魔力回路と魔力総量
ぺったんこの落ち葉のベッドで一日中ふて寝をして現実から逃げてみたけれど――目覚めても苛立ちと嘆きと問題は解決していなかったわ。
「何なのよ!この世界!私のこの最高に可愛い容姿と頭脳があれば、何だって一瞬で理解できるはずでしょう?なんで魔力だけはこんなにも地道で原始的で非効率なのよ!」
洞窟の壁に向かって叫んでも返ってくるのは虚しい反響音だけ。嘆いても何も解決はしない。私は重い溜息をつきながら立ち上がり、ゾンビのような足取りで定位置へ戻ったわ。
目覚めてもなお残る脳の脱力感は、精神の極限まで集中を続けた代償ね。喉の奥から叫び出したい衝動を理性でねじ伏せ、私は再び赤ちゃん川と向き合う、気の遠くなるような徒労を再開したわ。
毎日毎日、朝から晩まで湧き水のそばに座って、ひたすら意識で赤ちゃん川を押し広げようとする日々。それはスプーン一本で運河を掘り進めるような、正気を疑うほど絶望的で気の遠くなる作業だったわ。
私の時間感覚なんて既に崩壊しているわ。修行を始めてから何度か季節は巡ったと思う。この世界の季節のサイクルがどれほどかは知らないけれど、たまに外に出て見れば木々の色が変わっていることでなんとなく分かるわ。
そして――もう一つ季節が巡ろうかとする頃、またわずかな変化を体感できたわ。
「少し……またほんの少しだけ流れが太くなったわ」
私の些細な希望は打ち砕かれたわ。前回が髪の毛一本から二本に変わって倍になったから、今回は四本になるのを期待していたのよ。でも違ったみたいだわ。三本分ね。
このペースで白黒コンビの領域に辿り着くまでの道のりを想像する。あと何回季節が巡ればいいの?果てしなすぎてゴールなんて霞んで見えもしないわ。
「……………ァハ」
狂ったような笑みが出てしまったわ。いけない。完璧美少女のキャラが崩壊しかけちゃってるわ。
でも!でもと言い訳させてほしいの!
これだけ努力しても髪の毛単位の変化なのよ!?少しずつ成長はしている。でもこの成果を得るために費やした時間対効果は、ブラック企業も裸足で逃げ出すレベルの悪さよ!
「……寝ましょう」
私は思考を放棄して再びベッドへ倒れ込んだわ。またふて寝よ。
修行の成果に発狂しそうになった反動か、精神的な疲労が限界を超えた先に達しようとしているのを感じたわ。つまり、狂う。これ以上閉鎖空間にいたら私は狂うわ!いえ、もう半分狂ってるかもしれないわ。
私は息抜き――という名の現実逃避のために、久しぶりに洞窟の外へ出ることにしたの。
「たまには可愛い私にご褒美と、この状況を打破するための知恵を入れないとね」
私は洞窟の周囲の森を優雅な気分で無警戒に散歩したわ。
魔獣への恐怖?そんなもの今の私の虚無と疲労に比べたら塵よ、塵。食べたきゃ食べなさい。私は栄養満点で最高の美少女よ?遠慮なくどうぞ。
でも雪が深く積もった森は死んだように静まり返っていたわ。周囲に魔獣の気配は一切ない。どうやら奴らも冬眠中か、あるいはこんな寒い日に出歩くのは私みたいな限界美少女くらいってことね。
私は手近な木に残っていた栄養価の高そうな実を適当にかっさらった。冷たくて新鮮な空気と糖分を補給して、少しだけ精神のゲージが回復した気がするわ。
「……はぁ。戻りましょう」
束の間の自由時間は終了。私は再びあの薄暗い洞窟に戻って定位置に座り込んだ。リフレッシュした分だけ現実の重さがズシリとのしかかるわ。
けれどやるしかないのよ。私はどんよりとした気持ちで再び赤ちゃん川との対話を再開したわ。
寝溜めをして、起きて、また座って。そんな変わり映えのしない日々を繰り返していたある日。私はついに刺激を求めてしまったの。
いつものように気晴らしの散歩に出かけた時のことよ。私は茂みの奥に、それはそれは鮮やかな色彩を放つ木の実を見つけたわ。熟れた果実は蛍光色の紫で、表面には毒々しいピンク色の斑点模様。生物としての警告色を全身で主張しているファンキーな逸材よ。
「……これ、食べたらどうなるのかしら?」
理性が「やめなさい!」と全力で叫んでいるけれど、今の私は不死の肉体を持つスーパー美少女よ。食あたりごときで死ぬわけがないわ。
それに毎日毎日水と乾いた木の実ばかり。今の私に必要なのは脳を揺さぶるようなガツンとした刺激なのよ!
