↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/45

王都へ

「では私はセレスティアのドレスの調整へ向かいます」


 領主館のサロンでの最終確認を終えて一息ついたと思ったら、アンリエットは冷徹な視線で私を一瞥すると優雅にサロンを出て行ったわ。何でいちいち私を睨むのよ。


「私も警備計画の見直しがある。アリスティア、体調は整えておけよ」


 レオナールも短く告げると足早に退室していく。


「ああっ!もうそんな時間ですの?アリスちゃん、ごめんなさい。私も針子が待っておりますので……。でも道中の馬車の中ではずっと一緒ですもの。たくさんお話ししましょうね!」


 セレスも名残惜しそうに私の手を握ってからパタパタと去っていったわ。


 嵐が過ぎ去った後の静寂。「うーん」と体を伸ばして私も席を立つ。


「さて、私も帰って……」

「待て」


 背後から猫のように襟首を掴まれたわ。振り返ると書類の束を抱えたジェラールが仁王立ちしていたの。


「何よ?」


 有無を言わせずジェラールは私を引きずって勉強部屋へと連れ込んだわ。


 ドサッ!


 重苦しい音と共に私の目の前に分厚い書類の山が築かれる。


「……これは何の嫌がらせかしら?」

「最後の悪足掻きだ」


 ジェラールは腕を組んで見下ろしてきたわ。


「魔道具の知識はまあいい。マナーも……アンリエットが猫を被る技術だけは一級品と認めたから良しとしよう」

「私なんだから当然じゃない」

「だが魔道具以外の座学全てだ!お前の頭の中にある貴族社会の知識はザルの方がまだマシなほど抜け落ちているぞ!」

「余計な情報は美貌の妨げになるもの。必要なことだけ厳選して保存しているのよ」

「その厳選基準が問題なんだ!……いいか、出発は十日後だがお前にも別れの時間などが必要だろう。つまり勉強できるのは今日が最後だ」


 彼は山の中からいくつかの書類を抜き出して私の鼻先に突きつけてきたわ。


「今さらお前に全部覚えられるとは思わんが、さっきの確認に使ったこれと……せめてこれくらいは頭に叩き込んでおけ」


 ジェラールは「私は執務に戻る。後は任せたぞ」と言い捨てて出て行ったわ。部屋に残されたのは私と教師、そして厳選されたとはいえ絶望的な厚みの書類だけ。


 こうして一日限りの孤独な授業が始まったわ。私が唯一興味を持てる魔道具の授業や鬼婆アンリエットとのスリリングなマナー対決もなし。延々と続くのはどこの誰とも知らない貴族の家系図ばかり。セレスが居ないからご褒美のお菓子もないのよ。


「……えー、そしてこちらの家が……アリスティアお嬢様?聞いておられますか?」

「ええ、先生。右の耳から入って左の耳へ華麗に抜けていっているわ」

「留めてください!」


 教師の熱弁を聞き流しながら私はただひたすらに時計の針が進むのを待ったのよ。ようやく教師が最後の書類を閉じた時、日はとっぷりと暮れてしまっていたわ。


「以上でございます。これだけ詰め込めば完璧でしょう!」

「ええ……そうね……」


 満足げに片付けを始める教師を背に、何も覚えてない私はふらりと席を立った。ようやく解放されたわ。


 帰るために廊下を渡って執務室に入るとジェラールはまだ書類と格闘していたけれど、私を見ると無言で顎をしゃくってテラスの方を指した。「さっさと帰れ」ってことね。言われなくてもよ!


