誕生日
要塞都市ベル・ガルドの冬は厳しく長い。石造りの城壁は冷気をたっぷり溜め込んで、通りを吹き抜ける風は頬を切り裂く刃のように鋭い。
私がこの街に来てから二度目の冬も、暖炉の火とレヴァンの作る温かいスープがなかったら、不老不死の私といえども冬眠を余儀なくされていたかもしれないわ。
けれどそんな冬将軍の支配も永遠じゃない。ある朝に窓を開けると空気がふわりと緩んでいるのを感じたわ。
「……春ね」
大きく伸びをして新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。冷たく澄んだ冬の空気も嫌いじゃないけれど、やっぱり春の予感というのは心を浮き立たせるものがあるわね。世界が私という主役の新しい幕開けを祝福しているみたいじゃない?
私は軽やかなステップで階下へと降りた。厨房ではいつものようにレヴァンが生地を捏ねている。その額には汗が滲んでいるけれど、差し込む春の日差しを受けてその表情はどこか晴れやかね。
「おはよう、アリス。今日は一段と暖かくなりそうね」
「おはよう、レヴァン。ええ、絶好の洗濯日和よ」
私はエプロンを締めながら壁に掛けられたカレンダーに目をやった。
あら?この日付。この季節。……そうだわ。もうすぐ――あの日がやってくるのね。
私の記憶の引き出しがカチリと音を立てて開いたわ。
一年前の今頃。ある日の夕食の席でケーキが出てきて、ノアがはしゃいでいてレヴァンが照れくさそうに笑っていたの。私が「今日は何かの日?」と尋ねたら二人は顔を見合わせて「誕生日!」と答えたのよ。
あの時の衝撃といったら!
居候の分際で聖母と天使の誕生日を知らずに、スルーしてしまったという大失態!プレゼントの一つも用意できないで、出されたケーキを「美味しい!」と食べてしまった自分の浅ましさ!私はその夜に枕を濡らしたものよ。
さらにその一年前は、私がこの街に来たばかりの頃。その時は言葉が全くわからなかったし、生活リズムも整っていなかったから、誕生日というイベント自体が存在したのかどうかも定かじゃなかったわ。完全にスルーしていたわね。
つまりよ。私はこの家に来てから、二回も彼女たちの誕生日を祝う機会を逃していることになるわ。
「……三度目の正直って言葉を知っているかしら?」
私はニヤリと不敵な笑みを浮かべたわ。今年の私は違う。言葉は完璧。街の地理も把握済み。
そして何より――懐には酒場で稼いだ金貨と大銀貨が唸っているわ!
リベンジの時が来たわ!過去二回分の不義理をまとめて清算、なおかつお釣りが来るくらいのとびきりのサプライズを仕掛けてやるのよ。
私はパン生地を叩きつけるレヴァンの背中に向かって、心の中で高らかに宣言したわ。
覚悟なさい、レヴァン、ノア。今年の誕生日は宇宙一可愛い魔女アリスティアがプロデュースする、国家行事レベルの祝祭にしてあげるからね!
決戦の日――つまりレヴァンとノアの誕生日は数日後に迫っていたわ。
幸運なことに、二人の誕生日は三日しか離れていない。だからこの家ではその間の日を、家族の誕生日としてまとめて祝うのが通例らしいわ。そしてさらに幸運なことに、今年のお祝い当日はお店の定休日と重なっているのよ。
「神風……いえ、私風が吹いているわね」
今日は待ちに待ったショッピング・デー。目的は決まっているわ。あのショーウィンドウの向こう側で待っている、宝物たちをすべて回収することよ。
私は午後の休憩時間に「ちょっと私の可愛さを街に振りまいてくるわ」と、適当な理由をつけて出かけることを伝えたわ。レヴァンが「わかったわ」と送り出してくれる。
……何がわかったのかしら。
もやもやした感情はほっぽり投げて店を出る。
「……ふふ。ふふふふふ」
口元から抑えきれない笑みが漏れ出してしまったわ。石畳を歩く私の足取りは羽が生えたかのように軽い。懐には世界の重力すらねじ伏せるほどの、力が入っているのだもの。
チャリンと革袋の中で重なり合う甘美な金属音。大銀貨と金貨。私が酒場の地下で埃と汗にまみれて、樽を運び続けた労働の結晶。そして店長からの感謝と信頼の証。
「素晴らしいわ。お金というものは、持っているだけで背筋が伸びる気がするわね」
今の私は一文無しの居候でも、言葉の通じない迷子でもない。この街で最も購買力のある、最強の消費者アリスティアよ。
