契約魔法
私は隣のレヴァンに視線を送る。彼女は困ったように眉を下げて、小さく一つ頷いてみせる。謝罪は受け入れる、という感じね。
「……顔を上げなさい」
二人が恐る恐る顔を上げる。その額には小麦粉がべったりと付着して精悍な顔立ちが台無しになっていたわ。
「謝罪は受け取ったわ。……でもこれで終わりじゃない。分かっているわよね?」
私が問うとジェラールは神妙な面持ちで頷く。
「勿論だ。店の修繕、休業期間の補償、精神的苦痛への慰謝料……すべて君たちの言い値で支払わせてもらう」
「金銭的な話は後でいいわ。私が求めているのはそんなことじゃないの」
私は冷たく言い放って彼を見据えたわ。
「貴方は謝罪して賠償する。これで解決だと思っているでしょう?『もう二度とさせない』って口で誓うつもりでしょう?」
「それは……」
「信用できないわ」
バッサリと切り捨てて、後ろに控えているベルトランを指差した。
「あの日、この髭騎士は私を止めた。私が実力行使に出ようとした時に割って入ったのよ」
ベルトランがびくりと肩を震わせる。
「私は貴方の顔を立てて手を引いた。……その結果がこれよ」
足元に散らばる壊れた泡立て器を視線で示す。レヴァンとノアが悲しそうに目を伏せるのが視界の隅に入ったわ。彼女たちが楽しみにしていた甘い夢は、無惨なゴミへと変えられたのよ。
「貴方が私を止めなければ、馬鹿息子は二度とこんな真似ができない体になっていたわ。私たちの店が壊されることもなかった。……違うかしら?」
「…………っ」
「既に一度裏切られたも同然なのよ。だから領主だろうがなんだろうが、貴方がどれだけ頭を下げてようと、あの馬鹿息子が反省する保証にはならないわ。ほとぼりが冷めた頃に逆恨みで、火をつけに来ないとも限らないでしょう?」
私の指摘にジェラールは言葉を詰まらせたわ。彼自身も息子の暴走を止められなかったという自覚があるのだから、私の不信感はもっともだと理解しているでしょう。
「そうだな……確かに君の言う通りだ。私の監督不行き届きが招いた事態。今さら言葉だけで信用してくれとは言えんな」
彼が悔しげに唇を噛む。レヴァンが「アリス、これ以上は……」と私の袖を引く。彼女はこれ以上、権力者を追い詰めることを心配しているわ。でもここで手綱を緩めるわけにはいかないのよ。
「それなら……」
私が口を開きかけた時だったわ。
「わかった。ならば言葉以外の鎖を用意しよう」
ジェラールが私の言葉を遮り、強い意志を込めて告げたわ。彼は隣に控えるベルトランに向き直る。
「ベルトラン、今すぐ館に戻って、書斎の机の一番上の引き出しに入っている契約魔法書を持ってくるんだ。言葉が届かぬ愚か者を縛るには、魔法の楔が必要だ」
……契約魔法書?モノクルみたいな魔道具の一種かしら?
私が内心で首を傾げている中、ベルトランは「承知いたしました」と踵を返して駆け出そうとしたわ。けれどすぐにジェラールが呼び止める。彼は懐から小さな鍵を取り出して、ベルトランに渡したわ。
「それとこの鍵を使え。書斎の金庫が開くから中の革袋を一つ持って来てくれ」
「は?金庫ですか?」
「ああ。見ろ、この惨状を」
ジェラールは苦虫を噛み潰したような表情で店内を見渡す。
「店がこの状態では商売どころか、明日からの食事にも困るだろう。本格的な賠償の手続きには時間がかかるかもしれん。ならば当面の生活費を渡すのが筋というものだ」
「……はっ!配慮が至りませんでした!」
あら、気が利くじゃない。
鍵を受け取ったベルトランは今度こそ店を飛び出す。身体強化魔法でも使っているのか、足音はすぐに遠ざかっていったわ。
店には再び奇妙な静寂が戻ったわ。
「……座れば?」
顎でしゃくると、ジェラールは元の椅子に腰掛ける。さっきまでの殺伐とした空気は少し和らいだけれど、それでも張り詰めた緊張感は残っていたわ。レヴァンは気まずそうに視線を彷徨わせているわね。
ジェラールは深く息を吐いて、ノアを抱きかかえているレヴァンと私を交互に見て静かに口を開いたわ。