 私はテラスへ向かったけれど、ふと足を止めて振り返った。


「ねえ」

「なんだ」

「私がいない間のレヴァンとノアのことは大丈夫なんでしょうね?」


 私の真剣な声色にジェラールもペンを置いて顔を上げた。


「契約魔法もあるし、あの店は今や私の庇護下にあると周知されている」

「それはそうだけど物理的な守りの話よ。彼女たちに何かあったら私は王都からここまで、焦土にしに戻ってくるわよ?」


 目を細めてジェラールを観察していると、彼は「物騒なことを言うな」と溜息をついたわ。


「安心しろ。店の周辺には警備兵の巡回ルートを重点的に配置した。それにベルトランが自ら目を光らせると言っている」


 ベル……トラン?私は小首をかしげた。


「誰よ、それ」

「おい!」


 ジェラールがこめかみを押さえて天を仰いだわ。


「酒場でお前を止めて、私と共に土下座をして走り回っていた騎士だ!忘れたとは言わせんぞ」

「あぁ、あの髭騎士ね」


 手をポンと叩く。あれから季節一つ分も時間が経ったもの。名前なんて忘れたわ。


「あいつもまた、あの事件を未然に防げなかったことを深く悔いている。だからこそお前が不在の間、あの親子の安全は守り抜くと誓っていたよ」

「ふうん」


 あの髭騎士は融通は利かないけれど嘘はつかないタイプだったと記憶しているわ。彼が責任を持って目を光らせてくれるなら下手な警備よりよほど安心できるわね。


「分かったわ。留守は任せる。……何かあったら必ず知らせなさいよ?」

「わかったわかった。もう夜も更けた。早く帰って家族と過ごせ」


 ジェラールがシッシッと手を振る。その私に対してのぞんざいな扱いは何なのよ。最高の美少女よ?最強の魔女なのよ?私はフンと鼻を鳴らしてテラスから飛び立ったわ。




 冷たい夜風が詰め込まれた退屈な知識を洗い流していくようで最高に気持ちいいわね。悪いわね教師。あなたの今日の仕事は無へと帰したわ。


「ただいまー!」


 慣れ親しんだ我が家の自室の窓へと突入してリビングに降りると、いつもの温かい夕食と愛しい家族の笑顔があったわ。


「おかえり、アリス。お勉強は終わったの?」

「ええ、完璧よ。私の天才的な頭脳が火を吹いたわ」

「嘘だぁ。お姉ちゃん、目が死んでるよ?」


 鋭いノアのツッコミをスルーする。私は席に着いて夕食を食べながら今日の出来事を面白おかしく話したわ。もちろん授業をサボって脳内旅行をしていたことは内緒よ。


 笑い合って美味しいデザートまで平らげて、食器を片付け終えた後にいつものように三人でリビングでくつろぐ。私は手元のティーカップをソーサーにコトリと置いて居住まいを正した。


 ……さて、そろそろいい頃合いかしら。


 窓の外には満月が輝いている。演出としては完璧ね。私は少しだけ視線を伏せてもったいぶるように口を開いたわ。


「レヴァン、ノア。出発の日が決まったわ。……十日後に王都へ向けてここを発つことになったの」


 静寂の後に訪れる悲嘆、私を引き止める懇願の声、涙ながらの抱擁……。さあ、どんと来なさい!


 私は窓の外の月を見上げながらそういう反応を待っていたけれど、レヴァンは編み物の手元から目も離さずに言ったわ。


「十日後ね。分かったわ」


 ……。……?……え?それだけ?私が絶句しているとレヴァンが不思議そうに訪ねてきたわ。


「どうしたの?」

「いえ、もっとこう……あるでしょ?」

「だって決定事項でしょう?いまさら私が何を言うのよ」

「「アリスがいないと家の中の灯りが消えたようだわ」とか「行かないでアリス」とかよ!」

「感動的なお別れならアリスが領主館に勉強しに行く前にしたじゃない。貴女が勉強に行って店に出なくなってから随分経つもの。もう貴女がいない店の風景に私たちも慣れちゃったわよ」


 ぐうの音も出ない正論だわ。確かに最近の私は帰ってきてご飯を食べて寝るだけの、ただの可愛い居候だったかもしれないけれど!もう少し情緒というものをね!……え?もしかして私って穀潰し?


 私が抗議の言葉を紡ごうとした時、横からガシッと質量のある物体が私に激突したわ。見ればノアが私の腰にタックルして手足を絡めて張り付いていたのよ。


「ノア?どうしたの?」

「……」


 大人のレヴァンは淡白な反応だったけれど、まだ子どもなノアはまだ寂しがってくれているみたいね。ニヤけそうな気持ちを抑えて声をかける。


「ちょっと……苦しいわよ?」

「お姉ちゃん分を溜めてるの」

「貴女、自分がどれだけ大きくなったか分かってる?」


 この勉強期間でも背が伸び続けているノアは、ほんの少しだけれど明らかに私の身長を超えているわ。つまり今の状況はほぼ自分と同じ大きさの人間がぶら下がっている状態なのよ。


