騎士団
カラン、コロン。
開店のベルが軽やかに鳴り響いて、香ばしい匂いに誘われたお客さんたちが店に雪崩れ込んでくる。
「いらっしゃいませ。焼きたてのバゲットはいかがですか?今ならまだ温かいですよ」
「あら、アリスティアちゃん。今日も可愛いわねぇ」
「ありがとう、マダム。そちらの新しいスカーフもとてもお似合いですよ。当店のブリオッシュのような上品な色合いで」
私は接客を完璧にこなしていた。以前のような言葉が通じない中での、笑顔と雰囲気だけのゴリ押しじゃないわ。的確な商品のおすすめ、世間話への気の利いた相槌、すべてがスマートでエレガントよ。
常連の老紳士が杖をついて入ってくると、私はすかさず駆け寄ってドアを押さえる。
「ごきげんよう、ムッシュ。いつものライ麦パンですね?今日は特に香ばしく焼けていますわ」
「おお、ありがとうアリスティア。君の顔を見ると元気が湧いてくるよ」
そしてもちろん、彼らへの対応も完璧よ。
「あ、あの……!今度、僕と……!」
顔を真っ赤にして列に並んだ同年代の少年が、勇気を振り絞ってデートに誘おうとしてくる。言葉を覚えた今ならはっきり分かるわ。これは明白な恋慕の情ね。
けれど残念ながら私にその気は一切ないわ。それに、ここでモジモジさせていたら後ろがつっかえちゃう。今の私に必要なのはロマンスじゃなくて回転率よ。
「いらっしゃいませ!貴方にはこちらがおすすめです!」
「えっ、あ、えっと……」
彼がデートという単語を口にする前に、私は食い気味に声を張り上げたわ。
「いつも来てくれてありがとうございます。貴方の笑顔でパンも喜んでいます」
「あ、いえ……こちらこそ」
私が女神のような微笑みで袋を手渡すと、少年はそれだけで満足した顔をしてフラフラと出口へ向かっていく
今や私はこの店の売上を支える看板娘にして、聡明で美しいスーパー店員。この界隈ではちょっとした有名人になっているのよ。ちなみにスーパーの店員じゃなくて、スーパー店員よ?
朝のピークを過ぎて客足が落ち着いた頃に、私はエプロンを外してレヴァンに声をかけた。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるわね。あ、その前に力仕事は残ってない?」
私は華奢な腕で力こぶを作るジェスチャーをして見せた。もちろん実際に運ぶのは私の筋肉じゃなくて風魔法だけどね。
「小麦粉の搬入は明日だから大丈夫よ。今日はもう良いから遊んできたら?」
「……そう?じゃあお言葉に甘えて」
レヴァンに見送られて私は二階の自室へと戻ったわ。普段ならこの仕事着のまま出かけて、魔力納付を済ませたらすぐ戻るけれど、街を周るなら少し羽根を伸ばしたい気分ね。
私は仕事着を脱ぎ捨てて、いつもの決戦用装備へと着替えたわ。看板娘アリスから、高貴な魔女アリスティアへの変身完了よ。
もちろん首には例の六角形の石を忘れずに下げる。これだけが玉に瑕だけれど、アクセサリーのつもりで我慢してあげるわ。
私は黒革のバッグを肩にかけて軽やかな足取りで店を出た。
「ひとまずは用事を済ませましょうか」
私は役所に向かって大通りを歩きながら、道行く人々を観察する。
市民たちは穏やかな顔で歩いているけれど、私と同じ六角形の石を下げた人々は「やれやれ、またか」といった雰囲気で役所の方へ向かっているのを多く見かける。
彼らにとって魔力納付は生活の一部とはいえ、税金を払いにいくような面倒くささと、頻繁に納めなければいけない多少のダルさを伴うイベントなのかもしれないわね。
役所に着くと六角形の石専用の窓口には、いつものように列ができていたわ。並んでいる人たちは石が青色や黄色で、退屈そうに順番を待っている。以前私が感じた死刑台に向かう囚人のような悲壮感はないけれど、役所特有の事務的で少し気怠げな空気が漂っているわね。
「次は……君か。石を出して」
窓口の職員は事務的で眠そうな顔をした中年の男性だったわ。私が黒い石を持ち込んで大騒ぎになった時の人とは違うけれど、この街の役人は皆同じような目をしているわね。毎日毎日他人の魔力を吸う仕事なんて、そりゃあ飽きもするでしょう。
私は愛想よく微笑んで黄色くなった石を差し出した。職員は石を受け取りカウンターの水晶の窪みにセットする。
