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出稼ぎ

「……足りない。絶望的かつ圧倒的に足りないわ」


 要塞都市ベル・ガルドの下層区にある賑やかな商店街。その一角にある魔道具屋のショーウィンドウの前で私は、深海よりも深いため息をついていたわ。


 ガラスの向こうに鎮座しているのは、真鍮で作られた美しい調理器具たち。その中でも私の目を釘付けにしているのは、歯車仕掛けの回転式泡立て器だったわ。


 私は知っているのよ。レヴァンが毎朝重いボウルを抱えて、腕が痛くなるまで古びて歪んだ泡立て器を振るっているのを。


 額に汗を浮かべながら「これがあればもっと美味しいケーキが焼けるのにねぇ」って、この商品を憧れの眼差しで見つめていたことも痛いほど知っているわ。


 視線を少し右に移せば隣に衣料品店がある。そこには子供用の深紅のリボンがついた、可愛らしい革靴が飾られていたわ。艶やかな革の光沢に、小さな足をやさしく包み込むようなフォルム。


 ノアの靴はもう爪先が擦り切れて白くなっている。「わぁ、お姫様みたい!」って彼女がショーウィンドウに張り付いて、目を輝かせていた光景は記憶に新しいわ。


 欲しい。喉から手が出るほど胃袋が裏返るほど欲しいわ。自分のためじゃない。この世界で私を拾って、温かいパンと居場所をくれた大切な家族同然の二人のために!


 私はポケットから自分の全財産を取り出して、掌の上で広げた。レヴァンからのお駄賃として貰った数枚の銅貨と大銅貨。ジャラと虚しい音を立てるそれらは、銀貨に換算しても一枚にも満たないわ。


「……現実は非情ね」


 泡立て器と靴の両方を買うには、大銀貨クラスの出費が必要になるもの。私の手持ちを全部合わせても、泡立て器のハンドル部分すら買えないわ。


 ここで聡明な私ならアイディアが浮かぶはずよ。前の世界の知識を使って稼げないのか、と。


 例えば、定番のリバーシのようなボードゲーム。これを流行らせれば大金持ち……なんて思ったけれど、甘かったわ。


 この世界には既に似たようなゲームが存在していて、公園で暇を持て余したお爺ちゃんたちの定番娯楽になっているの。今さら私が「新発明!」なんて言っても、鼻で笑われるだけよ。ありふれすぎているわ。


 じゃあマヨネーズやプリンといった料理革命は?……正直に言うわね。私、食べる専門で作り方なんて知らないのよ。卵と油と酢を混ぜればいいことくらいは知っているけれど、比率は?温度管理は?


 失敗して卵や油を無駄にしたら、レヴァンに怒られるどころの騒ぎじゃないわ。ただでさえ冬服の一件以来、私を栄養失調だと勘違いした彼女が、家計を圧迫してまで栄養満点料理を食べさせてくれているのだもの。


 悲しいかな、便利な現代社会で生きてきた私は消費者であって、生産者の知識なんて何一つ持ち合わせていなかったのよ。


 なら私の得意分野である魔法と、現代知識を融合させた画期的な魔道具はどうかしら?ドライヤーや扇風機。モーターとファンを回す構造自体は単純だし、この世界の動力源である魔力を使えば再現できそうじゃない?そう思って魔道具の中身を覗いてみたことがあるのだけれど……。


 そこには複雑怪奇な魔法陣がびっしりと刻まれていて、幾何学模様の落書きにしか見えなかったわ。私の魔法は圧倒的な魔力をイメージだけで叩きつける天才型なのよ。ああいうチマチマした論理で構成された術式は、完全に専門外。電気回路の設計図が読めないのと同じで、仕組みが理解できない以上作りようがないわ。


「……結局、地道に稼ぐしかないのね」


 私は最強の魔女アリスティア。その気になれば上層区に住む貴族の家から、金品を強奪することだって出来るわ。でもそれは違うのよ。


 レヴァンとノアへのプレゼントは、私自身の力で真っ当に稼いだ対価でなければ意味がないわ。悪いことをして手に入れたお金で買ったプレゼントなんて、私の高貴なプライドが許さないわ。


