酒精
「さあ相棒。どんどん片付けるわよ!」
何度目かの往復を終えて、私が地下倉庫で張り切って次に運ぶ樽を準備しようとした時だったわ。
「待て待て待てぇぇっ!!」
血相を変えた店長が、階段を転がり落ちるようにして降りてきたわ。腰は大丈夫なの?
「な、何する気だ嬢ちゃん!?これ以上の樽を上に持ってこられても、置く場所がねぇぞ!?足の踏み場もなくなっちまう!」
「……あら?二週間分の樽を厨房の端っこに、ピラミッドみたいに積むのはダメかしら?芸術的よ?」
「何だピラミッドって!?ダメだ!!崩れたら大惨事だ!」
言われてみればその通りだわ。厨房は調理スペースだしホールは客席。二週間分の在庫を一度に積み上げたら危ないし、店が酒樽の倉庫になって営業できなくなってしまうわね。
「ちっ。……コホン」
私は舌打ち……ではなく優雅に考え直したわ。
次々と樽を運んでいって一日で全部終わらせる早期リタイアは、物理的なスペース問題であえなく却下された。つまり契約通り二週間、毎日ここに通わなければならないということね。
「分かったわ。面倒だけれど仕方ないわね。じゃあ毎日必要な分だけを運べばいいのね?」
「あ、ああ。そうだ。毎日夕方にその日の分を運んでくれればいい」
店長は安堵のため息をついたけれど、私は不敵に微笑んだ。
いいでしょう。毎日通うのは手間だけれど、その代わり私の実力を見せつけてあげるわ。
その日の夕食時。
私はスープを一口飲んでから、努めて何気ない調子で二人に切り出したわ。
「レヴァン、ノア。少し話があるのだけれど」
「なあに?アリス」
レヴァンがパンをちぎる手を止めてこちらを見る。ノアもスプーンを咥えたまま大きな瞳で私を見つめてきたわ。
「明日から二週間ほど夕方になると少し出かけることになるわ。街の方でちょっとした頼まれごとを引き受けたの」
「……頼まれごと?どんな用事なの?」
「ええと、ちょっと人手が足りないらしくて。整理整頓や……簡単な手伝いをしてくるだけよ」
嘘は言っていないわ。私の魔法技術を駆使して樽を運ぶんだから、整理整頓に違いないもの。
でもレヴァンは心配そうに眉を下げたわ。
「無理はしないでね。パン屋の手伝いだけでも大変なのに……。もし辛かったらすぐに言うのよ?」
「大丈夫よ。私には魔法があるのは知っているでしょ?何かあったらバシッと解決よ!」
私は胸を張って安心させようとしたのだけれど、レヴァンの眉は下がり続けたわ。
「……無茶はしないでね?」
あら?私の心配から違う心配なった気がするわ。
「お姉ちゃん、遊べなくなっちゃうの?」
ノアが寂しそうに袖を掴む。私はその小さな手に自分の手を重ねて、優しく微笑んだわ。
「夕食の時間には必ず戻ってくるわ。だからちょっとだけ待っていてちょうだい」
「……うん。わかった。お姉ちゃん、行ってらっしゃい!」
「ええ、ありがとう。行ってきますのチューは勘弁してね?」
ふふっと笑い合って胸の奥が温かくなるのを感じたわ。
私は心の中でショーウィンドウに飾られていた、輝く品々を思い浮かべた。レヴァンの腕を楽にする真鍮製の回転式泡立て器。ノアの小さな足を飾る深紅のリボンがついた革靴。
二人とも待っていなさいよ!
