令嬢検定
ある晴れた日のこと。私はいつものように「ごきげんよう」と優雅な挨拶と共に、領主館の執務室にある私専用の勝手口をくぐり抜けたわ。
「……遅かったな、アリスティア」
そこには書類仕事に忙殺されているはずのジェラールの姿はなく、代わりに部屋の中央で腕を組み仁王立ちで待ち構えている領主様の姿があったわ。
「あら、お出迎え?光栄だわ。でも残念ながら今日の私はお勉強モードだから、お茶会は後に……」
「勉強だ。だが場所を変える。ついて来い」
ジェラールは私の言葉を遮ると扉へと向かう。その背中からは「やれやれ」といったいつもの呆れムードはなくて、戦場に向かう指揮官のようなピリリとした緊張感が漂っていたわ。私は首を傾げながらも後を追う。
案内されたのは私が初めてこの家の養女として紹介された、あの一際豪華なサロンだったわ。
「入るぞ」
ジェラールの低い声と共に中へ足を踏み入れると、初日の風景を再現したかのようにロシュフォール家の面々が勢揃いしていたわ。相変わらず氷の彫刻のように冷たいアンリエットに、彫像のように微動だにしないレオナール。
「アリスちゃん!お待ちしておりましたわ!」
そして私を見るなりパァッと花が咲くような笑顔を見せるセレス。セレスだけが唯一の癒やしだけれど、他の面々の顔つきはまるで異端審問官か何かのようね。
「ごきげんよう。……本日は皆様お揃いでどのような用件ですの?」
私がスカートをつまんで完璧な角度で挨拶をしてセレスの隣に座る。アンリエットは私の所作をじろりと検分するように視線を向けたまま顎をしゃくったわ。
「座りなさい、アリスティア。今日は貴女が王都へ行っても恥を晒さないか見極めます」
「見極め……?」
「ああ、そうだ」
ジェラールが私の隣にドカッと腰を下ろすと、レオナールがテーブルの上に分厚い書類の束を置く。ドン、という鈍い音がサロンに響いたわ。
「アリスティア。父上の養女となりセレスティアの護衛として王立学院へ行く以上、貴女の無知による罪はロシュフォールの罪となる。これまで詰め込んだ知識が定着しているか、ここで口頭試問を行う」
レオナールの真面目腐った声に私は内心で「げっ」と声を漏らした。口頭試問。つまりテスト。私が最も忌み嫌う言葉ランキングの上位に君臨する単語だわ。
「……あら、私の頭脳を疑っていらっしゃるの?この数ヶ月、私がどれほど真面目に机に向かっていたかご存知ないのかしら」
「菓子を貪りながらセレスティアに答えを誘導させていたことは報告に入っている」
「……チッ」
「今、舌打ちをしたか?」
「いいえ?小鳥のさえずりでは?」
私はすまし顔で座り直したわ。まあいいわ。どうせ基礎的なことでしょう?私の短期記憶能力を舐めないでほしいわね。
「では始めるぞ。……まずはお前が密接することになる基礎の内容から確認していこう」
ジェラールが咳払いをして、私を見据えた。
「お前が通うことになる学び舎は?」
「ローリエ王立学院。厳格な規律のもとで学ぶ、国全土から貴族の子弟が集う三年間の通い制よ」
即答したわ。私が実際に三年間通う予定の場所だもの。生活に直結する重要情報として長期記憶能力で保存済みよ。
教科書通りの詳細な回答にジェラールが「ほう」と感心したように眉を上げたわ。
「よろしい。では王都は?」
「王都レガリアス。豊かな文化を誇る流行の中心地よ」
少し説明が短くなったけれど、まあ合格ラインね。政治の中心地でもある、みたいな内容を聞いた覚えが薄っすらとあるけれど、お買い物に行ける場所かどうかさえ分かれば二の次よ。
ジェラールは僅かに眉を寄せたけれど、そのまま次の問いへ進んだわ。
「……我々が住まうこの国は?」
「……オーレリア王国よ」
最後は潔く名前だけ。他の情報は一切記憶にないもの。私の生活に関係ない情報はゴミ箱へ直行したわ。
「……短くないか?」
