魔法
「ここを私の庭とするわ!」
一夜明け、私は洞窟の中で高らかに宣言したわ。
洞窟を拠点化して火という文明の力を手に入れたことで、私の心は満たされていたわ。極限の状況から抜け出して得られた精神的な余裕は、何よりも価値ある財産ね。
私は改めて自分の状況を吟味する。この幼くも完璧な美貌と、どんな傷も病も一晩で治り飢餓とは無縁の異質な体質。そして前の世界で培った膨大な知識と経験。
「この深い森で誰にも気づかれずに生きる銀髪碧眼の天才美少女。……まるで物語に出てくる森の妖精のようじゃないかしら」
自らの境遇を最もロマンチックな形で肯定したわ。この険しい森の中にあって自分の存在を祝福し美しさを守り抜くこと。それが私を前に進ませる究極のモチベーションよ。
この洞窟は恐怖に怯える非力な少女の隠れ家じゃないわ!森の妖精の聖域なのよ!
さて、聖域の主となった私の新しい目標は世界の理を探ること。
検証すべき不思議現象は二つあるわ。一つは私の不死身に近い体質。もう一つは森を徘徊する獣の異常な威圧感。
科学的なアプローチなら、まずは身近な自分の体から調べるべきでしょうね。でも私は即座にその選択肢をゴミ箱に放り込んだわ。
「却下よ。自分の体に傷をつけて回復力を測定する?ありえないわ」
飢餓耐性については初期に何日も食べてない期間があったけれど、喉の渇きや空腹感が続いていただけ。他に不思議な感覚は何もなかったわ。
となると回復速度の検証には自傷行為が必須になる。美少女の肌に傷をつけるなんて神への冒涜よ。あと単純に痛いのは嫌だもの。
「消去法でターゲットは獣ね」
もちろん危険なのは百も承知よ。でも自分の体を実験台にするよりはマシだわ。
方針が決まれば善は急げ……と言いたいところだけど、焦りは禁物よ。私はまず足場を固めることにしたわ。
数日間にわたって徹底的に拠点周辺の整備を行ったの。湧き水の水たまりを掘り広げて岩で囲って簡易的な貯水槽を作成。火を絶やさないための薪や焚き付け用の乾燥苔を洞窟の隅に山積みになるまで備蓄。保存がききそうな木の実も大量に集めたわ。
準備万端。これで引きこもろうと思えば一週間は外に出なくて済む。私は満を持して調査の第一歩を踏み出すことにしたわ。
そして迎えた決行の日。
「縄張り境界線を越えるのは危険だけれど、もう受け身で生きていくのは終わりよ」
私は洞窟の入り口を完璧にカモフラージュした後、全身の神経を研ぎ澄ませて森の奥へと足を踏み入れたわ。
この幼く華奢な体躯は戦闘には不向きだけれど、隠密行動においては最大の武器になるわ。下草に身を沈めれば背の高い獣の視界には決して入らない。私は風向きを常に計算に入れながら地面を滑るように移動して、枯れ枝一つ踏まないよう慎重に進んでいったわ。
目的地は脳内マップで空白になっている森の奥。これまで何度か風に乗って聞こえてきた最も強大な咆哮の主がいるエリアよ。
鬱蒼とした木々の間を慎重に縫い進むこと数時間。太陽の位置が変わり森の影が濃くなるにつれて、肌にまとわりつく空気が明らかに変わっていくのを感じたわ。
緩衝地帯とは違う、濃密な死の気配。
地面には車輪痕のような巨大な足跡が、木には鋼鉄の刃物で削いだような深い爪痕が奥へ進むほど頻繁に残されていた。まるで強大な生物たちが自らの武力を誇示するように、この森を蹂躙しているかのようだったわ。
「これは……。ここがこの森の戦場なのね」
背筋に冷たい緊張が走る。私は近くにあった樹皮の分厚い巨木に身を寄せて、影と同化するように息を殺したわ。
その瞬間、森の静寂を物理的に引き裂くような轟音が響き渡ったの。
「――オオォォォッ!」
低くて重い地面を振動させる咆哮。
私の心臓は早鐘を打って生存本能が「今すぐ逃げろ」と警鐘を鳴らして全身が硬直したわ。以前遭遇したイノシシやトカゲとは次元が違う。生物としての格の違いを魂に直接叩き込まれるような圧倒的な威圧感。
直後「ウォオオオオン!」という大気が震えて霧散するような、別の渾身の咆哮が重なったわ。
「っ……ふぅ、ふぅ……!」
私は震える膝を自身のプライドで叱咤して呼吸を整える。見なきゃダメよ。ここで逃げ帰ったら、私は一生ただの怯える獲物のままだわ。
硬直した体を無理やり動かし、私はおそるおそる木の幹の隙間から音の方向を覗き込んだ。そこは爆撃でも受けたかのように抉り取られ、周囲の木々がなぎ倒された、円形の闘技場が広がっていたわ。
その中心で二体の巨大な怪物が対峙していた。
一体は小山のような巨躯を持つ黒いクマ。全身の漆黒の毛皮が鋼鉄の板のようにも見えて、背中からは鈍く光る巨大な岩のトゲが無数に突き出している。
もう一体はオオカミの形をした吹雪の化身。黒いクマに匹敵する巨体ながら、全身は分厚い霜を纏ったような白い毛皮に覆われて、凍てついた尾は鞭のようにしなやかで先端は鋭利に尖っていた。
――グオオオオオッ!
