安寧の拠点
高らかに生存宣言をしたのはいいけれど、気合と根性だけで生き延びられるほど甘くないわ。
私は震える足でどうにか元の岩陰に戻り乱れた呼吸を整えて、改めて今後の方針を冷静に見つめ直すことにしたの。
生きるための基本。それはいつの時代もどこの世界でも変わらない三大要素。「衣・食・住」よ。
「さて、ひとまず衣食住の内、衣と食は半ば強制的に解決済みってわけね」
まず「衣」。着ているのは薄くみすぼらしい白いワンピース一枚だけ。私は自分のスカートの裾をめくって、改めて確認して深いため息をついた。
「寒っ……。パンツすら履いてないのよ?信じられる?」
前の世界の知識から言えばこのままじゃすぐに凍死したり、虫に刺されまくって病気になるコースね。
でも私の異常な体質のおかげで、寒さは感じても動けるし病気になっても多分翌日には元通りのはず。
「……それまでは寒くて痒くて辛いでしょうけれどね」
最低限の肌の露出は避けたいところだけど、死活問題じゃないから優先度は低いわ。羞恥心は一旦放置。最悪ワンピースが破れてすっぽんぽんになっちゃっても命に別状はないもの。私の尊厳が跡形もなく失われることに目をつぶればね。
次に「食」。お腹をさすってみる。相変わらずペコペコだけれど、今の私にとって食事は必須じゃないわ。美味しい木の実を見つけた時のように食べれば活力が湧くのは間違いないけれど、飢餓で行動不能になる心配は一切ないもの。
もっとも、お腹が空いてイライラするひもじい思いは現在進行系でしているけれどね。
「問題は、残る住ね……」
これが最も深刻で私の平穏を脅かす最大の問題よ。
今隠れている岩陰はイノシシもどきやトカゲもどき……あーもう、いちいち「もどき」ってつけるの面倒ね。
「イノシシ!トカゲ!これでいいわ。名前なんてどうでもいいのよ」
とにかく、そういった巨大な獣たちが通り過ぎるのを何度か目撃した場所のすぐそばなの。(他にもトナカイやヘビっぽいのまで見かけたわ。ここは動物園かって話よ)
いつ見つかって襲われてもおかしくないわ。極端な話、体が原形を留めないほどにミンチにされなければ、どれほど大きな怪我をしても一晩寝れば多分元通りだけど……。
「……もしかしたらミンチにされた後も元に戻るかもしれないわね。試そうなんて気は天地がひっくり返ってもまったく起こらないけれど」
想像しただけで寒気がするわ。この森で安全に生き延びるためには何よりもまず、強大な獣の脅威から隔絶された絶対に安全な隠れ家が必要ね。
住処を探すにあたって闇雲に森を歩き回るのは自殺行為ね。獣たちへの餌のデリバリーサービスなんてまっぴらごめんだわ。
「あのイノシシやトカゲ、他にも居る巨大な獣たち。あれほど強力な奴らが互いに無秩序に歩き回っているわけがないわ」
もしランダムに動いているなら、今頃あちこちで怪獣大決戦が勃発しているはずだもの。けれどイノシシやトカゲの向かった方向や、そしてさらに巨大な咆哮が聞こえてきた方角はバラバラだった。
多分奴らは互いの領域を尊重して、衝突を避けるための境界線がこの森には存在しているじゃないかしら。いわゆる縄張りという概念ね。
「狙い目は縄張りの境目。複数の強大な獣の勢力が交差して、お互いが『あいつと鉢合わせしたくないから近寄らないでおこう』と避けるような場所ね」
きっとそこが私のような食物連鎖の最底辺にとって、最も安全で平穏を確保できる緩衝地帯となるはずよ。
この森で生き残るためにはその見えない線を見極める必要があるわ。私は生存確率を上げるために、脳内で生態マップを作成することにしたわ。紙もペンもないけれど自分の命がかかった地図だもの。私の優秀な頭脳に叩き込めば十分ね。
それからの数日間、私は徹底的な隠密行動と調査に明け暮れたわ。その裏では涙ぐましい失敗もあったけれどね。
まず手を付けたのは棚上げにしていた衣の問題よ。やっぱりスースーするのは精神衛生上よろしくないし、防御力ゼロというのは心もとないわ。
私は探索の合間に手頃な大きさの葉っぱを数枚調達して蔓で腰に巻き付けることにしたの。プロジェクト・葉っぱのパンツ。原始人スタイルのランジェリー作成計画よ。