明らかに回答の質が低下していくことにジェラールが呆れたような声を出す。けれどセレスが助け船を出してくれたわ。
「す、素晴らしいですわ!要点を簡潔にまとめる能力……アリスちゃんは本質を見抜く目を持っていますのね!」
「いや、明らかに後半は説明が面倒になっていただろう……」
「簡潔さは知性の表れです!流石はアリスちゃん!」
セレスの盲目的な称賛にジェラールは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえて、それ以上の追求を諦めたわ。私の勝利ね。
「では次だ。君が入るローリエ王立学院についてもっと詳しく、学科とその特徴について述べよ」
私は「学院のことなら任せて」と言わんばかりに胸を張ってビシッと指を立てたわ。
「一つ、騎士科。剣術や体術、そして戦闘魔法や身体強化魔法を学ぶ学科。主に脳筋……じゃなくて武芸に秀でた者たちが集まる」
「……言葉を慎め。……次」
「二つ、侍従科。主人の世話や家政を学ぶ学科。従僕や侍女を目指す人たちが通うところ」
「……ふむ。そして?」
「三つ、学士科。文官業務に加えて魔道具の設計、理論、開発などを行う学科。私が目指す場所ね」
私はここで少し声を弾ませたわ。ここだけは誰に言われるでもなく自分から教材を漁って調べ上げた分野だもの。
「ルーン部分だけは完璧に学んだわ!教材に記載されている全てのルーンの種類の暗記、そして何よりその書き取り練習……まさに至福の時間だったわ!特に興味があるのは私が魔法でもよく使う風のルーンね。あの曲線美を表現するのに教材の書体は無骨すぎて愛がないと思うの。もっとこう、流れるような筆致で優雅に描いてこそ魔法陣にした時にも命が宿るんじゃないかしら!他にも……」
「ストップ。そこまででいい」
ジェラールが手で制したわ。彼の顔には「また始まった」という諦めが浮かんでいる。
「……まあ、熱意があるのは結構なことだ。他には……カリキュラムを軽く答えてくれ」
私は一息ついたわ。不完全燃焼だけれど、これ以上語ると長くなるのは自分でも分かっているもの。
「後は全学科共通の科目として基礎的な教養、算術や歴史とか……それから今必死にやっているマナーなんていうものもあるわ。後は取っても取らなくても良い自由選択科目ね」
私がスラスラと答えるたびにジェラールの表情が安堵へと変わっていくのが分かったわ。レオナールも意外そうに目を丸くして口を開く。
「……驚いたな。基礎的な知識は完璧に入っているようだ」
「当然よ。私はやればできるのよ」
「アリスちゃん、すごいです!お勉強の成果が出てますわ!」
セレスが手を叩いて喜んでくれる。ふふん、見たかしら。私は調子に乗って紅茶を一口啜ったわ。美味しい。これなら楽勝ね。
「おお……素晴らしいぞアリスティア!正直、お前のことだから魔道具関連しか覚えていないかと思っていたが……見直したぞ!」
「失礼ね。私は興味を持てばスポンジのように吸収するのよ」
「よし、基礎知識は合格だ。これなら学院に入っても最低限の体裁は整うだろう」
ジェラールが満足げに頷く。レオナールも「ふむ、これなら……」と、ようやく私への警戒を解き始めた――そう思った次の瞬間だったわ。
ペラリ。
レオナールが乾いた音を立てて書類を一枚めくって口を開いた。
「では、少し踏み込んだ質問に移ろうか。我がロシュフォール家と長年小競り合いを続け、対立している主要な家を答えてみてくれ」
――はい?
私の思考がピタリと停止したわ。小競り合い?家?何それ、美味しいの?そんなの私が知るわけないじゃない。
「……えっと、仲が悪い家ってことでしょう?王都にあるふんぞり返っている家みたいな?」
「漠然としすぎだ。なぜ仲が悪いのかも理由を踏まえて答えろ」
レオナールの追及に私の背中を冷や汗が伝う。そんな興味が欠片もないことなんて聞き流したに決まってるじゃない!