「離れない。トイレも一緒に行く」

「……はい?」


 私が聞き返すと同時にノアの腕にギリリと力が込められたわ。


「絶対、離さないもん!」

「ぐっ!?ちょ、ちょっと!愛が重いわ!物理的に!」


 ノアは私の腹部に顔をうずめてグリグリと全力で甘えてくるけれど、パン屋の毎日の労働で鍛え上げられた腕力は伊達じゃないわ。


「んーーーっ!」

「息!息が……できないわ!」


 私が脳内で完璧にシミュレーションした美しくも儚い別れの儀式は、レヴァンの情緒の欠片もない正論と、育ちすぎた妹の愛のタックルによって木っ端微塵に粉砕されたわ。




 領主館での勉強も終わって、私は出発の日まで一日中を家の中で過ごして荷造りや思い出作りに勤しむつもりだったわ。


 日中は厨房に入って久しぶりにパン作りに専念する。ノアは表で接客を担当してレヴァンと三人で店を回す。これぞ完璧な布陣――のはずだったのだけれど。


 そこからの十日間、私を待っていたのは優雅な準備期間なんかじゃない。片時も離れずに隙あらば愛を注いでくる妹に、どこまでも付きまとわれる甘くて騒がしい日々だったのよ。


 カランコロン、とドアベルが鳴ってお客様が入ってくるとノアは元気に接客へ向かう。けれど客が帰って店内に静寂が戻った瞬間。


 ダッ、ガシッ。


 目にも留まらぬ速さで厨房に戻ってきたノアが私の背中や腰、時には正面から抱きついてくるのよ。


「お疲れ様。……でも離れなさいよ。仕事が出来ないわよ」

「やだ。補給中」


 作業しようにも腕に絡みつかれて生地がこねられないし、移動しようにも重くて歩けないわ。この甘ったれなコアラの対処に困り果てていると、焼き上がったパンのトレイを持ったレヴァンが背後を通り過ぎざまに言ったわ。


「はいはい、邪魔よ二人とも」

「レヴァンは助けなさいよ!」

「あら、アリスだって勉強に行き始めた頃は同じことをしてたじゃない。妹の愛情表現なんだからお姉ちゃんとして受け止めてあげなさい」


 ぐぬぅ……痛いところを突かれたわ。言い淀んていたらレヴァンは我関せずといった様子でパンを陳列棚へと運んでいってしまったわ。


 さらに困ったことに、最近のノアは私がいなくなる不安を埋めるようにスキンシップのレベルが格段に上がっていたのよ。


「んっ……!」

「こらっ!いきなり頬っぺたに吸い付くんじゃないわよ!」


 隙あらば私の顔に口づけをしてくるキス魔と化していたわ。生地の発酵を見ている時や棚の上の物を取ろうとした時にキスをしてくる。


 ある日の午後、私が焼き上がったパンの並びを直そうとして、背後にノアの気配を感じて振り返った時のことよ。


「そこにいると危な……んっ!?」


 注意しようと顔を向けた瞬間、私の唇に柔らかくて温かい感触が押し付けられたわ。至近距離で瞬きをするノアの瞳と私の瞳がかち合う。


 ――え?


 時が止まったわ。数秒の硬直の後、私は顔を真っ赤にして飛び退いた。


「ノ、ノ、ノアァァァッ!?く、くち!今、口と口が当たったわよ!?」

「あ、ごめんねお姉ちゃん。頬っぺたにしようとしたらお姉ちゃんが動くから」

「動くからって……!」

「お姉ちゃんの唇、甘いね。ジャムの味?」

「誤魔化さない!反省しなさい!」


 最強の魔女である私があどけない少女の不意打ちに狼狽えていると、他の作業をしていたレヴァンから呆れたような声が飛んできた。


「店の中で情熱的ねえ。お客さんの前ではやめなさいよ?」

「客の前じゃなかったらいいの!?見てたなら止めてよ!」

「止める間もなかったわよ。仲が良いのはいいことだわ」


 レヴァンは面白そうにクスクスと笑っているだけ。この店に私の味方はいないの!?私の数百年越しのファーストキスが……。


「……ノーカウントよ!今のは事故!私の記憶からは抹消するわ!」


 私は必死に自分に言い聞かせたけれど、当の犯人はと言えば「えへへ」と上機嫌で鼻歌交じりに仕事に戻っていく始末。私は行き場のない恥ずかしさとドキドキを、力任せにパン生地へ練り込むしかなかったわ。


