には不自然に土が耕された、小さな畑の跡があったもの。今は雑草に覆われているけれど。
「よし、食料の自給自足は女王の務めよ!食は文明の礎。私のエネルギー源だわ!」
私は畑に出て、全体を覆い尽くす雑草に向けてお馴染みの風魔法。スパッとではなく根っこを土から一気に引き抜いて、遠くへ吹き飛ばす。作物っぽい植物も根っこごと一旦取り除いておく。畑の土は私の労働で耕さなければならないわよね……。
「あら……?土魔法でいけるかしら」
畑があるなら鍬もあるはずよね。小屋の外に立てかけられていた錆びた鍬を見つけたわ。私は華奢な腕に力を込めて、一部の面積だけ土を掘り起こし耕す。
「こういう風にすればいいのね」
土の状態を確認して参考にしながら土魔法を行使する。
ゴゴゴゴゴ……
地面がうねり始め、固まっていた土が掘り起こされ、空気を含んでふわふわの状態へと再構築されていく。
瞬く間に、荒地は整然とした美しい黒土の畑へと生まれ変わったわ。魔法で耕した土の状態も確認して「問題ないわね」と満足する。
額から汗が流れ落ちる。この疲労とそれによって得られる達成感は、魔法一辺倒の生活では得られなかった、文明と労働の恩恵ね。……ほぼ魔法の恩恵だけれどね。
「ん……?なにかしら、これ」
作物っぽい植物を畑に戻して満足しながら見回っていると、畑の隅に大切そうにされていた灌木を見つけた。微かに香る芳醇な香り。私の脳裏に、小屋で見つけたあの洗練されたティーセットが浮かんだ。
「お茶の木だわ!紅茶よ!」
私は歓喜した。これで優雅なティータイムが確約されたも同然。これも植え直しておきましょう。
やるべきことをやった私は小屋に戻る。
小屋を漁っていたら、棚の奥から茶葉の入った木箱を発見したわ。
「きゃあ!優雅なティータイムが開催できるわ!」
ポットに水魔法と火魔法でお湯を注いで、その茶葉を淹れてみたわ。少ししたら、ポットから湯気と共に香りが立ち上る。
……うん?少し土っぽいというか独特な匂いがするけれど。……いいえ、これは熟成された深みのある高貴な芳香に違いないわ。
「私の魔法では生み出せない、繊細で複雑な香り。文明の粋が詰まったこの一杯は、魔法とは別種の極致。最高の贅沢よ」
私はポットを傾け、透き通った……いえ、かなり濃い茶色の液体をカップに注ぐ。そして完成したロッキングチェアに深く腰掛け、小指を立ててカップを持ち上げた。
「優雅な生活に、乾杯」
私はカップに口をつけ上品に紅茶を流し込んだわ。
――ズズッ。
「…………」
口いっぱいに広がる、強烈な酸味。喉を通り過ぎる瞬間に鼻へ抜ける、圧倒的な雑巾のような後味。
「これは、おい……しい……?」
私は眉間のシワを必死に抑え込んで、笑顔を作ろうと努力する。大人の味。そう、これは私の舌がまだ子供だから理解できないだけの、高貴な渋みなのよ。
私は震える手でもう一口、無理やり飲み込んだ。紅茶を嗜む優雅な私。その理想像を守るために。
でも、私の美少女ボディは正直だったわ。
ギュルルルルル……ッ!
「おおぉぉ……」
しばらくするとお腹が痛くなってきた。私は優雅さをかなぐり捨てて、うずくまりながら苦しんだわ。
後で茶葉の中を探ってみたら、がっつりカビていたわよ。




