入学希望
店を出るとすぐ隣にある店舗へと私は足を向けたわ。
目的地はレヴァンの店の隣にある魔道具屋よ。
かつて私がこの街に来たばかりの夜、ガラス越しに修理作業を眺めていたあの店ね。当時は言葉も通じず怯えて声をかけることすらできなかったわ。
カランコロン。
ドアを開けるとカウンターの奥で、店主のお爺さんが虫眼鏡を片手に何かをいじっていたわ。
「いらっしゃい。おや、お隣のお嬢ちゃん」
「こんにちは。ちょっと相談があるの」
私はカウンターに黒くひしゃげた泡立て器を置く。お爺さんは眼鏡の位置を直してしげしげと眺めたわ。
「こりゃあ……酷いもんだな」
「ええ、ちょっとね。新しいのはもう買ったのだけど、これを直したいの」
身を乗り出して今回の本題も伝える。
「それでね、ただ直してもらうんじゃなくて、私に魔道具の基礎を教えてくれないかしら?この魔道具がどういう理屈で動いているのかとか、中の仕組みはどうなっているのかとか、基礎から知りたいの」
私がそう切り出すと、お爺さんは困ったように眉を下げ頭を掻いたわ。
「すまないね、お嬢さん。それは無理な相談じゃ」
「どうして?授業料なら払うわよ?」
「金の問題じゃないんじゃよ」
お爺さんは作業台の脇から一冊の分厚い冊子を取り出して、パラパラとめくって見せてくれる。そこには複雑な図形や数字や文字が羅列された、魔法陣や設計図のようなものが描かれていたわ。
「わしら街の魔道具屋がやってるのはな、魔道具組合に登録されているこの設計書通りに部品を組み立てたり、劣化した部分の修理や部品を交換したりするだけの作業なんじゃ」
「え……?」
「この線とこの線を繋げば動く、ここの魔石が光らなくなったら交換しろ……そう書いてあるからその通りにする。だが、なぜそれで動くのか、この仕組みがどういう意味を持つのか。そういう理屈の部分はわしらには分からんのじゃよ」
絶句したわ。職人だと思っていた彼も、ただのマニュアル作業員に過ぎなかったなんて!この世界の人間の技術はそこまでブラックボックス化されているの!?
「じゃあ理屈を知っているのは誰なの?」
「そりゃあ設計書を作っている貴族様たちじゃよ」
お爺さんはしわがれた手で、遠い世界を示すように空の彼方を指差したわ。
「魔道具の基礎理論、魔法陣の設計……そういったことを体系的に学べるのは、王都にある王立学院だけじゃ」
「……学院?」
「ああ。国中の知識と技術が集まる場所じゃ。……だがな、お嬢ちゃん」
お爺さんは私の顔をどこか哀れむような目で見つめる。
「あそこは貴族の子弟か、貴族からの特別な推薦を受けた者しか入れん。わしらのような一般の平民には、門を叩くことすら許されん場所なんじゃよ」
――貴族専用。
その言葉が重くのしかかったわ。知識が身分によって独占されている。この世界の技術が一般に普及しない理由はそれなのね。技術を独占することで貴族は権威を保っているのよ。
「……そう。ありがとう、お爺さん」
「ああ、気にするな。変な気を起こすんじゃないぞ?」
お爺さんにお礼を言って店を出た後、私はすぐには家に帰らないで通りを歩きながら空を見上げる。
「王都に学院ねー……」
そこに行けば、レヴァンとノアの身を守る魔道具の知識がある。でも選ばれた人間しか入れない閉ざされた場所。
「ふん」
鼻を鳴らしたわ。諦める?私が?まさか。壁があるなら壊せばいいし、扉が閉まっているならこじ開ければいいのよ。
「それに、私には強力なコネがあるじゃない」
私は上層区の領主の館を思い浮かべる。
善は急げ、今から乗り込む?……いいえ、冷静になりなさいアリスティア。今はまだ昼間。上層区への門には衛兵が立っているわ。私が「領主の知り合いですっ☆」なんて言っても、平民の子供が通してもらえるわけがないわ。