 それにレヴァンは勘が鋭いから、怪しいお金の出処を絶対に問い詰めてくるはずよ。「アリス、このお金はどうしたの?まさか……」なんて悲しい顔をされたら、私は立ち直れないもの。


「働くしかないわね。それも短時間で高収入が得られる、私にふさわしいエレガントな仕事を」


 私は硬貨をポケットにしまい込んで、通りを鋭い眼光で見渡したわ。看板娘としての愛想笑いは封印よ。今の私は獲物を狙う狩人の目。


 広場に設置されている求人掲示板の前に確認してみる。皿洗い募集……安すぎるし手が荒れるわ。ドブさらい募集……美学に反するわ。私を誰だと思っているのよ。


 他にも見てみるけれど、私の琴線にふれる仕事はなさそうだったわ。


「なかなかないものね……。世知辛いわ」


 私が腕を組んで眉間にしわを寄せていると、通りを挟んだ向かい側、巨大な建物の前から怒号のような声が聞こえてきたわ。


「何やら揉めているようね」


 野次馬根性……いえ、情報収集の一環として私は興味を惹かれて近づいてみたわ。




 その巨大な建物はこの界隈でも一際目を引く、三階建ての立派な造りの酒場だったわ。昼間だっていうのに窓からは賑やかな声が漏れ聞こえてきて、香ばしい肉料理とエールの香りが通りにまで漂っている。店の入り口には身なりの良い商人や非番の兵士たちが次々と吸い込まれていくのが見えたわ。


 ここはただの居酒屋じゃないわね。中層区の金持ちや騎士団の連中も宴会に使うような、この街でも指折りのマンモス店舗じゃないかしら。これだけの規模なら消費されるお酒の量も半端じゃないはずよ。


「だから!無理だっつってんだろ!俺たちは給仕であって力仕事なんか出来ねえよ!」

「甘えんじゃねえ!」


 店の前では恰幅の良い店長らしき男と、数人の痩せた従業員たちが言い争っていたわ。従業員たちは皆疲弊しきった顔で首を振っている。


「今日の分の地下の樽を運び上げなきゃ、商売あがったりだぞ!お前ら全員でやればなんとかなるだろ!」

「ならねえよ!滑車もないのにあんな鉄の塊みたいな樽をどうやって階段で上げるんだよ!」

「運搬チームは昨日の事故で全滅しちまったんだ!お前らがやるしかないんだよ!」

「無茶苦茶だ!みんな体を壊して共倒れになるぞ!」


 ……何だか困っているみたいね。……って、んん!?


 他人事のように見ていた私の視線は言い争っていた彼らの横、殴り書きされた見るからに急ごしらえの看板に釘付けになったわ。


 急募!力自慢の剛腕求む!地下倉庫からの搬出作業全般。期間:約二週間。報酬:期間満了につき大銀貨三枚。


 ――大銀貨三枚!


 私の脳内で盛大な祝福の鐘が打ち鳴らされたわ。大銀貨三枚あればレヴァンの泡立て器とノアの靴が両方買えるじゃない!お釣りで私のケーキも買える!まさに神が日頃の行いが良すぎる私に与えたもうたご褒美だわ!


「見つけたわ私の戦場を」


 私は三角帽子のつばをクイと持ち上げローブの裾を翻して、優雅かつ力強い足取りで言い争っている彼らの前へと進み出た。


「ごきげんよう。そちらのお仕事、私が引き受けて差し上げてもよろしくて?」


 店長と従業員たちがピタリと口論を止めて、同時に私を見たわ。銀色の髪に碧眼。華奢な体躯に上質な帽子とローブ。どこからどう見ても深窓の令嬢か、世間知らずの迷子にしか見えないでしょうね。


 店長が呆気に取られた顔で、私の頭の先から爪先までをジロジロと見た後、自嘲気味に鼻で笑ったわ。


「嬢ちゃん、悪いが迷子の相手をしてる暇はねぇんだ。見ての通りうちは猫の手……いや、巨人の手でも借りたい非常事態でな」

「あら失礼ね。私は迷子でも冷やかしでもないわ。そこに書いてある力自慢として名乗りを上げているのよ」


 私が看板を指差すと店長は頭を抱えた。


「おいおい……勘弁してくれよ。組合に頼めば危険手当だ何だとふっかけられて、街の力自慢には『滑車なしじゃ無理だ』と逃げられる。挙句に来たのが木の枝みたいに細い腕のお嬢ちゃんかよ……」


