妖精さん作戦
これよ。私が求めていたのはこういう分かりやすいピンチなのよ!
世界が私に向かって「今がその時よ!」と叫んだ気がしたわ。ここで私が颯爽と助ければレヴァンも喜ぶし、私も少しは恩返し出来た気持ちになれるわ。
「あと、居候させ続けるのを許してくれるかもしれないわ」
打算も込み。私は口角を吊り上げてニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。物理で勝てないなら私には魔法があるもの。
でもここでの魔法使用は、気をつけて使う必要があるかもしれないわ。まだ一日しか経っていないけれど、街を回って見かけた魔法の技術を思い出してみる。
この街の魔法技術は魔石を使った道具によるものが主流。私のように何もないところから火を出したり風を起こしたりするのは、どうやら一般的ではないみたい。もし私が「お皿、綺麗になーれ!」と水魔法をぶっ放したら、便利がられるどころか通報されかねないわ。
それに昨日の魔法感知を使った大失敗を忘れちゃいけないわ。ド派手な魔法を使えば街中が大パニックになって私はここを追い出される。
「必要なのはさりげなさよ。誰にも気づかれず、あくまで自然にこっそりと役に立つ魔法を使う。これこそが秘密の有能妖精さん作戦よ!」
レヴァンが店の中へ運んでいる間に、私は残りの袋に向き合った。永い時間を修行に明け暮れて、窓掃除や布研磨でも鍛えた私の魔力制御を舐めるんじゃないわよ!
風魔法で小麦粉袋を包み込んで浮力を与えるイメージをする。袋は重さが無くなったようにフワッと浮いた。
「うん。完璧なコントロールね」
私は浮いた袋に手を添えた。傍から見れば私が手で持っているように見えるけれど、実際には私は袋に触れているだけ。重量のほとんどは風魔法が負担しているわ。私が感じているのは風船を持っている程度の軽さだけよ。
そこへレヴァンが戻ってきた。彼女は次の袋を持とうとして――私が袋を持ち上げているのを見ると目を丸くしたわ。
「ア、アリスティア!?■■、■■■!?」
彼女は慌てて駆け寄ってきた。「子供に無理をさせてしまった」という悲鳴のような声。けれど私は、涼しい顔で――むしろ少し余裕ぶったドヤ顔でその袋を軽々と掲げてみせた。
「平気よレヴァン。私、力持ちなの」
レヴァンはポカンと口を開けて固まった。彼女の常識では大の男でも苦労する小麦粉袋を、顔色一つ変えずに持ち上げている、十歳くらいの華奢な少女が理解できないのでしょうね。
私はその隙にトテトテと軽い足取りで歩いて、倉庫のような場所に袋を置いた。
トン。
音もなく埃も立てず優しく着地。風魔法の緩衝作用のおかげで袋が破れる心配もないわ。
「……次!」
私は踵を返して残りの袋へ向かった。レヴァンはまだ固まっている。私は彼女の横を通り過ぎざまにウィンクを一つ飛ばした。
「手伝うって言ったでしょう?」
そこからは早かったわ。私は風魔法をフル活用して次々と小麦粉の袋を運んでいった。レヴァンも途中から我に返って、何か呟きながら一緒に運び始めたけれど、私のペースには敵わない。
全ての小麦粉袋が倉庫に綺麗に積み上げられた後、作業を終えた私は額の汗(かいてないけど演出として)を拭うふりをしてレヴァンに向かってVサインをした。レヴァンは信じられないものを見る目で私を見つめて、それから優しく抱きしめてくれた。
「■■■。■■■、アリスティア!」
温かい。小麦粉の粉っぽい匂いと彼女の汗の匂い。陽だまりのような温もりに私は、レヴァンの胸の中で少しだけ照れくさそうに笑った。
「……どういたしまして。これくらい天才魔女には朝飯前よ」
夕方になるとノアが帰ってきて、店はまた戦場になるように入り口のベルがカランコロンと鳴り響き始めた。
この店はどうやら近所でも評判の人気店みたい。仕事帰りの人々や夕食のパンを求める客で溢れかえって、次から次へとお客さんがやってくる。レヴァンは厨房とカウンターを行き来して大忙しだわ。
私は言葉が話せないし、この国のお金の計算もできない。だから私の役割は朝と同じ。……なんて甘んじる私ではないわ。仕事の流れは既に掴んだもの。
追加でもう一つ仕事をこなしてみせるわ!