「手を出して。……気分の悪さは大丈夫か?無理はしなくていいからな」
定型文のような確認を聞き流しながら水晶に手を乗せる。
ヒュン……。
指先から魔力が吸い出される感覚。水晶が輝いて黄色かった石があっという間に鮮やかな青色に戻る。
普通の人ならここで肩が重くなったり、軽い眠気を感じたりするところでしょう。でも私にとっては、ストローでジュースを一滴飲まれた程度の感覚にも満たないわ。私の体内には森での修行で培った、大海のような魔力が渦巻いているもの。
だから……。
「終わりだ。相変わらず異常なほど入りがいいな。顔色ひとつ変えないとは」
「健康優良児なので」
「はぁ……。それで……どうする?終わりか?」
「いいえ、次の分もお願いするわ」
私がそう言うと職員の男は「またか」という顔で眼鏡の位置を直した。
「……本当に相変わらずだな」
彼は驚きつつも、どこか諦めたようにため息をついた。この一年で私が何度もおかわりをやっているから、彼も私の異常な魔力量には薄々気づいている……というか、慣れてしまったみたいね。
仕方ないじゃない。五日毎に来るなんて面倒なんだもの。
「普通なら二回分も抜けばかなり疲弊するんだがな……。まあいい、自己責任だぞ」
私はニッコリと笑って水晶に置いた手を動かさない。職員は呆れつつも面倒ごとは御免だといった様子で、再び水晶を操作した。
ヒュン……。
二度目の吸引。やっぱり私にとってはそよ風に吹かれた程度。私の石に色の変化は見られないけれど、次の魔力納付は十日後に更新された筈よ。
「……全く。底なしかよ」
「健康優良児なので」
職員は呆れたように首を振りながら石を返してくれたわ。私はニッコリと笑って青くなった石を受け取る。後ろに並んでいた商人風の男性が、目を丸くして私を見ていた。ふふん、見た?これが格の違いよ。
「ありがとう、おじさま。これでまたしばらくは来なくて済むわ」
私は優雅にお辞儀をして役所を後にしたわ。
役所を出た私は市場の喧騒を抜け、人通りの少ない路地裏へと足を踏み入れる。ここならちょっとした自主練もできそうね。
「さて、感覚を鈍らせないようにしておかないと」
周囲に誰もいないことを確認してから、意識を集中させた。以前に街中で不用意に魔力感知を広げて、大パニックを引き起こしかけた大失態。
あれ以来、私は街中での魔力行使には細心の注意を払っているわ。イメージするのは以前と同じソナーのような感知。けれど今回は海を揺るがす津波のような波動じゃなくて、コップの水面に広がる波紋よりも小さな極小の波動。
――スッ。
非常に薄い魔力の波が放たれて空気中を漂い、周囲の状況を探るソナーとなったわ。これなら住人たちにプレッシャーを与えずに探知ができる。ただ欠点もあるのよね。
「うん、今日も感度は良好ね。……やっぱり範囲が狭いけれど」
使用する魔力を極限まで絞っているせいで、波動が届く範囲も狭くなっているわ。せいぜいこの界隈を一回りする程度。路地裏で丸まっている野良猫の姿や、向こうの通りを歩く人の動きくらいまでは把握できるけれど、街全体を俯瞰することは無理ね。
「範囲が狭いのは我慢ね。ある程度の不便は受け入れるわ。誰にも気づかれずこっそりと情報を摘み取る。これこそ魔女の嗜みだもの」
練習が終わって、そのまま宛もなく街をぶらついていたら夕方になっていたわ。ついでに夕食の買い出しでもしようかしらと、市場へ向かおうとした時。
「おーい!お姉ちゃん!」
市場の入り口で学校終わりのノアに声をかけられたわ。お昼ごろからノアが居なくなっている時があったけれど、遊びにいっているわけじゃなくて学校に行ってたみたいね。
学校といっても私の記憶にあるものとは違って、この要塞都市ベル・ガルドが運営している市民のための初等教育施設よ。
教えるのは一般的な常識と、読み書きと計算といった実利的なスキルがメイン。商業や軍事が盛んなこの街では、契約書が読めたり物資の計算ができたりすることが、将来の生存率に直結するものね。
「ノア、もう終わったのね」
「うん!お姉ちゃんはお買い物?」
「ええ、そろそろ夕飯の材料を買って帰ろうかと思って」
「あ、私も行く!お母さんに今日の夕飯の買い物頼まれてたの!」
ノアがポケットからメモを取り出して見せてくれたわ。そこには拙いけれど一生懸命書いた文字で、必要な食材がリストアップされている。