「待っていなさい文明の利器たち。私が今迎えに行くわ!」
私は目的地に向けて高らかに靴音を響かせたわ。
カランコロン。
魔道具屋の重厚な扉を開けると、店内には所狭しと様々な道具が並べられている。灯りを生み出すランプ、水を浄化するポット、微風を起こす扇風機のようなものまで。どれも魔石を動力とした品々ね。
入店すると店主のお爺さんが眼鏡の奥から私を見たわ。
「いらっしゃい。……おや、お嬢ちゃんまた来たのかい?」
私がこの店の前で何度も立ち止まっては、ショーウィンドウを食い入るように見つめていたのを覚えていたらしいわ。ふふん、その通りよ。でも今日のアリスティアは、指をくわえて見ているだけの子供じゃないわよ。
「ごきげんよう、店主さん。今日は商談に来ましたの」
カウンターに進み出て、黄金色に輝く金貨を取り出してカタリと置いたわ。大銀貨でもよかったけれど使いたかったのよ。
「ショーウィンドウの回転式泡立て器。あれを頂けるかしら?」
お爺さんは目を丸くしたわ。金貨。平民の子供が持つには大きすぎる額ね。普通なら怪しまれるところだけれど、私は先手を打ってニッコリと微笑んだわ。
「ずっと貯めていたお小遣いと、あと……お祖母ちゃんの遺産が見つかりまして」
またお祖母ちゃん設定を使ってしまったけれど……まあいいわ。居るかもわからない天国のお祖母ちゃんも、孫の親孝行のためなら許してくれるでしょう。
「ほほう、それは感心だねぇ」
お爺さんは目を細めた後に、棚から恭しく箱を取り出した。
「これだよ。少し前の世代だけど、少ない魔力でも驚くほど滑らかに回るんだ」
少ない魔力でも、という売り文句は平民には重要なポイントね。
そう、この世界の魔道具は本体を買って終わりじゃない。動かし続けるためのランニングコスト――つまり魔力が必要よ。
平民も全く魔力がないわけじゃないけれど、微々たるものだもの。生活道具を動かすたびに、魔力切れでフラフラになっていたら生活にならないわ。
だからこその魔石式ね。魔力が空になった石を魔力充填所まで持っていき、手数料を払って魔力を詰めてもらわなきゃいけないの。いわば、見えないパイプで生活税を徴収されているようなものね。
でもこの街は魔獣と戦う最前線の要塞都市。材料となる魔石の供給が潤沢なおかげで、余所よりも比較的安価で手に入るらしいのよ。
一度充填所で魔力を込めてもらえば、こういう小物なら数ヶ月は持つし維持費もそこまで高額じゃない。庶民の懐に優しい素晴らしい普及率だわ。
ま、私には関係ない話だけどね。だって私は指先一つで魔力をフル充填できる、自家発電所だもの。エネルギー代がタダなんて、このお爺さんは夢にも思わないでしょうね。
「素晴らしいわ。これでメレンゲ作りも腕力いらずね」
私は箱を受け取って愛おしそうに撫でたわ。レヴァンの右腕を筋肉痛という呪いから解き放つ文明の聖剣。まずは一つゲットね!お釣りを忘れずにもらって店を出たわ。
次に向かったのは隣の衣料品店。
ここでの狙いはノアのための靴よ。深紅のリボンがついた艶やかなエナメルの革靴。ノアの足のサイズは日々のスキンシップで完璧に把握しているわ。
「こちらの靴をくださいな。サイズはこれで」
「はいはい、可愛らしいお嬢さんへのプレゼントかしら?」
「ええ、世界一可愛い妹分への贈り物よ」
「かしこまりました。他には何かご入用ですか?」
私は「そうね……」と店内を見渡したわ。
ノアには靴だけじゃ足りない。あの子はいつもお直しの服ばかり着ている。たまにはお姫様のような気分を味わわせてあげたいのよ。
私の目に留まったのは、フリルがたっぷりついた白いワンピースだった。清楚でそれでいて華やか。ノアの栗色の髪によく似合うはずよ。
「あのワンピースも。それと……」
視線は大人用のコーナーへ移った。
レヴァンへのプレゼントは泡立て器だけ?いいえ、それはあくまで実用品よ。女性へのプレゼントにはもっとこう、心が華やぐような美が必要だわ。
「あちらのショールを見せてくださる?」
淡い若草色のショール。レヴァンの優しげな亜麻色の髪と瞳にきっと映える色よ。
「あら、まあ……!素晴らしいセンスですわお嬢様!これら全てをお包みしてよろしいのですか?」