見た目はともかくこれで少しはマシになるはず。そう思って意気揚々と歩き出したのだけれど――その期待は十分もしないうちに裏切られたわ。
「……痛い」
一歩踏み出すたびに葉っぱの硬い縁が太ももの内側に擦れるのよ。大人の肌ならまだしも十歳児くらいの肌は無駄に柔らかくてデリケートすぎるわ。このままじゃ皮がむけてしまうじゃない。それに、もっと致命的な問題があったわ。
ガサッ、ゴソッ。ガサッ、ゴソッ。
「……うるさいわね」
歩くたびに葉っぱ同士が擦れ合って乾いた音を盛大に響かせる。静寂が支配する森でこんな音を立てて歩くなんて「私はここにいるわよ」と宣伝して回っているようなものじゃない。隠密行動においては致命的な欠陥装備よ。
「……却下。コットンの偉大さを骨の髄まで理解したわ」
私は葉っぱをむしり取ってその辺りに投げ捨てた。擦れてヒリヒリする太ももをさすりながら、私は涙を飲んでノーパン生活の継続を受け入れるしかなかったわ。野生への挑戦はあえなく敗北に終わったわけね。
気を取り直して調査の方に集中しましょう。
午前中は主にイノシシやトカゲが通り過ぎた痕跡を追ってみた。奴らは巨大な牙や爪で木の幹に深く引っ掻き傷を残したり、マーキング代わりなのか随所に体臭として独特の獣臭を撒き散らしているわ。
「何食べたらこんな匂いになるのよ……」
正直、鼻が曲がりそうな悪臭よ。私は鼻を押さえたい衝動をこらえて痕跡が途切れる地点や、別の獣の跡と交差する地点を頭の中のマップに記録していったわ。
午後は水場の調査。水は私の命には関わらないとはいえ、活力を得るための果実が近くに多いし、清潔さを保つためには必要不可欠だもの。
「ひもじいのも、汚いのもごめんだわ」
けれど清潔な水を見つけるのは想像していたより至難の業だったわ。最初に発見した水たまりは一見澄んでいるように見えたのだけど、よく見たら獣たちの鼻水か何かの体液が混ざっているようだったわ。
「いえ、これはむり。生理的に無理」
別の場所にあった水たまりに至っては、巨大なクマが全身で泥パックをした後の浴槽みたいになっていたわ。ワイルドさの塊か美意識高い系クマなのか知らないけれど、思わず汚い言葉を叫びそうになったわ。耐えたわ!私の精神衛生のために!
幸いしばらくして近くを流れる小さな川を発見することが出来たわ。でも水の流れがある場所は獣も集まりやすい危険地帯のはず。だから私は川から少し離れた木々が密集していて複雑な岩場が続くエリアに注目したの。
大型の獣にとって動きにくい場所は縄張りのパトロールには向かないと思うもの。特に重くて巨大な体を持つイノシシのような獣は、体が挟まったり足元が不安定になる場所を嫌うはず。
「……という願望込みの推測だけど、信じるしかないわね」
そうして調査も大詰めを迎えたある日の午後。今度は天候が牙を剥いたわ。
ポツリと頬に冷たいものが当たったかと思えば、次の瞬間にはバケツをひっくり返したようなスコールが襲ってきたわ。
「雨……!」
私は慌てて近くの大木の陰に滑り込む。けれど葉の隙間から降り注ぐ雨粒は、あっという間に私の貧相なワンピースを濡らして体に張り付かせてしまったわ。
「うぅ……っ、さむ……」
気温が一気に下がって体温が恐ろしい速度で奪われていく。
震える手で二の腕を抱きながら自分の姿を見下ろした。水を吸って重くなった布地は肌にぴったりと密着して身体のラインを露わにしている。
ガチガチ、ガチガチ。
次第に勝手に奥歯が鳴り出したわ。止めようと思っても止まらない。指先の感覚はとっくに消え失せて、二の腕を抱く自分の手さえ他人の冷たい肉塊みたい。
もしここに鏡があったら、そこに映っているのはどんな姿かしら。寒さに震えて唇を紫にして背中を丸めている惨めな濡れ鼠が一匹。間違いなく見られたものじゃないでしょうね。
「……っ、くしゅんっ!」
盛大なクシャミが出た。頭がガンガンと痛んで思考が白い靄に包まれていくようだったわ。私の異常な体質でなければ間違いなく低体温症で意識を失って、そのまま還らぬ人になっていたでしょうね。
