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夜課

 ジェラールに入学を保留されてからというもの、私はきっかり十日ごとに領主の館へ通う定期巡回を日課としたわ。


 もちろん昼間の門を叩くような野暮なことはしないから、日課というより夜課ね。夜闇に紛れて空を飛び、執務室のテラスへ降り立つのが恒例のルートよ。


 目的はジェラールに「入学させてくる決意は出来た?」と「私の考えは風化していないわよ」という無言のプレッシャー……いえ、進捗確認を行うためよ。彼にとっても十日に一度、最高の美少女と話せることはプラスになっているはずよ。


 ある夜。私はテラスに降り立つと、流れるように風魔法で窓の鍵を切断したわ。


「ごきげんよう」

「ご機嫌よくないな。……またか」


 ジェラールは書類の山から顔を上げて眉間を親指で揉みほぐす。もはや剣に手を伸ばす警戒動作すらないわ。疲れているのかしら?ただただ徒労感だけが背中に漂っているもの。


「領主様、なんだか顔色が悪いわよ?根を詰めすぎだと思うから、たまにはゆっくり休んだら?」

「貴様が来るたびに鍵の修繕の手配で、仕事が増えるからだ!」


 ジェラールがバンと机を叩いたけれど、私はどこ吹く風。怒鳴り散らす彼を放置して、革張りの上等なソファに腰を下ろすと、サイドテーブルに置かれた銀のティーポットに手を伸ばす。


「あら、まだ温かいわね。いただきます」

「それは私が夜食用に淹れさせた……」

「んー、いい茶葉ね。渋みが少なくて香りが立ってる。上層区の茶葉はやっぱり違うわ」


 私は勝手にカップに注ぐと、優雅に香りを楽しみ一口啜る。さらにテーブルの端にあった木箱の蓋をパカッと開けたわ。中には宝石のように包装された焼き菓子が、綺麗に整列している。


「おいしい!これなら紅茶とも合うわね。いい趣味してるじゃない」


 満面の笑みでサムズアップすると、ジェラールはがっくりと項垂れたわ。


 また別の夜。


 ジュッ。


 今夜は少し趣向を変えて、窓を閉ざしている鉄の留め具ごと溶解させて開けてみたわ。エンターテイナーとしてマンネリは敵だものね。


「ごきげんよう」


 炭化した窓枠から煙が上がる中、私は優雅に室内へと足を踏み入れたわ。ジェラールはペンを止めて、虚ろな目で窓を見つめている。


「……今回は修理費が高くつきそうだな」


 彼の声には怒りよりも、諦めに似た深い悲しみが滲んでいたわ。


「あら、私の至高の火魔法よ?跡形もなく綺麗に消えたでしょう?」

「綺麗すぎて金具を固定していた木枠まで炭になっている!窓枠ごと交換せねばならんのだ!いい加減にしろ!」


 ジェラールが頭を抱えて唸る。私は「細かいことを気にする男はモテないわよ」と肩をすくめて、いつもの定位置であるソファにドサリと座ったわ。


「で?今日のおやつは?」

「……テーブルの上だ」


 彼はペンを走らせたまま、視線も上げずに顎で示したわ。私は銀のポットからカップに注いで、香りを胸いっぱいに吸い込む。


「あら……前回よりもランクを上げた?」

「鼻の利くやつだ。来客用にとりよせた一級品だぞ」


 私が「あら、私のために?」と言わんばかりの満面の笑みを向けて、優雅に一口啜るとジェラールはこめかみをピキりとさせたわ。


「貴様が勝手に飲んでいるだけだ。私の癒やしの時間を返せ」

「私が飲んであげてるんだから、癒やし効果二倍よ」

「疲労感三倍だ」


 そして何度目かの訪問となる夜のこと。


 いつものようにテラスに降り立って「さて、今回はどう開けてやろうかしら」と窓ガラスに手を当てた時だったわ。


「うん?」


 両開きの窓の片方に妙な違和感がある。


 月明かりを頼りによく見てみると、はめ込まれた大きなガラスの下部が四角く綺麗に切り取られていたわ。そこには小さな蝶番と可愛らしい取っ手がついた、木枠の小窓のようなものが取り付けられている。


 窓に小窓ってどういうことよ?人間が通るには小さすぎるわ。大型犬か小柄な少女なら屈めば通れそうなサイズね。


 ……これって、まさか。


 私は試しにその小さな取っ手を引いてみる。カチャリと音を立てて小窓はスムーズに開いたわ。鍵はかかっていない。ウェルカム状態だわ。


「へぇ」


 感心しながら小さな入口から四つん這いになって、スルリと部屋の中へ滑り込む。部屋の中ではいつものように、書類仕事に追われるジェラールが私の方を見向きもせずにペンを走らせていたわ。