「……アリスティア嬢と言ったか」
「ええ」
「礼を言わせてくれ。……息子を殺さずにいてくれたことを」
「殺しに行こうと思ったけれど、レヴァンに止められたのよ」
私が物騒なことを言うと、レヴァンが「ひぅっ」と喉を鳴らして服を引っ張る。「アリス、お願いだから穏便に……」と目で訴えているわ。
「まあレヴァンに免じて勘弁してあげたわ。……それでも、もし貴方が息子の悪行を揉み消そうとするような腐った貴族だったら、今頃この街は地図から消えていたかもしれないけれどね」
私の言葉にジェラールは苦笑したわ。
「……感謝する。私の教育が間違っていたことは明白だが、やり直す機会をくれた慈悲には報いねばならん」
彼は居住まいを正して、レヴァンとノアに向かって頭を下げる。
「レヴァン殿。そしてノア嬢。……本当にすまなかった。この街の領主として、一人の親として、二度とこのような恐怖を与えないと誓おう」
「……はい」
レヴァンが小さいけれどしっかりと頷く。まだ恐怖心はあるでしょうけれど、目の前の男が権力を振りかざすだけの人間ではないことは伝わったようだわ。
ノアは何も言わずにレヴァンの胸に顔を埋めていたわ。さっき言いたいことは全部言ったからでしょう。小さな肩がまだ少し震えているのを見て、ジェラールは痛ましげに目を伏せ、再び深く頭を下げる。
しばらくすると、店の外から荒い息遣いと足音が近づいてきたわ。
「はぁッ……はぁッ……!お、お待たせいたしました……!!」
ベルトランが全身汗だくで、顔は真っ赤にして戻ってきたわ。どれほど頑張って往復してきたのか想像に難くないわね。
「こちらが当座の資金と、契約魔法書になります」
彼は革袋をレヴァンに渡したわ。革袋の重さに目を見開いて、レヴァンはびっくりしている。中身、全部金貨かしらね。
ジェラールは契約魔法書のシワを伸ばしながら説明する。
「これが契約魔法書だ。ここに条項を記し、当事者が魔力を登録することで契約が刻まれる。違反者には強制的なペナルティが与えられる」
私はまじまじと覗き込む。それは古びた羊皮紙のようだったわ。魔道具のように契約魔法書にも魔法陣のようなものが刻まれているのが、薄っすらと見える。
「ペナルティって?」
「誓いが破られようとした結果、または破ろうと意思を持った瞬間、全身に警告の激痛が走り行動が阻害される。警告を無視して、さらに重大な違反を犯せば命を落とす」
裏切り即ち破滅。いいじゃない。分かりやすくて好きよ。
私が頷くとジェラールが契約魔法書をテーブルに広げる。
「では内容を決めていこう。書き記す前に契約の柱となる条項について確認させてくれ。君たちの同意なくして契約は成立しない」
ジェラールはまず一本指を立てたわ。
「一つ目は被害者への不可侵だ。テオドールおよびその一派は、レヴァン殿とノア嬢、並びにこの店に対し、直接・間接を問わない一切の干渉を禁じる。視界に入れることも、人を使って嫌がらせをすることも全て契約の対象とする」
……ん?私は眉をひそめたわ。
「ちょっと待って。私の名前が抜けてない?」
レヴァンとノア、そして店。そこに私の名前が入っていない。私が指摘するとジェラールは「ああ」と、何でもないことのように頷いたわ。
「君は除外した」
「はぁ!?なんでよ!私も被害者なんですけど!?」
「理由は二つある。一つは、テオドールたちが干渉してきたところで、君ならどうにでも出来るだろう」
ジェラールはどこか呆れたような目を向けてくる。
「単身で領主の館に侵入、私とベルトランを無傷で制圧して、ここまで連行するような君を保護する必要があるか?」
「それは……まあ、そうだけど!そういう問題じゃ……」
ぐぬぬ……正論すぎて言い返せないわ。不意打ちでいきなり襲われたら危ないんだけど、わざわざ弱点を話すわけにもいかないもの。
ベルトランも「左様ですな。彼女ならなんとでもなるでしょう」と真面目な顔で頷いている。扱いが雑じゃない?