 店を閉めて夕食を終えた後、お風呂から上がって私が優雅に読書をしようとソファに座れば、当然のようにノアが膝の上に乗ってくる。それも今までは背中を預けてきていたのに、今日はくるりと反転して私と向かい合わせに座り込んだわ。


「ちょっと」

「なあに?」


 ノアは小首をかしげてきゅるんとした瞳で私を見上げてきたわ。その角度、その表情。完全に分かってやっているわね。


 対する私はと言えば、動揺を悟られないように必死だったわ。不自然なくらい視線を彼女の唇から――さっきの事故現場から――逸らして冷静を装う。あれは幻よ。気の迷い。何もなかったわ。私は冷静沈着な魔女。子供のスキンシップごときで動じるはずがないのよ。


「……これじゃ本が読めないのだけれど」

「本と私、どっちが大事?」

「面倒くさいことを言うようになったわね」


 至近距離で見つめ合う形になって私が溜息をつこうとした時、また唇に柔らかいものが触れたわ。


「っ!また!」

「んへへ」


 事故じゃなかったわ。一度超えてはいけないラインを超えてしまったと思ったのか単純に味を占めたのか、完全に確信犯だわ。私が文句を言おうと口を開くと追撃される。ファーストキスに続いてセカンドもサードもこの無法者の妹に軽々と奪われていくなんて!


「私の方が大事だよね!」


 ノアは満足そうに私の首に腕を回すと全体重を預けるように抱きついてきた。最強の魔女にここまで無法をしながらも五体満足で居られるなんて、世界広しといえどこの子くらいなものね。


 その様子を向かいの椅子で編み物をしていたレヴァンがチラリと見てやれやれと肩をすくめる。


「アリスが甘やかすからよ」

「甘やかしてないわよ!不可抗力よ!」

「あと数日でその重みともお別れなんだから、気が済むまでくっつかせてあげなさい」


 レヴァンからお墨付きが出てしまってからも嵐は続いたわ。首から上でノアの柔らかい唇が触れていない場所なんて、もうどこにもない。


 レヴァンは優しい目で編み棒を動かし続けた。私は観念してノアの背中に腕を回し返す。この重みも体温もきっと王都に行けば恋しくなる。だから今だけは暴走する愛のなすがままに捕食されておいてあげるわ。




 そうして騒がしくも愛おしい十日間が過ぎ――。


 ついに訪れた出発の前夜。夕食はささやかな壮行会として普段より豪華だったわ。テーブルには分厚いステーキと私の大好物のクリームシチュー、それに山盛りのパン。


「今日はご馳走ね!」

「アリスの門出だもの。……さあ、たくさん食べなさい」


 乾杯をして私たちは食事を始めたわ。お腹いっぱい食べて、笑って、喋って。最高に楽しい晩餐だったわ。


「……ねえ、覚えてる?アリス」


 ひとしきり盛り上がった後、レヴァンが懐かしむように目を細めて切り出した。


「貴女と初めて出会った時のこと。言葉も通じなくてお腹を空かせて広場のベンチに行き倒れていた日のこと」

「行き倒れてなんていないわよ!あれは……そう、世界の情勢を広場から観察していたのよ!」

「ふふ、そうだったかしら?私には捨てられた子猫みたいに見えたけれど」


 確か私は必死に孤高の魔女の設定を守ろうとしていたと思うけれど、レヴァンのフィルターを通すと可哀想な子猫に変換されてしまっていたみたいね。


「お姉ちゃん、あの時は大きく見えたのにね。私、あっという間に追いついちゃった」

「不老不死の私にマウントをとるのはやめなさい」

「うん。……でも、あの時お母さんが声をかけなかったら、お姉ちゃんどうなってたのかな」


 ノアの言葉に私はスプーンを止めた。もし二人に会えていなかったら。……きっと私は惨めさに耐えられずに森に帰っていたかもしれないわね。


「……そうね。あの時レヴァンがパンをくれたから。ノアが笑ってくれたから。だから今の私がいるのよ」


 私が素直に認めるとレヴァンは少し照れくさそうに頬を掻いたわ。


「私はただお腹を空かせた子供を放っておけなかっただけよ。……でも連れて帰ってきて正解だったわ。こんなに騒がしくて自慢のバカ娘ができたんだもの」


 やっぱりバカは付くのね。感動的なシーンなんだから素直に愛娘とでも言っておけばいいものを。天才と名高い私を捕まえてバカ呼ばわりだなんて、本当なら不敬罪で極刑ものなのよ。