「ごきげんよう、領主様。何これ?気が利くじゃない」

「君が来るたびに窓の鍵を破壊されるんじゃ修理費もバカにならん」


 ジェラールは書き物を止めずに、深いため息交じりに言う。


「君専用の勝手口だ。その小窓だけは常に鍵を開けてある。これからはそこを通れ。ガラスを割るな、鍵を壊すな、枠を溶かすな。いいな?」

「……愛人用の裏口みたいで気色悪いわね」

「人聞きが悪いことを言うな!あくまで害獣用の通用口だ」

「あら、こんなに可愛い猫ちゃんなら誰もが飼いたいでしょうに」

「魔獣はお断りだと言ったはずだが」


 ジェラールはようやく顔を上げて、呆れ果てた顔で私を見たわ。


「……はぁ。それで?今日も返事を聞きに来たのか?」

「ええ。忘れないようにカウントダウンしに来てあげたのよ」


 私は我が物顔でソファに深々と座り、彼が「勝手に飲め」とばかりに指差したポットから紅茶を注いだ。この夜のお茶会もすっかり定着してしまったわね。




 季節は巡り、春から夏へ。


 私たちのお店は順調にその評判を高めていたわ。レヴァンの焼くパンの味は言わずもがな。新しく導入した魔道オーブンのおかげで生産効率も上がって、毎日飛ぶようにパンが売れていくわ。


 私はと言えば、看板娘として愛想を振りまき……と言いたいところだけれど、最近は少し事情が変わってきたわ。


 夏の日差しが強くなってきた頃、店の柱に刻んでいる背比べの儀式でのことよ。


「はい、アリス。かかとを上げちゃ駄目よ」

「上げてないわよ。背筋を伸ばしているだけ」


 レヴァンが私の頭の上に板を乗せて、柱にナイフで小さな傷をつける。続いてノアの番ね。


「んーっ!」


 ノアは柱の前に立つと、さっきの私を真似てぐっと胸を張ってみせたわ。おまけに、かかとが浮きそうなのを必死に堪えてプルプルと震えている。


「こら、ノア。アリスの悪いところを真似しちゃ駄目よ」

「背筋を伸ばしてるだけだよ」

「はいはい、素直に立ちなさい」


 ぺしっとお尻を叩かれて、ノアは観念したようにかかとを床につける。


「はい、ノアもいいわよ。……あら?」


 レヴァンが少し驚いたような声を上げたわ。私は振り返って柱に刻まれた新しい傷跡を見る。ノアの印はぐんと高い位置に刻まれていたわ。子供の成長期特有の爆発的な伸びね。


 対して私の印は、以前の傷と完全に重なっていたわ。少しのズレもなく完璧に同じ位置。


「あらっ?ノアちゃん、また背が伸びた?」


 焼きたてのバゲットを買いに来た常連のおばさんが、私たちの会話を聞きつけて声をかけてきたわ。カウンターの中に並ぶ私とノアを見比べて目を細める。


「この前まではアリスティアちゃんの方がノアちゃんを見下ろしていたのに、もうほとんど変わらないじゃない」

「えへへ、ご飯いっぱい食べてるから!」

「子供の成長は早いわねぇ。……あら?」


 おばさんは不思議そうに首を傾げて、私の頭からつま先までをじろじろと見る。


「アリスティアちゃんは全然変わらないわねぇ。背丈も顔つきも、ここに来てから少しも変わっていないんじゃない?」

「そ、そうかしら?アリスも少しは伸びてるはずよ?ねえ?」


 レヴァンがハッとした後、慌てて話題を変えようとしていたけれど、私は曖昧に微笑むことしかできなかったわ。


 当然よ。私は不老不死の魔女だもの。成長なんていう不安定な変化は完成された私には必要ないのよ。この完璧な美貌とプロポーションは、永遠に約束されているのだもの。人間の言う成長してないなんて言葉は、私にとっては最高の褒め言葉でしかないわ。


 ――けれど。


「……少し目立ち始めてきたわね」


 その夜。鏡の前で自分の姿を映しながら呟く。私自身はこの姿を気に入っているけれど、人間社会に紛れる上で変わらないことは、不気味へと直結するのかもしれないわね。


 ノアは成長期真っ盛り。このままいけば、姉妹という設定に無理が生じるわ。客からも奇異の目で見られるようになる。そうなればレヴァンとノアに迷惑をかけてしまうわ。


「潮時かしら」


 私は決断する。翌日から看板娘を引退することにしたわ。


「えっ?アリス、接客はやらないの?」

「ええ。これからは裏方に徹するわ。厨房で生地を捏ねたり、成形したり……もっとパンそのものに向き合いたいの」


 驚くレヴァンに「職人としての腕を磨きたいの」ともっともらしい理由を告げたわ。


 表に出なければ客に背丈を比べられることはない。ノアがどれだけ大きくなろうと、厨房の奥にいる私の姿までは分からないはずよ。完璧な作戦だわ。お客さんたちの称賛の声を、直接聞けなくなるのは少し寂しいけれどね。