 従業員たちも力なく笑って手を振っているわ。


「お嬢ちゃん、悪いことは言わないからやめておきな。この仕事はな、力自慢の奴ですら割に合わないって逃げ出すほどの重労働なんだ。怪我したら危ないし樽を割られたら困るんだ」


 言葉で説明しても無駄ね。実力行使あるのみよ。


 私は店先に置いてあった防火用の大桶に歩み寄ったわ。並々ならぬ水が入っていて、成人した男性でも持ち上げるのは困難な重量物でしょうね。


「百聞は一見にしかず。見てらっしゃい」


 私は桶の縁を掴んだ。もちろん純粋な筋力で持ち上げるわけじゃないわ。風魔法を展開して桶全体の重力を相殺する。


 ――フンッ(っていう演技)。


 気合を入れたように見せかけて、巨大な桶を頭上まで持ち上げてみせたわ。水面が揺れることもなく空箱を持っているかのような安定感よ。


「なっ……!?」

「えええええっ!?」


 店長と従業員たちの目が飛び出した。通りがかりの人たちも足を止めて、私を二度見しているわ。私は持ち上げた桶を音もなく静かに元の位置へと戻した。


 トン。


 地面が揺れることもなく、水が一滴もこぼれない完璧な着地。パンパンと手の埃を払って、凍りついている店長と従業員たちに向かって、私はニッコリと微笑んだわ。


「これで面接は合格かしら?」


 店長は口をパクパクさせた後に、ゴクリと唾を飲み込む。


「ご、合格だ……!即採用だ!頼む、助けてくれ!報酬は弾む!」




 案内されたのは酒場の厨房の奥にある、薄暗い地下への階段だったわ。


 湿った冷気と一緒に濃厚な酒の香りと木の匂いが漂ってくる。地下倉庫は広大で、壁一面に山のような数の樽が積み上げられていたわ。圧巻の一言ね。この店の繁盛ぶりと消費量の凄まじさを物語っているわ。


「これだ。この一番奥にあるエールの大樽。今日使う分を上の会場まで運んでほしいんだ」


 店長が指差したのは、小柄な私ならすっぽり隠れてしまいそうな木樽だったわ。タガが嵌められていて中身がぎっしりと詰まっているのが、見ただけで分かる重厚感。なるほど、これは確かに重そうね。


「見ての通りうちは客が多くて酒の消費量が馬鹿にならねぇ。毎日大量の樽を上げ下げしなきゃならないんだが……」


 店長が悔しそうに天井を見上げる。


「本来なら昇降用の大型滑車と、屈強な男たちの専門チームで回してるんだ。だがその滑車が昨日壊れちまってな。その屈強な男たちの専門チームが修理しようとしたんだが、滑車の落下に巻き込まれて全滅しちまったんだよ」

「あら……それは災難ね。それであんなに揉めていたのね」

「ああ。滑車は壊れるわ、人は怪我するわで踏んだり蹴ったりだ。階段が狭すぎて複数人じゃ力が入れにくい。他の従業員にもやらせてみたり俺も運ぼうとしてみたんだが、重すぎて階段を一段上げるのがやっとだ。俺は腰を痛めちまった。無理にやらせて怪我人が出たら、これ以上に店が回らなくなる」


 店長は腰をさすりながら深々とため息をついたわ。


「組合に頼もうにも、難癖つけて金を巻き上げようとしてくるし、そもそも人が集まらねぇ。だからこその大銀貨三枚だ。背に腹は代えられねぇからな」


 なるほど。高額報酬の裏には過酷な労働と緊急性、そして誰もやりたがらない不人気さがあったわけね。滑車なしでの人力運搬。普通にやれば一つ運ぶのにも相当な時間がかかるし、体を壊すリスクとも隣り合わせでしょうね。


 普通の人なら尻込みする条件でしょう。でも私にとっては好都合だわ。魔法を使えば地獄の仕事もただのお散歩に変わるんだもの。


「……これを今日必要な分だけ、ね」


 私は階段と樽の山を交互に見た。さっきは高額報酬に目が眩んで過剰な力を見せちゃったけれど、さっきの大桶よりも重い樽を持ち上げたら目立ちすぎるわね。


 どうすれば良いかしら。もっとこう、視覚的に分かりやすくて「ああ、それなら仕方ない」と思わせるような……。


 あ、名案を閃いたわ。


「ちょっと必要なものがあるから取ってくるわ」

「お、おう?道具か?滑車なら壊れてるぞ?」

「私の相棒よ。滑車よりもずっと優秀なね」


 道具よ!特別な道具のせいにすればいいのよ!