 食後、レヴァンがテーブルに一つの包みを置いた。


「これ、餞別よ。持っていきなさい」


 あら嬉しい。感動の涙を誘うハンカチか母の形見のペンダントかしら?期待に胸を膨らませて包みを開けた私の目に飛び込んできたのは――ふわふわとした手触りの毛糸の塊だったわ。


「……レヴァン?これは?」

「毛糸のパンツよ。ちゃんと予備もあるわ」

「毛糸……」


 私はまじまじとその物体を見つめた。手編みならではの温かみがあるけれど容赦のない実用的なフォルム。紛うことなき下着の上から履く防寒具だわ。最近編んでいたのはこれ!?


「えっと、私が向かうのは王立学院で着るのは多分ドレスみたいのだと思うけれど……」

「だからよ。貴族のドレスなんて布切れ一枚みたいに薄いじゃない。お腹を冷やしたらどうするのよ。貴女いつもこの時期になったらお腹こわすじゃない」


 不老不死の最強ボディを謳っているけれど、悲しいかな私の胃腸は寒さにめっぽう弱いのよ。冬場の朝に腹痛でトイレに引きこもる氷の魔女の姿をしっかり記憶してやがったわ。寝ているときまで魔法で温まることは出来ないもの。


「いえ、でも、ドレスの下にこれを履けと……?このもこもこを?」

「誰も見やしないわよ。お守りだと思って履きなさい」


 どんなお守り?私は観念してそっと包みに戻したわ。気位の高い私がドレスの下で密かに毛糸のパンツを履いているなんて……。でもレヴァンの真剣な目を見たら断れるわけがないじゃない。


「……ありがとう、レヴァン。誰にも見られないように大事に履くわ」


 私が引きつった笑顔で礼を言うとレヴァンは満足そうに頷いたわ。……だめね。このパンツの破壊力で涙が引っ込んだわ。


 なんとも言えない気持ちで私が佇んでいるとノアが私に抱きついてきた。また不意打ちのキスかと身構えて私は唇を死守しようと顔を背けたけれど、予想していた唇への襲撃はいつまで経っても来なかったわ。


「お姉ちゃん……本当に行っちゃうの……?」


 そこにいたのはただ姉との別れを惜しんで泣きじゃくる、図体ばかり大きくなった泣き虫な妹だったわ。


「……ええ。でも言ったでしょう?学院の技術を全部盗んで帰ってきたら、この店を魔法で動く世界で一番のお城にしてあげるって」

「うん……」


 密着していた体をゆっくりと引き離してノアの手を両手でぎゅっと包み込んだ。私よりも大きくなって日々の仕事で鍛えられた温かい手。


「約束よ。ノアはお姫様、レヴァンは女王様。私が帰ってくるまでこのお城を守っていてちょうだい」


 ノアは私の手を痛いくらいに強く握り返してきたわ。


「……うん!約束!絶対守る!」




 そして出発の朝。


 私は鏡の前で旅装を整えていた。身につけるのは私が森の小屋で心血を注いで作り上げたいつもの装備。


 お馴染みの肌触りの良い白のブラウスにシックな黒のワンピース。その上から藍色の魔女(アルカナム・ブルー)である深く艶やかな藍色のローブを羽織り、先端がへなっと曲がった三角帽子を目深にかぶる。足元は黒革のストラップシューズで右手には相棒である銀の架け橋(アルジェント・ゲイト)を握り、肩には全財産と茶器が詰まった黒革の鞄をかける。