 昼はパン作りをして、夜はジェラールを急かす。そうこうしている内に、気づけば季節は秋へと移ろったわ。


 朝晩の風に冷たさが混じり始めた頃、厨房を支配していたのは甘く香ばしい幸せな香り。カボチャを丁寧に裏ごししてペースト状に、ローストした胡桃を砕いて生地に練り込む。シナモンの香りを少し効かせるのがポイントよ。


 私は踏み台に乗って作業台の上で、秋の新作カボチャと胡桃のパンの成形をしていたわ。オーブンの余熱で暖かい厨房。ここが今の私の戦場よ。


「ただいまー!」


 元気な声と共に裏口のドアが開いたわ。ノアが学校から帰ってきたみたいね。涼しい秋の風と一緒に、少し大人びた空気を纏った少女が入ってくる。


「おかえり、ノア。おやつにする?新作の試食があるわよ」


 踏み台を下りながら振り返ると、ノアが鞄を置いて私の傍まで寄ってきたわ。


 ……うん。やっぱり私と並ぶと視線の高さがもう完全に同じね。心なしか私の方がほんのり見上げている気さえするわ。


 おかしいわね。今のノアは八歳。対する私は十歳という設定で通している。レヴァンの家系が大柄なのか、この世界の発育が私の知識と違うのか、そもそも暦の刻み方が違う?


 まさかとは思うけれど、私がこの体の年齢を十歳くらいと見積もったこと自体が間違いで、実はもっと幼い体だったなんてオチじゃないわよね?


 悶々と考えていると、ノアが私の手元にあるツヤツヤしたパンを見て目を輝かせる。そして私の顔をじっと見つめた後、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべたわ。


「あのね、アリス」

「何?……え?」


 試作のパンを用意していた手がピタリと止まる。


 今、なんて言ったの?


 固まっていると、ノアは楽しそうに笑ってすぐに訂正したわ。


「なーんてね!お姉ちゃん!びっくりした?」


 ……確信犯だわ。自分の背が伸びて私と同じになったからって、わざと呼び捨てにして反応を見たのね。


 私は持っていたパンを無言で置いて、生地を捏ねる作業に戻ったわ。


「あれっ?お姉ちゃん?冗談だよ?」

「……」

「ねえってば、お姉ちゃん?」

「……」


 冗談でも許されるラインと、許されないラインというものがあるのよ。今回はアウト。私はお姉ちゃんなの。数百歳以上年上の威厳ある魔女なのよ。それをまあ同い年の友達みたいに……!