――こうして私の新しい日課が始まったのよ。
翌日からの仕事ぶりはまさに神速の一言だったわ。裏口から入った私は他の従業員への挨拶もそこそこに地下へ直行よ。
「ごきげんよう。今日の分はどれかしら?」
「おう、来たか。そっちのエール樽と奥にあるワイン樽を頼む」
地下で作業をしていた店長に今日の仕事を聞いた後は、銀色の箒を天秤棒にして風魔法で重量をゼロにした樽を涼しい顔で担ぎ上げる。階段を駆け上がって厨房の指定位置に音もなく着地。
「は、早ぇ……」
「また記録更新だぞ……」
従業員たちが私を見て唖然としている。本来なら屈強な男がヒーヒー言いながらやる作業。それを涼しい顔で終わらせるのだから無理もないわね。
さらに樽を運び終えた私は、厨房の床や壁の油汚れがどうしても気になってしまったわ。
「……汚いわね。美しくないわ」
ついでとばかりに水魔法や風魔法で、こっそりと汚れを削ぎ落とし窓ガラスをピカピカに磨き上げたわ。魔法の練習(掃除)をしていた時の癖が出てしまったのよ。
結果として薄汚れていた酒場は、私が働き始めてから数日で新築のように輝き始めた。店長は私を拝むようになって、従業員たちは私の通り道を清めるようになったわ。
そして問題はそこからよ。私の仕事の噂が瞬く間に広がってしまったのね。
「おい、聞いたか?この店には夕方になると力持ちの姫様が現れるらしいぞ」
「そんなちっこい体で樽を運ぶわけねえだろ。酔っ払いすぎだ」
――アリスティア・ショック、酒場バージョンね。
数日もすると私が店に現れる時間帯に合わせて、店の中は仕事終わりの荒くれ者たちで満席になるという異常事態が発生したわ。
私が地下から樽を担いでホールを横切る。ただそれだけの時間。それを見るためだけに、彼らは安いエールを注文して赤ら顔で待ち構えているのよ。
「お、来たぞ!」
「出たあ!本当に担いでやがる!」
「いいぞ嬢ちゃん!漢だなぁ!」
淑女よ!
私が地下から階段を上がって、巨大な樽を涼しい顔で担いでホールに姿を現した瞬間、店内のドッと湧いたわ。指笛が鳴ってテーブルを叩く音が響く。熱気とアルコール混じりの興奮よ。
私は心の中で小さくガッツポーズをしたわ。
ふふっ、これよ!この歓声!むさ苦しい男たちが、私の可愛さと怪力のギャップに脳を焼かれている空気!
私は最短距離で樽を運ぶのをやめたわ。背筋をピンと伸ばして顎を少し上げて、銀色の髪が最も美しく揺れる角度を計算して歩幅を調整する。
ここは薄暗い酒場の通路じゃないわ。私のためだけに用意されたレッドカーペットでありランウェイよ!
「ごきげんよう、皆様」
あちこちから漏れる感嘆の声。私はそれを極上の伴奏として聴きながら、わざと少しゆっくりと、樽の重さを微塵も感じさせない軽やかさで歩を進める。
見なさい、愚民ども!この華奢な腕、可憐な指先!それがこんな巨大な樽を支配しているアンバランスさこそが芸術なのよ!
「嬢ちゃんが樽を運ぶだけで売上が倍増だ!」
店長は「ガハハ」と笑いながら私に言ったわ。どうやら私は単なる一従業員ではなくて、店のメインイベントになってしまったみたいね。
でも仕方ないわ。私の可愛さは劇薬にもなり得るのだもの。
家に帰った後での食卓でも、レヴァンとノアに向かって今日の出来事を得意げに語って聞かせたわ。もちろん酒場の仕事であることはぼかしてね。
「聞いてちょうだい。今日は中層区のお店を少し通りがかったのだけれど、もう大変だったのよ」
私はスープを飲む手を止めて熱っぽく語ったわ。
「私がただ優雅に歩いているだけなのに、お店の中にいた殿方たちが一斉に振り返って歓声を上げるのよ。「妖精だ!」とか「女神だ!」とか口々に叫んでバタバタと人が倒れるんだから」
私は憂いのある顔で頬に手を当てて、ため息をついて見せたわ。口角はあがっていたけれど。
「みんな私の美しさとあふれ出る気品に釘付けよ。帰り際なんて暴動が起きそうなくらい引き止められちゃって……。はぁ、私ってばどこに行っても人を狂わせちゃうのね。なんて可愛くて罪作りな魔女なのかしら」
私がどれほど外の世界で求められているか、この可愛さがどれほど罪深いかを、二人に理解させるためのトークだったはずよ。
けれど食卓には一瞬の静寂が訪れたわ。そして――。
「……はいはい。アリスは世界一可愛くて罪作りねぇ。でもその顔はパン屋では禁止よ?お客さんが引いちゃうから」
レヴァンは呆れたようにため息をついて「やれやれ」と肩をすくめたわ。まるで言うことを聞かない子供をあしらう母親そのものだわ。
さらにノアまでがパンを頬張りながら、無邪気な瞳で追撃してきたわ。
「お姉ちゃん、顔がニヤニヤしてて変だよ?」
レヴァンの塩対応に加えて、ノアの純粋すぎる言葉のナイフが深々と突き刺さったわ。変ってなによ、変って!これは余裕の笑みであり高貴な微笑みなのよ!?