――看板娘よ。
「さあノア、行くわよ!私たちの可愛さでこの店の売上を倍増させるのよ!」
「■■ー!」
作戦はこうよ。私がこの完璧な美貌で客の目を引きつけて、ノアが無邪気な愛嬌で客の心を溶かす。銀髪の美少女と栗色の髪の幼女。このダブル看板娘の破壊力に耐えられる人間なんて存在しないはずよ!
ノアはパンを陳列したりレヴァンのサポートに回って、私は洗い物や掃除をする。それぞれの作業の合間には、二人揃って入ってくるお客さん一人一人へ最高の笑顔を振りまいたわ。
「いらっしゃいませー!(ニッコリ)」
「■■■ー!(ニパッ)」
言葉は通じなくても笑顔は万国共通。私たちが笑顔を振りまくと、入ってきたお客さんたちはハートを撃ち抜かれたような顔をしたわ。仕事疲れのおじさんも不機嫌そうな婦人も、みんな頬を緩ませて目尻を下げていく。
「■■、■■■■……」
「■■!■■■、■■■!」
効果はてきめんね!私の読み通り、お客さんたちは吸い寄せられるようにトレイを手に取って、多くのパンを山積みにしていく。普段の繁盛振りは知らないけれど、直感的に売上は倍増している気がするわ。
私が「こちらのクロワッサンも焼きたてですわよ?」と笑顔で勧めて、ノアが小さな手で「どーぞ!」と差し出せば、もはや誰も断ることなんて出来ないわ。断れる人がいるとしたら、それは人の心がない別の何かよ!
メインの役割である洗い物や掃除も、妖精さん作戦ですぐに終わる。皿洗いは水魔法で汚れをサッと洗って、火魔法と風魔法で乾かす。掃除は床や棚に散っているゴミをさりげなく風魔法で集めて回収。
「ふふん、チョロいわね」
涼しい顔ですぐに所定の位置に戻り、またノアと一緒に笑顔を作る。
そんな時に、一人の男の子が私の前にやってきた。私と同じ十歳くらいの少年で、パンを選ぶわけでもなく、モジモジしながら話しかけてきたわ。
「■■、■■■■……!」
……なによ?何かクレーム?私の接客がぎこちないから「ちゃんと仕事しろ」って怒っているの?
言葉が分からない不安から助けを求めるように視線を泳がせていると、男の子の肩にレヴァンが手を置いた。彼女はどこか楽しげな笑顔を浮かべて、何かを語りかけたわ。
「■■、■■■。■■■、■■?」
すると、男の子はビックリしたような顔をして頭を下げると、脱兎のごとく店から走り去っていったわ。レヴァンはクスクスと笑いながら「驚かせてごめんね」という風に、優しく私の背中をポンポンと叩いた。
……あの子、一体何だったのかしら?まあ、レヴァンが追い返してくれたなら問題ないわね。
気を取り直して仕事に戻ると、ノアは私よりずっと小さな体で店の中を所狭しと動き回っていた。お客さんが選んだパンを受け取ると手慣れた手つきで紙に包み素早く紐で縛ったり、差し出された硬貨を受け取ると即座に木箱の中からお釣りを取り出して渡している。
そのスピードたるや、幼女とはとても思えない職人芸の域よ。……実は貴女も不老不死だったりしない?
「■■■!」
元気な声と共に商品を手渡すノア。計算も接客も完璧じゃない。私はその様子を横目で見ながら少しだけ唇を噛んだわ。
「……やるわね六歳児。笑顔だけなら私の圧勝だけど、実務能力では完敗だわ」
「■■?」
最強の魔女が幼女に負けているという事実。悔しいけれど今の私は彼女のサポートに徹するしかないわ。私はノアが包みきれないパンをトレイから運んで、彼女が落としそうになった硬貨をサッと拾い上げる。
「ナイス連携よ、ノア!」
「■■ー!」
言葉は通じなくても忙しさの中で奇妙な連帯感が生まれていた。最強の魔女と天使のような看板娘の連携プレーのおかげで、山のようにあったパンは見事に完売したわ。
「ふぅ……。労働とは、尊いけれど疲れるものね」
最後のお客さんを見送って店を閉めた後、ドッと疲れが押し寄せてきた。慣れない肉体労働と絶え間ない笑顔の維持で、私の精神的なエネルギーが枯渇寸前だわ。
私が椅子にぐったりと座り込んでいると、ノアがトコトコとやってきて私に小さな包みに入ったクッキーを差し出した。
「■■、■■!」
「ありがとう、ノア。貴方も良い働きだったわよ」
私はお礼を言って手を伸ばしかけたけれど、ノアは悪戯っぽく笑ってその手を引っ込めた。え?期待の新人への先輩いびり?