「それともう一つ。こちらが重要なんだが、君には見届人になってもらう必要がある」
「見届人?」
「ああ。詳しくは後ほど説明するが、契約魔法の仕組み的に見届人はなるべく契約の外にいた方が良いんだ」
……魔法的な制約があるなら仕方ないわね。最初からこっちの理由だけ言いなさいよ。私はぶぅと口をとがらせて腕を組む。
「……それだけ?」
「なに?」
「条項はそれだけ?あいつらがレヴァンとノアと店に近づけないだけ?」
不満げに尋ねるとジェラールは静かに首を横に振ったわ。
「勘違いしないでくれ。これはあくまで被害者を守るための条項だ。彼らに対する罰の条項は別にある」
ジェラールは二本目の指を立て場の空気を引き締め、重々しい口調で告げたわ。
「二つ目はテオドールらへの処罰についてだ。彼らの貴族および騎士としての身分を剥奪する」
「つまり、ただの平民になるってこと?」
「ああ。今後は一介の従士として扱う」
ジェラールは自身への戒めも込めるように、厳格な口調で続ける。
「その身分で領地内を巡る、魔獣討伐の遠征部隊に強制配属させる。屋敷のベッドも優雅な食事もない。泥と血にまみれて魔獣と殺し合う旅だ」
貴族のボンボンがいきなり過酷な遠征生活ね。死ぬ確率も高いけれど平和に貢献することになるわね。
「この要塞都市ベル・ガルドへの立ち入りは当然禁じる。それだけではなく、領内にあるすべての街や村への立ち入りも禁ずる。補給の際も彼らだけは待機させ屋根の下で眠ることは許さん」
ジェラールは冷徹に付け加えたわ。人の営みを踏みにじったのだから、人の輪の中で暮らす資格はないということね。野宿確定の過酷な生活。
……うん、これなら殺して楽にするより、長く苦しませることができるわ。いい気味ね。
そこまで言ってジェラールは私を見据えたわ。
「期間については後で君に権限を譲渡する。……今は無期限としておこう」
なるほど、さっきの見届人の話と繋がるわけね。彼らが地獄を生き延びて、かつ私が許せば戻れる道がある。私には長期的な苦しみを、馬鹿息子には生存のチャンスを提示したわけね。悪くない落とし所だわ。
「分かったわ。それなら文句ない」
「では、次だ」
ジェラールは三本目の指を立てて続ける。
「三つ目。私と……ベルトランは、今後いかなる貴族や権力からもレヴァン殿とノア嬢、並びにこの店への不当な干渉を排除し、トラブルを未然に防ぐように努力する。ベルトランもいいな?」
「はっ!」
また私が入ってないわ。いいわよ、もう。
「さすがに必ず防ぐ、とは書けないが全力は尽くす。これで承知いただきたい」
「……まあ、しょうがないわね。努力目標ってわけ?」
「いや、騎士の名誉にかけた誓いだ」
彼は真剣な目で答えた後に、私たちに尋ねたわ。
「他になにか記載することはあるか?」
レヴァンに目を向けると首を横に振られる。私は腕組みをしたまま少し考え込んだわ。
あいつらからの干渉の禁止と罰、領主(と髭)による保護。主要なところはこれで網羅されているはずだけれど……。
「…………」
何か忘れているような気がするわ。何だったかしら。今後の生活を守るために、もう一つくらい条件をつけておくべきだったような……。うーん。徹夜明けで頭も回らないわ。まあ、いっか。これだけ縛っておけば大抵のことは防げるでしょう。
「ないわ。それで十分よ」
ジェラールが頷くとペンを走らせ始めたわ。契約魔法書にインクが吸い込まれて条項が刻まれていく。
「では魔力登録に移ろう」
ジェラールがそれぞれの立ち位置を説明する。
「まずは被害者であるレヴァン殿とノア嬢。加害者としてテオドールと取り巻きたち。監督責任者として私とベルトランだ」
妥当な配置ね。私はふんふんと頷いて続きを待つ。
「そして先程も言った見届人を、アリスティア嬢にお願いしたい。この契約の履行を確認する証人だ。見届人のみがこの契約を任意で解除できる権限を持つ。本来なら中立の第三者が務めるのだが……今回は君しか居ないだろう」
ジェラールは私を見据えて言ったわ。
「つまり君が『もういい』と判断すればいつでもこの契約を破棄できる。解除しても君にメリットはないが、君が主導権を握る形にはなる」
「……なるほど。いいわ。引き受けてあげる」
ジェラールは頷いて、契約魔法書の下部にある自分の名前に指を押し当てたわ。契約魔法書の微かな光と共に自身の魔力を登録する。
