入学条件
前回の約束から十日後、大事な話し合いになる今日は早めに向かうことにしたわ。
「ごきげんよう」
私は慣れた手つきで領主館テラスの専用勝手口から侵入して、優雅に挨拶を決めたわ。書類仕事に追われていたジェラールは、私を見るなりギョッとして時計を確認する。
「早いな!約束の時間までまだ時間があるぞ」
「優秀な魔女は前倒し行動が基本なのよ。感謝なさい」
「君の場合は単に気が早いだけだろう。……参ったな、タイミングが悪い」
ジェラールは困ったように頭を掻いて、部屋の奥にある大きな革張りソファを指差す。
「悪いが少し隠れていてくれんか。これから来客がある」
「来客?こんな夜更けに?」
「身内だ。まずは親子水入らずで話して、場の空気を温めてから君を紹介したいのだ。いきなり君のような少女が鎮座していては娘も驚くだろう」
「……娘?」
「そうだ。ほら、足音が聞こえてきた。頼むからソファの裏にでも隠れていてくれ」
廊下からパタパタと軽い足音が近づいてくる。
私は「やれやれ」と肩をすくめてソファの背後へと滑り込んだわ。ふかふかの背もたれと壁の隙間。埃一つないのは流石だけれど、最強の魔女である私がこんな狭い場所に体育座りだなんて。
コンコン、とノックの音がしてドアが開いたわ。口を尖らせながらも隙間からこっそりと様子を伺う。
「失礼します、お父様」
鈴のような可愛らしい声と共に一人の少女が入ってきたわ。透き通るような金髪に、私の碧眼と対を成すような鮮やかな翠の瞳。ふんわりとしたドレスを纏った姿は十歳か十一歳くらいかしら。無骨なジェラールとは似ても似つかない、柔らかくて人形のように愛らしい顔立ちだわ。
まあ?完成された美貌と溢れ出るチャーミングさで言えば、この私の方が断然上だけどね?
「おおおおお!セレスティアアアアアッ!!」
しげしげと彼女を値踏みしていた時、急に空気が破裂したかと思ったわ。ジェラールが椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がって、突進するような勢いで娘に抱きつく。
「パパの愛しいセレスティア!今日も可愛いねぇ!夜更かしさせてごめんね!ああ、会いたかったぞー!」
「……お父様、苦しいです」
娘は父親の胸の中で暴れるでもなく、慣れた様子で冷静に抗議していたわ。
「お髭が痛いので離れてください……」
「おお、すまない!あまりに可愛くてつい理性が!」
ジェラールは慌てて腕を緩めたけれど、顔はデレデレに溶けきっている。いつもの鉄仮面のような厳格な領主様はどこへ行ったのよ。
「お父様、大切なお話があるって聞きましたよ?」
娘が背の関係から上目遣いで尋ねると、ジェラールは「んぐっ」と胸を押さえて身悶えしたわ。
「ああ、そのお父様という響き!なんと甘美な!もう一度呼んでくれるかい?いや、ずっと聞いていたい!」
「はぁ……」
娘の方は父親の奇行に慣れきっているみたいね。小さくため息をついて乱れた服を直していることから、この親子の関係がなんとなく察せられるわ。
これ以上隠れているのも馬鹿らしくなって、私はソファの裏からぬっと姿を現す。
「そろそろ良いかしら?胸焼けがしそうだわ」
「ッ!?」
突然現れた私に、娘がビクッとして父親の背中に隠れる。けれど現れたのが同年代くらいの少女だとわかると、警戒しつつも興味深そうに陰から覗き込んできていたわ。
ジェラールは「しまった」という顔をしてコホンと咳払いをした後、すぐに表情筋を引き締めキリッとした領主の顔に戻る。
「……すまない、取り乱した。セレスティア、怖がらなくていい」
ジェラールは娘の肩を抱き寄せて私の方へと向ける。
「紹介しよう。こちらはアリスティア嬢だ」
娘は父親の袖を掴みながら私をじっと見つめる。大きな瞳が私を観察しているわね。
「……お父様」
「なんだい?愛しいセレスティア」
「この子……お父様の隠し子ですか?」
「ぶっ!」
ジェラールが盛大に吹き出したわ。確かにそう勘違いされても仕方ないわね。
「ち、違うぞセレスティア!断じて違う!私はお母様一筋だ!」
「……本当ですか?」
「本当だ!彼女は……あ~、知り合いの娘だ。事情があってこれから話し合いをするんだ」
深夜にこっそり会う同年代の子供。状況証拠だけで見れば、普通なら浮気を疑われても弁明出来ない状況よ。