「あら、奇遇ね。じゃあ一緒に行きましょうか」
「うん!行こう!」
私たちは手を繋いで、活気あふれる夕暮れの市場へと繰り出した。色とりどりの野菜、新鮮な果物、香辛料の香り。以前は言葉がわからないで指差しと笑顔だけで乗り切っていた買い物も、今では立派な戦場よ。
「おじさん、このトマトちょっと形が悪いんじゃない?これならもう一つおまけしてくれてもバチは当たらないと思うわよ?」
八百屋の頑固そうなおじさんに上目遣いで攻め込む。
「勘弁してくれよお嬢ちゃん。これは完熟してて味は最高なんだからさぁ。形なんて食っちまえば一緒だろ?」
「でも今夜の夕食は、レヴァン特製のシチューになる予定なのよ。家族団らんの食卓に並ぶものだもの。見た目だって完璧じゃなきゃ美意識が許さないわ」
私が「……あちらのお店の方が立派に見えるかしら」と違う店を見るふりをすると、おじさんは慌てて捲し立てたわ。
「わかった、わかったよ!おまけするから!そんな可愛い顔で睨まないでくれ!……ったくレヴァンのところの新しい娘は、口が達者すぎて敵わねえな」
「ふふ、ありがとうおじさん!」
可愛いだって!知ってる!私が満足して振り返ると、ノアが深々とため息をついていたわ。
「……はぁ。お姉ちゃん、またやったの?」
「なによノア。これも世渡りの術よ?」
「お母さんが言ってたよ。『アリスは可愛い顔をタチの悪い武器にしてる』って。おじさん困ってたじゃない」
「……よく聞こえなかったわ。誰が可愛いって?」
ノアはやれやれといった感じで首を振っている。六歳児……じゃなかったわ、七歳児に呆れられるなんて心外ね。私は限られた予算で、最大限の幸福を追求しているだけなのに。
「これが大人の交渉術よノア。可愛さは武器。使えるものは親でも美貌でも使い倒すのよ」
「はいはい、わかったよお姉ちゃん」
ノアは苦笑いしながらも荷物を少し受け持ってくれる。私たちは石畳の道を歩きながら夕暮れの街を散策したわ。
「あそこには、どんな美味しいお菓子があるのかしらね……」
上層区との境目にある壁に目を向けながら呟く。
要塞都市ベル・ガルドは、大きく分けて三つの区画に分かれているわ。
私たちが住んでいる街の外周近くにある下層区。一般市民や職人が多く暮らす、ごちゃごちゃしているけれど活気のあるエリア。
街の中心に少し近い中層区。役所や大きな商店があって、裕福な市民が暮らす少し落ち着いていて石畳も綺麗なエリア。
そして、街の中心にある上層区。領主や貴族たちが暮らすエリア。
「お姉ちゃん、上層区に行きたいの?」
「ええ、とっても」
下層区の屋台の味も悪くないけれど、上層区には砂糖細工でできた宝石のようなケーキや、口に入れた瞬間に溶ける魔法のチョコレートがあるというわ。私の魔女の旅の心得その二「文明の甘い汁を吸う」という目標の最終地点は、あそこにある気がするのよ。
「でも上層区に入るには、私たちじゃ無理なんでしょう?」
「うん、多分。お母さんが言ってた。お仕事か特別な許可証がないと、門番さんに止められちゃうって」
そう、ここにも厳然たる階級社会の壁があるのよ。
平民が上層区に行くには、きちんとした仕事や紹介状がなければ入れない。上層区の入り口には街の入り口よりも厳重な警備兵がいて、さすがの私でも可愛さや小粋なトークだけで突破するのは難しそうなの。
力ずくで突破するのは造作もないけれど、それをやったら今の平穏な暮らしとはさよならだもの。
「ま、焦ることはないわ。いずれ正当な手段で堂々と乗り込んでやるわよ」
お金を貯めて市民権を得るか、あるいは誰もが無視できないほどの有名人になって、向こうから招待状を持ってこさせるか。不老不死の私には時間が無限にあるもの。どうにだってなるわ
私が不敵に笑っていた時、ふと通りの向こうが騒がしいことに気づいたわ。
「……?」
カツ、カツ、カツ……。
規則正しい蹄の音が石畳に響いてくる。現れたのは夕日を反射して眩いばかりに輝く、白銀の鎧に身を包んだ一団だったわ。
立派な毛並みの軍馬に跨って、背中には紋章が入ったマントをなびかせている。彼らの顔は兜に覆われてよく見えないけれど、整然とした行進からは規律と威圧感が漂っていたわ。
「騎士団だわ……」