「息子の監督責任、そして街の平穏を守る領主として。……二言はない」
ベルトランも覚悟を決めた手つきで指を押し当てたわ。
「次は被害者の方々だ」
ジェラールに促されてレヴァンがおっかなびっくり指を伸ばす。続いてノアも無造作にぺたんと指をくっつける。契約魔法書が淡く光る。これで二人は守られる側になったわね。
「最後は見届人だが……」
私は自分の番が来たことを悟って指を伸ばそうとしたけれど、ジェラールがそれを片手で制したわ。
「待ってくれ」
「何よ」
彼は契約魔法書の馬鹿息子と取り巻きたちの名前を指差したわ。
「見届人が魔力登録をして初めて契約が発動する。今、君が魔力登録しても、テオドールたちの魔力登録がなくては、彼らに契約の効力が及ばない」
彼は魔法陣を指先でなぞりながら説明を続ける。
「そして見届人の魔力登録は、いわば契約の封となるものだ。……順番としては君が最後でなければならないのだ」
契約魔法のシステム上の制約というわけね。人間が作る道具らしく小賢しく考えられているわね。
「そういうことなら仕方ないわね。さっさと済ませてらっしゃい」
私が手を引っ込めると、ジェラールは契約魔法書を丁寧に巻き直して懐にしまう。
「ああ、今すぐ持ち帰らせていただく。叩き起こして自らがしでかしたことを、骨の髄まで理解させた上で登録させる」
彼は立ち上がると私に向き直ったわ。
「テオドールが奪い取った君の箒とやらも、責任を持って取り戻す。愚息たちに魔力登録させ次第、この契約魔法書と共に必ず届けると約束しよう」
「ええ。待っているわ」
ジェラールは窓の外、白み始めた空を一瞥する。
「行くぞベルトラン。まだ付き合ってもらうぞ」
「はッ!」
二人は一礼して店を後にしたわ。静かな足音が遠ざかっていく。
「……行った」
足音が聞こえなくなった後に、ノアがぽつりと呟いたわ。私は小さな体をそっと抱き寄せる。華奢な肩がまだ少しだけ強張っているのが分かったわ。
「怖かった?」
ノアは私の服をぎゅっと握りしめて、胸元に顔を埋めてくる。さっきまで私の言葉を使って領主相手に堂々としていた子が、今はただの甘えん坊の妹に戻っているわ。
「よしよし。ノアは偉かったわ。あのおじさん、ノアに怒られてしょげていたもの」
「……お姉ちゃんがいたから、言えた」
ノアが顔を上げて、すり寄るように私の頬に自分の頬をくっつけてきたわ。ぷにぷにとした柔らかい感触。
「お姉ちゃん、いい匂い」
そう言ってノアは首元にぐりぐりと頭を擦り付けてくる。猫のような仕草に私の頬も自然と緩んでしまうわ。背後ではレヴァンが革袋を開けて、中身を見た後に「ひぇっ」と声を上げている。
「アリス……これ、凄い額よ……。金貨がこんなに……」
「あら、いいじゃない。しばらくは豪遊できそうね」
これでひとまずは解決ね。あの馬鹿息子たちが魔力登録して、私の箒が戻ってくれば全て終わる。領主が後ろ盾になったのだから、これ以上の結果はないでしょう。
店内を見渡す。惨状は変わらないけれど、さっきまでの絶望感はもうなかったわ。店を直してまたパンを焼く未来がある。
「しばらく営業は無理ね。掃除も修繕も、あいつらから契約魔法書と箒が届いてから考えましょう」
「ええ、そうね……」
「それまでは臨時休業。……さ、もう寝ましょ」
私たちは二階へ上がる。長い、長い夜だったわ。
部屋に入ると惨状は変わっていなかったから、せめて二人のベッドだけは魔法で整えたわ。泥で汚れた布団や枕を火と水魔法の温水で洗って、火と風魔法の温風で乾かす。
早く寝たい一心から軽い嵐みたいになってしまったけれど、おかげで布団も枕もふわふわよ。
「はい終わり~」
「本当に、アリスの魔法はどうなっているのよ……ありがとう」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
暴風に煽られて呆れ顔のレヴァンと、ふかふかのベッドに目を輝かせたノア。
二人の声に背中を押されて、私は泥のように眠るために自室に戻ったわ。自分のベッドも同じように整えてダイブする。
あー、よく働いた。私、頑張ったわ……。でもやっぱり何か忘れているような気がするわ。確かこの件が片付いたらどうするとか、そういうことを考えていたような……。
思考は睡魔にあっさりと塗りつぶされる。今はふかふかの枕の誘惑に負けておいてあげるわ。