「ええ、お願いするわ。あ、待って」
会計をしようとした私の手が止まったわ。
レジ横の小物コーナーに精巧な刺繍が施された髪飾りがあった。小さな布の花があしらわれていて、中央には安物だけれどキラリと光るガラス玉がついている。デザインは同じだけど色が違うわ。一つは若草色、もう一つは桜色。
私の脳裏にお揃いの髪飾りをつけて、姉妹のように二人が並んで笑っている姿が浮かんだわ。
「……可愛いわね」
私は即座にその二つを手に取ったわ。
「これもくださいな。可愛く包んでね」
綺麗に包んでもらった後、代金を支払って店を後にした。
そして帰り道にある洋菓子店で、大きなホールケーキを予約する。プレートのメッセージを聞かれて少し照れてしまったけれど、はっきりと言ったわ。
「世界一大好きな家族へって書いてちょうだい。達筆で頼むわね!」
これで準備は万端ね。あとは当日を待つだけよ。
買ってきたプレゼントの山は私の部屋のクローゼット――聖櫃二号の奥深くに厳重に隠蔽したわ。
朝、厨房でレヴァンが歪んだ古い泡立て器を使ってカシャカシャと音を立てているのを見るたびに、私は心の中で「ふふ、もうすぐその苦労ともおさらばよ。文明の革命が訪れるわ」とニマニマするのを堪えなければならなかったわ。
ノアが自分の小さくなった靴を見て「足が痛いなぁ」と呟くのを聞くたびに「もう少しの辛抱よ。貴方の足にはもうすぐ魔法の靴が履かされるんだから!」と叫び出しそうになるのをグッと飲み込んだんだから。
けれど私の心までは隠しきれなかったみたい。
「アリス、何かいいことあったの?」
「ぅえっ?」
夕食のスープを飲んでいる時、レヴァンに不審がられたわ。私が一人でニヤニヤと思い出し笑いをしていたらしいの。
「い、いいえ?なんでもないわよ?」
「そう?さっきからスープに向かってすごく変な顔をしてたけど」
「そ、それは……春の陽気のせいよ!」
苦しい言い訳だわ。ノアも「お姉ちゃん、変なのー」と笑っている。くっ……侮れないわね。サプライズを成功させるためにはポーカーフェイスの練習もしておかないと。
それからの数日間は私にとって忍耐の期間だったわ。聖櫃二号の中身を確認したい衝動と戦って、バレないように自然に振る舞うという高度な諜報活動。前日の夜なんて遠足前の子供みたいに目が冴えてしまって、羊を一万匹数える羽目になったもの。
太陽が昇るよりも早くベッドから飛び起きた。
その日はやってきたわ!レヴァンとノアの合同誕生日!お店は定休日!
音を立てないように階段を降りてリビングへと向かう。普段はレヴァンが仕事を始めているけれど、定休日の今日はまだ二人とも夢の中。今のうちに舞台を整えなきゃ。
私は魔法をフル活用したわ。風魔法で部屋中の埃を一瞬で拭い去って、テーブルクロスをピシッと敷く。買っておいた花を花瓶に生け、色とりどりのリボンで椅子や壁を飾り付ける。テーブルの中央にはプレゼントの包みを積み上げたわ。お出かけ用のサンドイッチも作っておく。
「完璧……!」
朝のリビングがパーティー会場へと変貌したわ。私は満足げに頷くと、息を潜めてその時を待った。
しばらくしたら、二階から足音が聞こえてきたわ。二人の姿が見えた瞬間――。
「おはよう!そして、お誕生日おめでとう!!」
寝ぼけ眼の二人は目を丸くして固まったわ。目の前には飾り付けられた部屋と、テーブルに積まれたプレゼント。そしてドヤ顔で仁王立ちする銀髪の美少女。
「ア、アリス……?これ、は……?」
「サプライズよ!さあ、こっちへ来て座って!」
私は呆然とする二人を椅子に座らせて、それぞれの前にプレゼントを押しやる。
「開けてみて!」
恐る恐る箱を開けた二人の動きが、時が止まったように静止したわ。
「こ、これは……!?」
レヴァンが信じられないような目をして、震える手で泡立て器を持ち上げる。ノアもワクワクしながら箱を開ける。深紅のリボンがついたエナメルの革靴。ノアの目が星のように輝いたわ。
「赤だ!可愛い!お姫様の靴だ!ありがとうお姉ちゃん!」
「ふふん、似合うと確信していたわ。三倍速く動けるわよ!」
「アリス……これ、どうしたの?こんな高価なもの……」
レヴァンが困惑した顔で私を見る。当然の疑問ね。一介の居候が買える値段じゃないもの。