近くの女性が期待と憧れ、それにほんの少しの畏怖を込めて囁くのが聞こえた。
この街の軍事力の中枢であり、実用的な魔力を持つ集団ね。彼らの全身にはお高そうな装備も着けられているもの。
「ノア、こっちへ!」
私はノアの手を引き、建物の陰に身を隠して興味深く彼らを観察したわ。この一年で軍事的な階級制度についても学んだわ。どうやら魔力の量によって明確なヒエラルキーが存在しているみたいなの。
街の見回りをしたり門にいたような平民の兵士たちは、こういった集団には混ざれない。彼らは魔力が平均以下で魔法も使えない。ただの肉体労働者として城壁の警備や雑務をしているだけ。
対してあの馬に乗っている白銀の鎧の集団。彼らが従騎士。略して従士ね。彼らも出身は平民だけれど、生まれつき魔力が高水準なエリートらしいわ。私はこっそりと魔力感知のソナーを飛ばしてみる。
……ふむ。私に遠く及ばないのは当然として、彼らの体内ではそこそこの量の魔力が循環しているのが分かるわ。
そして――。
「あれが……」
列の真ん中あたり、ひときわ豪奢な足元まで布で覆われた白馬に乗って、金色の縁取りがされた深紅のマントを羽織っている男たち。
その内の一人だけは兜を外していて、整った金髪の顔立ちを民衆に晒していたわ。まだ若そうに見えるけれど、周囲の頭を下げる市民たちを路傍の石か何かのように、冷たい目で見下すような傲慢さが滲み出ている。
「あれが貴族。騎士ってやつね」
生まれながらの特権階級である、貴族のみが就ける地位ってレヴァンが言っていたわ。「貴族様は魔石や道具もなしに、火を出したり風を起こしたりできるんですって」と。
平民にとって魔法を道具なしで放出できる人間は雲の上の存在、あるいは恐ろしい怪異に近い認識なのかもしれないわね。
ふん、なるほど。あれがこの街の最強戦力ってわけね。
私は目を細めて、魔力感知のソナーを彼らに向けてみた。バレないように極限まで出力を絞った、微弱な波紋で彼らを範囲内に収める。
「……プッ」
思わず吹き出しそうになったわ。
弱い。あまりにも弱い。確かに平民に比べれば多い。従士たちに比べても多い。けれど私の体内に渦巻く魔力量に比べれば、まだまだ差は大きいわ。
あんな程度の魔力で、あんなに偉そうにふんぞり返っているの?しかも魔力回路がお粗末極まりないわ。流れが淀んでいるもの。
私の洗練された魔力回路と比べれば砂利道のようなものね。あれじゃあ魔法の発動までに時間がかかるでしょ。私ならその間に百回は彼を黒焦げにして、お茶を淹れて優雅に飲み干せるわ。
「あれで威張れるなんて幸せな人たちね」
呆れを通り越して感心してしまったわ。私と同じように魔法を使える人が居ると聞いて警戒していたけれど、想定をはるかに下回る実力しかないじゃない。私の脅威にはなり得ないわね!
私は心の中で勝利宣言をしたわ。トップエリートですら私の足元にも及ばないんだもの。もう怖いものなんてないわ。私はただこの圧倒的な力を隠して、可愛く賢く美味しいものを食べて生きていけばいいんだわ。
その時、兜を外していた騎士の男がこちらを一瞥した。
三角帽子が角からはみ出していたみたい。この街では見かけない私の装いに目を留めたようだったわ。
彼は冷ややかな目で私を値踏みするように見つめる。けれど彼は私の中に潜む深淵のような魔力には気づかずに、ただの少し顔立ちの整った……、間違えた。絶世の美少女だけれど、平民だとわかると興味なさげに視線を外した。
節穴ね。でもそれでいいわ。
「……お姉ちゃん?ニヤニヤしてどうしたの」
ノアが不思議そうに私を見る。いけない、つい本音が顔に出てしまっていたみたい。私は慌てて可憐なお姉ちゃんの仮面を被り直したわ。
「なんでもないわ。ただ世の中ってチョロい……いえ、平和だなぁと思って」
騎士団が去って街に再び活気が戻る。道の端に寄っていた人々も、何事もなかったかのように買い物を再開する。
「さあ、帰りましょうノア。今日はレヴァンに特製のトマトシチューを作ってもらうのよ。私が!値切った!トマトでね!」
「もう、わかったよぉ」
私の影とノアの小さな影が長く伸びて重なる。森の小屋で一人(と二匹)で過ごしていた頃にはなかった誰かと歩く温かさ。
私たちは夕焼けに染まる石畳の道を手を繋いで歩いたわ。