「いただきまーす!」
私はその悪魔的な木の実を一口で齧った。味は舌の上でパチパチ弾けるキャンディと古びた畳を混ぜたような味だったわ。
そして数分後――世界が変わったわ。
「あはっ……あははは!見て、壁が呼吸してるぅ~!」
視界がぐにゃりと歪んで洞窟の岩肌が極彩色の万華鏡のように回転し始めたわ。ただの水滴の音が壮大なオーケストラのようにも聞こえる。体がふわふわと浮いているみたい。重力さん、今日はお休み?
「私は風……いいえ、私は宇宙の真理そのものよぉ~!わかる、わかるわ!世界の全てが、私の可愛さを中心に回っているのが見えるぅ~!」
私は洞窟の中で一人、千鳥足で踊り狂ったわ。見えない観客に投げキッスを送って、岩に向かって愛を囁き、地面を転げ回って大爆笑した。思考が溶けていくのを感じるわ。修行の辛さも孤独も、全部紫色の煙になって消えていく。最高にハッピーで最高にトリップした時間だったわ。
翌朝。目覚めた私は猛烈な吐き気と頭痛に襲われて起床したわ。
「……あれは精神の扉を開く儀式だったのよ。決してラリってたわけじゃないわ」
私は震える手で湧き水を飲みながら自分に言い聞かせた。でももうあの木の実はやめておきましょう。美少女の品格に関わるわ。
でもキ刺激的な果実の余韻が去った後、より深く重い静寂が訪れたわ。寂しい。圧倒的に寂しい。
私の高貴な言葉を聞いてくれる相手がいないわ。私の可愛さを肯定してくれる他者がいないわ。孤独は悪魔の実よりも深く私の精神を蝕んでいったのよ。
そこで、新たな友人を作ることにしたわ。
「ごきげんよう、セバスチャン。今日の湿度は肌に良いわね」
私は手頃な大きさの少し尖った形の石に話しかけた。もちろん返事はない。でも私には聞こえるの。
「『左様でございますね、お嬢様。本日の輝きも月光の如く美しいです』……ですって?もう、セバスチャンったらお世辞が上手なんだから!」
私は頬を赤らめて足元の丸い石にも視線を送る。
「あら、メアリーも嫉妬しないで。貴女には後で背中のマッサージをお願いするわね。『畏まりました、女王陛下』……うふふ、忠実な家臣に囲まれて私は幸せ者ね」
洞窟に並べた大小様々な石たち。尖ったのが執事のセバスチャン。丸いのがメイドのメアリー。苔が生えているのが庭師のトム。私は彼らに囲まれて優雅なお水会を開催して、架空の舞踏会の話題で盛り上がったわ。
……けれど。ふと赤ちゃん川の修行中に集中が途切れて、我に返る瞬間が訪れる。
薄暗い洞窟。ただの石ころに向かって裏声を使って一人芝居をしている自分。
「…………何やってんのよ、私」
急激に冷めた理性が心の柔らかい部分をナイフで抉ったわ。惨めすぎる。私はカッとなって執事のセバスチャンを掴み上げ、力任せに洞窟の奥へと投げ捨てたわ。
ガツンッ!コロコロ……。
乾いた音が響いて再び静寂が戻る。
「…………ぁ」
投げた瞬間、強烈な後悔が襲ってきた。ごめん。ごめんねセバスチャン。私が悪かったわ。私を一人にしないで。
「セバスチャァァァーン!!」
