保護者面談
レヴァンとノアの声援を背に受けながら、私は急上昇して上層区を目指す。
相棒である銀の架け橋は手元にないけれど、あれは魔女のアイデンティティとして作っただけ。風魔法で飛行するのに支障はないわ。
「……ふぅ」
胸いっぱいに夜の空気を吸い込む。
要塞都市ベル・ガルドは巨大な防壁に囲まれたすり鉢状の都市。街の中心付近にある上層区は、下層区とは違う整理された石畳の道や広大な庭を持つ屋敷が並んでいたわ。
「あそこかしら」
その中でも一際大きく威圧感を放つ屋敷がある。一番大きくて一番偉そうな家。そこが領主の館と見当をつけながら、極少量の魔力を広げた魔力感知を発動したわ。
「結界みたいなのはなし。……まあそうよね」
上空からの視点で呆れ混じりの溜息をつく。
街全体を覆うような結界は膨大な魔力を消費するから、緊急時でもない限り常時展開なんて出来ないと聞いてはいたわ。それにしても防衛が杜撰すぎないかしら。平和ボケと言えばそれまでだけれど、人間の魔力量の少なさを考えれば妥当なのかもしれないわね。
私は風の抵抗を障壁で殺しながら滑るように高度を下げる。館の警備も拍子抜けするほど手薄だったわ。正門には槍を持った兵士が二人立っているけれど、欠伸を噛み殺しながら世間話をしている。
「……本当に、あんな馬鹿息子がいなければ平和な街なんでしょうね」
皮肉を一つこぼして、領主の館と見定めた屋敷のテラスへと音もなく降り立つ。ガラス窓の向こうには、深夜にも関わらず暖炉の火が揺らめいていたわ。
私は窓枠に手をかけて中の様子を伺う。執務室と思われる広い部屋。床には上質な絨毯が敷かれている。
執務机の奥に座っているのは一人の男だったわ。年齢は三十代半ばから四十代前半といったところかしら。短く刈り込んだ金髪に鋭い眼光。顔には古傷が走っていて、ガウンの上からでも分かるほど鍛え上げられた肉体をしている。
その正面に直立不動で立っているのは、酒場の騒動の時にもいた髭騎士だったわ。窓越しに彼らの会話が微かに漏れ聞こえてくる。
「それで、ベルトラン。またテオドールがやったのか?」
「はっ。……報告によれば本日の夕刻に下層区にある店を襲撃したとのことです」
髭騎士――ベルトランが沈痛な面持ちで答える。下層区の店。夕刻。私たちのことだわ。テオドールってのが馬鹿息子の名前ね。
「巡回していた兵士の報告によれば、騎士数名を連れて店内を破壊した後に、住民が戻るまで出てこなかったとのこと。しばらくして店主とその家族が帰宅した後に、恫喝するような声が聞こえてきたと報告がありました。……被害に遭ったのは先日ご報告した、酒場で絡んだあの少女の店かと」
「……馬鹿者がッ!!」
領主が拳を叩きつけると重厚な執務机が悲鳴を上げる。ペンのインク瓶が跳ねて、高級そうな絨毯にシミを作ったわ。あーあ、落ちないわよ、それ。
「あれほど慎めと言ったのに、民を守るどころか脅してどうする!?ベル・ガルド騎士団は民と共に魔獣と戦うためのものであろう!」
領主は顔を怒りで赤く染め、額に青筋を浮かべている。
……ふうん、意外ね。親も腐っていれば話が早かったのだけれど、どうやらこの親父さんはまともな部類らしいわ。貴族や騎士としての矜持を持ち、馬鹿息子の悪行を許さない正義感も持っている。
――でも、だから何?