「……完璧ね」


 少なくとも端から見る部分は完璧。準備を終えて二階から階段を降りるとレヴァンとノアが待っていたわ。


「おはよう、アリス。忘れ物はない?」

「ええ、完璧よ」

「一番大事なものは忘れてないでしょうね?」


 レヴァンが目を細めて私の腰のあたりをジッと見た。


「……一番大事なもの?」

「とぼけないでちょうだい。アレよ、アレ」


 レヴァンの視線が厳しくなる。私は観念してスカートの裾を持ち上げてみせた。


「……履いてるわよ。ほら」


 チラリと見えたのは私の優雅さとは対極に位置するもこもことした毛糸の質感。


「この完璧なコーディネートの下に毛糸のパンツって……。最強の魔女の威厳に関わるわ」

「威厳より健康よ」

「はいはい。分かったわよ」


 私が不満げにスカートを下ろすとノアが横から抱きついてきた。


「お姉ちゃん、もこもこしててあったかそう!」

「笑い事じゃないわよ。これは試練なのよ」

「お母さんの愛だね!」

「……重すぎる愛ね」


 でもお腹周りの温かさは否定できなかったわ。


「さあ、行きましょうか。馬車が待ってるわ」


 私たちは裏口のドアを開けて朝の冷たい空気の中へと踏み出した。ジェラールが手配した迎えの馬車は、近所の目を引かないように表通りから外れた場所に来ると聞いたわ。


 歩いていると繋いだノアの手がギュッと強くなるのが分かった。


「お姉ちゃん」

「なに?」

「向こうに行っても夜更かしもしちゃダメだよ。朝起きられなくなっちゃうから」

「……善処するわ」

「それからお友達と喧嘩しちゃダメだよ?魔法で吹き飛ばしたりしちゃダメだからね?」

「……努力目標にしておくわ」

「そこは必須目標にしておきなさい」


 レヴァンとノアの小姑のような注意に視線を逸らす。話しているうちに通りの角を曲がった先で黒塗りの馬車が見えてきたわ。


「あれね」

「……着いちゃった」


 私は立ち止まって二人に振り返った。「湿っぽいのは無しよ」と言おうとしたけれどノアが飛びついてきたから言葉にならなかったわ。


「ううっ……お姉ちゃん……!絶対、絶対帰ってきてね!約束だよ!」

「ええ、約束よ。ノアは任務を頼んだわよ」

「うん!任せて!お店は私が守る!」


 私はノアの頭を撫でて顔を上げた。レヴァンは「気をつけてね」と言って潤んだ瞳で微笑んでいる。


「それじゃあね!」


 御者がドアを開けたので私は二人に背を向けて馬車へと歩き出した。ステップに足をかけて中に入るとドアが閉まって馬車がゆっくりと動き出す。窓から顔を出すと二人が大きく手を振っているのが見えたわ。


「いってらっしゃい、アリス!ご飯ちゃんと食べるのよ!」

「早く帰ってきてねー!」


 二人の姿が見えなくなるまで手を振り返して私は深くシートに身を預けた。涙は見せないわ。これは悲しい別れじゃなくて輝かしい未来への第一歩だもの。




 馬車は下層区を抜け整備された石畳の道を進んで上層区にある領主館の正門をくぐった。まずはここで合流して隊列を組んでから王都へ向かう手はずになっているのよね。


 馬車が停まったので降り立つと既に旅立ちの準備を整えた一行が待っていたわ。数台の馬車。護衛のための騎士団。道中の世話係の使用人。中央にはロシュフォール家の面々。


 ……思ってたよりも人数がずいぶんと多いわね。十人くらいで行くイメージだったけれど、軽くその数倍の人数は居そうだわ。


「アリスちゃん!おはようございます!」


 ロシュフォール家の面々から抜け出したセレスが目を輝かせて駆け寄ってくる。彼女の服装は長距離移動を意識したのか普段より少し落ち着いたデザインではあるものの、上質な生地で仕立てられた可愛らしいドレスに身を包んでいたわ。


「おはよう、セレス。今日も愛らしいわね」


 私には及ばないけれど。


「ふふ、アリスちゃんこそ!その服装も素敵ですけれど、後でお揃いのドレスに着替えるのが楽しみですね!」


 微笑んでいるセレスの背後で、ジェラールが私を見て頭痛を堪えるようにこめかみを押さえたわ。


「……おい。まさかその格好で行くつもりか?」

「ええ。これが私の正装ですもの」

「貴族の令嬢がそんな服で旅の列に加わるなど聞いたことがないぞ……」


 頭を抱えるジェラールが困ったように縋るようにアンリエットに視線を向ける。彼女は今日も完璧なドレス姿で隙のない立ち姿を見せている。いつ見ても髪のほつれ一つない姿。この女、実はサイボーグなんじゃないの?