「わかりました。お父様がそう仰るなら」
けれど娘――セレスティアはあっさりと、それこそ拍子抜けするほど素直に頷いたわ。疑う素振りすら見せないのよ。あまりに物分かりが良すぎて逆に心配になるレベルだわ。
「……ねえ、ちょっといいかしら」
私は思わず口を挟む。
「貴女、今の苦しい言い訳を本気で信じたの?普通はもっと疑って詰め寄る場面でしょう?」
指摘すると彼女はきょとんとして小首をかしげたわ。
「疑う?どうしてですか?」
「どうしてって……」
「だってお父様は私が生まれてから今まで、一度だって私に嘘をついたことがありませんもの」
瞳には一点の曇りもなかったわ。盲信じゃなくて、積み重ねられた時間と愛情に裏打ちされた強固な信頼ね。
「うおおおおん!セレスティアアアア!」
ジェラールが感極まって奇声を上げ、再び娘に抱きつこうとして軽く避けられている。彼女は改めて私の方に向き直り、スカートの裾をつまんで優雅にお辞儀をしたわ。
「改めまして。先程は不躾なことを申し上げて失礼いたしました。セレスティア・ド・ロシュフォールです」
洗練された所作。近くで見ると、ふわふわとした髪や白い肌が本当にお菓子のようで可愛らしいけれど、瞳には聡明な光が宿っているわね。
「アリスティアよ。よろしくね」
私が挨拶すると、セレスティアはふわりと花が咲くように穏やかに微笑んだわ。
「立ち話もなんだ。二人とも掛けてくれ」
促されてソファに座ると、向かい側にジェラールとセレスティアも並んで腰を下ろす。セレスティアは背筋を伸ばし膝を揃えて座っているけれど、やはり子供らしく足が床に届かずに少しブラブラしている。自分の足元を見れば同じように地面から浮いている。奇妙な連帯感を感じるわね。
ジェラールは一つ咳払いをして空気を切り替えると、表情を引き締め本題を切り出したわ。
「アリスティア嬢。君が要望した王立学院への入学の条件についてだ」
「ええ」
ジェラールは私とセレスティアを交互に見つめる。
「来年、セレスティアも王立学院に入学する」
「へぇ、奇遇ね」
「ああ。……セレスティア、よく聞いておくれ」
ジェラールは娘の手を優しく握ったわ。
「王都にはね、パパのことを良く思っていない悪い人たちがたくさんいるんだ。パパが身分にこだわらず平民を取り立てたり、そうして鍛えた彼らと一緒に結果を出しているのが気に入らないんだよ」
「……はい。存じております」
セレスティアは静かに頷く。
「お父様が平民の方々を重用されていること。その実績と力が一部の貴族たちにとって脅威になっていると……家庭教師の先生も仰っていました」
「うむ、その通りだ。セレスティアは賢いな」
ジェラールは満足げに頷いた後、表情を曇らせたわ。
「最近その人たちが乱暴になってきていてね。セレスティアに意地悪をしようと狙っているかもしれないんだ」
セレスティアの顔が曇る。小さな手が震えるのをジェラールが両手で包み込んだ後、私に目を向ける。
「だからアリスティア嬢。君への第一の条件は、王立学院でセレスティアの護衛を務めることだ」
私は思わず目を丸くして自身を指差したわ。
「護衛?私が?」
「そうだ。学院の警備は王都の騎士団が担っていて、外部の軍事力であるベル・ガルド騎士団は学院内には入れない。だが生徒同士なら常に傍にいられる。君の実力ならどんな相手でも追い払えるだろう?」
なるほど。私という異物をねじ込むリスクと引き換えに、メリットをそこで回収するわけね。
ただ――。
「護衛ねぇ……」
私は馬鹿息子の件で反省したのよ。魔女の旅の心得その一、確か……深入りはしない的なこと。レヴァンとノアという例外を作ってしまった今、これ以上守るべき対象を増やして泥沼にハマるのは、リスクが高すぎるのよね……。
悩んでいると、セレスティアがジェラールの袖を引いたわ。
「……お父様」
「なんだい?愛しいセレスティア」
「アリスティア様が護衛……つまり、私を守ってくださるのですか?」
彼女は私の方を見て不思議そうに小首をかしげる。
「私と同じくらいの大きさですし……腕も細いです」
あまりに素直すぎる感想に、私は苦笑するしかなかったわ。自分の腕を見下ろしてみる。うん、筋肉のきの字もない、白くてぷにぷにした子供の腕ね。端から見れば子供が子供を守るなんて、ままごと以下の冗談にしか見えないでしょうね。