まともだから許される?怒っているからチャラになる?違うわ。貴方が怒鳴り散らそうが高潔な騎士だろうが、壊された店は戻らない。レヴァンとノアが味わった恐怖と絶望は、簡単に癒えるものじゃないのよ。
領主は苦虫を噛み潰したような顔で、自身の髪を乱暴にかき上げる。
「今すぐあいつを叩き起こして連れて来い!」
「はっ!直ちに!」
ベルトランが踵を返そうとするけれど、遅いのよ。何もかも。
私は窓を蹴り開けたわ。
トン!
「……?……風か?」
……無理だったわ。この非力な完璧美少女ボディめ。
気を取り直して、両開きの窓の鍵部分だけを風魔法で切断して窓を開ける。風が吹き込んで室内にあった書類が舞い上がったわ。
「何者だッ!?」
「誰だッ!」
ベルトランだけでなく、領主も騎士みたいね。二人の反応は素早かったわ。領主は机の上のペーパーナイフを持って、ベルトランは腰の剣に手をかけ、即座に私の方へと向き直る。殺気を含んだ鋭い視線が私を射抜いたわ。
「ごきげんよう」
けれど、彼らの動きはそこまでだったわ。私は優雅にスカートの裾をつまんで一礼した後、自身の内にある魔力を解放する。
「ぐっ……!?」
「ぬぅ……!」
部屋の空気が鉛に変わったかのような重圧だけど、物理的な重さじゃなくて魔力の威圧よ。私が抱えている黒い感情を混ぜ込んだ特製の殺気。
「許可なく喋らないでくださいね」
私の声が有無を言わせぬ命令として室内の空気を支配する。歴戦の騎士と思われる二人の顔から、血の気が引いていくのがわかったわ。私は舞い散った書類を踏みしめながら、ゆっくりと部屋の中央へと歩み出る。
「……っ、う……」
領主が呻くように声を漏らして脂汗が額を伝う。私は笑顔のまま冷徹に見下ろしたわ。
「今、貴方たちの心臓が動いているのは、私が家族と殺さないと約束したからです。それ以外の理由はありません。……私の家族に感謝してくださいね?」
ハッタリなんかじゃない。その気になれば、この部屋ごと微塵切りにすることだって造作もないわ。その事実を彼らは肌で感じ取っている。
私は視線をベルトランへと移したわ。彼は私を見て息を呑んだ。「君は……」と唇が動く。
「覚えていただいて光栄ですわ。……貴方、いい騎士ですね。忠実で良識があって、主君に対して虚偽の報告もしない」
私は一歩、彼に近づく。
「ですが、一つだけ許せないことがありますの」
「……」
「あの日、酒場で貴方は私を制止しましたよね。私はそれに従いました。貴方の顔を立てて、大人の対応をして差し上げましたわ」
私の声が次第に熱を帯びていく。抑え込んでいた怒りが言葉の端々から漏れ出したわ。
「なんで加害者であるあいつを止めずに、被害者である私を止めたの?」
「そ、それは……」
「あいつが領主の息子だから?ふざけないで!貴方が私を止めて、あの馬鹿が命を拾ったから……あいつは私たちの大切な店を壊したのよ!」
「……」
「あの時の貴方の行動が!なあなあで済ませた貴方の判断が!私の家族を泣かせたの!」
ベルトランは何も言い返さなかったわ。結果論だと言うこともできる。けれど現実に被害が出ている以上、彼の判断が裏目に出たことは否定できないもの。
私はベルトランから視線を外して、今度は領主を見据えた。精悍な顔つきの彼も、今はただの狼狽する父親でしかないわ。
「そして貴方」
「……」
「自分の子供一人躾けられないなら、首輪をつけて庭に繋いでおくべきだったわね」
「……私の責任だ」
領主は重圧に耐えながら、絞り出すように言ったわ。
「愚息の罪は私の罪だ。……だが君は一体何者だ?」