「ふふ、実はね。とある高貴な方から極秘の依頼を受けたのよ。迷子になった子猫を探してほしいとか、恋の悩みを聞いてほしいとか……。それを完璧にこなしたら涙を流して感謝されてお金を握らされたのよ」
私は事前に用意しておいた完璧な嘘を、涼しい顔で披露したわ。レヴァンは何かを言いかけたけれど、私の澄ました顔を見て肩の力を抜いた。
「……もう、アリスったら」
レヴァンは泣き笑いのような顔をして目元を拭ったわ。追求しても無駄だと悟ったのか、あまりにも子供騙しな嘘でかえって愛おしくなったのか。どちらでもいいわ。彼女がそれを受け入れてくれるならね。
「さあ、本番はこれからよ。それを着てみて」
二人が包みを開けると、淡い若草色のショールと、フリルがついた白いワンピースが出てきたわ。
「まあ……なんて綺麗な色……」
「ふわふわしてる!」
私は二人を急かして着替えさせる。リビングに戻ってきた二人は春の妖精のようだったわ。
レヴァンは若草色のショールが彼女の穏やかな雰囲気に溶け込んで若々しく上品な女性に、ノアは白いワンピースが元気な笑顔を弾けさせて咲き誇る花のようね。
「二人とも最高に素敵よ!……でもあと一つ足りないわね」
ポケットから最後の切り札を取り出したわ。刺繍入りの髪留め。
「後ろを向いて」
私はレヴァンの髪をハーフアップにして若草色の髪留めで留め、ノアの髪をサイドで結んで桜色の髪留めを飾った。
「はい、完成!」
二人を姿見の前へと誘導する。鏡の中に映る母と娘。普段とは違う装いとお揃いの髪留め。その光景は私が想像していたよりも、遥かに美しくて愛おしいものだったわ。
「……すごい。これ、私たち?」
「お母さん、可愛い!お揃いだね!」
二人は鏡の中の自分たちと互いの姿を見比べて、はにかむように笑ったわ。その笑顔の輝きといったら、金貨の輝きなんて目じゃないわね。この瞬間のために私は重労働(魔法)に耐えて、あのゲスへの殺意を抑え込んだ甲斐があったわ。
「完璧ね。自分のプロデュース能力が恐ろしいわ」
私は腕組みをして満足げに頷いた。自画自賛も忘れない。これぞアリスティア・スタイルよ。
「さあ、お出かけよ!」
午後は全員でおめかしをして、街へ繰り出したわ。
ノアはフリルのワンピースに赤い靴。髪には桜色の花飾り。レヴァンは若草色のショールを羽織って、同じく髪飾りをつけている。
私はあえて黒子に徹して、二人の引き立て役として完璧な位置取りをキープしたわ。私が一歩引くことで二人の輝きが増す。これぞ計算され尽くした引き算の美学よ。
「見てお母さん!靴がコツコツ言うの!」
「ええ、素敵ね」
ノアが得意げにステップを踏んでレヴァンが微笑む。すれ違う人々が華やかな二人に振り返ったわ。
ふふん、聞こえる、聞こえるわ。庶民たちの称賛の声が。もっと見なさい。そして網膜に焼き付けなさい。ただし、いやらしい目で見たら眼球を乾燥させてドライアイにするわよ?
「……アリス?すごい顔してるわよ?」
「あら失礼。虫が飛んでいたものだから」
私たちは石畳の広場のベンチでバスケットに詰めたサンドイッチを広げ、旅芸人たちの曲芸を眺めたわ。特別なことは何もしていない。ただ一緒に歩いて一緒に笑って、同じ時間を共有するだけ。
太陽が西に傾いて空が茜色に染まり始めた頃、私たちは予約していたケーキを受け取って手をつなぎながら家路についたわ。右手にレヴァンの温もり。左手にノアの小さな手の感触。
「ありがとう、アリス。こんなに素敵な誕生日は初めてよ」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
「ええ。感謝なさい」
二人の笑顔が夕日に照らされて輝いている。懐は随分軽くなってしまったけれど、後悔なんて微塵もないわ。私が稼いだお金はかけがえのない思い出へと代わったのだもの。
歩いていると、通りの向こうにパン屋が見えてくる。私たちの帰る場所。
「あ!一番乗り!」
ノアが手を離して駆け出したわ。新しい靴の音がタタタッと軽快に響く。
「こら、待ちなさいノア。転ぶわよ」
「ふふ、元気ねぇ。さあアリス、私たちも行きましょう。ケーキが待っているわ」
レヴァンと顔を見合わせて笑う。さあ、帰りましょう。最高の一日の締めくくりに、とびきり甘いケーキを食べるのよ。