私は絶叫しながら這いつくばり、暗闇の中で手探りで彼を探した。指先に触れた冷たい感触に安堵し、泥だらけの石を胸に抱いて涙を流す。もう離さないわ。私には貴方たちしかいないのよ……。
――そんな狂気と正気の反復横跳びを修行の合間に繰り返すこと数ヶ月。石との友情も深まり、悪魔の実の味も忘れかけた頃。私の精神は一周回って、凪のように静まり返っていた。
限界だったわ。赤ちゃん川は確かに成長している。でもこのままでは赤ちゃんが成人する前に、私の自我が崩壊して石ころと同化してしまうわ。
「もうむり。あきたわ」
その後の修行でも劇的な成果はみられず、地味な成長しか見られなかったわ。このままじゃ修行の長さによる疲労の蓄積だけじゃなく、単調すぎる作業で私の麗しき知性まで低下してしまいそうだわ。
ひとまず赤ちゃん川の増大は一旦保留にしておきましょう。
私は一旦方針を変えて魔法の行使を試してみることにしたわ。白黒コンビは動作だけで魔法を行使していたから、ややこしい呪文やら詠唱なんてないはずよね。重要なのはイメージよ。
私は魔力を掌に集中させるようにイメージしたけれど、魔力の動きは牛歩の如く遅々として進まない。意識を掌に縫い付けられた状態でいくらか時間が経過した後、ようやく魔力が一点に収束した感覚があったわ。
「いくわよ……!」
イメージを固め、私は溜まりに溜まった修行の鬱憤を全て込め、洞窟の壁に向かって全力で解き放ったわ!
「ファイアアアアアアアアアア!ボオオオオオオオオル!」
洞窟中に響き渡る魂の絶叫。
叫んだ直後「やばっ!」と我に返ったわ。今の声、外の魔獣に聞こえなかったかしら!?冬眠中だから大丈夫?私は冷や汗をどぱっと掻いて、入り口を凝視した。……しばらく待っても何も来ない。多分大丈夫ね。私はホッと息を吐いて魔法の結果に目を向ける。
でも魔法の行使の方はやり方が良くなかったのか力みすぎたのか、焼き焦げた壁も、燃え盛る炎も特になかったわ。
結果は魔力が私の掌で、プツンという頼りない音を立てただけ。何の現象も引き起こさなかったわ。麗しき知性で組み立てた完璧なイメージと方法が、あっけなくショートして煙すら出ずに消滅したのよ。
「もおおお!馬鹿みたい!こんな単純なこともできないなんて!」
私は地団駄を踏んで悔しがった。才能の無さに絶望しそうになったけれど、ふと足元に落ちていた乾燥した枯れ葉が目に入った時、天才の脳裏に電流が走ったわ。
「待って。今の私は魔力量が足りないんじゃない?」
大砲を撃つ火薬がないならライターの火花を起こせばいいわ。大きな力は出せなくても極めて繊細な制御で一点に集中させれば、現象は起こせるはずよ!
私は再び時間をかけながら魔力を右手の人差し指に集中させた。イメージするのはほんの小さな火よ。
――灯って。
次の瞬間、私の指先から頼りないけれど確かな赤色が生まれたわ。チロ、と生まれた極小の火は、枯れ葉を微かに舐めて一瞬で消えたわ。
「……成功、した」
魔法よ!間違いなく私が起こした魔法だわ!歓喜がこみ上げた直後――。
バチィッ!!