雨が上がって雲の切れ間から再び太陽が顔を出した頃には、私は心身ともにぐったりと消耗していたわ。服は生乾きで気持ち悪いし、太ももは擦れて痛いし、お腹は空いたし、体は冷え切っている。
「……もう嫌。こんな生活、一日だって耐えられない」
改めて痛感したわ。私には安心して眠れる場所が必要よ。雨風をしのいで獣の視線を遮り、私が私であるための尊厳を守れる城が。
周辺の調査が終わった後、私は頭の中の生態マップが示す緩衝地帯へ移動を開始したわ。
その場所は数種類の獣の痕跡が最も薄くなる地点であると同時に、川の音が届くけれど水場からは少し距離がある岩場の奥。ここからの移動は極めて慎重に行ったわ。
「前の世界で、スニーキングゲームをやり込んだ経験があるのかしら。ここで活きるとは本当に人生は何があるかわからないものね」
身を隠すためのダンボールがないのが悔やまれるけれど、私は全身の神経を研ぎ澄まして風向きや足音や周囲の匂いに細心の注意を払った。足元に落ちた小枝一本、呼吸の音すら、獣にとっては警告音になりかねないもの。
幸い幼い体は有利に働いたわ。体高が低いから草木の陰に隠れやすくて小さな隙間も通り抜けることができる。一歩、また一歩。草を踏みしめる音を立てないよう体重を分散させながら、私はまるで幽霊のように森の奥へと進んでいったわ。
数時間が経過した頃、とうとう目的地に到着したわ。
予想通りそこは鬱蒼とした木々が複雑に絡み合って、巨大な岩塊が折り重なった非常に歩きにくい場所だった。獣道と呼べるようなものは見当たらず、代わりに岩と岩の間にいくつもの小さな隙間や苔に覆われた窪みが存在していたわ。
「ここね。この地形なら獣たちが積極的に入ってくることはないわね」
満足感とともに安堵の息を漏らした時、私は目の前の巨大な岩壁に不自然な亀裂があるのを見つけたわ。その亀裂は人間の子供がかがんでようやく入れる程度の大きさ。この森の獣のサイズからすれば無視して通り過ぎるような、取るに足らないただの岩の傷跡。
けれど私のような十歳の体にとっては――まさに天国の入り口に見えたわ。
「お邪魔しまーす。……誰もいないわよね?」
私は警戒しながら誰にも聞かれないような小さな囁き声で呟くと、好奇心を抑えきれず亀裂の中へとするりと体を滑り込ませた。
内部は予想外に広かったわ。岩壁が自然に崩落して自然に出来たのか、奥に行くほど空間が広がっていて最終的には大人の身長の数倍ほどの高さ。少し広めのワンルームマンションくらいの広さを持つ自然の洞窟になっていたわ。
空気は冷たく湿っていたけれど、外の森に充満していた不快な獣臭は一切届いていない。あるのは清浄な土と水の匂いだけ。
洞窟の奥にはわずかながら天井の岩の隙間から光が差し込んでいて、完全な闇ではなかったわ。そして光の下には湧き水が染み出してできただろう小さな水たまり。
「完・璧・じゃない……っ!!」
私は思わず叫んでいたわ。この入り口のサイズだったらあの獣たちは物理的に入れない!もし侵入者がいるとすれば私と同じくらい小さな動物くらいだわ。そんな生き物見たことないわよ!
防御力:入り口は小さくて巨大獣の侵入を物理的に阻止できる(クリア!)。
隠蔽性:複雑な岩場と木々に囲まれて視覚的に発見されにくい(クリア!)。
生存資源:内部に湧き水があって水分補給の心配が軽減された(クリア!)。
「総合評価、最高の優良物件ね!」
私は喜びを抑えきれずに思わずその場で小躍りした。この世界に転生して初めて経験する喜びは私の口角を上げ笑顔を浮かべさせてくれたわ。極限の状況下で自らの根気と知恵で安全を勝ち取った、生存者としての本能的な喜びだったのよ。
この時の私はまだ自分の姿を確認していなかったけれど、最高の美少女と最高の笑顔が揃った瞬間だったのよ。つまり天使が生まれたわけよ。天使って何かって?愚問ね。私のような存在をそう呼ぶのよ。テストに出るから覚えておきなさい。
「よし、次はこの洞窟を私の盤石な隠れ家にしてあげるわ!前の世界で覚えてるサバイバル知識、全部引っ張り出してやるんだから!」