「大丈夫だ。彼女の見た目は可愛い少女だが、とっっっても強いんだ。パパの騎士団より凄いかもしれない」
「まあ……!本当ですか?」
セレスティアが目を丸くして、信じられないものを見るように私を見つめたわ。
ふふん。当然よ、私を誰だと思っているの。でも面と向かって実力を認められるのは悪い気はしないわね。
それに私が学院に通うのは、レヴァンとノアを守る手段を学びにいくため。その対価が、学びの間にこの子を護衛するというミッションなら――悪くない取引かもしれないわ。
「いいわよ。引き受けたわ」
「では第二の条件だ」
ジェラールは真剣な眼差しで私を見る。
「護衛をするにあたり、君には身分が必要だ。平民のままでは、貴族の娘であるセレスティアの傍に常に控えることは難しい」
「まあ、そうなんでしょうね」
「そこでだ。君には――我がロシュフォール辺境伯家の養子になってもらう」
予想の斜め上を行く提案に瞬きをしたわ。
「……はい?養子?」
「そうだ。法的に私の娘となり、セレスティアと一緒に姉妹として王立学院に通うのだ」
セレスティアも驚いたように目を見開いている。
「アリスティア様が私の姉妹になるのですか?」
「そうだ。彼女が家族になるんだ」
私は首をかしげて素朴な疑問を口にしたわ。
「ちょっと待ってよ。護衛なら遠縁の親戚とか使用人枠で十分じゃない?わざわざ貴族籍に入って目立つ必要ある?」
問いかけに対してジェラールは首を横に振る。
「ダメだ。それには明確な理由がある。……君は自分の気性を理解しているか?」
「……?ええ。温厚で理知的で慈愛に満ちているわ」
「その自己評価が一番危険なのだ!」
ジェラールは頭を抱えてしまったわ。
「いいか。以前にも言ったが、王都に居を構える貴族は選民思想が強い者が多い。平民というだけで蔑んだ目を向け、陰湿な行いをしてくる。……もし君がそんな目に遭ったら、どうする?」
私は想像したわ。着飾った高慢なガキに「汚らわしい平民め」と罵られて、泥水をかけられる私。想像しただけで虫唾が走るわね。
「……そうね。人間にはいくつかタイプがいると思うの。善良な人間とか、悪い人間とか」
「……」
「で、私にそんなことをする奴らは、悪い人間の中でも死んだほうが……いえ、死ぬべき人間よ。生かしておいてもしょうがないし、とりあえず関わった奴らは全員消し炭にするわね」
「それだ!」
ジェラールが机を叩く。セレスティアは「消し炭……?」と、少し引いたように私を見たわ。
「君が爆発すれば国が滅びかねん。私が恐れているのは、敵の襲撃よりも君がキレて引き起こす大災害なのだ!」
「あら、売り言葉に買い言葉よ」
「だからこその養子だ」
ジェラールは爆弾(私)を諭すように言う。
「君が辺境伯令嬢という肩書きを持てば、表立って手出しできる者は格段に減る。揉め事自体を我が家の権威を使って避けることもできるのだ」
「虫除けってわけね」
「それだけではない。もし揉め事が起きても、よほど大きくなければ貴族同士なら、家の名誉や子供の喧嘩を理由として処理できる。君の暴走を防ぐための安全装置であり、私の権力で君を守るための防具でもあるのだ」
「……なるほど、理には適っているわね。権力という傘があるなら、利用しない手はないということね」
けれど私は即答できずに顔をしかめる。貴族――それは私が大嫌いな人間の汚い本質と、カビの生えたような因習の吹き溜まりよ。そんな鳥籠に縛られるなんて真っ平ごめんだわ。
……でも。私の偉大な想像力は別の甘美な光景も映し出してしまったわ。
煌びやかなホール中心で、誰よりも豪華なドレスを完璧に着こなす私。宇宙一可愛い私が舞踏会に足を踏み入れれば、嫌でも目立ってしまうでしょうし、その美貌で社交界の伝説になってやるのも一興かもしれないわ。
自由か、それとも伝説か。私が眉を寄せて葛藤していると、ジェラールが助け舟を出したわ。
「勘違いするな。一生縛り付けるつもりはない」
「え?」
「この養子縁組は、あくまでセレスティアと君が学院に在籍している間だけの措置だ。卒業したら籍を抜くなり平民に戻るなり、好きにすればいい」