門前払いならまだしも、不審者扱いで取り押さえられそうになって、うっかり反射で衛兵たちを魔法で吹き飛ばしてしまう……なんて事態は避けたいわ。目立つのは好きだけど、指名手配されるのは趣味じゃないもの。
「……夜ね」
コソコソするのは性に合わないけれど、無駄なトラブルを避けるのも高貴な大人の知恵よ。闇に紛れて空から訪問すれば、煩わしい手続きも門番の尋問もすべてパスできる。
私は一度店に戻ってレヴァンとノアとの夕食を済ませ、二人が寝静まるのを待つことにしたわ。
夜。街の灯りが消えて静寂が包む頃、私は二階の自室の窓をそっと開ける。
私は窓枠を蹴り銀の架け橋に腰がけて飛び上がったわ。眼下には眠る街並みが広がっている。点々と光る街灯の列を飛び越えて私は上層区へと向かう。高い城壁も、厳重な門番も、空を飛ぶ魔女の前では何の意味もなさないのよ。
領主館に近づくと一室だけ明かりがついている部屋があったわ。前回私が訪問した時と同じ部屋ね。
私はテラスに降り立って中を覗く。書類の山に埋もれるようにしてジェラールがペンを走らせていたわ。机の上には湯気がなくなっている冷めたコーヒー。
「……夜遅くまでご苦労なことね」
私は窓ガラスをコンコンとノックする。瞬間、ジェラールの空気が変わったわ。
彼は反射的に椅子を蹴って、インク瓶が倒れそうになっていることになんて構わずに、距離を取り壁に掛けられた剣に手を伸ばす。熟練の騎士だけが持つ洗練された警戒動作ね。
「何奴……ッ!」
鋭い眼光が窓に向けられる。私はガラス越しに、とびきり愛らしい笑顔を浮かべて手を振ってあげる。それを見た瞬間、ジェラールの肩から力が抜けて崩れ落ちたわ。
「……はぁ」
彼は剣から手を離して、心底うんざりしたように天を仰いだわ。
……失礼しちゃうわね。どうしてこう私がとびきりの笑顔を向けると、みんな判で押したようにため息をつくのかしら。
レヴァンは「また何か企んでる」と言いたげに。ジェラールは「また厄介事が来た」と言いたげに。最近ではあの純真無垢なノアまでが「お姉ちゃん、何する気?」みたいな顔をするのよ。
私は前回と同じように鍵のかかった部分を魔法で切断、両開きの窓を開いて「失礼するわよ」と中に入ったわ。
「ごきげんよう、領主様。働き者ね」
「君か……」
ジェラールは額の汗を拭いながら再度深いため息をつく。幸せが逃げいくのが見えるわ。
「心臓が止まるかと思ったぞ。なぜ正面から来ない?」
「門番に止められるでしょう?騒ぎを起こしたくなかったのよ。褒めてくれてもいいわよ」
「……不法侵入を褒める領主がどこにいる」
彼は私の手にある箒に視線を落としたわ。
「それは何だ?」
「見てわからない?箒よ」
「……なぜわざわざ室内に持ち込む」
「魔女だからよ。私の相棒よ?」
彼はまだ何かを言いかけたけれど、疲れたように全てのツッコミを放棄してソファを勧めたわ。私は遠慮なく座って本題を切り出す。
「相談があるの」
「……嫌な予感しかしないが聞こう。追加の賠償請求か?やはりテオドールを亡き者にしたくなったか?」
「違うわよ。今回は平和的な相談」
私は真剣な眼差しでジェラールを見据える。
「私を王都の学院に行かせて欲しいのよ。推薦してくれないかしら?」
彼は今度こそインク瓶を倒したわ。広がる黒いシミを気にすることもなく、目を剥いて私を見る。
「……は?学院だと?君が?」
「ええ。魔道具について学びたいの。この街の魔道具屋じゃ話にならなかったんだもの。基礎から設計までちゃんと勉強したいのよ」
私は淡々と事情を説明したわ。店を守るために防犯システムを作りたい。そのためには高度な知識が必要と。もちろん不老不死のことは伏せたまま。あくまで純粋な向学心と自衛のためであることを強調してね。
「馬鹿息子の落とし前はもうつけてもらったわ。だからこれは脅迫じゃない。対等な取引、あるいはお願いとして聞いてほしいの」
ジェラールは微かに息を吐くと少しだけ安堵した様子だったわ。けれど緩んだ顔を見せたのは一瞬だけ。彼は腕を組んで渋い表情を私に向けてくる。