きょとんとしていたら、ノアは人差し指を口に当てて「シーッ」というジェスチャーをして、棚の奥から小瓶を取り出して見せた。
蓋を開けると中には透き通るような赤い果実のペーストが詰まっている。彼女はスプーンでそれをすくい、クッキーの上にたっぷりと乗せた。宝石のように輝く赤と香ばしい焼き菓子の茶色。彼女はそれを私の口元に差し出したわ。
「■ー■!」
私は毒見……ではなく可愛らしい好意を受け取って一口でいただく。その瞬間脳内で電流が弾けたわ。
「んんんっ!?」
サクッとした歯ごたえと共に広がる強烈な甘み!森の木の実のような酸っぱい甘さじゃない。蜂蜜のような野性味のある甘さとも違う。雑味が一切ない純粋で鋭利でとろけるような甘露!クッキーの素朴な風味を砂糖がふんだんに使われたジャムの爆発的な甘さが包み込んで、脳髄を直撃するような快楽に変わったわ!
「ノア、貴方ってば……とんでもないものを隠し持っていたのね。最高よ」
私が目を白黒させているとノアが得意げに笑った。私はノア……いえ、ノア神様を称えるようになったわ。
夕食はレヴァンが野菜を煮込んで作ったシチューだった。豪華な食事ではないけれど三人でテーブルを囲んで食べる食事は、どんな宮廷料理よりも美味しく感じられたわ。
――こいつさえいなければ。
「……」
一口食べて分かったわ。この緑の悪魔。完全にピーマンじゃない。舌に乗せた瞬間に広がる青臭い苦味とエグみ。それは「私を食べるな」と全力で拒絶している悲鳴の味よ。
私はスプーンを震わせながら、レヴァンに身振り手振りで伝える。震える手でピーマンを指差して首を横に振る「滅相もございません。私のような卑しい居候には、このような高貴な緑色は過ぎた代物でございます」と。
「■■、■■■?」
レヴァンが何を思ったのか、私の分に追加で緑の悪魔をよそう。……増殖したわ。私の遠慮の舞がおかわり要求と翻訳されたわ。これが異文化コミュニケーションの罠……ッ!仕方ないわプラン変更よ。
二人が私の方を見ていないことを確認して、隣りに座っているノア神様の皿に、緑の悪魔をスプーンで空中輸送する。ごめんなさいノア神様。これは試練よ。若いうちに苦労は買っておきなさい。
私のスプーンがノアの皿に着陸しようとした瞬間、横から伸びてきた手が私の手首を優しく、けれど万力のようにガシッと掴んだ。
「……!」
レヴァンだったわ。彼女は私のスプーンに乗ったピーマンを、流れるような動作で私の皿へとリリースした。
「■■■■■。」
短い言葉。意味は分からないけれどニュアンスは分かる。「好き嫌いはダメよ」。
くっ……ならば最後の手段よ。私はスプーンを握りしめたまま、涙を瞳いっぱいに溜めて小動物のように震えて見せた。「食べられません。お腹が痛いのです。可哀想な私を許して」という無言の訴え。最強の魔女のプライドをかなぐり捨てた命乞いの上目遣い。
それを見たレヴァンは――ふわりと微笑んだ。やった……?
「■■■」
笑っているわ。口元は聖母のように優しく弧を描いている。けれど目が笑っていないわ。「残したらどうなるか分かってるわよね?」という無言の圧力が私にのしかかる。
怖い。森の魔獣さえ恐れない最強の魔女である私が「お母さんの笑顔」を恐れてしまったわ。……負けたわ。完敗よ
私は震える手でスプーンを口に運んだ。口いっぱいに広がる苦味と敗北の味。目尻に生理的な涙を浮かべながら、私は緑の悪魔を咀嚼した。ノア神様が隣で「■■~」と無邪気に笑っているのが唯一の救い……いえ、煽られている気がしてならないわ。貴方なんて神様じゃなくて、ただのノアよ!