その言葉を聞いて胸を撫で下ろすと同時に、せっかく脳内で構築した社交界の覇者・アリスティア伝説が、連載打ち切りになったような寂しさを感じてしまったわ。一生カゴの中は御免だけど、期間限定の夢物語だと言われると、それはそれで少し物足りない。現金なものね。
まあいいわ。面倒なしがらみはナシで、少しだけ貴族ごっこを演じてあげる。
「……わかったわ。その条件乗ったわ」
「よし、交渉成立だ」
ジェラールは安堵の息を吐いて、セレスティアに向き直る。
「というわけでセレスティア。今日から彼女はお前の姉妹になる。仲良くできるかい?」
「はい、もちろんです」
セレスティアは私を見たわ。私も彼女を見つめ返す。
「あの、お父様」
「なんだい?愛しいセレスティア」
さっきからそれは何の定型句よ。
「ではアリスティア様は私のお姉様なのですか?それとも妹ですか?」
セレスティアの素朴な疑問に、ジェラールは「あ」と間の抜けた声を上げて固まる。彼はハッとしたように私の方を向いたwa。
「そういえば聞いていなかったな。同い年くらいだろうと勝手に話を進めていたが……君は今いくつだ?」
ジェラールの瞳に疑いの色は微塵もない。彼は私のことをマセた口を利く才能あふれる子供だと信じ込んでいるわ。まさか目の前の少女が、下手したら要塞都市の歴史よりも長く生きている、数百歳オーバーの魔女だなんて夢にも思っていないのよ。
正直に「数百歳くらいかしら」なんて言えるわけないわね。かといって「永遠の十歳よ」なんて答えるのもダメよね。私の公式設定(自称)は十歳。パン屋でもそう通しているわ。
私はチラリとセレスティアを見る。透き通るような金髪に陶器のような白い肌。そして何より――発育が良いのよ。背筋を伸ばして座る姿は、私よりほんの少しだけ目線が高く、醸し出す雰囲気も妙に大人びているわ。
「……答える前に聞きたいのだけれど」
嫌な予感を覚えて慎重に問い返したわ。
「貴女はいくつ?」
「私ですか?九歳です」
九歳。絶句したわ。
九歳!?この身長で?この落ち着きで?私はてっきり彼女が十歳か十一歳くらいだと思っていたのよ!?
最強の魔女の思考が高速回転させられたわ。もしここで私が十歳と答えたらどうなるの?「あら、お姉様なのにアリスティア様の方が小さいのですね」っていう、純粋無垢な感想と残酷な事実を突きつけられることになるわ。年上なのに妹より小さい姉。最強の魔女のプライドとして、あまりに惨めすぎるわ!
サバを読むしかないわね。
「……私もよ。九歳」
「まあ!同い年なのですか?」
セレスティアが嬉しそうに手を合わせたわ。
「ではお誕生日はいつですか?私は春の月の生まれなのですが」
「……夏の月よ」
年上にならないように少し視線を泳がせて、彼女の誕生日より後になる季節を口にしたわ。
「夏……ということは、私の方が少しだけお姉様ですね」
セレスティアは納得したように頷くと、ソファから降りてトコトコと足取り軽くテーブルを回り込んでくる。そして私の隣にストンと腰を下ろしたわ。
「何よ?」
「ふふっ」
思わずのけ反る私に、彼女は至近距離で微笑みかけてくる。
「では学年は同じですが、家では私が姉、アリスティア様が妹ということになりますね」
「……そうなるわね」
不本意ながらも頷くと、彼女はふわりと花が咲くように微笑んだわ。
「ふふ、嬉しいです。可愛い妹ができて」
近いわ。ふわっとお花のような甘い香りが鼻をくすぐってくる。セレスティアは私の手を両手で優しく包み込む。温かくて柔らかいわね。
「セレスティアに、アリスティア……。私たちの名前、響きがとってもよく似ていると思いませんか?」
彼女はいたずらっぽく小首をかしげて、私の顔を覗き込む。
「これからは家族として、そして同い年の友人として、仲良くしてくださいね。……アリスちゃん」
露骨に姉ぶるわけでもなく、かといって他人行儀でもない。自然体で対等な関係を彼女は求めてくる。深入りは良くないけれど……でもまあ家族(仮)になってしまった以上、多少の情は仕方ないわよね。
「ええ、よろしく頼むわ。……セレスお姉様」
私が少し皮肉を込めて言うと、セレスティアは「ふふっ」と上品に笑う。
「私的な場ではセレスで構いませんよ」
「……そうね、セレス」
曇りのない彼女の笑顔に私は肩の力を抜いて、セレスの手を握り返したわ。