「ただの被害者遺族の代表よ。……誰も死んでないけど」
私は鼻を鳴らす。ここで自己紹介なんてしてやる義理はないわ。
「ぐだぐだ話し合っている時間はないの」
「な、何を……」
「今は言葉はいらないわ。現場を見に行きましょう」
パチンと指を鳴らす。風魔法で領主とベルトランの身体を拘束して、そのまま宙へと浮き上がらせる。
「な、なんだ!?」
「これは!?」
「夜風が冷えるから覚悟してね。……被害者の心ほどじゃないけれど」
私は二人を風の檻に閉じ込めると、窓から夜空へと飛び出したわ。
あっという間に私たちの店に戻ってくる。私は風の檻を解いて、玄関のドアに向けて二人を投げ出す。
ドサッ。
もうもうと舞い上がる白い小麦粉。それが晴れた時、二人の目に飛び込んできたのは無残な光景だったわ。
「……これは……」
領主が絶句する。掃除もまだ出来ていない店内は、床が泥足で踏み荒らされた小麦粉で黒ずんで、陳列棚やガラスケースは粉々に砕け散ったまま。
報告で聞く内容と、実際にその場に立って匂いと空気を感じるのとでは、天と地ほどの差があるわ。ここには明確な悪意があったのよ。人の生活や夢を、尊厳を踏みにじって楽しんだ、ドス黒い痕跡が残っている。
「これが……テオドールのやったことか……」
領主の声が震えている。ベルトランも青ざめた顔で周囲を見渡していたわ。彼は知っているはずよ。この場所が自分が酒場で止めた私の店であることを。自分の判断がこの惨状を招いたことを。
リビングのテーブルセットにはレヴァンとノアが座っていたわ。
レヴァンは寝間着の上にカーディガンを羽織って、緊張した面持ちだったわ。無理もないわね。目の前にいるのは平民から見たら、雲の上の存在の領主様なのだから。けれど彼女はノアを守るように立ち上がって、背筋を伸ばし毅然とした態度で二人を見据えたわ。
「……いらっしゃいませ。この店の店主レヴァンと申します。こちらが娘のノア。それから……」
レヴァンは言葉を切ってチラリと私を見る。
「そちらのバカ娘がアリスティアです」
またバカって言われちゃったわ。でも娘ってついてるから良いかしら。
レヴァンは領主たちに向けた冷ややかな視線を、スライドさせて私にも向けてきたわ。私が「えへっ」と無邪気な笑顔で誤魔化そうとすると、彼女はあからさまにに深く重いため息をつく。……悪かったってば。
「ご覧の通り……本日は何もお出しできませんが」
破壊された店内を背に告げられた事実に、ジェラールは殴られたように肩を震わせたわ。彼は顔を歪め唇を噛んでいる。
「さあ、まずは自己紹介からどうぞ」
私は領主とベルトランの背中をトンと小突いたわ。
「……なに?」
「聞こえなかった?被害者のお宅に土足で上がり込んだ、馬鹿息子の親御さんでしょう?名前と身分を名乗りなさいって言ってるの」
名乗りを促したら領主は一瞬屈辱に顔を歪めたわ。この街のトップに対して下層民の、しかも小娘が顎で使うような態度。不敬罪で即座に処刑されても文句は言えないものね。
私はチラリとレヴァンを見る。普通なら「アリス!領主様になんて口を!」と青ざめて止める場面だわ。
レヴァンは虚空を見つめていたわ。焦点が合っていないのよ。「ああ、またアリスが何かやっているわ」という悟りと、現実逃避が入り混じった顔だったわ。レヴァンが匙を投げたことを確認して、領主を睨みつけると彼は諦めたように居住まいを正す。
「……要塞都市ベル・ガルド領主、ジェラール・ド・ロシュフォール辺境伯だ」
「そっちの髭騎士も」
「……ベル・ガルド騎士団、ベルトラン・ガイヤールです」