全身を突き刺すような激痛が走って、思考が一瞬でブラックアウトしたわ。私の体は重力に負け意識は暗闇へと沈んでいった。
次に目覚めた時、私は地面に突っ伏していたわ。
眼の前に数滴だけれど血が垂れている。顔を触ってみると鼻の下辺りがパリッとしていたわ。何より鼻柱がジンジンと熱を持って痛む。どうやら気絶して倒れた拍子に地面で鼻を強打してしまったみたい。
「私の顔……!」
私は急いで鏡代わりの湧き水の水たまりに駆け寄って、美少女フェイスに問題ないか確認したわ。……よかった。鼻血の跡があるだけで、鼻が曲がったり折れたりはしていないわ。大丈夫よ、問題ない。私は今日も完璧な美少女。
倒れる前に何をしたのか思い出したわ。何が起きたのかは直感でわかる。あれは魔力を使い果たして、生命維持に必要な分まで魔力を枯渇させたサインだったわ。不死の体質を持っていた私だったから無事だっただけかもしれない。私じゃなかったら死んでいたわよ。
私は命がけの魔法の結果を確認しようと、傍に落ちていた枯れ葉を拾いあげた。恐る恐る確認してみると――。
「……わずかに焦げ穴が空いてるかしら」
虫食いと見間違えるような極小の穴が空いている程度だったわ。
「あれだけ時間をかけて!鼻血まで出して!枯れ葉一枚燃やせない!たったこれっぽっちの火!ほんとに火!?枯れ葉に触った時に起こった静電気とかじゃない!?こんなんじゃ白黒コンビみたいな魔法なんて永遠に無理じゃない!?」
私は苛立ちのあまり、持っていた枯れ葉を地面に叩きつけて寝たわ。何とは言わないけれど三度目よ。
目を覚ましてもう何度目になるかもしれない現実逃避をしながら、再び体内の魔力の流れを探った瞬間、私は小さいけれど決定的な変化に気づいたわ。
「これは……」
私の体内を流れる魔力の赤ちゃん川……いえ、もうそのダサい名前はやめましょう。テンションで名付けた黒歴史よ。これからはより機能的に魔力回路と呼ぶことにするわ。
その魔力回路の幅自体は変わっていないわ。だけど流れる魔力の圧が違っていたの。一度極限まで枯渇させられたことで、体が危機感を覚えたのか魔力総量が増えたみたいなの。そのおかげで以前よりも淀みなくスムーズに循環しているわ。
そこで私は一つの真理に到達したわ。
「魔力回路を拡張するために地道で根気が必要な、内側の修行。魔力総量を増やすために魔法を行使して枯渇させる危険な、外側の修行。この二つは片方だけ鍛えても意味が薄いんじゃないかしら?」
魔力回路だけ鍛えても、流す魔力が少なければ、広大な魔力の流れ道だけあっても意味がないわよね。渡る人が居ない頑強な吊り橋を作ってどうするの?
魔力総量だけ鍛えても、魔力だけが膨大でも、道が狭かったら少しずつしか流れていかないわよね。火花は放ち続けられるかもしれないけれど。なにそれ?線香花火?
「つまり、並行して行うのが最適解よ!」
内側の修行で魔力回路を拡張し、外側の修行で魔力総量を巨大化させる。相互作用で効率を最大化する。これこそが至高の妖精に至るための最短ルートよ!
「この方法なら効率も上がるし、魔法の行使で成果が目に見えるようになるから、以前みたいに徒労感で発狂しそうになることもないわ!時間がかかっても確実に前に進んでいる確信さえあれば、この可愛い私が非効率な現実に落ち込む必要なんてないんだから!」
目に光が戻ったわ。やることは変わらないけれど、意味合いは大きく変わったもの。
日中は魔力回路を極小単位で太くする地道な拡張工事。夜は魔法をぶっ放して気絶するまでの限界突破トレーニング。
拡張、放出、気絶、覚醒。私はこのサイクルを来る日も来る日も回し続けた。単調で過酷で、気の遠くなるような日々をまーた過ごすことになったわ。
時間感覚なんて、これまで以上に消え去ったわよ。