「本当にすごかったんだから!街中が私に夢中なのよ!?」
「ええ、ええ。分かったから、スープが冷めないうちに召し上がれ。あ……もしかして、頼まれ事って名目で自分の可愛さを確かめに行ってるの?」
レヴァンが生温かい目で見つめてくる。
くっ……!違うわ!私は二人のために肉体労働(魔法)をしてきたのよ!でもそれを言ったらサプライズが台無しになってしまうわ!
「ち、違うわよ!困っている人の頼まれ事を助けてあげる、高尚な活動よ!」
「ふふ、そうなのね。お疲れ様」
「お姉ちゃん、偉い偉い。頑張ったねー」
二人は顔を見合わせて楽しそうに笑ったわ。
……今に見てなさいよ。その笑顔なんか比べものにならないくらいの笑顔に、絶対上書きしてやるんだから!
それからというもの、私の夕方の公演は一日も欠かさず完璧に遂行されたわ。
日を追うごとに増え続ける観客と比例して、新築のようにピカピカになっていく厨房。私は契約期間の二週間を樽一つ落とすことなく、汗一滴流すことなく優雅に駆け抜けたのよ。
最終日の業務終了後。私は店長室に呼び出されていたわ。
「……お疲れさん。いや、本当に助かったよ」
店長は机の引き出しから革袋を取り出す。収益向上が去るのを名残惜しそうにしていたけれど、感謝を込めるように私の方へ押しやってくれたわ。ズシリと甘美で重い音がする!
「約束の報酬だ。確認してくれ」
私は高鳴る鼓動を抑えて革袋の紐を解いたわ。中には銀色の光沢を放つ大銀貨が三枚。私が欲しくてたまらなかった対価。レヴァンとノアの笑顔の源ね。
「……あら?」
けれど袋の底にはまだ何かがあったわ。銀色じゃない。もっと濃厚で見る者を魅了する魔性の輝き。
黄金色に輝く硬貨が一枚。
「き、金貨……!?」
私は思わず息を飲んだわ。大銀貨十枚分に相当する、平民にとっては数ヶ月分の生活費にもなる高額硬貨。それがなんでここに?
「て、店長?これ、明らかに多いわよ。私の計算能力は宇宙一なんだから間違いないわ。報酬は大銀貨三枚のはずでしょう?」
「宇宙は知らんが。いや、間違いじゃねぇよ」
店長はニカッと笑って親指を立てた。
「これは特別ボーナスだ。お前さんが来てくれなきゃ、この二週間店は回らなかった。大損害を出してただろう。それに一人で数人分の仕事をこなしただろ?お前さん目当ての奴らも集まってきたし、本来の仕事じゃない掃除までしてくれた。その分を上乗せしたって店としては十分お釣りが来るんだよ」
感動に打ち震えたわ。なんていう合理的かつ慈悲深い判断!この瞬間だけは全人類を抱きしめたい気分になったわ!
「素晴らしいわ店長!貴方は商人の鑑……いえ、地上の神様だわ!」
「よせよせ照れるじゃねぇか」
私は金貨に頬擦りしたい衝動を必死にこらえて、淑女らしく革袋を懐にしまった。目は欲望でギラギラと輝いていたと思うけれどね!
大銀貨三枚に金貨一枚。これがあればレヴァンの泡立て器とノアの靴はもちろん、余ったお金で私のスイーツ巡りツアーまで開催できるじゃない!
「この恩は忘れないわ!」
「恩を感じてるのはこっちだけどな。また人手が足りなくなったら頼むかもしれん。そん時はよろしくな」
私は店長に最高の笑顔で手を振って部屋を後にしたわ。
廊下を歩く足取りは雲の上を歩いているかのように軽い。終わったわ。やり遂げたのよ。悪いことをして誰かに迷惑をかけるわけでもなく、むしろ人助けまでして正当な労働の対価としてこの富を得たのよ。
「契約は満了!たった今から私はこの店の従業員ではなく、ただの通りすがりのお金持ちで高貴な美少女よ!」
私は高らかに宣言する。ウキウキと鼻歌交じりにホールを抜けて店の出口へ向かう。懐の中の金貨がチャリンと重たい音を立てた気がするわ。
――待っていてね、レヴァン、ノア。この重みは明日の二人の笑顔の重みよ!
サブタイトルはアルコールじゃなくて酒場の妖精的な