二人の名乗りに、レヴァンの背中からノアがおずおずと顔を出したわ。彼女は足元に転がるひしゃげた泡立て器や、泥にまみれたケーキの箱、廃墟と化した店内を見渡しぽつりと呟く。
「……お店も、泡立て器も、ケーキも。全部あいつが壊しちゃったの」
ノアはレヴァンの服をギュッと握りしめ、濡れた瞳で真っ直ぐに領主――ジェラールを見上げたわ。
「おじさんが、あいつのパパなんでしょ?」
問いかけにジェラールが苦渋に満ちた顔で頷く。それを見たノアは先ほど私が口にした言葉を、そのまま突きつけたわ。
「……子供の不始末は親の責任なんでしょ?」
「……ッ」
「私が悪いことしたらママはすごく怒るよ?……おじさんはちゃんと責任とれるの?あいつに『ごめんなさい』って言わせられる?」
純粋だからこそ逃げ場のない問いかけ。その言葉はどんな厳しい糾弾よりも深く、父親の心をえぐり取ったようだったわ。
ジェラールは痛みに耐えるように目を細める。重苦しい沈黙が廃墟と化した店内に降り積もったわ。誰も口を開けない。ただ風が吹き込んで、壊れた扉をギィギィと鳴らす音だけが響く。
「……まずはお座りください」
レヴァンがため息交じりに口を開いて、近くにあった椅子を引き寄せたわ。背もたれに少しヒビが入っているけれど、座る分には問題ないはずよ。
「立ったままではお話もできませんから」
「……かたじけない」
ジェラールが椅子に腰を下ろして、ベルトランは斜め後ろに直立する。レヴァンもノアを抱き寄せるようにして向かいの席に着く。全員の視線が交差する。殺気だった空気は鳴りを潜めて、冷静な話し合いの場が整ったわ。
「改めて事情を説明するわ」
酒場で起きた些細な悶着。馬鹿息子が私の箒を欲しがりそれを拒んだこと。たったそれだけの拒絶が許せず公権力を私物化して、憂さ晴らしのためだけに全てを破壊したこと。最後には強盗同然に箒を奪い去ったこと。
言葉の端々に煮えたぎるような怒りを滲ませて、私は事実を叩きつけたわ。誇張なんていらない。この理不尽な暴力の動機が、あまりにも幼稚で独善的な八つ当たりであったという事実こそが、何よりも雄弁に彼らの罪を物語っていたもの。
聞き終えたジェラールは顔面蒼白だったわ。馬鹿息子がただ暴れただけじゃない。明確な悪意を持って弱い者を踏みにじったという事実に、彼は打ちのめされていたわ。
ジェラールはゆっくりとその場に立ち上がった後、膝をつく。泥と小麦粉で汚れた床に、高価なガウンの膝をつけることなど躊躇わずに。
そして平民である私たちに向かって深々と頭を垂れたわ。
「……すまない」
絞り出したような淡白な言葉だったけれど、痛いほど真摯な謝罪だったわ。
「街を守るべき騎士が、息子がこんな……取り返しのつかないことをした。市民の平和を脅かし貴女たちの生活を奪った」
地面に額を擦り付けるような土下座。領主としてのプライドを捨てて、一人の父親として監督責任者として彼は罪を認めたのよ。
「すべては私の教育と監督不行き届きだ。愚息の罪は親である私が償う。……本当に申し訳なかった」
その隣でベルトランもまた膝をつく。彼も悔し涙を滲ませながら頭を下げたわ。
「私の……私の判断ミスです。あの時に事が起こる前にテオドール様を止めるべきでした。私の甘さがこんな惨劇を招いちまいました……!」
二人の男が床に伏している。その背中は小さく見えたけれど、責任という重荷を背負う覚悟があったわ。
とりあえず第一段階である謝罪はクリアね。変なプライドを出して「無礼者!」とか言い出したら、どうしてやろうかと思っていたけれど、どうやらあの馬鹿息子の親はまともな感性を持っていたようね。