「……移動中の馬車の中であれば誰に見られるわけでもありませんから、まあ良いでしょう。窮屈なドレスで長時間揺られて機嫌を損ねられるよりはマシです」


 アンリエットは冷ややかな瞳で私を見下ろした。


「ただし、道中の町に入る前や王都の城壁が見える前には、必ず用意させたドレスに着替えていただきます。ロシュフォール家の娘として恥ずかしくない姿でなければ、馬車から降ろすわけにはいきませんから」

「はいはい。分かってるわよ」


 相変わらず厳しいけれど馬車の中での快適さが保証されたなら文句はないわ。そんな私たちが可笑しかったのかセレスは口元に手を当ててクスクスとしてから切り出した。


「さて、アリスちゃん。これから長い旅になります。私たちのお世話をしてくれる人たちを紹介しますね」


 セレスの手招きに応じて二人の女性が一歩前へ出た。


「まずは私の専属侍女のセラフィナです」


 紹介されたのは蜂蜜色の髪をきっちりとシニヨンにまとめた柔和な雰囲気の女性だったわ。年齢は三十代半ばくらいかしら。目元には優しげな笑みを称えているけれど立ち振る舞いには一切の無駄がないわ。


「セラフィナ・ガルディエでございます。セレスティアお嬢様が幼い頃よりお仕えしております。道中何かございましたら何なりとお申し付けください」


 セラフィナは流れるような所作で深々と頭を下げた。優しそうだけど芯の強さを感じるわね。


「そして今回アリスちゃんの専属として付いてくれるアンジェルです」


 セレスが示した先にいたのは、切り揃えられた黒髪に感情を読み取らせない灰色の瞳。侍女服を着てはいるけれど立ち姿はまるで訓練された騎士のように重心が安定している。年齢はセラフィナと同じくらいに見えるけれど纏っている空気が明らかに堅いわ。


「アンジェルはセラフィナと一緒に私の身の回りのお世話をしてくれていたのですが、学院に通っている間はアリスちゃんの専属になってもらうことになりましたの」


 セレスが嬉しそうに説明する。


「とっても優秀で頼りになる方ですよ。お父様もアリスちゃんにはアンジェルを付けたほうがいいって仰って」

「アンジェル・ヴェイユールです。アリスティアお嬢様の身の回りのお世話と雑務一切を担当させていただきます」


 アンジェルは抑揚のない淡々とした口調で挨拶して、ガラス玉のような冷静な瞳で私を見据えてきたわ。


「旦那様よりお嬢様は少々特殊な事情をお持ちで、常識に囚われない行動をなさると伺っております。どのような事態にも対応できるよう心づもりはしております」


 ……あら。ジェラールは私のことをなんだと思っているのかしら。でもこのクールな感じは悪くないわ。いちいち私の行動に戸惑うより、これくらい肝が据わっている方がやりやすいもの。


 でもこの侍女……隙のない立ち姿といい、にべもない物言いといい、どこかアンリエットと同じ風味を感じるのよね。


「よろしく……ってちょっと待って」


 私はそこでハタと重大な事実に気がついたわ。専属の侍女が付くということは食事の用意や髪の結い上げはもちろん、着替えの手伝いも含まれるということよね?特にこれから着ることになる貴族のドレスなんて、構造上ひとりで着るのは不可能な代物だわ。


 ……ということは、私が魔女服の下に密かに着用している毛糸のパンツが速攻でバレるということじゃない!


「私……自分のことは自分でしたい主義なの。着替えとかも一人でパパッと済ませたいのだけれど」

「お戯れを。貴族のご令嬢が一人でドレスをお召しになるなど不可能です」


 アンジェルは表情一つ変えずに即答したわ。まあそうよね。正論だわ。


「それに奥様より、お嬢様は隙あらば着崩したり見えないところで手を抜こうとする気しかないので、よく見ておくようにと仰せつかっております」


 終わったわ。完全に包囲網が敷かれているわ。


 想像してみてちょうだい。このアンリエット・チルドレンみたいな侍女に生活感丸出しの毛糸のパンツと対面する瞬間を。彼女はきっと笑わないでしょうね。ただ無表情のまま哀れな生き物を見るような目で、私の最強の魔女としての威厳を足元から粉砕するに違いないのよ。


 現実逃避するように待機している馬車に目を向けて、そこである違和感に気づいた。


 私が乗ってきた馬車よりもさらに大きく豪奢な装飾が施された大型の箱馬車が二台。荷馬車に積み込まれている荷物の量は明らかに子供二人の引越し荷物にしては多すぎるわ。


 何よりジェラールとアンリエットの気合の入った格好。ジェラールはラフな執務服ではなく貴族が着るような正装に近い旅装だし、アンリエットも完璧にめかしこんでいる。見送りにしては豪華すぎない?