「お姉ちゃん、怒らないでよー」

「……」


 私は聞こえないふりをして生地を叩きつける。そこから長くて地味なストライキが始まったわ。


 一日目。夕食の時、ノアの皿にシチューはよそうけれど視線は合わせない。


 二日目。ノアが「おはよう」と言っても壁に向かって小さく頷くだけ。


 三日目。ノアが周りをオロオロと歩き回っているけれど、私は徹底的に気難しい職人の顔を貫いたわ。


「あらあら……まだやってるの?」


 呆れたようにレヴァンが苦笑する。


「アリス、そろそろ許してあげたら?ノアも反省してるわよ」

「心外ね。私は年長者として礼節の大切さを、無言の背中で教えているだけよ」

「どっちが子供だか分からないわねぇ」


 私がプイと顔を背けていると、背後からギュッと服の裾を掴まれたわ。


「うぅ……ごめんなさい。お姉ちゃんは世界一尊敬できるすごいお姉ちゃんだよ……」


 振り返ると、ノアが今にも泣き出しそうな顔で見上げ……てはいなかったわ。目線は同じだったけれど表情は迷子の子供そのものね。


「……もう呼び捨てにしない?」

「しない!絶対しない!」

「私は?」

「頼れるお姉ちゃん!」


 ……ふん。そこまで言うなら仕方ないわね。私は三日間お預けにしていたカボチャパンをノアに差し出したわ。


「今回だけよ。次はもっと長く口を利かないから」

「わぁ!ありがとう!やっぱりお姉ちゃんは優しい!」


 ノアはパンを受け取ると嬉しそうにかぶりついたわ。私はまだ少し唇を尖らせたまま、その様子を横目で見る。


 まったく油断も隙もないわ。もっと威厳のあるところを見せて、二度と呼び捨てなんてできないようにしてやらなくちゃいけないわね。




 そんな事件があった数日後の夜。進捗確認の日がやってきたわ。


 私は夜風に乗って領主館へと飛んで、慣れた手つきで私専用の勝手口を開けて侵入したわ。部屋の中には暖炉の火がパチパチと燃えている。もう夜は冷える季節ね。


「ごきげんよう」

「ああ、来たか」


 書類の山から顔を上げたジェラールは、私を見るなり居住まいを正す。いつもなら「また来たか」とため息をつくところだけど、今夜は少し様子が違ったわ。その瞳にはいつになく真剣な光が宿っていたのよ。


「どうしたの?そんな怖い顔をして。眉間の皺が取れなくなるわよ?」

「アリスティア嬢。前回の約束から半年程度が過ぎたな」


 私の軽口をスルーして彼はペンを卓上に置く。組んだ手の上に顎を乗せて私を真っ直ぐに見据えたわ。


「王立学院へ行って学びたいと言った意思。今も変わらないか?この街での穏やかな生活に満足して、骨を埋める気にはなっていないか?」


 試すような視線。でも私は不老不死だから骨は埋められないのよ。生き埋めになっちゃうわ。……なんていう不老不死ジョークは置いておいて。


「愚問ね。今の生活やレヴァンとノアが好きだからこそ、行かなきゃいけないのよ。この最高の居場所を守り抜くための力を手に入れるためにね」


 私の言葉に迷いがないことを確認すると、ジェラールはふっと表情を緩めたわ。張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


「……そうか。分かった」


 彼は小さく頷いて椅子の背もたれに体を預ける。


「それならば話がある」

「ついに推薦状を書いてくれる気になった?」

「いや」


 そこで意味深な沈黙が落ちたわ。暖炉の火が爆ぜる音だけが部屋に響く。


「君に会わせたい人がいる」

「会わせたい人?誰?」

「君が学院に通うにあたって、避けては通れない人物だ」


 彼は言葉を区切って、どこか言い淀むような重々しい口調で続ける。


「近日中にその人物をここに招く。そこで私と、その者、君の三者で話し合いの場を設ける」

「……話し合い?」

「そうだ。そこで君が学院へ行くための条件を提示する」


 条件。私が眉をひそめると、彼は静かに語り始めたわ。


「君は以前言ったな。テオドールの件の落とし前はもうついていると」

「ええ、言ったわ。賠償金もしっかり頂いたし契約もした。もう終わった話よ」

「その件については私としても監督不行き届きの負い目がある。だから君のこれからの生活に対しては、多少の融通を利かせるつもりでいた」


 彼はそこで言葉を切り私を射抜くように見たわ。


「だが王立学院へ通いたいという願いは、その負い目や個人的な好意の範疇を大きく飛び越えている」

「……」

「平民を、それも六角形の石を持つ者を王立学院へねじ込むというのは、それほど重いことなのだ。金や謝罪でどうにかなる話ではない。だからこそ、こちらからも相応の条件を提示させてもらう」


 ジェラールの眼差しが熱を帯びる。領主としての顔でありながら、どこか個人的な覚悟を決めた男の目にも見えたわ。


「もし君がその条件を呑めるなら、その者との折り合いがつくならば、私は君が学院に通えるように協力しよう。だが、もし納得できず条件を拒否するならば」


 暖炉の火がパチリと爆ぜて火の粉が舞う。


「私は君への入学支援を一切行わない。それが公平な取引というものだ」


 私は口角を上げる。望むところだわ。毒だろうと薬だろうと、飲み込んで私の糧にするだけよ。……いえ、毒はやっぱり嫌ね。苦しいもの。


「分かったわ。その話に乗ってあげる」

「……即決か。内容は聞いていないのによく言えるな」

「どんな条件だろうとねじ伏せるか、あるいは利用してやるだけよ。私を誰だと思っているの?」


 不敵に笑う私を見て、ジェラールは「やれやれ」と肩をすくめる。表情には呆れと共に、僅かな安堵が混じっているようにも見えたわ。


「いいだろう。ならば次の夜襲の日にその人物を呼んでおく」

「次の訪問ね?つまり十日後ね?」

「そうだ。いつもの時間にここへ来い」

「分かったわ。楽しみにしておく」


 私は頷き愛用の勝手口から身を乗り出して、夜のテラスへと躍り出たわ。


 さて、まずは謎の人物とやらを、あっと言わせなくちゃね。

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