「……君の向上心は素晴らしい。私怨ではなく未来のために動こうという姿勢も評価しよう。……だがな、アリスティア嬢。王立学院は知識の殿堂であると同時に、貴族社会の縮図でもあるのだ」
「知ってるわ。貴族と推薦された人しか入れないんでしょう?」
「そうだが、重要なのはそこじゃない。あそこには我が息子テオドールのような……いや、あれ以上に選民思想に凝り固まった貴族の子弟が大勢いる」
眉間を揉みほぐしながら彼はじっと私を見据える。
「そういう連中に囲まれて、君は平民として頭を下げながら生活できるか?『汚らわしい』と罵られ、理不尽な嫌がらせを受けても、笑顔でやり過ごせるか?」
……うっ。痛いところを突かれたわ。私の性格的に売られた喧嘩は即日配送で倍返しよ。でもここで無理と言ったら話が終わってしまうわ。
私は聖女のような微笑みを浮かべてお茶を濁す。
「どうなんだ?」
ジェラールは私の笑顔なんて気にもとめていない。私の言質を取ろうと追求してきたわ。最高の美少女の笑顔をなんだと思っているのよ。
「……努力はするわ」
「その努力が破綻した時、学院が物理的に消滅する未来が見えるのだが?」
真顔で返されたわ。失礼ね。
「それに私が君を推薦するということは、君の行動全ての責任を負うということでもある。君が王都で暴れれば私の立場が怪しくなる」
「暴れないわよ。レヴァンとノアのためなら猫だって被ってみせるわ」
「……その猫が魔獣ではないことを祈る」
ジェラールは深くため息をつくと、話題を変えるように視線を外す。
「それと、もう一つ現実的な問題がある」
「何よ?」
「時期だ。今年の王立学院の入学は既に終わっている」
――え?
「今からねじ込むのは不可能だ。平民用の推薦状を書いたとしても、受理されるのは来年になる」
「来年……?」
不老不死の私に一年なんて大した時間ではないけれど、その間に不老に対する違和感もごまかせなくなってくるかもしれないわ。
「どうにかならないの?裏口とか臨時枠とか。貴族なんだからコネパワーでどうとでもなるでしょ?」
「無茶を言うな。王立学院だぞ?規則は絶対だ。それに君を推薦するメリットが……」
言いかけて、彼の視線がふと机上の書類の山に吸い寄せられたわ。何かに気づいたような顔をしたけれど、すぐにそれを打ち消すように首を横に振る。
「……いや、やはりリスクが高すぎる」
苦渋の決断を下すように彼はこめかみをぐりと押し込む。
「とにかく、今年の入学は諦めろ」
「そんな……」
「……だが来年についてなら考えてみてもいい」
分厚い指先がカレンダーの先の日付をトントンと叩く。
「来年の入学までには一年近くある。どうせ君のことだ。思いつきとその場の勢いだけでここに来たんだろう?」
「失礼ね。私はいつだって本気よ」
私の言葉を聞いていないようにジェラールは続ける。
「それだけの時間があれば、君の頭も冷えて別の考えに変わるやもしれん。……それに私にも考えたいことがある」
そこで彼は言葉を区切って、窓の外の闇に視線を投げたわ。その横顔から何か私の知らないことを考えている気配を感じたけれど、すぐにいつもの疲れ切った顔に戻る。
「……とりあえず少し時間をくれ」
「来年ね。本当ね?」
「約束はできんぞ」
保留。でも可能性はゼロじゃないわ。私は立ち上がった。
「分かったわ。良い返事を待っている」
「ああ。……頼むから良い返事ができるまで大人しくパンを焼いていてくれ」
ジェラールは疲れたように手を振る。私は再び窓を開けてテラスへ出たわ。
「あ、そうだ。言い忘れてたけど」
「まだ何かあるのか……」
「契約書の保管、よろしく頼むわね。あれがなくなったら貴方の馬鹿息子、一生契約が解けなくなるみたいだから」
「分かっている!一番頑丈な金庫に入れた!」
私はクスクスと笑って夜空へと飛び立ったわ。