黒いクマが先に動いた。巨体をものともしない大地を揺るがす猛烈な突進。巨大な右爪を振り下ろされる。その一撃は空を切り裂き、風圧だけで周囲の枯れ葉を舞い上げる。離れた場所に隠れている私の前髪さえも揺らすほどだったわ。
白いオオカミはその暴力を驚くべき反射神経で回避していた。残像すら見えるほどの速度で背後へ回り込むと、カウンター気味にその巨大な尾が黒いクマの脇腹を薙いだわ。
ガギィィィンッ!
生き物同士の接触で出るはずのない硬質な金属音が森に響き渡る。散ったのは鮮血じゃなくて眩い火花だったわ。鋼鉄の毛皮を持つはずの黒いクマの脇腹に、白いオオカミの尾が深々と食い込んでドロリとした濃い色の体液が流れ出すのが見えた。
「……嘘でしょう」
私は息をするのも忘れてその光景を凝視したわ。ただの動物の喧嘩じゃない。毛皮が鋼鉄?尾から火花?前の世界の知識はまるで役に立たなかったわ。
この獣たちが本気で争えば森の一つや二つ、簡単に地図から消し飛んでしまうと感じられるような、破壊のエネルギーが目の前で荒れ狂っていたわ。
黒いクマは脇腹の傷を無視するように白いオオカミと対峙し続けた。普通なら内臓にまで達していて致命傷になりかねない傷なのに。けれど、あろうことか黒いクマの傷口は肉が泡立つような音を立てて、驚くべき速度で塞がっていったわ。
「嘘……。あの治癒能力って私だけじゃなかったの!?」
私の異常な体質は自分だけの特別な力じゃなかったことに背筋が凍りついたわ。私の力はこの世界では標準的、あるいは化け物たちの間では当たり前の能力だというの?
だとしたら私の生存難易度はハードからナイトメアへ跳ね上がるわよ!?
私が戦慄している間にも戦況は次元を変えていった。傷を癒した黒いクマが地面に両前足を叩きつけた瞬間に大地が唸りを上げたわ。黒いクマの周囲から土塊が出現して、意思を持ったかのように巨大な土の槍となって白いオオカミめがけて突き刺さったの。
「ッ!?」
それは物理法則を完全に無視した、魔法のような力。
白いオオカミは土槍を何本か受けて、分厚い毛皮を貫く鈍い感触とともに悲鳴を上げたわ。けれど白いオオカミもただでは終わらないみたい。
大きく開かれた口内が青白く発光し始めた途端に、周囲の気温が急激に低下して離れた場所にいる私にまで大気が冷え込むのが伝わってきたわ。
次の瞬間、白いオオカミの口から放たれたのは青白い氷の奔流だった。
ヒュゴオオオオオオオ!