「そ、それは……ほら、喧嘩して仲直りしようとしたけど、やっぱり気に入らなくて……パンの取り合いになったとか?」
「パンではない!平民の重要視についての考え方の違いだ!」
レオナールが机をバンと叩いた。
「では質問を変える。我がロシュフォール家と友好的な家とその理由は?」
「……えっと、パン?」
「貴様はパンから離れろ!!」
「仲が良いならそれでいいじゃない……」
「相手の名前すら知らないでどうするんだ!味方と敵の区別もつかないまま社交界という戦場に立つつもりか!?……くっ、名前を覚えるのが苦手なら視覚的な特徴で攻めよう。我が家と長年対立している家、その家紋のモチーフは?」
私は視線を泳がせて隣のセレスを見る。セレスは必死に口パクで何かを伝えてくれているわ。ば……ら……?
「……バラ肉?」
「違う!薔薇だ!なぜ敵対する家の紋章を食材にする!」
ジェラールが頭を抱えて天井を仰いだわ。
「アリスティア……お前、さっきの流暢な回答はなんだったんだ……」
「だ、だって!王都とか学院のことは生活に関係あるけど、家の付き合いなんて知らなくても生きていけるじゃない!」
「貴族にとって家同士の繋がりや力関係を把握するのは重要なんだ!誰と握手し、誰と距離を置くか、それを間違えれば孤立して家ごと潰されるぞ!」
レオナールの怒号が飛ぶ。私は唇を尖らせた。
そこからは惨憺たるものだったわ。五大貴族の家名は?→「お金持ちファイブ」お茶会に招かれた際の手土産は?→「現金」舞踏会における扇の使い方は?→「暑い時にあおぐ」
「……頭が痛い」
質問攻めが終わる頃にはジェラールは机に突っ伏して、レオナールはこめかみを親指で強く押し込んでいたわ。
「アリスちゃん……あんなに一緒に頑張りましたのに……」
セレスが悲しげに眉を下げているのが一番心に刺さるわ。ごめんねセレス。
「……結論が出ましたわね」
それまで黙って紅茶を啜っていたアンリエットが、カチャンとカップを置いて立ち上がったわ。その冷徹な声に場の空気が一気に凍りつく。
「知識に関しては自身の生活に関すること以外は絶望的。学院の入学までにどうにかなるレベルではありません」
アンリエットはゆっくりと私に歩み寄り「ですが」と見据えたわ。
「マナーの確認に移ります。立ちなさい、アリスティア」
反射的に背筋を伸ばして立ち上がる。この数ヶ月、彼女に叩き込まれた恐怖……いえ、指導の賜物ね。
「挨拶を」
私は「ごきげんよう」とスカートをつまみ、膝を曲げ、完璧な角度でカーテシーを披露する。背筋は一直線。視線は伏せつつも媚びないで指先まで神経を行き渡らせる。
「お茶を」
ティーカップを手に取り優雅に口元へ運ぶ。香りを楽しむように目を伏せ、音を立てずに一口啜り、そしてカチャリとも言わせずにソーサーへ戻す。
「歩いて」
サロンの端から端まで、の上に本を乗せているかのような安定感で流れるように歩く。衣擦れの音さえリズムを刻むように優雅に。
一通りの動作を終えて定位置に戻る。どうよ、今の所作!完璧すぎて後光が見えたんじゃない?心の中ではドヤ顔でダブルピースを決めているけれど表面上はあくまで淑やかに。
アンリエットは無表情のまま私を見つめたわ。他の三人が固唾を飲んで見守る。どうせまた「角度が甘い」だの「品がない」だのネチネチ言われるんでしょうけど……。
「……マナーは及第点ですわね。少なくとも遠目に見る分に貴族の令嬢として通用いたします」
アンリエットが扇子を開いて口元を隠しながら言ったわ。
……え?今、なんて?及第点?通用する?嘘でしょ?あの歩くマナー辞典こと鬼婆のアンリエットからダメ出し以外の言葉が出たの……!?やったわ!赤点回避!