 私はニヤリと笑うと一度きびすを返してパン屋への道を駆け出したわ。




 息を切らせたふりをして私は酒場に戻ってきた。実際は風魔法を使ったから全然疲れてないけれどね。手には一本の美しい銀色の箒を握りしめていたわ。


 その箒は滑らかな曲線を描いていて、柄は磨き上げられた銀色に輝き穂先は美しく整えられている。私の相棒、銀の架け橋(アルジェント・ゲイト)よ。


「待たせたわね」

「おいおい、嬢ちゃん。掃除しに来たんじゃねぇぞ?」


 店長が呆れたように言うけれど無視して地下へ向かう。


「すぐに終わらせるから上で待っていてちょうだい」

「無理はするなよ?ゆっくり確実に、一つずつでいいからな?」


 店長はまだ半信半疑の様子だけど、腰をさすりながら階段を上がっていったわ。地下に一人残された私は不敵な笑みを浮かべる。


「ゆっくり?一つずつ?ノンノン。そんな非効率なこと、私がするわけないじゃない」


 本来なら魔女の旅の心得(ウィッチズ・ルール)その三「正体は徹底的に隠蔽する」に従って、力持ちであることも目立つ箒も人前で見せるべきじゃないわ。


 でも今は緊急事態なのよ。レヴァンとノアへのプレゼント代なのよ。聖母と天使への恩返しなのよ。背に腹は代えられないわ。


 いざとなったら「この箒のおかげですわ」って上目遣いで言い張ればいいのよ!無理がある?私の可愛さで押し通すわ!


「さあ相棒。今日は空を飛ぶんじゃないわ。本来の用途とは違うけれど天秤棒になってもらうわよ」


 私は箒の柄の両端に、倉庫にあった丈夫なロープを括り付けたわ。垂れ下がった二本のロープの先に、手近にあった大樽を一つずつ結びつける。


 このまま持ち上げようとしたら、普通は箒がへし折れるか私の肩が砕ける重量よ。でも私には魔法があるもの。私は流れるように魔法を紡いで、風魔法で樽を包み込み浮力を与えて重量をほぼゼロにする。


「よし、準備完了。さあ行くわよ!」


 箒の中央を肩に担いだわ。グッと力を入れるふりをするけれど、実際にかかっている重さは買物カゴ程度。私は地下の薄暗い階段を鼻歌交じりに駆け上がったわ。


 カン、カン、カン。


 軽やかな足音が響く。前後には重厚な樽がまるで従順な下僕のようについてくる。どこかのクマとオオカミも見習いなさい?


 階段を登りきって厨房のドアを勢いよく開け放つ。


「お待たせ!第一便が到着よ!」


 厨房にいた料理人たちが私の姿を見て、包丁を取り落としそうになったわ。店長も目を剥いて固まっている。


「な、な、な……っ!?」


 無理もないわ。可憐な少女が銀色に輝く細い箒一本で、重厚な樽を二つもぶら下げて、しかも汗一つかかずに笑顔で現れたんだもの。シュールレアリスムの絵画を見ている気分でしょうね。


 私は彼らの反応を楽しむ余裕を見せつつ、指定された場所へスタスタと歩み寄る。


「ここへ置けばいいのかしら?」

「あ、あぁ……。いや、ちょ、待て!そんな置き方をしたら床が抜ける――!」


 店長の制止も聞かずに私は肩から箒を下ろしたわ。樽が床に着地する瞬間、私は魔力を操作して衝撃を完全に相殺する。


 トン。


 羽毛が舞い降りたような軽い音と共に樽は床に下りたわ。


「はい、一丁上がり」


 箒をクルリと回して肩に担ぎ直す。


「さ、次行くわよ。すぐに終わるわ」


 私は呆然とする男たちを尻目に、再び地下への階段を下りていったわ。

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