咆哮でも体液でもない極低温のエネルギー体。黒いクマは回避しようとしたけれど、間に合わずに直撃すると全身が一瞬で凍りついて巨大な氷の彫刻となって動きを止めたわ。
白いオオカミは容赦なく巨大な尾を凍りついた黒いクマの巨体に叩きつけた。尾の連打によって黒いクマを覆う分厚い氷の装甲は砕け散って、強靭な鋼鉄の毛皮にも深くヒビが入ったわ。
黒いクマは動けないまま全身に凄まじい打撃を受けて、戦闘能力を一時的に失った。
けれど白いオオカミも勝利の雄叫びを上げることはなかったわ。白いオオカミの体は先ほど受けた黒いクマの土槍で深く抉り取られていて、白い毛皮の下から大量の体液が止まることなく漏れ続けていたの。
「……あら?黒いクマだったら治りそうな傷だったと思うけれど…」
私が疑問に思っている間に、凍りついたまま打たれて満身創痍となった黒いクマは唸り声を上げた。全身のひび割れた氷の殻を無理やり振り払うとふらつきながら森の奥へと撤退していく。
白いオオカミもまた深手を負った体を庇うように、重い足取りで逆方向の森へと去っていったわ。両者はこれ以上続ければどちらも再起不能になると本能的に悟ったのだと思う。
戦場に残されたのは荒廃した大地と、微かに残る土と氷の残骸。あとそれを目撃した森の妖精。……間違えたわ、私ね。
私は自分が探していた世界の理を目の当たりにして、恐怖よりも知的好奇心に心を支配されていたわ。
「あれは……魔法?」
土塊を操り氷のブレスを放つ。この森の獣たちはただ大きくて強いだけじゃなく、魔法を使用する獣。……魔獣?彼らはこの世界の超常的な力を使っている?これこそ前の世界の知識では予測不能だったこの世界の核心よ。
私は震える体でさっきの現象を脳裏に刻みつけて、この超常現象を分析しようと天才美少女の頭脳がフル回転し始めたわ。力の源は何なの?どうすれば使えるの?
「私が生き延びて安全で快適な生活を送るためには、この力が必要不可欠だわ……」
異質な治癒力を持っていても一瞬で粉砕されたり凍結されたりすれば、再生する間もなく死んじゃうわ。あの巨大魔獣たちですら傷を負う過酷な森で幼い私が生き残る道は一つだけ。奴らを遥かに超える力のレベルに到達することしかないわ。
私は静かに来た道を戻り始めた。足取りは慎重だけど胸の奥は興奮と新たな目標で沸騰しそうだったわ。
洞窟に戻って入り口を閉じた瞬間、私を支えていたアドレナリンが切れたわ。
「……っ、はぁ、はぁ……!」
膝の力が抜けてその場にへたり込んだ。安全なはずの聖域に戻ったのに体の震えが止まらない。目を閉じると瞼の裏にあの光景がフラッシュバックする。空気を裂く爪。鼓膜を破らんばかりの咆哮。世界そのものを書き換えるような圧倒的な魔法の奔流。
あんな怪物が跋扈する場所で、私は可愛いとか森の妖精とかで浮かれていたの?バカなの?彼らにとって私は妖精ですらない。ただの羽虫よ。踏めば潰れる取るに足らない存在。
「……嫌よ」
私は震える手で自分の体を抱きしめた。あんな理不尽な暴力に怯えて一生を過ごすなんて御免だわ。食べられるのを待つだけの人生なんて絶対に嫌!
「やるのよ……。今すぐに!」
恐怖を振り払うように私は立ち上がったわ。イメージするのよ。あの黒いクマの動きを。あいつは地面を叩いて土槍を出した。なら、私にもできるはず。原理は不明でも、動きを模倣すれば何か起きるかもしれない!
「うおおおおっ!」
私は裂帛の気合いと共に幼い両手を地面に叩きつけたわ。
――ペチッ。
洞窟に響いたのは乾いた可愛い音だけ。地面は揺れず土槍も出ない。ただ私の掌がジンジンと痛むだけだったわ。
「…………」
私は痛む手を振るいながら、今度は四つん這いになってカッと口を限界まで大きく開いた。イメージするのはあの白いオオカミ。腹の底から全てを凍てつかせる冷気を吐き出す!
「わああああっ!」
……。
吐き出されたのは絶対零度の吹雪じゃなくて、私の生温かい呼気だけ。洞窟の中には、四つん這いで口をあけてフリーズするワンピース姿の美少女が一人。
静寂が痛い。あまりにも痛すぎる。客観的に見て今の私は完全に不審者ね。穴があったら入りたいけれど、穴を作る魔法すら私には使えないわ。
「……ふふ……」
あまりの滑稽さに乾いた笑いが出たわ。おかげで恐怖で凍りついていた思考が溶け出したわ。当たり前じゃない。ポーズだけで魔法が使えるなら苦労はしないわよ。本質はもっと内側――体内エネルギーの操作にあるはずよ。
赤くなった手のひらを握りしめて焚き火の炎を見据えた。分かったことは二つ。物理的な模倣には意味がないこと。魔法には私の知らない未知の理論が存在すること。
なら解析すればいいだけじゃない。天才美少女の頭脳をフル回転させて、見よう見まねの猿真似じゃなくて、理論に基づいた術式として確立させてやるわ。
「魔法の解明と習得。この最高に可愛い私が生き残るための唯一の道よ!」