食事中も私の言語学習は続いた。ノアがスプーンを持って「■■」と言う。私が「『スプーン』」と繰り返す。シチューの中の野菜を指して「■■」と言われては「『ニンジン』」と返す。
レヴァンはそんな私たちの様子を、スープを啜りながら静かに見守っていた。一日中立ちっぱなしで働いて、顔には隠しきれない疲労の色が滲んでいる。けれど私とノアが身振り手振りで意思疎通を図る姿を見て微笑んでいたり、時折私が変な発音をすると優しく訂正を入れたりしてくれる。
少しずつ。本当に少しずつだけれど私の周りの世界が「■■」という記号から、意味のある言葉へと変わっていく。それはまるで濃い霧が晴れて景色が色を取り戻していくような感覚だったわ。
食後の片付けを終えると、レヴァンが手招きをして私を家の奥にある小部屋へと案内してくれた。そこは脱衣所で、奥に木製の浴槽が置かれた簡素な浴室だったわ。
「■■、■■■」
レヴァンが浴室の壁に設置された小さな装置――青と赤の魔石が埋め込まれた金属板を指差した。彼女が赤い魔石に触れながらレバーをひねると、蛇口から湯気が立ち上って温かいお湯が流れ出した。
「……!」
私は思わず身を乗り出した。街で見かけた魔法技術が、こんな一般家庭にも普及しているなんて!魔法がない頃に森で温かいお風呂に入ろうと思ったら、川から水を運び薪を集めて火を起こすしかなかった。それがここでは魔石を使うだけで熱湯が生み出せる。
「なんて……なんて素晴らしいの!」
レヴァンがお湯を張って出て行った後、私は一人湯気の充満する浴室で文明への感動に震え――そうになったけれど、その感動は三秒で吹き飛んだわ。私の目が棚に置かれた容器に釘付けになったからよ。
「……!この甘い香り、まさか!」
私は魔石のことなんて頭からすっ飛んだ。これは髪か体を洗うための美容液!?暖炉の灰でゴシゴシ洗っていた私に、文明が極上の泡を差し出してくれたのよ!
私は容器の中身を惜しげもなく銀髪に馴染ませた。立ち上る華やかな香り指に絡みつく濃厚な泡。洗い流せば私の髪はトゥルントゥルンの絹糸へと進化していたわ。
「……罪だわ」
鏡(ここにもあったわ!)を見ると、濡れた髪が艶めく究極の美少女がそこにいたわ。ただでさえ完璧な素材が、文明の力でさらに磨き上げられてしまったのよ。
「これ以上可愛くなってどうするのよ。不老不死だとか魔力量だとか関係なく、可愛さゆえに世界中から狙われてしまうわね」
私は新たな命の危機を真剣に憂いながら、鏡に向かってとびきりのキメ顔を作ったわ。
夜、部屋に戻った私はベッドの上で今日覚えた単語を復唱した。まだ完璧な会話には程遠い。でも確実な一歩だわ。
私は窓の外を目を向けた。街の灯りは少しずつ消えて静寂が訪れようとしている。森にいた頃、夜といえば魔獣の遠吠えと暖炉の薪の爆ぜる音だけだった。今は遠くで誰かが笑う声、馬車の音、そしてレヴァンとノアの寝息のような気配。
私は一人じゃない。
「ふふん。なかなか悪くないスタートじゃない」
私は街を見つめて不敵に笑った。最強の魔女アリスティアの文明攻略作戦。一日目は大成功と言っていいでしょう。居候としての地位は確保した。言葉の足がかりも掴んだ。
明日はもっと多くの言葉を覚えよう。もっと上手に魔法を使いましょう。そしていつかこの街の人々全員が、私の可愛さと賢さにひれ伏して私を讃える日が来るまで――。
私は布団に潜り込み目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは今日の店で見たお客さんたちの顔と、レヴァンとノアの笑顔。
新しい冒険は、まだ始まったばかりだわ。