「……ねえ。もしかしてだけど」


 私は嫌な予感を覚えて尋ねる。


「貴方たちも来るの?」

「当然だろう」


 ジェラールがあっさりと頷いたわ。


「はぁ!?なんでよ!子供の入学に親がゾロゾロついてくるなんて過保護すぎない!?」


 てっきり私とセレスにお付きの何人かで向かうものだと思っていたのに!旅行気分だったのよ!?


「勘違いするな。我々は遊びに行くわけではない」


 ジェラールが呆れたように言った。


「この時期は王都で会議が開かれるのだ。それに合わせて夜会や社交シーズンも始まる。当主である私と妻であるアンリエットが顔を出さないわけにはいかんだろう」

「貴女たちも挨拶がてら軽く社交の場に出てもらいますよ」


 アンリエットがチクリと付け加える。うげぇ。道中も監視付きってわけ?私の気楽な馬車の旅が……。


 そこまで聞いて私は気付いた。この場にいるロシュフォール家の面々の中で一人だけ旅装ではない人物居たので視線を向ける。


「私は留守番だ。父上と母上が不在の間、私がこのベル・ガルドを預からなければならないからな」


 普段通りの騎士服に身を包んだレオナールはいつもの彫像とした顔ではなく、留守を預かる者としての自覚に引き締まっていたわ。


「王都は古狸の巣窟だ。くれぐれもロシュフォール家の名を汚すなよ」

「はいはい」


 耳にタコが出来るくらい聞き慣れた注意だわ。


「それとセレスティアを頼んだぞ。……お前に力があるのかはまだ実感出来ていないが、父上の言葉を信じよう」


 レオナールは私の目を真っ直ぐに見据えて告げたわ。私への不信感は丸出しだけど、最愛の妹を守るためなら得体の知れない私でも利用する。そのなりふり構わぬシスコンっぷりは嫌いじゃないわよ。私の妹は最近小悪魔と化しているけれど。


「貴方に言われなくても守るわよ」

「その言葉を忘れるなよ。……頼むぞ」


 レオナールは硬い表情を崩さぬまま短く頷いて会話を打ち切った。


「さあ、乗り込め。王都までは長い旅になるぞ」


 ジェラールの言葉によって皆が動き出す。


 ジェラールとアンリエットと彼らの専属侍従たちが前の馬車に乗って、私とセレスと私たちの専属侍女たちが後ろの馬車に乗るみたいね。アンリエットと同じ馬車じゃないから息が詰まらなくて済みそうでホッとしたわ。


「出発!」


 ジェラールの力強い号令で馬車が動き出す。


 窓の外を要塞都市ベル・ガルドの街並みが流れていく。私は心の中でもう一度だけパン屋の方角へ向かって呟いた。レヴァン、ノア、行ってくるわ。私が帰る日まで元気でね。


「アリスちゃん?」


 馬車の向かい側に座っているセレスが私の顔を覗き込んでくる。


「寂しいですか?」

「いいえ?だって貴女が一緒にいるじゃない」


 私がちょっと持ち上げて答えたら、彼女はパァッと花が咲いたような笑顔を見せて私の手をギュッと握ってきたわ。


「はい!ずっと一緒です!たくさんお話ししましょうね。お菓子もたくさん用意してありますよ」


 彼女が嬉しそうに笑う。セレスがチョロすぎるわ。甘い言葉で誘拐とかされないか心配なってきたじゃない……。


 巨大な城門をくぐり抜けて馬車は街道へと躍り出る。広がる平原の先にある未知の場所へ向けて進み続けたわ。


 待っていなさい王都レガリアス。そしてローリエ王立学院。宇宙一可愛くて最強の魔女アリスティアが今そちらへ向かっているわよ!

ここまでお読みいただきありがとうございます。

想定より長くなりましたが第二章は完結となります。


すぐに第三章といきたいところなのですが、あいにくストックが尽きてしまいました。

この機会に第一章・第二章の修正や世界観の練り直しを行おうと考えています。


あと普段使わない頭を酷使してしまったので、少しクールダウンの期間もいただければと思います。

しばらく間が空いてしまいますが気長にお待ちいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。