私の脳内で勝利のファンファーレを鳴り響かせたわ。危ない危ない。嬉しすぎてニヤけそうになるのを鉄の意思で抑え込む。
「中身が空っぽなのをガワの美しさだけで完全に隠蔽できている……ある意味恐ろしい才能ですわ」
ちょっと。感動の歴史的瞬間に水を差さないでくれる?あと空っぽは余計よ。そこはミステリアスと言い換えなさいよ。この女は素直に「ブラボー」って言えないのかしら。
アンリエットの評価にレオナールが呆れたように呟く。
「見た目は深窓の令嬢、中身は野生児……か。ですが母上、これでは学院には……」
「野生児だなんて失礼ね。私はただ元気一杯なだけで……」
「行かせるしかありません」
私のささやかな抗議を無視してアンリエットはぴしゃりと言い放ったわ。
「既に養子縁組も学院への入学手続きも全て完了しております。他家への根回しも済ませた今さらになって「出来が悪いのでやめます」などという醜態、ロシュフォール家の名にかけて晒せませんわ」
アンリエットはパチンと扇子を閉じて「アリスティア」と見据える。
「王都や学院では極力口数を減らすよう心がけなさい。貴女の場合、言葉少なに微笑んでいる方が神秘的で高貴に見えますから」
……あら?褒められてる?
「いいですか?貴女が口を開いて知識の無さを露呈すればボロが出るだけです。社交場でも、廊下でも、貴女はただセレスティアの後ろ半歩下がった位置に立ち、なるべく黙って微笑んでいなさい。それだけで無口でミステリアスな高貴なる美少女として通ります」
外見は褒められているみたいだけど、内面は完膚なきまでにこき下ろしているわね、この女。
「貴女が不用意に発言して余計なことを言えば、その瞬間にロシュフォール家の品位は地に落ちます。ですが黙って微笑んでさえいれば……その美貌と洗練させた所作だけで他者を圧倒できるでしょう。どう答えていいか分からない場合は曖昧に微笑んでセレスティアに振りなさい」
アンリエットの瞳はマジだったわ。ジェラールが感心したように深く頷く。
「……名案だ。それがいい。アリスティア、お前は高嶺の花を演じろ。決して粗野な素の自分を表に出すなよ」
「喋らなければボロは出ない……か。何を考えているか読ませないという意味でも良いかもしれない」
レオナールまで納得しているわ。ちょっと、私の扱い酷くない?
「アリスちゃん!よかったですね!私の後ろにいてくだされば、難しい質問は私が全部答えて差し上げますわ!」
セレスだけが純粋に喜んで私の手を握ってきたわ。
「つまり……私は可愛い置物になれってこと?」
「最高に可愛い動く置物ですよ。自信をお持ちなさい」
アンリエットの鉄面皮が崩れて……微笑んだ!?私は思い切り瞬きをしてゴシゴシと目を擦ったわ。もう一度見てみると、そこにはいつもの冷徹な能面が鎮座していたわ。……うん、気のせいね。あの女がデレるなんて天地がひっくり返ってもありえないわ。疲れてるのよ、私。
「はぁ……分かったわよ。ボロが出ない程度に猫を被っておくわ」
私が肩をすくめるとジェラールがパンと手を叩いて空気を切り替えたわ。
「よし。方針は固まったな。……では、今後の予定を伝える」
ジェラールは懐中時計を確認しながら事務的に告げる。
「出発は十日後だ。当日の早朝、ロシュフォール家の紋章が入った馬車を店の近くまで回す。それに乗って一度この屋敷に来い。そこで合流し王都へ出発する」
入学は春のはずだけれど、準備期間を考えれば妥当なスケジュールなのかしらね。私が頷くとセレスが嬉しそうに身を乗り出してきた。
「嬉しいですわ、アリスちゃん!十日後にはずっと一緒にいられるのですものね!道中の馬車ではどんなお話をしましょうか」
「ええ……そうね。私も楽しみよ、セレス」
こうして私の王都行きの日程は決定されたわ。




